第4話 明智、靴底を擦り減らす

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 諜報員、山本慎作やまもとしんさくは異質である。



 訓練施設時代から同期として付き合いのある、無番地一期生の同期たちの輪にいても、いつだって彼は一人だけ『特別』な空気を醸し出していた。


 年齢が30歳を超えており、一期生のうちでも最年長であるとか、学校を卒業した後に、詳細は不明だが社会で働いていた経験があるとか、どこの大学を出たか尋ねられても、黙って微笑むだけで答えないとか、そういった他の同期たちと一線を画する特徴のせいというだけでは説明のつかぬ何かが、彼にはあった。



 長身で筋肉質な体つきに、古写真で見る幕末の志士のような精悍な顔立ちと、一見近寄りがたい風貌をしてはいるものの、山本は決して付き合いづらい人物ではない。


 むしろ、奇人変人だらけの無番地諜報員の中では、かなりの常識人である。

 初めて顔を合わせた時から彼は一貫し、誰とでも分け隔てなく接し、自分のことより他人のことを優先し、儀礼や接遇も卒なくできる社交性に富んだ紳士だった。


 また、炊事洗濯などの家事全般が得意で、社員寮の食事は彼が調理することが多い。仮にも女学校で、良妻賢母になるため教育されたはずなのに、粥ひとつまともに作れない当麻旭とは好対照だ。


 近藤や広瀬、それに旭を加えた4人で連んでいることが多く、近藤の何が面白いのか理解不能な体を張った一発芸や、広瀬の魔法や錬金術の領域に達している研究の自慢話、仕事で失敗する度に繰り返される、旭の「私にできることなんてないのではないか」という自虐発言、各々好き勝手、てんでばらばらに喋る彼らの相手を、山本は全て完璧にこなしていた。


 寮の食堂で飲んでいる4人の輪に加わる度、明智はその鮮やかな対応に舌を巻いた。

 近藤の芸を腹を抱えて笑ってやり、広瀬の妄想じみた研究目標を賞賛し、落ち込む旭の話をじっくりと聞いてやり、負担にならない程度に激励する。

 これらを山本はほぼ同時に、誰の機嫌も損ねることなく成し遂げてしまうのだ。

 まるで、帝都の交通量が多い大交差点で、交通整理をする制服警官さながらの的確な捌きっぷりに、見ているこっちの目が回ってしまうと呆れたものだ。



 だが、どんなに仲間たちと楽しげに会話し、ふざけていても、皇国共済組合基金ビルを訪問した客人を愛想よく出迎えていても、彼は一人だけ浮いていた。


 違うのだ。自分たちとは何かが。


 理由はあの佐々木すら、見当がつかないとぼやいていた。




「手始めはこの辺りからにするか」



『休憩中』だの『準備中』だのと書かれた札を下げたカフェーや、毒々しい色使いのいかがわしい看板が並ぶ新宿の歓楽街で、志士面の男はこちらを振り返った。



「この辺りって……。どこも閉まっているぞ」



 よく晴れた天気が心地よい真っ昼間とはいえ、淫らで猥雑な空気はこの場所に染み着いている。いつのものだか、誰のものかも分からぬ、生温い体温と官能的な息遣いが肌に纏わりついてきそうで、明智は今すぐにも逃げ出したかった。



「どうせ奥にいる。呼べば出てくるぞ。客がいない分、歓迎されるさ」



 常識人らしからぬ、意外に図々しいことを口にし、早速山本は一番近くにあった『美人酒場』という店の扉の呼び鈴を鳴らした。



 ささやかな抵抗をあえなく却下され、小さく溜息を吐く。


 今朝、出勤するなり所長室に呼び出され、命じられたのが、今、怪しげな酒場の店先で、寝間着姿で眉がなく、髪にカーラーを付けたままの魔女のような出で立ちの中年女と親しげに談笑している同僚の補助任務だった。

 自分主体の任務ではないし、まともな人柄の山本の補助ならと軽い気持ちで引き受けた結果が、この有様だ。

 何故、自分が日中の人通りもまばらな歓楽街で聞き込み調査なんぞに付き合わさせられるのか。もう何度目かも分からぬ所長お得意の、女嫌いの自分への嫌がらせとしか思えなかった。



「そうですか。ありがとうございました。何かあったら、チョーさんに伝えてください。自分のところに連絡が行きますので」



 名残惜しそうに手を振る中年女に別れを告げ、颯爽とした足取りで、山本は遠巻きに見ていた明智の元へ帰ってきた。


「怪しい奴もにも、『姫』にも心当たりはないそうだ。次に行くぞ」



「怪しい奴なら、貴様が今しがた話していたじゃないか。 何だあれ? 美人と言うより妖怪だぞ」



「言ってやるなよ。明け方に店じまいして、化粧も落として寝ていたところなんだ。夜会うと、年増だが中々の上玉だぞ」



 明智の悪態を軽く諌め、今度は『美人酒場』の向かいにある『快楽女学校』の戸を叩き始める。『快楽女学校』の前に立つ電柱には、皇紀2600年記念祝典の立て看板が括り付けられていた。



 そう。そもそもの発端は、この来月11月10日に行われる皇紀2600年記念行事なのだ。国威をかけた行事の失敗を招きかねぬ、反政府勢力によるテロの勃発を未然に防ごうと、現在全国の特高警察は普段以上に取締りを強化している。

 そんな中、警視庁特高部が身柄拘束した、ある無政府主義団体の末端構成員の男が、組織ぐるみで行事の妨害工作を計画していると自白したのだ。

 けれども、肝心の計画内容については、彼は何も知らされていなかった。否、計画書のありかを表す暗号を教えられてはいたのだが、解読できず、何も知らないままでいたのだ。

 特高部は、家芸の拷問で男から暗号を聞き出したものの、自分たちもまた、暗号を解読できず、未だ計画書に辿り着けずに時間が流れ、式典の期日は刻一刻と迫っていた。



『天地を揺るがす覚書 隠されたるは虎の街 鎮守の姫の足元なり』



 こんなふざけたえせ文語調の暗号文に従い、特高部は主に上野動物園の虎の檻周辺や上野駅周辺や吉原などの繁華街で働く美女たちの身辺を無粋に嗅ぎまわったようだが、何一つそれらしきものは発見されなかったそうだ。


 誇り高き天下の警視庁特高部が、陸軍所管の弱小諜報機関である無番地に依頼をしてきた理由は、何となく察しがつく。このまま犯行計画書が見つからぬまま時間切れを迎える前に、事件を自分たちの手元から離しておきたいのだろう。少しでも、特高警察に浴びせられる非難を軽減させ、責任を無番地に押し付けたいというのが本心だろう。

 つくづく腐っている。



 そして、依頼を受理した所長が指名したのが山本だった。

 彼は所長室で、暗号文を目にした瞬間、閃いたそうだ。



 新宿を守る『姫』の足元に計画書があるはずだ、と。



 何故新宿だと思ったかは、行きの路面電車の中で教えてくれた。



「帝都、否江戸と言った方が良いか。江戸は陰陽道で言うところの四神相応の地だ。中央に黄龍がおわし、北に玄武、南に朱雀、東に青龍、そして西に白虎、つまり虎がいる。白虎が守る道は甲州街道とされており、その江戸側の起点が新宿。『虎の街』と言ったら、帝都近郊では新宿が真っ先に浮かぶものだと俺は思ったんだけどなあ」



 上野動物園はないと、山本は失笑していたが、実は明智も『四神の白虎』なんて思いもつかなかったので、一緒に笑っているふりをしつつ、内心は冷や汗をかいていた。

 佐々木以外の同期に負けるのは、自称永遠の2番手のプライドが許せなかったのだ。


『虎の街』は新宿なので、残りの暗号解読の鍵となりそうな『鎮守の姫』を探しに、現地調査をしようというのが、山本の立てた捜査方針だった。



「おい、中で話をさせて貰えるそうだ。早く来い」



『快楽女学校』の扉の前にいた山本に呼ばれ、明智ははっと我に帰る。

 こんな見るからに卑猥な店は、遠くから眺めるだけでも汚らわしく、店内になんか入りたくなかった。しかし拒否をして、ウブだと勝手に認定されるのも癪だったので、意を決し、毒々しい赤色の暖簾をくぐった。

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