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 食堂に置いてあった饅頭を食べてしまったのは事実だが、明智にも弁解したいことがある。



 彼が食堂のカウンターで、愛らしい小鳥の形をした饅頭を見つけた経緯は、以下の通りだ。


 今朝6時過ぎ、日課の鍛錬を終え、風呂場で汗ばんだ体を清めた彼は、のどの渇きを覚えた。

 食堂に行けば、夜のうちに山本が準備してくれている氷入りの麦茶が入った水差しが置いてある。喉越し爽やかな冷茶を一気に飲み干したら、どんなに爽快だろうと夢想しながら、明智は食堂を目指した。


 建てつけの悪い引き戸を開けると、広々とした食堂は無人だった。椅子やテーブル、食器類などは整然と片付けられていたが、微かにアルコールとたばこの匂いがした。毎晩誰かはここで酒宴を開催しているので、その残り香だろう。

 明智自身は、昨晩は一人で図書室に籠り、中国語の勉強をしていたので、酒宴には参加していない。

 目当ての水差しは、いつも通りカウンターの前に設置された給仕用のワゴンの上にあった。側にはガラスコップが10個程並ぶアルミのプレートも置いてある。

 彼は一番手前にあったガラスコップを取り、麦茶を注ぎ、一気に飲み干して一息ついた。誰もいないのをいいことに、飲み終わった後、「ぷはぁっ」とため息まで漏らした。



 窓から降り注ぐ夏の日差しを浴び、伸びをしていると、ふとカウンターの上に見慣れない紙箱を発見した。

 箱は淡い色調の花模様が印刷された縦長のもので、蓋は外され、本体の下に敷かれていた。箱の中を覗くと、薄紙で包まれた饅頭がぽつんと1つ残っていた。

 昨日の宴会に誰かが持ち込み、参加者で食べたものの、余ってしまったのだろうと彼は推測した。酒の肴としては少々微妙だし、一人でそう多く食べられるものでもない。何も立て札などはなかったが、目につきやすい場所に置かれた饅頭の箱からは、酒宴の参加者たちが残したメッセージが読み取れた。


「ご自由にお取りください」


 朝食まで、あと1時間半ある。運動をし、小腹も空いている。あまり行儀は良くないが、まあたまにはこんな日もあっても良いだろう。何事も決めた通りに動きたい欲求が強く、融通の利かない自分ではあるけれど、ほんの少し、脇道に逸れてみるのも、人として成長するのに必要だ。

 朝食前に饅頭1つ食べるために、どれだけ大袈裟なんだと感じる人もあろうが、明智は大真面目にそう考えた後、箱に残っていた饅頭を食べた。

 コクの強いこし餡と洋菓子風の皮が絶妙な風味を醸し出しており、旨かった。ついでに言うと、小鳥の形も可愛かった。


 食べ終わると、また喉が渇いてしまったので、麦茶をおかわりし、「今度、自分でも買いに行ってみよう」と考えながら、印字された和菓子屋の店名や住所を暗記しつつ、紙箱をかさばらないよう几帳面に畳み、ゴミ箱の中に押し込んだ。



 つまり、早朝の時点で、既に9つの饅頭は誰かが持ち去った、或いは食べてしまった後で、最後の1つはあたかも自由に食べて良いものかのように、食堂のカウンターの上に置いてあったのだ。

 あれはどう見ても、気が向いたら食べてくれと言わんばかりの置き方だ。勘違いして然るべきで、責められる謂れはない。饅頭は食ったが、俺は悪くない。

 以上が明智の弁解内容だ。



「ちょっとぉ、誰も手を挙げないとかあり得ませんよ。嘘は良くないです」



 いつまで経っても誰も挙手しない状況に業を煮やし、松田は口を尖らせた。


 自分は悪くないとは確信しているが、この状況で自首するのはしゃくだと明智は考えていた。松田の言う通り、残り9個の饅頭を食った犯人は間違いなくこの中にいる。

 けれども、ここで自分が真っ先に自首してしまえば、他の犯人(達?)は、場合によっては全ての罪を彼に擦りつけ、平気な顔でしらばっくれるだろう。奴らの大多数がそういう連中だ。

 また、状況判断を誤ったことが露呈する上に、朝御飯前に饅頭をつまみ食いする程、食い意地が張っているとからかわれるのも目に見えていたので、言いたくなかった。



「嘘は良くないと言われても、ここで俺が食べたと言ったら、それこそ嘘だからなあ」



 折り畳んだ扇子を顎にあて、近藤がため息まじりにぼやいた。アメリカンフットボールの選手を彷彿させるがっちりとした体格に男臭い顔立ちと、優男の多い無番地では異色の容姿を持つ彼だが、正真正銘、早稲田大学政治経済学部卒のインテリである。

 見た目通りの豪胆な兄貴肌の性格をしているが、体育会系の単細胞という己の第一印象を都合良く利用している一面があり、油断のできない相手だ。

 その点は、松田も明智と同見解のようで、近藤の、自分だけでも容疑者リストから脱出しようという小狡い目論見を見抜いていた。



「無意味な揚げ足取りはやめましょうよ、近藤さん。そういえばあなた、仕事中もしょっちゅうお菓子食べてますよね。お煎餅とかキャラメルとか、お饅頭とか……」



 松田の表情は相変わらず邪気のない笑顔で固定されていたが、口ぶりは大分含みがあり、刺々しいものだった。疑いをかけられていると察した近藤は、猛然と反論した。



「菓子は確かに好きだが、俺はいつも自前で買って食べてる! わざわざ、他人のものを取って食う程、餓えちゃいないさ」



「でも貴様は昨日、寮の晩飯足らないって文句を垂れていなかったか? 昨晩も深夜まで食堂で飲んでいたようだし、貴様が食ったんじゃないか?」



 机にだらしなく突っ伏しながら、満島がおちょくった。いたずら好きの子犬のような目が、意地悪く近藤を上目遣いに睨め付ける。



「それあり得るね! 近藤なら饅頭10個くらい一気に食えるだろ? よし。犯人は近藤ってことでいいよ! 旭ちゃん、弁償させるなり、土下座させるなり好きにしちゃいなよ」



「一人で10個も食えねえよ! 小泉てめえ、単に早く会議を終わらせたいだけだろう」



「それ以外に目的ってある? 俺は誰が犯人なのかなんて、どうでもいいんだけど」



 小泉、満島の軽薄者二人組に、近藤は孤軍奮闘していた。明智は少し気の毒に思ったが、それで自分がやったことが不問になるなら大歓迎なので、助けはしない。



「満島、貴様だって十分怪しいぞ! 春先に窃盗容疑で留置場に入っていたくせに!」



 進退極まった近藤は、満島の、否、この場にいる9人にとって、触れてはならぬ話題に言及した。


 今年の四月半ば。赴任したばかりの当麻旭が、佐々木、明智、小泉それから松田の4人で、酒場で潜入捜査をしていたところに乱入し、スパイ容疑のあったアメリカ人を取り逃がしたことがあった。

 満島は4人とは別行動で別のスパイ疑惑をかけられていた外国人宅に侵入し、スパイ行為の証拠を盗み出そうとしていたが、乱入騒動の煽りを受け、予定外に帰宅が早まってしまった家主に発見され、そのまま単なる空き巣として警察に逮捕されてしまったのだった。

 結果的には責任を感じた旭の尽力もあり、満島は無罪放免。任務も様々な予定変更を経て完遂できたが、この事件は各々の心に苦々しい記憶として刻み付けられていた。



「あれは元はと言えば、誰かさんが僕らの居場所を何も知らない当麻さんに漏らしたからでしょう? 確かに満島さんは、空き巣の前歴がありますし、万引きとかしそうな顔してますけど、人のお菓子を勝手に食べる程の悪事を働いていると決めつけるのは良くないです」



 公平であるべき名探偵は、自分も印象で近藤を犯人扱いしていたことを棚上げし、比較的仲の良い同僚を擁護した。

 悪口にも聞こえるが、多分彼なりに友人を庇っていると思料しりょうされた。



「なら言うけど、あの件は同僚同士、情報共有を怠っていたそっちにも問題あるんじゃないの? あと、当麻さんの乱入程度で崩れる杜撰ずさんな計画を立てた人にも問題あると思うなあ。というか、今は4月の話じゃなくて、饅頭を誰が食べたかって話をしていたんじゃないの? 議論ずれ過ぎ。これだから文系は非合理的で嫌なんだ」



 松田の嫌味ったらしい発言に絡んできたのは、『誰かさん』こと、無番地の頼れる技官広瀬だった。温厚だが、他の諜報員たちに負けじと自尊心の高い彼は、過去の失態を槍玉に上げられるのが我慢ならなかったようだった。


 比較的争いを好まないはずの男の、自分以外全員を敵に回す発言に、一瞬執務室内は静寂に包まれた。

 誰もが疑心暗鬼になり、互いへの不信感が狭い室内を交錯する。



 険悪この上ない静けさを破ったのは、明智の高等学校時代からの友人であり、常に一番を走り続ける無番地の皇帝、佐々木だった。



「あの件は、作戦を立てた僕に責任がある。これでいいだろう? もうその話はよそう。当麻さんが泣きそうだ。それよりまずは、当麻さんが最後に手付かずの状態の菓子折りを確認した時刻を割り出し、その時刻から空箱がゴミ箱の中から発見に至るまでの各々の行動を報告し、犯行時間を特定しないか?」



 神に造られた西洋彫刻の如き美貌と色気を惜しみなく振りまきつつ、彼は気だるげに前髪を掻き上げた。



 鶴の一声ならぬ神の子の一声に、異論を唱える者はいなかった。

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