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 駄菓子屋に戻ると、老婆はさっきと全く同じ場所に同じ姿勢で座っていた。

 店の奥、住居部分に繋がる玄関先に紫色のふかふかとした座布団を敷き、その上に、ちょこんと置物のように正座している。



「あれ? 知事どうしたの。くじでも当たったかい?」



 おっとりと問い掛ける老婆に、山本は息急き切って言った。



「お婆ちゃん、ちょっとごめん。少しそこから退いて貰えるかな。お婆ちゃんの座っている場所を調べたいんだ」



「ここを? 何だか分からないけど、どうぞお好きに」



 緩慢な動きで、老女は腰を上げ、定位置から退いた。空席になった座布団を、山本は引っ繰り返す。裏側には、座布団本体をカバーに入れる際の入れ口があった。迷わずその切れ込みに手を突っ込んだ彼の口角が持ち上がった。



「明智、インク出しは持ってるよな。頼むわ」



 座布団カバーの中から出した山本の手には、四つ折りにした紙片があった。受け取って広げてみると、その紙はノート大の身長を水増しできる紳士用厚底靴のチラシだった。



「あれ? 何でそんなものが入ってるんだろうねえ。入れた覚えも、入れられた覚えもないのだけど」



 不思議そうに首を傾げている老婆に、山本は優しく言い聞かせる。



「きっと、お婆ちゃんがお昼を食べに奥に行っている時とかに、誰かが入れたんだよ。背が小さいことで悩んでいるのが、誰かにばれたくなくて、捨てる場所に困ったからだろう。あまり気分の良いことではないし、このことは誰にも言わず、忘れちゃいな」



「そうだね。知事がそう言うなら、そうするよ」



 純朴で清らかな心を持つ、『鎮守の姫』は素直に首肯した。



 暗号文の『鎮守の姫』とは、この若干少女に戻りかけている善良な老婆を指していたのだ。

 木花之佐久夜毘売コノハナノサクヤビメの姉の石長比売イワナガビメは、器量こそ良くないが、岩のような永久性を象徴する不老長生の女神だ。

 何十年も同じ場所に留まり、この街を見守り続けている駄菓子屋の老婆と重なるところがある。

 チョーさんがどこまで分かっていたのかは不明だが、『全部の先入観を捨てているか?』という問いで、山本も、そして明智も、自分たちがまだ、暗号文の字面に囚われていたことに思い至った。


『姫』は、当然に若い未婚の女性に違いないという先入観。


 そんな前提が頭のどこかにあった。話を聞いたこの街の人々も恐らく同じだった。だから、誰もこの老婆のことなんて、思いつきもしなかったのだ。


 けれども、情報屋の助言を胸に刻み込んだ後だったからこそ、今こうして、彼女にまで到達できた。

 木花之佐久夜毘売コノハナノサクヤビメを祀る神社のお膝元で、敢えて石長比売イワナガビメの如き老婆を『姫』に見立てる。

『姫』は毎日計ったように同じ時刻に席を外し、食事や便所に行く。老人故、動作は緩慢で、一度外すと、帰って来るまで時間がかかる。席を外す時刻さえ把握してしまえば、閑散とした店に侵入し、座布団カバーの中に紙切れを突っ込んだり、回収するのは容易い。

 敵ながら、天晴れであった。



 明智は老婆からは見えない位置に移動し、チラシに暗号解読用の俗称『インク出し』という薬品を垂らした。こうすることで、肉眼では見えない特殊な諜報活動用のインクで書かれた文字が浮かび上がる。中学の化学で習うような単純な化学反応を利用した仕組みだが、明智たちも頻繁に利用する情報伝達手段のひとつだ。



 薬品で全体的に湿り気を帯びたチラシに、濃い桃色の文字や簡単な地図が浮かび上がってきた。末端の運動家宛ということもあり、こちらは暗号化はされていなかった。

 成る程、大分派手な計画を練っていたようではないか。ご丁寧に、当日の役割分担まで記されており、その中には、要注意人物に指定されている大物反政府運動家の名前もあった。

 しかし、残念だが計画は特高により、事前に阻止される。ご愁傷様だ。



「おい、大当たりだ」



 奥の間で、老婆と話をしていた山本に呼び掛けると、分かったと返事が聞こえたが、いつまで待っても、こちらに来る気配がしない。


 計画書と『インク出し』を背広の内ポケットにしまい、溜息を吐きながら、店の奥まで歩いて行くと、元通りの位置に座布団を敷いて正座している老婆の膝先には、ブリキ製のおもちゃが10個程並べられていた。

 山本は玄関先に腰掛け、おもちゃを手に取り、ああでもないこうでもないと吟味していた。



「おお、明智、ちょうど良いところに来た。くじの賞品だそうだ。好きなのをひとつ選んで良いそうだぞ。どれにする? 俺は潜水艦とタンク自動車で迷っている」



「どれでもいい。早くしろ。帰るぞ」



 あれ程、言い争いをしたのに、全く懲りていない。急ぐよう、わざと冷徹な声音で告げると、彼はタンク自動車を選んでから、もうひとつ、安っぽいデザインの勲章を手に取り、明智に差し出した。



「じゃあこれ、貴様のな。今子供に大人気の漫画に登場する正義の味方が付けている、英雄の勲章らしいぞ」



 笑いを堪えているようだったが、口元が緩んでいる。



「嫌味か?」



「まさか。期待を込めてってことだよ」



 明智は眉間に皺を寄せ、不愉快だと主張したが、山本は取り合わなかった。

 腰を上げ、「じゃあね、体に気をつけて」と愛想良く、老婆に別れの挨拶をした。

 すると、老婆は右手を上げ、まばらな眉の辺りで挙手注目の敬礼で応じた。



「しっかりするんだよ。あんたは、何があろうと勇敢で優しい良い青年だ。練習した通り、『知事と同じ……』ってのをやれば、みんな面白がって良くしてくれるさ」



 困っているような、罰が悪そうな、それでいて少し嬉しそうでもある、複雑な表情で苦笑いをする山本に、老婆は歯のない口をにっかりと開いて笑いかけた。

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