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「……できれば宮司に許可を得てから調べたいのだが、さすがに断られるよな」



 芸能浅間神社の鳥居前で、山本が溜息まじりに尋ねてきた。平日昼間の花園神社境内は無人で、鬱蒼と茂る鎮守の杜の木漏れ日は、暖かに2人の諜報員を包み込んでいた。


 新宿の中心部に位置する花園神社は、江戸時代初期、この地に内藤新宿という宿場町が開かれて以来、新宿総鎮守とし、今尚近隣の住民や商売人たちの信仰を集めてやまない、由緒正しい神社だ。


 その境内の一角に、芸能浅間神社の小さな鳥居と社殿があった。

 日本神話に登場する天孫、瓊瓊杵命ニニギノミコトの美貌の妻、木花之佐久夜毘売コノハナノサクヤビメを祀った小さな神社は、芸能にご利益があるということで、役者やダンサー、歌手の参拝も多いらしい。



「調べるって何をする気だ?」



「あそこの中を見たり、周囲を掘りたい」



 鳥居の向こう側に見える祠のように小さな社殿や、その下の石を積み上げて造られた富士塚を指差す。



「断られるだろうな、普通は。貴様の人徳ならどうにかなるのかもしれないが」



 この街での山本の顔の広さと慕われようならば、罰当たりな頼みもひょっとしたら聞いて貰えるのではないかと明智は思ったが、本人は渋い顔をし、考え込んでしまった。


 ムーラン・ルージュ新宿座から走って来たものの、明智の実家の敷地内にある祠と大して変わらぬ規模の芸能浅間神社には、普通に参拝した限りでは、それらしき痕跡は何も見当たらなかった。

 山本が黙ってしまったので、手持ち無沙汰になった明智は、同じく花園神社境内にある赤い鳥居が幾重にも続く威徳稲荷神社の方に、興味を惹かれ、見物がてら行ってみようかとその場を離れようとした。



「明智!」



 立ち去りかけた途端、背後から呼び止められ振り返ると、すぐ目の前に山本の背広の上着が飛来してきた。辛くも受け止めたが、危うく顔面に直撃するところだった。眼鏡に当たったら危ない。



「おい、何をするんだ。眼鏡に当たりそうだった」



 すかさず仏頂面で抗議をしたが、山本は悪びれず、ワイシャツの袖を捲り上げながら、依頼してきた。



「ああ、すまん、すまん。そんなことより、暫くその辺で人が来ないか見張っていてくれないか?」



「見張る?」



 意図が分からず聞き返すと、凛々しい眉が踊り、口の端がにたりと笑みの形に持ち上がった。



「俺はこれから、数々の罰当たりな行為をする。見つかったら、通報されかねない。だから、貴様には見張り役を頼みたいのだ。誰か来たら、すぐに教えてくれ。それから、上着も預かっていてくれ」



 言うや否や、山本は明智の返事も聞かず、芸能浅間神社の鳥居を潜ると、一礼し、迷いなく社殿の扉に手を伸ばした。そして、中をくまなく調べ始める。

 先ほど『宮司の許可を得られるか』と相談を持ちかけてきた調査は、無断で行う方向で結論を出したらしい。腕捲りをし、一心不乱に社殿の中に手を突っ込み、検索している姿は罰当たりな不審者そのものだった。


 この状態になった彼は、誰にも止められない。さっき、ムーラン・ルージュで学習済みだ。


 明智は大きく嘆息し、五感を研ぎ澄ませ、渋々見張りを引き受けた。





「何も見つからなかったなあ。白虎の件もあるし、佐久夜毘売は本命だと踏んでいたのだが」



 30分後、手水場で土まみれになった手を清めながら、山本はしきりに首を捻っていた。

 芸能浅間神社の社殿を勝手に開け、中を精査した挙句、富士塚の石を剥がし、土を掘り返すなど、どんな天罰が下るか、想像するだけで恐ろしい行為を散々やってのけたにも関わらず、皇紀2600年記念行事の妨害計画を記した書面は発見できなかった。

 何とか元どおり戻しては来たものの、素手で土を掘り返す山本は猟犬そのもので、神聖な社殿や塚を原状回復不能な程に破壊してしまわないのかと、見ているこちらがハラハラさせられた。

 最も明智は、天罰なんて非科学的なものは起こり得ないと考えているので、神社を荒らした罪悪感こそあれど、恐怖は全く感じていなかったが。



「いい加減、特高を笑えなくなってきたな。このままだと、まずいぞ」



 まずいと言っている割には、何故か山本は楽しそうだ。変な奴、と改めて思う。

 大した発見もなく、ぐるぐると狭い地域を歩き回り、地面に這いつくばったり、穴を掘ったり、いかがわしい連中から話を聞くことの何がそんなに愉快なのか、毛頭理解できない。

 いつまでこの無意味な新宿散歩に付き合わさせられるのかも、現段階では見込みがつかない。早く帰りたい。そう願わずにはいられなかった。



「しゃあない、次は御苑の方へ行ってみるか」



 洗い終わった手をハンカチで拭き、明智から上着を受け取ろうとした瞬間、山本の腹が盛大に鳴った。彼はぴたりと動きを止め、腕時計で時刻を確認し、宣言した。



「腹減った。昼飯食うぞ」



 あまりに自由すぎる振る舞いに、明智はその場に膝をつき、頭を抱えたい衝動に駆られた。一体、誰がこの男を常識人だと言ったのだろう。そいつの顔を見て見たいと憤りを感じたが、よくよく考えると、自分だったことに気づき、余計にうんざりした気持ちになった。




 いい店を知っていると豪語する山本に先導されてたどり着いたのは、繁華街から離れた住宅街の一角にある古びた定食屋だった。

 暖簾を潜ると、既に午後1時を過ぎていたせいか、客の姿はなく、店主夫婦は店じまいの準備をしていた。

 けれども、2人は山本の顔を見るなり、目を丸くし、久し振りに帰省してきた一人息子を迎えるが如く、手放しで歓迎した。



「ちょっと待っててね。いつものアレ、作るから」



 そう言って、いそいそと厨房に向かった夫人の目が潤んでいることに明智は気づき、思わず向かいに座る山本の顔を見たが、彼は無表情で壁に貼られたお品書きを眺めているだけだった。

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