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 桐原範子の交友関係は事前に見せられた資料のとおりならば、かなり狭いものと思われた。


 女学校入学直後、3週間だけテニス部に在籍していたものの、一身上の都合で退部してからは、部活動や委員会活動には一切参加していない。


 そのため、親しい先輩・後輩は皆無。


 昨年から同じ学級の棚村節子たなむらせつこという同級生と二人で行動することが多い。


 ちなみに、小学校時代の友人と遊んだり、文通をしている様子もない。


 便所すら一人では行きたがらない年頃の少女にしては、大分寂しい交友関係だが、今朝の高慢ちきな態度を学校内でも貫いているなら、一人とはいえ友人がいるなら上出来と言えよう。




 予め、『同僚』に頼んで範子の教室に設置しておいた盗聴器を通し、休み時間に睦み合う女学生たちの様子が伝わってくる。


 いくつもの小鳥のさえずりの如く、高く楽しげな声の中から、範子の声を探し出し、聞き耳を立てる。

 彼女は、棚村節子と思しき少女と数学の宿題の答え合わせをしていた。


 ただ、教室内では、他のおしゃべりグループも、少なくとも過半数は同じように、やや緊張した声で数学の宿題について話し合っており、別に二人が特別勉強熱心という訳ではないようだった。

 耳に入ってくる幾多の会話から察するに、どうも数学担当の教師は厳格な性格で、宿題をサボる者や基礎が理解できていない者には、容赦ない叱責と大量の課題をお見舞いするため、女学生たちは、自己防衛のため、仕方なく休み時間までも、勉強に費やしているのが真相のようだ。



「あ、そうか! 分かったよ! 良かったあ。これで指されても大丈夫ね。せっちゃんはやっぱり教え方上手いわね」



 友人と話している時の範子は、家での無愛想な反抗期丸出しの少女とは別人のように明るく、饒舌だ。意外な気もしたが、まあ、思春期の子供なんてそんなものだろうと思い直す。



「へへ……。のりちゃんてば、照れるよお」



 対して、節子の方はゆったりとした話し方で、声も小さく、口数も範子の半分ほどだった。



 彼女の容姿も、明智は所長から見せられた資料で確認していたが、背の高い範子より頭一つ小さく、カメラを上目遣いに見上げる目線は頼りなげで、生まれたての子兎のようだと感じていた。




 始業のチャイムが鳴ると、女学生たちはガタガタと音を立て、席に着いた。


 始業とほぼ同時に入室してきた女性教師を迎え、日直の生徒が号令をかけ、授業開始。



 授業が始まると、生徒たち同士のおしゃべりは当然やんでしまい、明智にとっては、十数年前にはとっくに習得した基礎中の基礎でしかない数学の講義が延々50分続くだけだ。


 彼は、ヘッドホンを外し、受信音量を若干絞ってから、ケーブルを受信機から引き抜いた。途端、車内に女学校2年生の数学の講義が、定食屋のラジオ放送の如く、聞き取れはするが耳障りではない絶妙な音量で流れる。


 盗聴は小休止。



 代わって、ペン型に偽装された超小型無線機で、女学校の敷地内外に配置された私服憲兵に状況報告を呼びかけた。


 用務員や工事業者に庭師、浮浪者に変装している彼らは、淡々と自分の守備範囲では異常がないことを告げた。



 ここまで、全て明智の計算どおりだ。



 多分、いくつかの証拠を翳し、ほんの少し揺すりをかけるだけで、脅迫事件の犯人は簡単に自供するはずだ。



 犯人が判明した後、どうやって依頼人である桐原大佐の望むかたちに事件を処理するかが明智の手腕の見せ所だろう。




「桐原さん、ここ、先週に教えたところですよ。ちゃんと復習しましたか?」




 今後の方針について、あれやこれや考えていると、ふと、受信機からヒステリックな女教師の声と、範子が蚊の鳴くような声で謝罪している声が流れ、耳をそばだてる。


 宿題は節子のおかげで何とかなったようだったが、別の応用問題で範子はつまづいてしまい、それが運悪く教師に指名されたせいで露見し、クラス全員の前で吊し上げられていた。



 水を打ったように静まり返る教室の気まずい雰囲気が、音声だけでも伝わってきて、明智までいたたまれない気分になる。


 地元中学を卒業するまで、試験はいつもほぼ満点。学年1位どころか学校1位であり続けた彼は、勉強ができない人間の気持ちには疎かったが、それでも現在、範子がどんなにか恥ずかしく、情けない気持ちで泣きそうなくらい悔しいかは想像に難くなかった。



「もういい、座りなさい」



 ピシャリと切り捨てるような冷たい口調で教師は言い放った。


 椅子を引き、席に着くような雑音が混ざる。


 これだけでも、範子の精神はぼろぼろに傷ついているであろうが、それに飽き足らず、女教師はさらなる追い討ちをかけた。



「では、この問題が解ける方、他にいるなら挙手しなさい。いないなら、皆さんには放課後居残りしてもらい、解けた人から帰って良いということにしますよ」



 最悪だ、と範子に感情移入仕掛けていた明智は思わず呟いた。

 このままでは彼女は、自分だけではなく、クラス全員に連帯責任の名の下、大迷惑をかける戦犯になってしまう。

 けれども、応用問題が解らないのは範子だけではない。

 むしろ、誰も挙手する気配もなく、突然の居残り命令に、明らかに動揺しているようなざわめきがそこかしこで起こっている様子からして、解法の解らない者が殆どなのだろう。




「分かる人いないの? だったら、居残りして貰いますね。はい、じゃあ次の単元に進みましょう」



 女教師が、出来の悪い教え子たちに見切りをつけ、授業を再開しそうになった時だった。

 か細く、細かく振動するような声がそれを遮った。



「あ、あの……先生」



「何ですか?」



 苛立ちまじりに問いただされ、声の主はひいっ、と小さな悲鳴を上げたが、勇気を振り絞って発言を続けたように聞こえた。



「わ、私、さっきの問題解ります」



 気弱な救世主は、範子の親友、棚村節子だった。

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