第5話 乙女の秘密

 避難所にたどり着いた綾子は、いまだ失神している父親の頭を踏んづけてやろうかと思った。

 ご高齢の「じいや」、名は季吉というのだが、彼に手伝ってもらいながら、最近肥満と診断された父親をえっちらおっちらと運んだ綾子は、とにかく疲れていた。

 避難所となっているのはこの地区の集会場であり、外には入りきれなかった人々が寄り集まって、不安げな表情を作っていた。


「ホレ、お嬢さん」

「あ、す、すみません!」


 季吉は、避難した人々に配られているペットボトルのお茶を取ってきてくれたようで、べたっと床に座り込んでいた綾子はそれを受け取る。季吉も軽く腰を叩きながら、傍に座りこむと一気にお茶を口にする。


「ふぅむ……なんだか、どえらい事になってしまったなぁ。みぃちゃんたちは大丈夫だろうかのう」


 季吉は不思議と落ち着いているようにも見えた。それは、今騒いでもなにもならないということが分かっているからなのだが、綾子にはそんな季吉が堂々としているように感じた。

 自分は今でも周囲の人々と同じくどうしよもない不安に駆られる。父親はこのありさまだし、こんな騒ぎになってしまったら、弟の弘や母は大丈夫なのかと、そういった新しい不安もこみあげてくる。また同じようなことが起きないとも限らない。


「季吉さんじゃないかい!?」


 小さく溜息をついた綾子であったが、そんな大声を耳にしてしまって体を大きく振るわせる。野太い女性の声だった。何事かと思って振り向けば、そこには中年太りをした女性がドスドスといった具合の歩みでこちらに近づいてきた。


「おぉ、岡本さん所の……! ご無事でしたか!」


 美李奈の近所に住む岡本典子であった。


「えぇ、えぇ! 季吉さんも! ミーナちゃんたちは?」

「あぁ、それがのう……はぐれてしもうたんだ……セバスくんがいるから大丈夫だとは思うのだがね」


 綾子は、季吉が普通に話すようにして嘘を言ったことに驚いていた。

  確かに、美李奈と執事が巨大なロボットに乗って戦いに行きましたなどと言っても信じてはもらえないだろうし、なんだかややこしいことになるのは目に見えていたからだ。


「まぁ、大変よ! 今は落ち着いてるけど、何があるともしれないのだから。わかったわ、うちの旦那走らせるから!」


 典子は季吉の言葉を疑うこともなく、ドンと胸を叩いた。それと同時に、季吉の隣に座る綾子に今やっと気が付いたようで、そのちょっと大きすぎる声を向けてくる。


「あら、ミーナちゃんと同じ制服……お友達かしら?」

「そ、そうなる……のかな?」


 綾子は典子の勢いに押され気味であった。典子は「まぁまぁ!」と過剰な程に驚いて見せて、綾子をまじまじと見つめていた。


「安心してちょうだい、ミーナちゃんはちゃんと見つけますからね! それに、まぁあなた。怪我してるじゃない! 可愛い顔が台無しよ!」

「え……?」


 言われて初めて気が付いたが、どうやら右の頬を少し切っているようだった。破片かなにかがかすめたのだろう。指摘されて初めて、綾子は頬にわずかな痛みを感じた。


「消毒液とばんそうこう持ってきてあげる!」


 そういって典子は人をかき分けるようにドスドスと進んでいった。有無を言わせない勢いのまま、綾子は返事をすることもできずに、彼女の背中を見送った。


「いやぁ、こんな時でも岡本さんのおくさんは元気でなによりだ」


 季吉は関心しながら、お茶を飲んだ。


「それにしても……」


 ペットボトルのキャップを閉めながら、季吉は綾子の傍で横たわる彼女の父を見やった。


「いや、君の父親もなかなかに大物だな」

「いえ、ただ鈍感なだけですよ」


 綾子はそこだけはきっぱりと言いきった。


「おぉい見ろ!」

「ロボットだ! ロボットがまた飛んだぞ!」


 そういうやり取りの中、外から誰かが叫んでいた。それにつられるように、集会場の中にいた人々も何事かと思い、窓から空を見上げる。気が付けば外に出ていくものたちもいた。

 綾子も季吉も窓辺に寄りながら、同じように見上げた。空は既に日が沈み、暗くなっていたが、白い粒子を煌かせた巨大ロボットがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。


だが、数秒と立たない内にロボットは、集会場を飛び超え、いずこへと消えていく。

 綾子たちは集会場を飛び超えた時点でそれを追うのをやめたが、何人かの野次馬はロボットを追いかけるように反対側へと走っていくのが見えた。


「……?」


 そんな人の流れの中、綾子はひときわ目立つ存在を確認した。ボロの制服と栗色の髪、そして傍らには同じくボロのスーツを着た執事、美李奈とセバスチャンであった。



***



「とんだ、転校初日となりましたわね?」


 典子に髪をすいてもらいながら、美李奈はクスクスと微笑した。紙コップに注がれたお茶が、まるでティーカップに入れられた紅茶のように見える程に上品な笑い方であった。

 美李奈と執事がひょっこりと集会場に戻ってきた時は、中々に騒がしかった。

まず、典子が大きな声で、叫び声をあげるような感じで美李奈を抱きしめたからだ。我が子のように、典子は美李奈の頬を撫でて、彼女の無事を喜んでいた。


 それを皮切りに、おそらくは美李奈の近所に住む町内の者たちが集まって来ては、彼女を迎え入れるように声をかけていった。

 季吉と同じ年代の老人や典子の主婦仲間、それこそ年端もいかないこどもたちもが駆け寄ってきたのだ。


 美李奈はその一人ひとりに丁寧に言葉を返していた。ようやく腰を落ち着かせることが出来たのは数分後のことであった。美李奈の表情には、わずかに疲れが見て取れたが、それは、町民たちとのふれあいというよりも、戦闘行為に対してのものだと綾子は察しがついていた。


(今更だけど、真道さんが戦ってくれなきゃ、私たち死んでたのよねぇ……そう考えると、命の恩人か……それに、ぶっつけ本番であんなことが出来るとか、この子、変だけどやっぱどこかすごいわ)


 心配そうに見つめる綾子に気が付いたのか、美李奈は、軽くウィンクしてみせて、右の人差し指を唇に当てた。


「……!」


 綾子は、美李奈がそういった仕草をするのが、なんだか不思議であった。先ほどまで巨大なロボットの操縦をしていて、学校で内職して、ゆでた大根が美味しいなどと言うような、どこかずれた子であったが、その時だけは自分と同年代の女の子なのだなという感覚がした。


 美李奈は、髪を梳かしてくれていた典子に、礼を言いながら、立ち上がると、綾子に目配せをする。綾子は、それがついてきて欲しいという意味だと何となく察して、美李奈のあとを追い、集会場の外へと出る。

 ほんのわずかだが、むわっとした生暖かい風がいやに肌に張り付いた。


「この事はしばらく秘密にしてほしいのです」


 突然、歩みを止めた美李奈が、振り返りながら言う。


「正直な所、私もどう説明をしていいのかわかりませんし、適当な事を言ってお互いに混乱もしたくありませんしね」

「そりゃ……まぁ、いきなりロボットに乗って怪獣と戦いました……ですもんね」

「えぇ、それに、近くには綾子さんもいらっしゃったわけですし、こちらとしてはご迷惑をおかけしてしまったかなと思いまして」

「そんな!」


 綾子は、自分でも驚く程に大きな声を出していた。


「偶然ですよ、あんなの! それに、真道さんが戦ってくれなきゃ私達は……死んでたわけですし! 真道さん、わざわざ怪獣を遠くにやってくれましたし」


 少し興奮したように話す綾子だったが、美李奈はもう一度人差し指を自分の唇に当てた。綾子は、咄嗟に口元を手で覆った。別に誰かがこちらを注視しているわけでもなかったは、綾子はキョロキョロと瞳を動かしていた。

 そんな綾子のコロコロと変わる感情を見て、美李奈は微笑ではなく、声をだして小さく笑った。


「フフフ……そう言って頂けると幾分か気持ちも楽になります」

「楽にですか?」

「それはそうでしょう? こんな秘密を抱えるのですから」


 美李奈の言葉はどこかイタズラっぽかった。


「乙女の秘密ですわ。ステキでしょう?」

「……」


 まるで少女趣味だなとは言えなかった。美李奈の言葉にどこか納得している自分がいたからだ。


「まぁ、この事はセバスチャンやじいやも知っているのだから、乙女だけの秘密というのも少し違うのかしら」


 美李奈はクスクスと笑っていた。



***



 結局の所、綾子たちが集会場から解放されたのは、深夜を回った頃であった。やっとの事目が覚めた父は自分の高級外車がどうなったのかと綾子にすがりついて泣いていたが、綾子は適当に「そんなの踏んづけられたわよ」と流した。


 自宅に連絡が取れたのもその頃だった。母の枯れた声を電話越しで聞くことが出来た綾子は、成り上がりになっても母は、母なのだなと思うことが出来た。出動していたらしい自衛隊や消防隊などが移動手段のない避難民を自宅などに送ってくれるというので、綾子たちはそれを利用した。


 美李奈たちは気が付けば、既に姿を消していた。ずたぼろになったあの平屋に戻ったのかと思うと不憫で、せっかくなら無駄に広くなった自宅に誘ってやればよかったと思ったのだが、それは遅かったようだ。


「まぁ、真道さんだと、誘っても断りそうだしね」


  独り言をつぶやきながら、綾子は明日の学校をどうするのだろうかと考えながら、揺れる車内の中で泥のように眠っていった。



***



 屋敷へと戻って来た真道一行は、完膚なきまでに吹き飛んだ屋根を三人そろって見上げていた。散乱したエンドウマメがまだ残っていたが、それを回収しようという気力はさすがになかった。


「庭園もまた作り直さないといけませんわね」

「ハッ!」

「アイスもなくなってしまいましたわ」

「ハッ! ダイエットになるかと」

「怒りますわよ?」


 美李奈は扉に手をかけると、扉はひとりでに倒れ、ガラス部分が割れる始末だった。


「あぁ、こりゃ明日は修理でつぶれますなぁ」


 季吉は痛む腰を叩きながら、ぼんやりと言った。


「根室様はどうか、ご自愛なされますよう。すべてはこの私めが行いますので」

「いやいや、そうもいかんよ。自分の住む家だ。わしも働かねばな。それに、わしがいなければ畑もままなるまい?」


 季吉はニカっと笑った。執事もそれに答えるように小さく笑った。


「さぁ、今日中に中だけは一通り片付けてしまいましょう? 私、眠たくなってきましたわ」

「ハッ、寝不足は肌に悪うございます。至急、片付けるとしましょう」

「どれ、わしも夜更かしするかね」


 執事とじいやは箒や軍手を捜した。美李奈も適当なカゴを捜しては、破片を集めていった。

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