鋼鉄令嬢アストレア

甘味亭太丸

第一章 出撃! 無敵令嬢!

第1話 乙女の生活

 じりじりと照り付ける日差しが真道美李奈しんどうみいなの柔肌を突き刺していた。

 四月も終盤に入ったころ、春のうららかな日差しはどこへ行ったのか、今日の気温はまるで夏日であった。


「ふむ……」


 美李奈の眼前には光輝くようなツヤをみせるエンドウマメが実っていた。

 さやを優しく手に取ると、美李奈は軽くその表面をなでる。さやは硬く、彼女にとってそれは初めての感触となるものだった。


「フフッ……」


 少女が笑みを浮かべる。

 収穫の時期は少々早いが、エンドウマメの実り具合は最高であった。


「今年は豊作ですわね」


 美李奈はその一本を丁寧に取り外し、太陽にかざしてみる。光沢のあるさやが日光を反射し、宝石のように輝いて見えた。


「セバスチャン!」

「ハッ!」


 美李奈の呼び声一つで、後ろに控えていた青年が麦わら帽子と軍手を主である美李奈に差し出す。


「収穫ですわ、手伝いなさい」

「ハッ、既に用意は万全でございます」


 美李奈は母譲りの栗色の髪を年季の入った麦わら帽子に押し込み、摩耗し所々に穴をあけ、泥で黒ずんだ軍手を両手に着ける。

 彼女は十六歳であるが、その手つきはなれたもので、この暑さの為か少々表情が浮かないながらも収穫物の良しあしを判断しながら、かごへと入れていく。


 本来であればこれらの作業は『じいや』が行うのだが、御年七十を超える高齢ゆえに腰を痛め、今は『屋敷』にて養生させていた。

 美李奈は『使用人』にやさしいのだ。ゆえに彼女は執事である青年付き従わせながら、この二坪程度の『庭園』に実った豆を回収しなければならない。

 そうしなければ今晩の夕食は近所からおすそ分けされたきんぴらごぼうしかないのだから。


「セバスチャン!」

「ハッ」


 美李奈は土と泥で頬を汚しながらせっせとエンドウマメの収穫を行っていた。

 セバスチャンと呼ばれた青年は主の傍らに置かれた大量の豆の入ったかごを担ぐ。その顔色は一切変化がなく、素早い足取りで『屋敷』……築六十年が経過するらしい平屋の傍に簡易的に建てられた倉庫へと運んでいく。


 美李奈は執事の背を見送りながらふぅと大きなため息をつき、土の上へと寝ころんだ。土や経年劣化によってよれよれとなったお古の作業着のファスナーを少し開け、体の熱気を逃がす。

 ここいらで涼しい風が吹いてくれればいいが、あいにくと今日は風に嫌われているようで、この熱射の中、春だというのに美李奈はべとべととする汗の感触を残すことになった。


「美李奈様、麦茶でございます」


 そんな主の気分を察していた執事はいつの間に戻ってきていたのか、同じくボロボロの作業着を着こなしながらも、手作りの木製お盆にコップ一杯の麦茶(格安六八円ペットボトル)を差し出す。


「流石ねセバスチャン」


 美李奈は、上半身を起こしながら、麦茶を受け取るとそれを一気に飲み干す。


「ぬるいわ」


 それでも火照った体には多少の清涼感を与えるのだが、期待していた冷たさでなかったことが彼女には不満であり、余計に体のほてりを感じさせた。


「冷蔵庫が故障しておりまして。現在急ピッチで修復中でございます」

「そう……であれば、大至急よ。アイスがお預けになるだなんて私は考えたくもありませんわ」

「ハッ」


 春とは言え冷蔵庫の故障は死活問題である。二週間に一度の贅沢である二百円のカップアイスすら冷やせなくなるのは美李奈にとっては今日の夕食の準備以上に回避しなければならない問題であった。執事は深々と頭を下げると、コップを回収し、即座にボロの平屋、真道屋敷へと戻っていく。


 美李奈が再び寝転がると、今度こそ心地よい風がそよいだ。その風を浴びながら、美李奈は大きく体を伸ばすと一仕事終えたという達成感を今更ながらに感じていた。


 気温が高い。何より通気性が皆無な作業服と先ほどまでの作業のせいでじわじわと体感が上がっていくばかりだったが、もはやそんなものには慣れてしまった美李奈は晴れ渡る空を見上げながらふとあることを思いだした。


「行けませんわね。今日はセールの日でしたわ」


 ここより徒歩十分、地元民が活用するスーパーの野菜特売の日があることを思いだし、美李奈は麦わら帽子を脱ぎすて、栗色の髪を太陽の下にさらけ出す。


「セバスチャン!」

「ハッ!」


 再び、呼び声一つで執事が屋敷より戻ってくる。いつの間に着替えたのか、よれよれな執事服とその手には「じいや」が手縫いしてくれた巾着袋があった。


「セバスチャン、今日の資金はいくらかしら」

「千円でございます」

「なら今日のセールでキャベツと人参は一週間分賄えますわね?」

「その通りでございます」

「岡本夫人の援護は受けられそうかしら?」


 岡本夫人とは真道屋敷の隣に住む専業主婦岡本典子(五十七)である。主婦歴は三十年。


「先日取り付けてあります」


 岡本夫人はセールとあらば目的のものを必ず手にするつわものである。彼女と共にいれば少なくとも商品が手に入らないなどという最悪の事態は免れる。


「流石ね、セバスチャン」

「おほめに預かり光栄でございます。では?」

「えぇ、買い出しに向かいますわ。セバスチャン、あなたはここに残り冷蔵庫の修復に専念なさい。これは真道美李奈の名の下に命令しますわ」

「ハッ」


 真道美李奈、出陣である。


***


 結果だけを抜き出すならば、美李奈の目的とする食材はきっちりと入手できた。

 とはいえ、殆どは岡本夫人の獅子奮迅の活躍のおかげであり、美李奈は頬や腕に擦り傷や切り傷を作っただけであった。それでも余裕を崩さぬように凛としているのは、強がりである。


「いやぁ、悪いねぇみぃちゃん、せばす君。わしがもっと若ければ苦労もさせなんだが」


 美李奈と執事が本日の戦利品と収穫物で調理された野菜炒めを小さな丸テーブルに並べると、先に席に座っていた「じいや」は長年の農作業と年齢によるものだろうか、しわくちゃになった手を合わせながら何度も礼を述べていた。


「じいや、何度も言いましたけれど、あなたがいなければ私たちは今日食べる食事にも困るありさまでしたのよ。あなたの作った庭園がなければキャベツと人参と日持ちしないもやしだけの生活でしたわ」


 じいやは、名は根室季吉という。美李奈からはじいやなどと呼ばれているが、元よりそんな役職にありつける程の器量もなければそんな世界とは無縁の男である。

 それが何の因果かこの娘に拾われ、幼い頃の経験を必至に思い出しながら作り上げた菜園を活用しているしだいである。


 それにこのように言うが、真道家の庭園でまともに野菜が実るようになったのもつい一年前である。それ以前では土が悪いのかそもそもの手際が悪かったのか、実っても小さいか、かれるかの二つであったこともある。


「暫くはわたくしめが作業を続けます故、根室様はどうぞお休みください」


 執事もまたそのような言葉をかける。季吉は何度も頭を下げていた。


「さぁ、夕食にしましょう。セバスチャン、明日のゴミ出しと庭園の世話は任せましてよ」

「ハッ」


 明日はこの真道家が地区のゴミ出し及び捨て場の当番である。


「私は、今日は、早めに休みます。明日の学園に疲れは残したくないの」

「仔細準備は整っております。お忘れ物なきよう……」

「私は小学生ではありませんわ」


 こうしたやり取りを続けながら、この奇妙なお嬢様とその使用人たちの一日はすぎていく。

 今朝の熱い日差しとは打って変わり少し強い風が春の夜を駆け巡る。その風はボロボロの平屋たる真道屋敷の薄い壁とガムテープで補強したガラスを何度も叩いた。



***



 木村綾子は着慣れないフリルのついたドレスのような制服を着る自分を鏡で見ると、なんだか恥ずかしくなってしまい頭を振ってしまう。


 何なんだこの少女漫画に出てくるような制服は、そしてそれを着る自分の滑稽な姿は。

 確かに幼い頃はそんな夢物語なものに憧れもした。しかし、中学に入る頃には平凡な両親と平凡な一般家庭という現実を理解して、そういった幼稚な趣味なんてのとは、おさらばしたつもりだったのだ。


 まさか十六になって、その幼稚なものが実現してしまうなどとは思わなかったが、いささかそれを喜んでいる自分に、さらに恥ずかしさがこみあげてくる。


 しかし、なんだかんだといってこの制服のデザインは中々じゃないかと無理やりに思考を変える。深紅のドレス調であり、胸元には黄色い大きなリボン、これは学年によって変わるらしく、高校二年の綾子は黄色である。

 だからといって赤はないだろう、赤はというのが綾子の純粋な感想だった。いや、デザインはよいのだが、色がなんとも目に痛い。


「いやいや、これは……けど……あたし結構似合ってるじゃん?」


 制服のあちこちを確認するように綾子は鏡の前でポーズを取って見たり、ふわりとスカートが浮かぶように回って見るなど、少しお嬢様気分を味わってみる。綾子のボブヘアーの黒髪がよく栄える。


「姉ちゃん、きもいよそれ」

「うきゃ!」


 自分でもバカみたいな悲鳴を上げたと思うが、そんなもの突然変な事を言われたのだから仕方がない。綾子はキッと鋭い視線を声の主へと向ける。

 自室の扉の傍で弟である弘が、これもまたガチガチのお坊ちゃま学校のような制服を着て、結ばれたネクタイが苦しいのか、しきりに首を動かしながら、こちらに冷ややかな視線を向けていた。


「あんたね、姉とはいえ無断で女の部屋に入るとはいい根性してるわね」

「何度も声かけたしノックもしたってば。けど姉ちゃん、なんか自分の世界入ってるし」

「えぇいうるさいうるさい、いいだろうに乙女の夢じゃ!」


 正直な話、恥ずかしいのでさっさと忘れたいというのが本音である。


「まぁいいけどさ、父ちゃんが無駄に張り切ってるから早く降りてきてよ。正直、姉ちゃんより面倒臭いし」


 かくいう弘も自分の今の恰好がどうにも気に入らないのか、十一歳という年齢にしてはどこか諦めたような顔をしていた。彼もまた恥ずかしいのだ。


「わかったわよ。もうちょっと待ってなさい。あんたは先に車乗ってて」

「はぁい」


 弘をさっさと外に追いやると、綾子はひとまず深呼吸をして、ピカピカのブランドものらしい学生鞄の中身をチェックし、問題がないことを確認すると制服の裾を正して、軽く頬をはたく。


 正直、こんな漫画な恰好で外を出歩きたくないのだが、もう決まったことである。綾子は意を決して自室か飛び出るとそのまま、無駄に長い廊下を走って、無駄に装飾された階段を下りて、無駄にでかい玄関をくぐる。


 なんの彫刻かはわからないが白い石膏が綾子を出迎えるが、綾子はそれを無視して玄関の先、庭を越えた門に駐車された高級外車の後部座席へと乗る。すでに弘もそこにいた。


「お! 綾子も決まってるじゃないか! いいぞ!」


 左の運転席から顔をのぞかせるのは綾子の父である。さえないぶち眼鏡で七三わけされた髪型、それなりに歳を感じさせる皺、しいてあげる特徴はそれぐらいなもので、典型的な日本のサラリーマンといった風体なのだが、これでもつい一か月前に大企業の社長になった正真正銘のセレブである。


 「成り上がりじゃん」と突っ込んだりもしたが父は「成功者と呼べ!」と譲らなかった。事実として、リストラを受けた中年の万年ヒラのサラリーマンの父は、妙な才覚を発揮してあれよあれよと立ち上げた事業を成功させていった。


「あなたぁ! 今日はどこへ外食に行きましょうか?」


 そして、車外から気取ったような声を出す母が質のいい和服を着て小走りで駆け寄ってくる。正直似合ってないのだが、綾子も弘もそれを口に出すことはできなかった。


 というより父の謎の成功もあるのだが、自分たちがこんな生活をできるのはこの母が何気なく買った宝くじが一等をあてたおかげでもあるのだ。


 それらが相乗効果を発揮して無職サラリーマンとそこらへんの専業主婦だったこの両親は今やノリに乗りまくったセレブなのだ。


「こらこら美代子ぉ、贅沢はいかんぞ贅沢は! 今日は寿司を予約してるんだ、前の店よりは2万も高いがな! ガハハハ!」


 この調子である。


「明後日には運転手も雇うからな! 少しでも節約しなきゃならんのだぞ? 弘、メイドも雇うか! 飛び切り美人の!」

「まあ! あなたったら!」

(我が親ながら鬱陶しいなぁ……)


 こんなバカな調子を続けていればどこかで落ちるんじゃないかという不安が綾子にはあるのだが、どうにも今の両親は運が向いているらしく、どかどかと儲けを生み出している。


 税金だとかなんだとか、そこらへんの難しい話は綾子にはチンプンカンプンだが、どうにも問題なく済んでいるようで、いきなりスキャンダルに発展するようなことはないらしい。

 この辺りはサラリーマン時代の根強く残った庶民の感覚が残っていたことが幸いしている。


「おっと、もうこんな時間だ。綾子、弘、新しい学校の初めての登校だ。失礼のないようにな! それじゃ美代子、送ってくるよ」

「はぁい、行ってらっしゃいあなた。二人も、頑張って頂戴ね!」


 綾子と弘はあきれたような声で返事を返した。暫くはこんな気苦労するようなやり取りが続くのだと思うとげんなりとする。

 車に揺られながら、綾子は窓の外を眺める。ついこの間まで住んでいた団地とはかけ離れた豪邸やマンションが立ち並ぶ高級住宅街が視界に入る。


 端に映る人々もどこか、品が良さそうな人や、どこかお高くとまっているような、気に入らない雰囲気を持つ人たちがいた。所々には自分と同じ制服を来た少女たちが漫画さながらの談笑をしているような姿もあった。


(ほんとにファンタジーだわ、金持ちの世界……ん? あれ?)


 ほんの一瞬、綾子はそんな優雅で華やかな背景には似つかわしくない存在を目撃した。栗色の長い髪を緩やかになびかせ、端正かつ凛とした佇まいは他の『お嬢様』たちとは何かが違った。


 彼女の身にまとう衣服はそれとは真逆である。周りと同じく赤いドレスの制服なのは間違いないが、しわでよれているし、破れた部分は適当な布で乱雑に縫い合わされていた。明らかにボロい。鞄も革がはげているし、いくつかの部分も破損しているのではないだろうか。それは車で通りすぎた数秒の事であったが、綾子の目にはばっちりと捉えることができた。


 綾子は目を見開きながら座席から、リアガラス越しにその少女を追いかけたが、後続の車に視界を遮られてしまい、確認することができなかった。


「どうした綾子?」

「え? あぁ、なんでもないよ」

「あまりきょろきょろするんじゃないぞ。私たちはもうセレブなんだからな。お淑やかにお淑やかに」


 しかし綾子はそんな父の言葉など耳に入っていなかった。脳裏に残るあのアンバランスな少女の事の方が、気になるからだ。

 父親はそうとも知らず、考えこむ綾子の姿を「やっとお嬢様の風格を意識したな」と的外れなことを考えていた。

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