第2話 乙女の邂逅
真道美李奈は所謂お嬢様である。正確にはお嬢様であった。
世界に名だたる富豪である真道家に生まれ、母はかつての華族の末裔であると聞かされ、父は真道家の一人息子であり、祖父より家と名を受け継いだらしい。そのどちらも美李奈が幼い頃に事故で無くなってしまい、親子の語らいなどというものを経験したことがない。
幼い美李奈は祖父たる真道一矢に引き取られ十歳になるまで贅の限りを尽くした教育を受けてきた。勉学もスポーツも芸術も、そういった意味では美李奈は生きていく上で最低限の技術や知識を幼い頃に持つことができたのは幸いであった。
もちろん、それは彼女自身の才覚によるものが多いが、それを活かさなければならないような事態が起きたのは翌年のことであった。祖父の突然の死去である。病であった。
だが、それだけではない。真道家は古くから続く名家である。いくつもの大企業を運営し、様々な事業を手掛ける巨大な家であった。
それが一夜にして崩壊したのだ。原因の一つはもちろん真道家のトップである一矢の死去にあったが、それとは別に真道家の資産の枯渇である。美李奈自身、日々の生活の中で使用人の数が減っていったり、ティータイムのスィーツの質が下がっていっていることにも気が付いていた。
また同時に祖父が、真道家が経営する会社や事業なども方々へと売り払うなどの奇妙な行為が目立った。幼い美李奈は、それでも聡く、それらの行為が自分の家を追いつめていることを理解していたが、ついぞそのことを祖父に問いただすことはできなかった。
それは、少なくとも自分の生活に関してはぎりぎりまで元の生活のまま過ごすことができていたからだ。勉強もスポーツも、そして学園の生活も。
ある意味ではそういった甘えが、「何とかなるだろう」という安易な考えを幼い彼女に芽生えさせていたことは事実であるが、それを責められるものはいないだろう。
だが、現実は非情であることをつきつけられるのもまた早かった。祖父は、自分が死んだ後、美李奈に責が回ることのないように施した。
しかし、真道の名というブランドだけはどうすることもできなかった。親戚、一族と名乗る者たち、はては数多の政財界の者たちは真道家本家、その一人娘たる美李奈に莫大な遺産が残されているのではないかと考え、誰もが彼女を手に入れようとした。
だが、彼女に唯一残されていたのは、年の若い執事と唯一進学が決まっていた学園への在籍というものだけであった。
どこを探しても、遺産などというものはなかった。彼女には、金となるものなど何一つ残されていなかったのである。それが判明した途端、美李奈の存在価値は彼らの中から消え失せた。出涸らしという扱いであった。
十年と過ごした屋敷を追い出され、彼女に与えられたのが築六十年という平屋であった。それは屈辱であったが、幼いながらも聡い美李奈はそんなことで落ちぶれていては自分の命がないということを認識していた。
それゆえに彼女は気全とした態度で、現状を受け入れたのだ。
「遡れば、真道の家も初めから名家ではなかったのです。初代の真道家の当主がそれこそ身を削り、生業をなしたからこそ名だたる家へと成長したのですから。私の現状はその初代の時期に戻っただけのこと。であれば、またもとに戻すだけですわ」
彼女には、敵しかいないわけではなかった。善意を施す者も大勢いた。だが、美李奈はそれらを拒否した。強がりがなかったわけではない。しかし、彼女はそう答えたのだ。
それに少なくとも学校だけは通うことができたのが幸いだった。高校を卒業するまでの学費は彼女が生まれたと同時に学園へと振り込まれていたのだから。
当初はそれすらも放棄するべきかと考えたが、それはやめた。少なくとも学業だけでも万全に行いたかったからだ。
それに既に施された後のものを無下にするわけにもいかなかった。
***
如月乃学園は広大な面積を誇る中高一貫の学び舎である。日本を問わず世界各国の御曹司、令嬢が通う所謂金持ちの学校であり、木村綾子はこれから通うことになる己の学び舎に圧倒されていた。
至る所に名前のわからない植物は飾ってあるわ、花も植えられているわ、周囲には金やら銀やらの装飾が施されたベンチもある。
天使だとか女神だとか動物の石像も置かれており、それらはお互いに邪魔にならないように配置されていた。校門もなにやら城門というほどの仰々しいものであり、両脇には屈強のガードマンが二人目を光らせていた。
そしてその先、巨大な白亜の校舎とその手前の噴水、極めつけは周囲にいる生徒たちだ。自身と同じく赤いドレスのような制服を着こなす女子生徒、それとは対照的なのが白いスーツのような制服を着た男子生徒が「ごきげんよう」だとか「フッ……」とか微笑を浮かべながら通りすぎていく。
(漫画だ。漫画の世界だ)
何度この言葉を口にしただろうか。
父の高級外車でここまで送られた綾子だが、もうなんというか見た目だけでおなかが一杯だった。というかもう帰りたかった。住む世界が違いすぎて蕁麻疹ができそうだなとすら感じた。
だが、なんと言おうと、この深紅の制服を着る自分もまたそんな世界の住人になってしまったのだと認めなくてはいけなかった。
(あぁ、我が不詳の弟よ、お前も同じ目にあっているのね……)
これっぽっちも心配などしてないがそんな言葉が浮かんだ。綾子は小さく息を吐くと、ついに如月乃学園の敷居をくぐる。そしてそのまま、堂々と城のような校舎を目指す。なるべく世界の違いすぎる生徒たちに関わらないように無意識に足早になっていた。
顔も知らない生徒たちから「ごきげんよう」などと言われた時は引きつったような顔をしかけたが、ぐっとそれをこらえ、自分でも猫をかぶってるなというような声で同じような返答を返した。
必要以上に警戒しながら突き進む綾子は、何時間もかけたような錯覚を感じながら校舎内へとたどり着くと、そのまま職員室を目指す。この如月乃学園に上履きというシステムはないようで、靴のまま校舎内へ入ることなる。
そこから先のことはよくは覚えていない。教師たちはスーツを着ているが、全員、自分が今まで出会った教師とはかけ離れたオーラを持っていた。若い教師はみな顔がいいし、老年の教師は映画俳優さながらの貫禄があった。そういうものを身にまとっているとか、そういう生まれであるという部分も強いのだろうが、少なくとも気軽にあだ名で呼ぶことはできないだろうなというのが、綾子の感想であった。
自分の担任が川中千恵子という年若い女性であり、一言二言質問の受け答えをして、そのまま教室へ、そこで紹介され、「この度転校してきました、木村綾香と申します」とテンプレートな転校生というような挨拶をした記憶はあるが、取り敢えず昼休みに至るまで、他の生徒たちがこちらをチラチラと見たりこそこそと噂話をするような姿は見られたが、名指しで笑われるということはなかったので、おかしなミスはしてないだろうということだけは確かだった。
「木村さんは、以前はどこの学園に通っていましたの?」
「ご実家は何をなされているのでしょうか?」
あぁ、どこかで聞いたことのある転校生への質問だ。苦笑いしつつも綾子は元一般階級である部分は濁しながらも、「つい最近引っ越してきた」、「貿易の仕事をしている」とあたりさわりのない返答で交わしていた。
その質問のグレードがえらく高いことは予想していたが、次々と繰り出される質問への返答は中々にきつい。
とはいえ、それだけならまだ良いのだが、しまいには、
「綾子さん、よろしければ僕が学園をエスコートなさいましょう?」
「いえ、それは俺が。この男は手が早い」
こういう男たちも寄ってくるのだ。美形に言い寄られるのに悪い気もしないが、なんというか、そういう雰囲気が嫌だった。
同時に金持ちの子息、令嬢とはいうもののこういう部分は普通の学生と似たようなものなんだろうという安心感もまたあった。だが、それと居心地の悪さはまた別である。
「あら、男性諸君は花園に踏み入るのがお好きなのかしら?」
周りにいた女子生徒の一人がそんな嫌味を言うと男子生徒もムッとした表情をしてなにかを取り繕った台詞と言っていたが、綾子はそんな騒ぎに乗じてさっさと教室から抜け出ていた。
廊下を速足で駆け抜け、ごきげんよう、ごきげんようとすれ違う生徒たちに機械的に繰り返した挨拶を交わしながら、校舎外に出ると、とにもかくにもゆっくりとくつろげる場所を探した。
「いやぁ無理、ほんと無理! すごく気が重いわ! 制服も肩凝るし、靴はなんか痛くなってきたし!」
最悪な事にこの制服も靴も緩めたりするのがなかなかに難しい。
ぶつぶつと文句を言いながら歩いていると、気が付けば綾子は庭園のような場所に出ていた。奥の方には小さいがこじゃれた建物が見える。日差し避けと休憩所を兼ねた施設だろう。
見れば、ここにも生徒たちが点在しているが、みな植えられた花を鑑賞したり、優雅にお茶などをしている。
「この気品あふれる空間……まぁ……落ちついてる分はまだましか」
自分もとにかくベンチでも探して一休みしようと思う。綾子は少し深呼吸してから再び庭園の周りを歩いてみる。
遠くの方ではテニスでもやっているのかボールのはじく音が聞こえる以外はこの場所は騒がしくなく良い所だ。花の良しあしはちょっとわからないが、ここをお気に入りのスポットにしてやろうと綾子は一人考えていた。
「さぁて……と」
別に意識していたわけでもない。ただ単純に視線を動かしただけだ。それでも、綾子の視線は何かに引っ張られるように庭園の中央、天使が水がめを抱えている姿をした噴水の前、そこの白いベンチに腰掛ける見覚えのある少女を見つけた。
「あ……」
少女の栗色の髪が風にそよぐ。わずかに舞った花びらが彼女の周囲を彩り、その香りは綾子まで運ばれていく。
少女は、何やら作業をしていた手を止めると、栗色の髪をなでるようにして、少し手直しすると、自分を眺める視線に気が付いたのか、綾子の方へとその瞳を向ける。
「……ッ」
にらまれたわけではない。ただ、見られただけだ。それなのに綾子は思わずたじろいでしまった。
しかし、少女は特に気にした様子もなく、すぐに視線を落として作業を再開する。カチッ、カチッと乾いた音が聞こえる。がさがさと袋を漁る音も。それは少女の方からだ。綾子は絶句した。
(お嬢様が……)
綾子はその光景を目の当たりにした瞬間、思わず自身の目を疑った。二度、三度、目をこするが、その変化はなかった。
(お嬢様が内職してる……!)
一体何の冗談だろうか。天使の噴水の前、色とりどりの花に囲まれ、昼の心地よい日差しと風の中、小鳥のさえずりを奏でるこの庭園のど真ん中で、その少女は、カプセルにキーホルダーを詰めるという作業をさも当然のことのようにこなしているのだ。
しかも動きに無駄がない。いやそれ以上にどことなく気品すら感じられる。無駄なことに。
(なんて光景なの……いやそもそも、なんかおかしいでしょこれ!)
うまくは言えないがおかしいったらおかしいのだ。
「ちょっと?」
一人、悶々とうめいている綾子に向かって、少女、真道美李奈は怪訝そうな声をかける。
「あ、は、はい!」
「お暇なら手伝ってくださらない? 今日中にノルマを終えたいのだけれど、数が多いの」
(なんで、そんなお茶をしませんこと? みたいに言えるんだ!)
内心、そんな風に突っ込んでは見るものの、無意識のうちに綾子は「は、はい!」と素っ頓狂な声で返事を返してしまい、恐る恐るカプセルなどが入った段ボールを挟んで美李奈の傍に座った。
「赤い方にはウサギ、緑の方にはライオン、青い方には猿よ。間違えてしまったら大変でしてよ?」
「はぁ……」
言われて見ると、カプセルの下部の方は色が分けられている。キーホルダーの入った袋は中身が一纏めで入っていた。黙々と作業を続ける美李奈になぜか気圧される綾子は、釣られるようにして作業を手伝った。
暫くは袋を漁る音とカプセルをはめる音だけが流れたが、そんな中、不意に美李奈が声をかけてくる。
「所で……あなた、今日編入してきた方かしら?」
「へっ? あぁ……はい、そうです。木村……」
「綾子さん。でしょう?」
初対面のはずの少女に名前を当てられた綾子は驚いてみせた。それに気が付いているのか、美李奈はクスクスと口元を少し手で隠すように微笑する。
「ごめんなさい? こんな時期の編入と聞いていましたので、一部の生徒たちにはちょっとした噂でしたのよ?」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ、私も女、噂話には興味がありますわ。まぁ……至って普通の方でしたので、拍子抜けでしたが……」
(いやあんたは変わりすぎだと思うわ)
美李奈の言葉に嫌味は感じられなかった。それ以上に綾子は改めて彼女の服装を見返した。
やはり学園の制服だ。そしてしわでよれよれ、全体的に継ぎはぎで、よく見れば修復すらできていない部分も多い。靴もよく見ればかかとの方が破けて微妙にスリッパのような形になっているがわかる。
それでもそのキリッとした雰囲気を出せるし、違和感がないのは不思議であった。彼女ならそこらへんに売っている安い服でも高級ブランドのように着こなすだろう。
「フフ、そういえば自己紹介がまだでしたわね? 私は……」
「あぁら! ミーナさんじゃありませんこと?」
突如として静かな空気を切り裂く甲高い声が響く。その一声で鳥たちがバサバサと羽ばたき逃げていく。心地よい風もなぜか唐突に止む。美李奈も綾子もその甲高い声の主へと視線を向ける。
(うわ、テンプレートすぎる)
そこにいたのは、金色の髪をロールにして、ツインテールにまとめた少女であった。腕を組み、つかつかと大股でこちらへ歩み寄ってくる。
その背後にはザ・取り巻きといった具合に似たような感じで偉そうに付き従う生徒が数名、あとはよくわからないが使用人らしき面々も見られた。
「ミーナさん、我が如月乃学園でそのような卑しい真似はよしてくださいとおっしゃったはずですわ?」
「あら? ごめんなさい。ですけど、庭園の居心地がよくて作業がはかどりますの」
「当たり前ですわ。我が於呂ヶ崎家は庭園一つにかけましても全力、草木一本にいたるまで最高級でしてよ!」
(なんだ、高笑いはしないんだ)
明らかに自分は蚊帳の外だろうなという感じがしたので、綾子は気楽なものだった。
「えぇ、最高の空間ですわ。ですので、先月はノルマ以上に仕上がったのでアイスも二百円の所、三百円のものが買えましたの。感謝しますわ、麗美さん」
「ですから! そういうこと! では! なくてですね!」
言葉に区切りを付けながら、麗美と呼ばれた金髪の少女は美李奈を指さしながらじたばたと右足で地面を踏みつける。
「麗美さん、淑女たるもの、そう地団駄を踏むものではありませんよ。下着が見えてしまいます。破廉恥な」
一方の美李奈は自然体だ。
「それに、学園にアルバイトを禁止する校則はなくってよ? もちろん内職をするなというものも。それに、私は授業中には流石にしませんわよ?」
「ミーナさん! あなたは、いつまでそんなくだらないお遊びを続けるおつもりで!?」
「遊びではないわ。生活の為よ。そうでなければ、このような雑務、行うはずがないでしょう?」
二人の会話は次第にヒートアップしていた。どちらかといえば、麗美の方が感情的になっているのだが、美李奈自身も反論を返す為か中々口論が終わらない。
「お達者ですこと! そんなのだから、あなたという人はっ!」
麗美が言葉を紡ごうとした瞬間であった。何とも気の抜ける音が聞こえてしまう。美李奈も麗美も、取り巻き達も一斉に綾子へと視線を向けた。当の綾子は腹を抑えながら、なんという顔をしたものかと言った具合に目を泳がせていた。
「いやあ……はは……お昼まだなんですよね……」
昼休みになった途端に教室を抜け出していた綾子は今更ながらに空腹を感じていたのだ。苦笑いをするしかない綾子は、目の前でプルプルと震える麗美を目にして、(あぁ、こりゃまずいわ)と危機感を覚えていた。
「……ッ」
だが、麗美は、確かに体を震わせ、顔を紅潮させ、その鋭い視線を綾子に向けるが、何も言わず背中を見せて取り巻き達の間を割って歩いていく。取り巻き達は無言のまま、即座に道を開けるが、その途中、麗美が立ちどまる。
「興がそがれましてよ。ですけど、ミーナさん。あなたはいつか後悔しますわ。その時になって私にすがってももうしりませんから」
それだけを言って麗美は悠然と……しかし数歩歩いた先ではどかどかとがに股のような乱暴な歩き方をして去っていった。
そんな嵐のような出来事をかけらも気にしていなさそうな美李奈は麗美を見送ると、ダンボールの材料を積め、それを持ち上げる。そして、くるっと綾子の方へ顔を向けた。
「色々ありましたが、食事にしましょう? ここ、学食は無料ですのよ」
「はぁ……はい」
ダンボールを持ち直した美李奈は、綾子がベンチから立ち上がるのを待ってから、再び彼女に笑みを向る。
「申し遅れましたわね? 私の名は真道美李奈。ごらんのとおりの者ですわ」
それが、美李奈と綾子の出会いであった。
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