第33話 乙女の社交界

(なぜ?)


 煌びやかな光と華々しい飾りが広がるその光景は綾子の脳天にすさまじい衝撃を与えた。

 楽器の奏でる音楽に乗って大勢の人々の笑い声や話す声が会場に大きく響くと、それに慣れていない綾子は耳鳴りを起こしかけていた。


(なぜに私はここにいる?)


 そんな豪奢なダンスホールの中で綾子は、乳白色のドレスと銀色のネックレスをつけて、ぽつんと一人だけ立ちすくんでいた。周囲には様々な色合いのドレスを着た婦人たちが優雅におしゃべりをしたり、細長いグラスを片手にワインやシャンパンを飲んでいた。

 そのすぐ近くでは婦人たちの旦那が豪勢に笑いあいながら何事かを談笑していて、それでもなぜか目は笑っていないという奇妙な光景があった。


 綾子はそんな大人たちの姿の中に両親がいないかをつぶさに確認していた。時折、テーブルをあちこちに移動するのはただ突っ立っているだけでは邪魔に思われてしまうのではないかと言う不安と焦りからだ。

 ありていに言うと、綾子は「迷子」になったのだ。


(どうしよ、どうしよ……何していいのか全然わかんない。というか帰りたい)


 思わずこめかみのあたりを抑えてしまった綾子は、そもそもなんでこんなことになっているのかを思い出しながら、どうすることもできない状況に溜息と後悔をしていた。

 事の発端は短い夏のバカンスが終わった二日後の事だ。色々とありすぎてくたくたになった綾子と弘だが、夏休みはまだ終わっておらず、宿題のことさえ考えなければ大体暇を持て余す学生だった。


 しかし、大人はそうではなかったらしく、父親が「また」事業に成功したらしく年収が詳しい話を除けば二倍、三倍となった為にもはや留まるところを知らない、飛ぶ鳥を落とす勢いで急進しているらしいのだ。

 そして過程はどうあれさらなる「セレブ」へと進化を遂げた木村家はこうして堂々と絢爛豪華なパーティーに参加するだけの地位が得られたのだ。


 だが、それは家の話であり、当の参加する綾子たちに取って見れば慣れない話でしかなく、会場に付いた途端に社交界の波に飲まれてしまったのだ。

 最初に父親が挨拶周りとか言ってどこかへと消えていった。その後、母が婦人会のメンバーとやらに呼ばれて消えていった。

 残された姉弟はというと……


「弘ー! お前もここに来てたのかよ!」

「おー! みんな!」


 弟の弘は謎の交友関係の広さを姉に見せつけ、数人の金持ち息子たちに囲まれてその集団の中に溶け込んでいった。

 その場にいる全員が似合いもしないスーツを着ていて蝶ネクタイであるとかガチガチに整髪剤で固めた奇妙な髪型で着飾っていた。その点、我が弟は、スーツはともかく自然体な分、浮いてはいてもまだ見れる姿ではないかと身内びいきながらに感じていた。


 さてそうなると一人取り残される綾子は、どういうわけか近くにはクラスメイトの存在が確認できなかったのが運のつきだった。理由は定かではないが、どうやら見知った顔は誰も参加していないということらしい。


(い、今から電話で呼べばくるかしら!?)


 そんなことが不可能なことぐらい綾子も理解していたが、そんなことを考えてしまうほどに圧倒されているのだ。

 実は綾子の傍に数人の少年たちがグラス(ソフトドリンク)を両手に綾子を誘おうとしていたのだが、一人で悶々としている綾子の奇妙な姿にみな、一斉振り返り戻っていっていることを綾子本人は知らない。


(社交界なんてなくなってしまえ!)


 内心毒づく瞬間に演奏される音楽が次の曲へと変わっていった。先ほどまでのゆったりとした音楽から少し曲調の早いものへと変化し、更に会場を盛り上げる。

 会場の中心では何組かの男女がダンスを始めていた。そこには綾子と同い年ぐらいに見える少年少女たちの姿もあり、顔を見つめ合いながらリズミカルなダンスを見せつけていた。


(よーやるわ……私は盆踊りくらしかできないよ)


 もはや探し回ることを諦めた綾子は意地でも動いてやるかと勝手に思いながらそのテーブルを陣取った。不思議と周囲に人が寄り付かないのはきっと偶然だろうと思いながら、綾子はテーブル中央の水をコップに注ごうとした。


「お姉さん」

「はい?」


 突然の嬌声にうわずった声で返答してしまった綾子は少し顔が熱くなるのを感じながらその声の主へと振り向く。


 その「子」は綾子の胸のあたりの身長で何とも可愛らしい姿をしていた。染めているのか、それとも地毛なのかちょっと判断の付かないプラチナブロンドの頭髪は男の子にしては長く、女の子にしてはちょっと短いそんなバランスであり、宝石のように輝く大きな瞳は見ているこちらが吸い込まれてしまいそうな感じであった。


 服装を見る限りでは白いシャツに黒いジャケットとハーフパンツという組み合わせで、一見すれば男の子の服装だが、場合によっては女の子だって無理なく着こなせる組み合わせだった。


「どうぞ、ノンアルコールのシャンパンです」

「え?」


 その子はにこりと笑いながら慣れた動作で綾子の胸元近くにグラスを掲げた。


「……? お嫌いでしたか?」

「え、あ、いやごめんね! ちょっと驚いただけだから!」


 その子が首を傾げ物悲しそうな顔をするものだから、綾子は慌ててグラスを受け取ると少し言葉に詰まってしまう。

 取り敢えず、グラスを受け取ったら礼を言って乾杯だったなと最低限の作法(正しいかどうかは知らない)をしなければいけないと思い出した綾子はグラスを軽く掲げた。


「ありがとう、えぇと……」

「これは失礼しました。私は村瀬真尋と申します」


 真尋は同じようにグラスを掲げてまたニッコリと笑った。


(か、可愛い……)


 子供らしさを前面に押し出したような仕草、声、姿は綾子に素直な感想を引きださせるに十分な魅力であった。

 真尋はどうにもそれを自覚しているのか、ニコニコと笑みは浮かべたままの姿を崩そうともしない。


(本当、可愛い子だなぁ……でも結局男なのかしら、女なのかしら)


 綾子はシャンパンを飲みながら真尋の肢体をゆっくりと上下しながら眺める。可愛らしい子どもという印象はそうなのだが、どうにもこの真尋と言う子の性別がつかめないでいた。

 そのせいで「真尋君」と呼ぶべきなのか、「真尋ちゃん」と呼ぶべきなのかすら戸惑うしまつだ。


「所で、お姉さんのお名前は?」


 綾子が一人思案していると真尋が顔を覗き込むようにして聞いてくる。身長差の関係で真尋が上目遣いになる形だった。


「あ、あぁ! 私? 私は、木村綾子よ。よろしく真尋さん」


 結局綾子は真尋をさんづけで呼ぶことにした。

 対する真尋はやはり笑顔で「よろしくお願いします綾子さん!」と年上相手でも動じないようで、自然体のままである。


「また質問しますけど、綾子さん先ほどからうんうんと唸っていましたがどうかしたんですか? 気分が悪いというわけではなさそうでしたし……」

「えぇ? まぁちょっとね。大丈夫、もうどうでもよくなったから」


 こんな小さな子に気を使わせてしまうぐらいに酷い顔だったのかと思うとなんだか恥ずかしくなってしまった。


「そうですか? 余計に気分を害されてしまったらどうしようかと」

「まさか、そんなことないよ」


 綾子は苦笑いをしながら半分程残っていたシャンパンを飲み干す。

 ふと、会場がにわかに騒ぎ始めてきたので、綾子は壇上のある方へと視線を移した。四十代ぐらいスーツを着た男が現れると会場にどよめきが走る。


「あれは先々代の会長じゃないのか!?」

「龍常院の老獪が出てきたのか……」


 周囲の大人たちが一体何に驚いているのか綾子はさっぱりだったが、聞いたことのある名前が飛び交ったので、それに耳を傾けていた。


「前会長の息子が死んでからはめっきり表舞台に出てこなくなったと聞いていたが……まだ生きていたのか」

「シッ! 滅多なこというな。潰されるぞ」


 近くを通りかかる大人たちの小声の会話からはどうにも不穏なものが感じられる。

 綾子にしてみれば壇上に上がってきた中年の男が一体どれほど恐ろしい存在なのか全くわからないのでいまいちピンと来ないのが実情である。


「えと、ごめんなさいね? あの人、誰?」


 なんでそんなことを真尋に聞いたのかはわからないが、他に質問できそうな人がいないのも事実であった。

 真尋は少し驚いたような表情を見せるが、すぐに微苦笑して、


「あのお方は龍常院グループの先々代の会長、龍常院銀郎様です」

「はぁ、銀郎さん……」

「……龍常院を知らないんですか?」

「あ、いや……そういえばうちの学校の会長もそんな名前だったなぁって……」

「その会長のお爺様ですよ」

「へぇ、お爺さん……お爺さん?」


 思わず壇上で演説を始めた男、銀郎を二度見してしまった綾子は唖然とした表情で口をあけていた。

 そこにいる男の姿はどう見て老人ではない。四十代のやり手の実業家、そうでなくてももっと若々しく見える男だった。それが、孫のいる男のようには到底見えなかった。


「じ、実はものすごく若いとか?」

「聞いた話はもう八十を超えているみたいですよ。私も実際のことは知りませんけど」

「はぇ……持ってる人は違うんだなぁ」


 綾子はふと自分の祖父を思い浮かべた。

 なんてことのないどこにでもいそうな老人の姿が思い浮かぶがそれが綾子の祖父だ。ようは普通なのだ。今は息子が成功したおかげでわりと悠々自適な老後を送っている祖父だ。

 そんな祖父と比べても、銀郎という人物の若々しさはちょっと異常にも見える。


「……先代会長である私のせがれが死んでからもう五年が経ちます。その時期は我が龍常院の大きな節目となりました。経営の悪化と一言でいえば簡単ではありますが、我がグループが大きく傾き崩壊という憂き目にあいました。それは私のせがれが、恥ずかしながら不正を行い、社会的にも企業的にも大きな批判を受けていたからというのは皆さまもご存知の所でしょう」


 銀郎の語る演説内容は綾子にはこれっぽちも理解できないが、一昔前に大きな会社のスキャンダルがあったことを思いだす。


(それがこれだったんだ。知らなかった)

「そのせがれも多大なる損害を残したまま、この世を去り、我が傘下の企業、出資者の皆々様方、そして多くの人々にご迷惑をおかけしたことを、改めて謝罪させていただきたい。せがれが死に、一時的に私が会長を引き継ぐことでグループを何とか支えることができましたが、せがれが残した負債は大きく、もはや龍常院を立ち直らせるには不可能かと思われていました。ですが、せがれは最後に大きな親孝行をしてくれたのです」


 銀郎が演説をやめて、無言でうなずき合図を送ると、舞台横から一人の少年が姿を見せる。


「あ、生徒会長だ」


 綾子もその少年が誰なのかすぐにわかった。

 顔を合わせたのは一度きりだが、覚えているものだった。

 その少年は龍常院昌その人であった。


「皆さまはもうご存知かと思われますが、このものこそ、我が龍常院を新生させた救世主であり、自慢の孫である昌であります」


 その瞬間、雷でも落ちたかのような万雷の拍手が会場を埋め尽くした。

 綾子もそれに釣られて軽く拍手をしてみる。その隣では真尋がキラキラと目を輝かせて一生懸命に拍手をしていた。


「……皆さん、ただいまご紹介に預かりました、龍常院昌です。このような舞台にあがるのは何分初めてですので、ご無礼があればご容赦ください。父が罪を残したまま、この世を去り、家もそしてそれに関係してくれた多くの人々に大きなご迷惑をおかけしたのは、先ほど祖父が語った通りでございました。当時、まだ幼かった私は祖父や家を助けることが敵わず、歯がゆい思いをしているばかりでございました。当時十三で私は所詮、若造であり、家を継ぐにはまだ経験も浅く祖父の好意に甘んじるばかりでございました。ですが、高校に上がり私は思いの丈を祖父に語りました。今こそ、父の残した罪を息子である私が背負い、償うべきだと」


 昌の熱弁は純然たる事実とちょっとした自分の自慢が入っているように感じられたが、その場にいるものたちは誰しもがその言葉に耳を傾けていた。

 一人綾子だけは「大変なんだなぁ」と呟いていた。


「……その後は祖父の助けもあり、学生という身分ながら会長職を半ば無理やり受け継いだ私はグループの清浄化を図りました。父の残した負の遺産は多く、道も険しいものでしたが、多くの人々の支えがあり、このように龍常院を再び盛り上げることができました。そして、この度私が龍常院グループの会長に就任して三年目となりますこの年、皆さまに大きな発表があります」


 また会場がざわめく。

 壇上にいる昌はそれを、両手を上げて制するとさっと周囲を見渡してから、言葉を紡いだ。


「既にご存知の方も多いでしょうが、我が龍常院は頻発するヴァーミリオンの襲来から皆さま方をお守りすべく、誠に勝手ながらある組織を結成させていただきました」

「ん? あれ?」


 ふと綾子は真尋の姿が見当たらないことに気が付いた。

 周りを見渡しても真尋の姿はなく、綾子は再び一人ぼっちになってしまった。探そうにも会場は昌の演説に耳を傾けているせいか誰一人動こうともせず、せいぜい話に飽きた小学生の子どもが会場の隅で談笑しているぐらいだった。


「組織の名はユノ。そして我が龍常院が総力を結集して作り上げた機神たちをご紹介しましょう!」


 瞬間、地響きと共に会場が大きく揺れる。暴風に叩きつけられるような轟音も聞こえてきたせいか会場内は一瞬にして騒がしくなり、悲鳴のようなものも聞こえる。

 しかし、会場内のざわめきを一瞬にして止める事態が起こった。

 それは、会場の天井がゆっくりと展開され、まぶしい太陽の光が差し込む光景から始まった。


「う! なに……」


 太陽光がまぶしく綾子も、他のものたちもわずかに光を遮るように腕や手をかざした。

 ガコンという大きな音は天井が完全に開かれたことを意味する。人々はゆっくりと瞼を開けると、そこには、


「あのロボットは!」


 綾子たちの目に映ったのは、以前アストレアの危機を救った赤銅の機体ともう一体、見たことのない蒼銀の機体が立ち並んでいていた。

 蒼銀の機体は細身でありどこか女性的な印象を受ける機体であった。特徴的なのはギリシャ・ローマの美女の彫刻のような美しい顔を持っていることだろう。美女が甲冑を着込んだような姿はまさに女神そのものであるように見える。


「ご紹介いたしましょう! ヴァーミリオンに対抗する機神! マーウォルスとウェヌスでございます!」

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