第34話 乙女の慟哭
意外と思われるかもしれないが如月乃高校には夏休みの課題として「自由研究」なるものが存在する。
むろん、これはやってもやらなくても自由なのだが、やっておいた方が内申点に少し加算されるという、いわば成績の底上げのようなものだった。
特に何をやれというわけでもなく、話に聞いたところでは各国の民族衣装の伝統を調べていたり、演劇が及ぼす人の心理的変化などという一風変わったものもあったと聞く。最悪塩の結晶を作るだけでも許されるのだから楽なものであった。
だが、しかし真道美李奈に関しては生来の生真面目さ、責任感の強さがあらぬ方向に働いたらしく、穴だらけの麦わら帽子をかぶりながら、屋敷の畑に実ったトマトやキュウリの写真を撮ったり、成長の具合をレポートに書きためていた。
あいにく苗の頃からのレポートは残しておらず、夏季休暇に入ってからの観察故に比較するべき時期が考察出来ないのは少々誤算であった。
これが苗の頃からのレポートであれば美李奈個人としても納得の出来る仕上がりになるはずだったのに。
「……やはり今からでも苗を植えるべきかしら」
と、真剣に悩むぐらいには取り組んでいることなのだ。
そもそも、美李奈がこんなことをする理由の一つには、彼女の生真面目さもさることながら、先の戦いから暫く美李奈はすることがなくなってしまったということがある。
『アストレアの修理には相応の時間を要する。それまでは本来の学生の責務を果たすと良い』
アストレア大破の後、於呂ヶ崎亮二郎から頂戴した言葉はそれだった。
事実、美李奈もアストレアがなければただの貧乏学生であり、やることがないのも確かである。
ようは暇を持て余しているのだ。
「今年の実りはあまりよろしくありませんわね……」
美李奈は観察を続けていたキュウリの一本手に取る。小ぶりで形もあまり良くないものであった。それらは本来「もろきゅう」と呼ばれる、ある意味では珍味の状態なのだが、それにしても色が悪かった。
実もあまり硬いとはいえず所謂キュウリらしさなんてものはちょっと感じられない状態なのだ。
美李奈はその一本を採って、折って中身を確認する。水分はあるようなのだが、やはり瑞々しさは弱かった。
「嫌な天気が続いたからねぇ……曇りばっかりで、かと思えば雨も降らずにずっと炎天下だ」
同じく麦わら帽子をかぶり、タオルで首や両肩を日光から遮っている季吉が汗をぬぐいながら言った。
「まぁけど、食えないわけじゃない。みそに着ければちょっとは誤魔化せるだろう」
「そうですね……では収穫は今日にしましょう」
「その方がえぇ」
美李奈はレポート一式を縁側に置いてきて、少しだけ背伸びをした。ずっとしゃがんだままで観察を続けてはレポートを書いていたのだから体が縮こまっていた。
ググッと体を伸ばすと、いくらか小さくなった作業服が色々な場所につっかえてしまう。
「美李奈様、そろそろ十一時となります」
執事が新しいタオルとぬるい麦茶を届けながら美李奈に報告をする。
美李奈も居間に置かれた古い時計を確認すると、麦茶を飲み干して顔の汗を拭きとる。
「お昼前のセールが始まりますわ」
「左様です。本日は鳥のささみがお安くなっております。お野菜はゴーヤであると」
執事は懐から取り出したチラシに目を通しながら安く、ねらい目の商品に丸を付けていた。提示したもの以外にも日用品の類も買い足ししておかなければならかった。
「最近はスーパーもご無沙汰でしたものね」
「はい、岡本様もご心配なさっていたようで……」
「では、真道美李奈がいまだ健在であることを見せつけ、安心させなければなりませんわ」
美李奈は作業服のファスナーを緩めながら、居間に上がる。
「シャワーは?」
「帰ってきてからでよい。セバスチャン、お前はじいやと共に収穫を」
「は!」
美李奈は二階の自室へと向かい、セール専用の衣装に着替える。隣の主婦、岡本典子からもらった赤いジャージである。曰く、典子の若い頃のものらしいのだが、多少のよれはあってもまだまだ十分に着こなせるぐらいにしっかりと保存されているものであった。
美李奈は急ぎ、ジャージに着替えると、自慢の栗色の髪をまとめ上げ、巾着袋とエコバックを片手に準備を整える。
「……お尻が」
洗濯のし過ぎで縮んでしまったのだろうと思いながら、違和感を抑え、美李奈は屋敷を後にする。
既に近隣の主婦たちは自転車であるとか、車を走らせてスーパーに駆け込んでいるようだった。
「くっ……夏場はみな、士気が高い……」
百戦錬磨の強者たちに圧倒されまいと、美李奈も典子のお古であるママチャリへと乗り込み、錆びついて硬いペダルを力強く踏み込んだ。
「行ってらっしゃいませ」
いつの間にか見送りの為に玄関までやってきた執事が深々と頭を垂れる。
美李奈はそんな執事の背に、熱射の突き刺さるアスファルトの道をえっちらおっちらと突き進んでいく
***
タイムセールで重要な事は、素早い判断力と予測を立てることである。あらかじめ欲しい商品に目星をつけるのは当然だが、「何が」安く売られるのかを予想してその位置に先んじて陣取ることが多くの買い物を制することができるとは典子の談だ。
むろんチラシに書かれたことに嘘はない。メインはその商品であることにも変わりはない。
だが、それだけをうのみにしているようでは主婦としてはまだまだであるとも語る。
「いいかい美李奈ちゃん。店ってのは売り上げの関係でそう簡単にゃ安くは売ってくれない。けどね、季節ってのを考慮すればどれを安く売るか、もしくは処分したいかってのはすぐにピンと来る」
美李奈は店で合流した典子とともにカートを引きながら来る決戦に控えていた。
タイムセール直前までにそこに陣取ることも可能ではあるのだが、それにもタイミングというものがある。
「冷凍食品だって何が安くなるかを予測するのはそう難しいことじゃない。特に麺類なんか、うどんはみんな穴場だと思い込んでるようだが実は違う……」
ひんやりとする冷凍食品の棚に陳列された食材は多種多様で安い。これを買おうとすると執事はあまり良い顔をしてくれないが、「長く持って安くておいしいのだからいいじゃない」というのが美李奈の意見であった。
執事は「ふとります」と脅してくるが……
「……店によって売り上げは全然違うんだが、まぁ今日の減り具合を見ると、ねらい目はパスタだよ!」
典子がくわっと目を見開く。
商品に狙いを定めたという合図であった。
「さぁ、そろそろ時間だよ。流れに乗れば十パックぐらいは買えるさね」
二人が進路をタイムセール会場へと向ければ、それと同時に他の客も視線が鶏肉屋へと向けられる。タイムセールまであと五分、この時点で既に駆け引きは始まるのだ。
「御覧、美李奈ちゃん。あぁして真っ先に陣取る若い主婦を」
「はい」
典子の鋭い視線が肉屋の前で座する複数の若い女性たちへと向けられる。
「確かに先に並ぶことで目当てのものは手に入るだろうよ。けどね、今から大量の主婦が殴り込みに来るんだ。そこでボーっとしてちゃ出れなくなるってもんよ。出れた時にはもう別の安売りには乗り遅れる。流れを見るんだよ、美李奈ちゃん」
「いかに邪魔をされず、間をすり抜けられるかでございますね?」
「そう、セールは戦場なんだ。流れに乗れない奴は追い出されて戦果はゼロ、しぶしぶ他の対して値引きされてない安い食材を選ぶしかないのさ」
典子は肉屋の手前、二メートルの位置で停止した。既に他の主婦たちが壁を作り、アリの通れるような隙間すらない程になっていた。そこからはすさまじいプレッシャーもあり、目つきもぎろりと変化している。
いつ来てもこの緊張感にはなれない。
だがこの緊張感を堪えなければここ一週間の食糧は途絶えてしまうのだ。
そして、店員が商品を並べていく。主婦たちがスタートダッシュを切る為に徐々に歩み始める。
典子と美李奈はまだ動かない。
店員は素知らぬ顔で「少々お待ちください」と言うだけだ。その一言ですら、主婦たちの心に火をつける。
「只今より――」
タイムセールです、と店員が宣言するよりも前に主婦たちは猛烈に駆け出す。
既に手前で陣取っていた若い主婦たちはその勢いに気圧され、ニ、三パック程はささみ肉を取ることができただろうが、そのまま新しい肉を掴むことは敵わず、「邪魔だ!」、「どきなさいよ!」と他の主婦たちに罵倒される始末であった。
一瞬にして主婦の群がりができた肉屋の前、美李奈と典子は既にその渦中にいた。カートや籠を駆使して自身のフィールドを確保し、肉に押し寄せる腕を払いのけながら、ラップが破けようがパックが折れ曲がろうが気にせずに鷲掴みにしていく。
典子はそれができるだけの躯体を持つのだが、美李奈はそうはいかない。しかして、無理をしても意味がない。美李奈の目標個数は五パック程度、それ以上を無理に狙う必要はないのだ。
タイムセールは引き際が肝心である。無理にとどまろうものなら怪我は避けられない。
美李奈は主婦の長い爪を顔面の横スレスレで避けながら、近場のパックを素早く籠に押し込む。
目標個数はこれで達成される。即時撤退、店屋に押し込もうとする主婦たちの隙間を見つけて一気にカートを押していく。
「ウッ!」
一瞬、髪の毛を引っ張られたような気がしたが、美李奈は構わず通り抜けた。
まとめ上げた髪は既に崩れてしまっている。美李奈はそれをもう一度まとめながら、戦果を確認する。
「鶏ささみ五パック確保っと……お野菜も時間かしら」
まずまずと言った結果であろう。
通り抜ける際に髪の毛を引っ張られてしまったのは残念だが、セールとはそういうものだ。この痛みを覚えたかどうかで今後のセールを勝ち抜けるかが決まってくる。典子の言葉だ。
ややすると、典子が豪勢な笑い声と共に人ごみをかき分けて悠遊とカートを押して戻ってくる。籠には一杯のパックが敷き詰めれており、またもや典子の圧勝という形になったらしい。
「いつもお見事ですわ、岡本様」
「いやだい、そろそろその様づけはよしとくれよぉ」
典子は手をひらひらさせながら、「んじゃ次は……」と、目星をつけていた商品コーナーへと進路を変えようとした。
美李奈もその後についていくようにカートを押し始めた時、店内に響き渡ったのは聞きなれたサイレンの音であった。
「……!」
「美李奈ちゃん、走るよ!」
せっかく手に入れた戦利品をその場に置き去りにしながら、典子は美李奈の腕を取って駆け出す。
周囲の客も悲鳴を上げ、店内に響き渡るサイレンの音をかき消すようであった。
美李奈はせめて巾着袋だけはと、それだけを強く握りしめながら典子に腕を引かれ続けた。
そして、混雑する人の波を押しのけながら店外へと出た二人は、ギラギラと突き刺さる太陽光に一瞬、視線を遮られるが、太陽光はすぐに消えた。
「あのマシーンは……」
瞳を開き、頭上を見上げた美李奈は自分たちに背を向ける巨人を認めた。
赤銅の甲冑を着込んだ屈強な兵士の如き機体「マーウォルス」が二振りの剣を構え、降下してきていたのだ。
マーウォルスの視線の先にはヴァーミリオンの姿があった。通常型が三体、重装甲型が一体の編隊である。
そして、そのすぐ隣には美李奈も初めて見る新たな機体があった。それは蒼銀の女の彫刻のような姿をした機体であり、レイピアのような細身の刀身を構えていた。
「また、別の機体……」
「美李奈ちゃん、ボーっとしてないで逃げるんだよ!」
典子は二体の機体を見上げる美李奈が放心しているものだと勘違いしたのか、若干叱りつけるような声音で再び美李奈の腕を引っ張った。
それと同時にマーウォルスが全身のスラスターを展開する。赤黒い粒子が放出され、マーウォルスの巨体が轟音を上げながら加速する……周囲のものを乱暴に吹き飛ばしながら。
「典子さん!」
視線をマーウォルスへと向けていた美李奈はその光景を目の当たりにして、典子の名を叫んだ。
しかし、次の瞬間、マーウォルスの吹きだしたスラスターの暴風が二人の体を宙に上げる。それは二人だけではなく、周囲にいた人々も同じであった
「ああぁぁぁぁ!」
一瞬の浮遊感はすぐに落下の衝撃に変わる。美李奈は受け身の態勢を取ろうとするが、腕を典子に掴まれたままでそれができなかった。
だが、典子は宙に放り出されたまま、美李奈を抱き寄せるとその大きな腕で彼女を覆い、そのまま地面へと激突する。
「うぐ! つつ、美李奈ちゃん、怪我はないね?」
「わ、私は無事です! 典子さんこそ!」
「あたしゃ平気だ。自前のクッションがあるからね」
そういう典子であったが、険しい苦痛の表情は尋常ではないように見える。
遠くで甲高い剣戟の音が聞こえる。それと同時に無遠慮な地響きと衝撃が、スラスターの加速でめちゃめちゃにされた街に響き渡る。
軽い看板や自転車、人ですら吹き飛ばしたマーウォルスは構わず戦闘を続けているようであった。
それを眺める蒼銀の機体はわずかに街の方へと機体の頭部を向けたように見えたが、特別救助する様子もなく再びマーウォルスの戦闘を観戦し始める。
「あの者たちは!?」
瞬間、美李奈は憤りを覚える。
「戦い方があるでしょうに!」
しかし、そんな美李奈の叫び声など届かないのか、マーウォルスの剣が通常型へと振るわれ、切断された通常型の腕が吹き飛ばされ、近くの民家へと突き刺さる。
そして、マーウォルスは進路上に存在する民家すら踏み潰しながら、ヴァーミリオンへと突き進む。
その荒武者の如き戦いは、大きな土煙を巻き上げ、そして、ヴァーミリオンの残骸と共に、わずかな廃墟を作りあげていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます