第32話 乙女の癒し

 南雲静香の別荘は海水浴場近くにある、小山に存在する。

南雲家が所有するプラベートな土地であるらしく、別荘以外の一切の開発の手は伸びておらず、自然のままの空間は日本ではなく、どこかの南国の島の風景にも見えた。

 その空間の中でどっしりと構えるログハウスはまるでおとぎ話に出てくるような幻想的な姿であり、ほんの少し漂う木の香りは自然と心を落ち着かせてくれる。


 別荘の庭からは海水浴場を眺めることができるが、今は侵入規制用のテープやけたたましいサイレンをかき鳴らすパトカーや救急車などが群がっており、仮設された救護用のテントなども見られる。

 その周囲を覆うように報道陣が殺到し、空には恐らくその関係であろうヘリが数台飛んでいた。


「やはり、みなさんここに集まっていましたのね」

「はい、そうようで……」


 そんな静香の別荘に真道美李奈と執事が姿を現したのは戦闘から一時間後の事であった。

 戦闘を終え、ボロボロになったアストレアの中で放心状態であった二人は、回収しにきた於呂ヶ崎のスタッフにアストレアを任せ、はぐれてしまった友人を探すべく、海に残った。


 於呂ヶ崎のスタッフの中には救護を任されたものたちもいたらしく、美李奈は友人らを探す前に彼らの手当てを受けることになった。

 さらには逃げ遅れた人々、どこに帰っていいのかわからずに混乱したものたちの群れがまた海水浴場に押し寄せてきてしまい、そこで時間を取られてしまったのだ。


 静香に別荘には人の気配がある。窓から見えるせわしなく動く影は恐らく静香の使用人であろう。


「セバスチャン」

「ハッ……」

「じいやに連絡を取って頂戴。もうこのことはニュースで広まっているでしょうし、今頃、無理をしてこちらに向かおうとしているかもしれませんわ」

「ハッ……」


 執事は深々と頭を垂れるのだが、その返事にいつものようなきびきびとした態度が感じられなかった。

 戦闘が終わってからというものの、執事の表情はずっと浮かないままであることを美李奈は察していたし、その理由にも見当はついていた。


「……セバスチャン、一時の失態如きでそのような態度を取るのはおやめさない。新たな失態を呼びますわよ」

「ハッ……ですが、私が付いていながら、御身に傷を……」

「傷のつかない戦いなどあるわけがないでしょう。お前は良くやってくれたわ。この傷は私自身の至らなさ。お前が気に病むことではありません」


 美李奈の言葉は重く響くものだったが、怒っているわけではなかった。


「それに、おじさまには手間をかけさせてしまったわ」


 むしろ美李奈としては、どこか戦闘に対して過信していた部分を突きつけられて、そのことで執事に余計な気を使わせてしまったことを申し訳なく思うぐらいだ。

 しかし、美李奈はそれを執事に伝えることはしない。そんなことを言ってしまえば、この執事のプライドまで傷つけるからだ。

 責任感の強い執事は、主が気を使ってくれているということにさらに深い後悔を抱くに違いないのだ。


「……しかし」

「くどい。弁明は働きでみせよ」

「は、ハッ!」


 美李奈がぴしゃりといい放つと執事は多少無理やりにでも、いつもの調子で返事を返し、静香の別荘へと駆け出す。

 それを見送りながら、美李奈は小さく溜息をつくと、ちくちくと痛みが走る額の傷を軽く抑えた。

 傷が開いたわけではないようだ。


「……セバスチャン」


 時として、先ほどのようなきつい言葉を使わなくてはならないのは上という立場にいるものの務めである。

 特に、執事は真面目すぎる故に一度でも己を責めると延々とそれに捕らわれてしまう癖があった。

 優秀なのだが、切り替えができないはまだ彼が若いという証拠であった。


「人のことは言えないか……」


 美李奈とて、それは同じだ。

 アストレアをああまで追い込んでしまったのは他ならぬ操縦する自分なのだから。それを性能差で言い訳する程、美李奈は愚かではない。

 だからこそ、溜息がまた一つでるのだ。

 パキパキと小枝を踏む音を耳にしながら、美李奈はどこか重たい足取りを進めていた。


「あぁぁぁぁぁ!」


 不意にログハウスの中から鼓膜に響くような大きな叫び声が届くと同時に扉が勢いよく開かれ、一人の少女が猛ダッシュで駆け出してくる。


「真道さん!」


 木村綾子は頭に包帯を巻き、頬に小さな裂傷、髪の先端が焦げてしまった美李奈を見た瞬間、悲鳴に似た声を上げて思わず駆け寄ってしまった。


「だ、大丈夫!? その怪我、切っちゃってるんじゃないの!?」


 怪我をした本人よりも慌ててしまうのは、拭きとれなかった血の跡のせいだろう。

 美李奈の傷は浅い。血も止まっているのだが、垂れた血液が少し乾燥してパリパリになっているのだ。 

 それが何とも痛々しく、軽く日焼けした美李奈の美しい肌は台無しであった。


「大丈夫ですわ、救護の方々にも処置してもらいましたし、ほら化膿止めの薬も」


 美李奈は駆け寄ってくる綾子の肩を押しながら、上着のポケットより数錠の薬を見せる。


「それより、他の方々は?」

「う、うん。みんなこっちにいるよ。みんな無事、うん」


 綾子はまだ困惑が解けないらしく、しどろもどろな口調のままだった。


「そう……それはよかった。綾子さんもお怪我は……まぁ、擦りむいてるじゃありませんか」

「わ、私の怪我どうでもいいよ! 転んだだけだから! そんなことより、真道さんの傷の方が酷いんだから!」


 綾子は自分の擦り傷を手で払いながら何ともないという風に見せると、美李奈の腕を掴んでログハウスへと引っ張っていく。

 美李奈は微苦笑しながらそれに従い、まだ慌てふためいている様子の綾子を眺めていた。



***



「真道さぁぁぁん!」


 綾子が美李奈をログハウスへと引っ張ってくると、既に集まっていた面々も綾子と同じように大きな声を上げて美李奈へと抱きついてきた。


「よがっだよぉ! 死んでないー! かえっでごないがらぁぁ!」


 特に朋子は普段からは想像もできない程にわんわんと泣いており、目は少しはれぼったくなっていた。どうやら美李奈にだけ涙を見せていたわけではなかったらしい。


「と、朋子さん、落ち着いて」


 その傍で和宏がどう対処していいのかわからずきょろきょろと周囲を見渡しては助けを求めていた。

 和宏の隣では、弘が黙って紙パックにジュースをストローで飲んでいる。表情が浮かないのは楽しみを潰されてしまったからなのか、もっと別の原因なのかはその表情から読み取れない。

 じっと被害状況を伝えるニュース番組に視線を合わせているが、内容を聞いている様子はなかった。


「本当、よかった……真道さんたちだけ全く姿が見えなくなってしまって……」


 静香も涙を流した。


「私のせいで、みなさんに酷い思いをさせてしまっただなんて、どうお詫びしていいか……」

「静香さんのせいではありませんわ。全てはあの赤い悪魔たちのせいですもの」

「そ、それはそうかもしれませんが、あんなのが来る場所で……」


 静香は静香で妙な責任感を抱いてしまっているようで、声が上ずってくる。

 責任の全てを背負い込もうとする静香の優しさを受け止めながら、美李奈は小さく首を横に振った。


「誰も、そんなことは予想できませんわ。それに、みんなこうして無事なのですから、よしとしましょうよ? ね?」


 静香に微笑を向けた美李奈は、いまだ縋りついて泣いている朋子をあやしながら、周りを見渡した。

 空気は重たかった。つい先ほどまで命辛々に逃げ出してきたのだから、それは仕方のないことなのかもしれなかった。


 美李奈は再び部屋の周囲を見渡す。

 静香の使用人たちが慌ただしく動いているのは、料理の準備というわけでもなさそうであった。僅かに聞きとれるものとしては、南雲家へ逐一状況の報告であったりするようだった。


 その場にいる誰一人として笑顔は見せなかった。

 ヴァーミリオンによる襲来を、みな一度は経験したはずなのに、感覚はいまだになれないということなのだろう。

それとも襲来だけが原因ではないのかもしれない。それを美李奈が推し量ることなどは出来なかった。


 テレビのニュースは今も海水浴場の被害を伝えていた。一体どこで手に入れてきたのか、アストレアとヴァーミリオンの戦闘を映した映像までが流れている。

 テレビの中のアストレアが崩れていくのを美李奈は朋子の頭をなでながら眺めていた。気が付けば、その場にいるものたちもみなアストレアの敗北の瞬間を黙って見ているだけであった。

 ニュースの映像はまた別のものが映し出され、ニュースキャスターが早口で何かをまくしたてていた。


「お腹、空きません?」


 ニコリと笑う美李奈。

その鶴の一声に一同は困惑した。


「まだ夕食の時間じゃありませんけど、あんなことがあった後ですもの。なんだかどっと疲れましたわ」



***



 本来であればまだまだ続くはずの夏の海は、急遽明日で終了となってしまったのは、南雲家からの矢の催促による「早く帰ってこい」というお願いの為であった。

 それは、関口家であっても同じで、婚約者である和宏の家も同じ事を言ってきたらしい。お互いの家の跡取りがそろって危険な目にあったとなってしまえば、そういう風に焦ってしまうのも無理はなかった。


 その中で何も言ってこないのが木村家であるのだが、連絡をよこさないだけで恐らく母親は今頃屋敷で右往左往しながら不安に駆り立てられているのだろうと木村姉弟はぼんやりと考えていた。


 「せめて明日まで」と、静香は電話越しで何度も頭を下げて各々の家を説得してくれていた。

 それは静香の意地であったり、友人たちへの償いの意味もあったが、純粋に友人たちと夏のバカンスを楽しみたいという思いがあったかだら。


「あら? 火が弱いですね? 炭はもうなかったかしら?」


 組み立て式のコンロの前で美李奈は袖をめくってパチパチと焼ける炭をトングでつついていた。

 何とか短いバカンスを続けられることとなった少女たちは、美李奈の提案でせめて最後ぐらいは思い切り楽しもうということでBBQを始めることになった。

 元々食材の準備はしてあったし、バカンスの予定の中にも船上BBQがあった。流石に今から船を出すということは不可能であるために、静香の別荘の広大な庭で行うことになった。


「着火剤を使いましょうか?」


 執事は両肩に炭の入った段ボールを担いでやってくる。その後ろには南雲家の使用人たちも食材や飲み物などを運ぶ為に付いてきていた。


「そうね」


 美李奈はトングで網を持ち上げると、着火剤を振りまく。見た目に大きな変化はないが、火は広がってくれたようだった。


「ひとまずはこれぐらいでいいですわね」

「真道さん、そっちどうです?」


 向かいのコンロを担当していた綾子が弾ける火の粉に戦々恐々しながら新しい炭を入れていた。

 その隣には弟の弘が今か今かと皿と割り箸を手にBBQの始まりを待ち望んでいた。

近くには同じく用意を続ける朋子と和宏が使用人たちから食材を受け取る姿もある。


「ほら! 早く運んで運んで! あなたたちも手伝ってくださいね! もう運んできた食材はぜーんぶ使い切りますから! あなたたちも食べて頂戴!」


 大張り切りなのは静香であった。のんびり屋の普段の姿からは見られないはきはきとした姿には驚かされるが、静香もどうせならという感じで盛り上がるなら何でも使ってしまえと指示を出していた。


「お嬢様おやめください! お怪我をします!」

「あ、ちょっと危ない! 離しなさい!」


 本人も危なっかしい持ち方で包丁を握って硬いかぼちゃをスライスしようとしており、それを使用人たちが慌てて止めようとしている。

 結局BBQが始まったのはそれから十五分もかかった後だった。騒がしい空気の中で進められた準備もいざ始まって見ると肉や野菜が焼けるまでは案外静かなもので、皆固唾をのんで各々の目的物へと狙いを定めていた。


「あぁ! 朋子さん、ずるい!」

「いーのいーの! 静香はもっと野菜食べなきゃ!」


 そして肉が焼ければ争奪戦が始まるわけだ。

 やはり素早いのは朋子でありパッパッと良い加減に焼けた肉をつまんでいっては自分や和宏の皿に盛っていく。それに負けじと静香も箸を伸ばすのだが、狙っていた肉は弘に取られ、新しい獲物は探す前に綾子がこっそりと確保していた。


「ちょっとー!」

「ごめんね静香、でもこれ負けられない戦いだからさ。あ、こら弘! 姉を差し置いて!」

「うるせー!」


 そういう綾子の目は普段以上に鋭かった。付け加えるなら弟の弘と年甲斐もない喧嘩を行うぐらいには調子を取り戻している様子でもあった。


「フフフ!」


 騒がしいが、和やかな空気を流れる。

 美李奈はちゃっかりと確保していた肉や野菜をつまみながら傍らでせっせと肉を焼く執事へと声をかける。


「セバスチャン、あなたも食べなさいな」

「ハッ!」


 主の許しが出たので執事はトングをコンロ横にかけながら、網の上で油を落とす肉へと箸を伸ばす。


「言っておきますが私の目の前にあるものは許しませんよ」

「ハッ……」


 と、言うことなので結局執事は自分の分を焼く羽目になった。


「楽しいですわね……」

「はい?」


 執事はこっそりと厚みある肉を手前で焼きながら、返事を返した。

 顔を上げると、美李奈が肉の取り合いを始めた少女たちの姦しい姿を微笑みながら眺めている。


「みなさん、本当はまだ色々と鬱憤もたまっているでしょうに、それでもあぁして楽しもうとしてくれている」

「はい」

「本当なら、もっと素直に楽しめるはずでしたのにね」

「はい……」


 美李奈は特別自嘲しているわけではないのだが、執事はうまい返しが思いつかなかった。


「もし、あの時。あの機体が来なければ、我々はあのまま死んでいたでしょうし、あの子たちもこんな風に楽しむこともできなかったでしょう」

「……」

「ですから、セバスチャン」


 美李奈は箸と皿をおいて執事の方へと体を向けた。


「ハッ!」


 凛と伝わる言葉に執事は一瞬にして主へと向き直り、頭を垂れる。

 美李奈は両手を前で合わせ、執事を見下ろした。その姿は例えボロボロの衣服であっても高貴なる姿を映し出していた。

 空は既に太陽が落ち、月が昇っていた。星の輝きもぽつぽつと見えている。


「……!」


 執事は主の背に月が昇っていることを認めると、ハッと息をのんだ。月の光が美李奈の体を淡く照らしだしていて、幻想的な粒子を振りまくように反射していた。


「誓いなさい、セバスチャン。これより、我らに敗北は許されません」

「ハッ!」

「我らが倒れれば涙するのは無辜の民。全てを奪われ、踏みにじられるようなことを許してはなりません。例え強大な敵であろうと、倒さねばならないのが力を持ってしまった我々の役目なのですから」

「しかと、受け止めまして」

「ならば顔を上げなさいセバスチャン。そして目に焼き付けるのです」


 言われて執事は視線を上げる。美李奈は真っすぐとBBQを続ける少女たちを見つめていた。

 執事もまたそれに合わせ、少女たちの方を見やる。

 肉の取り合いはまだ続いていた。だが、そこには絶えず笑顔が合った。


「この姿を忘れてはなりません。これは、我々だけのものではないのです。この星に住む多くの人々が享受するべき癒しなのですから。せめて……せめて穏やかなる日々ぐらいは我々の手で守っていかなければ……その為に、ヴァーミリオンの非道を許すわけにはいかないのです」


 執事はそう言い放つ美李奈に幼き頃に出会ったきりの真道一矢の力強い姿を重ね合わせた。


「美李奈様……」


 執事は再度傅く。


「そのお言葉、しっかりとこの胸に刻みました。で、あるならば私も誓いましょう。必ずや御身をお守りすると」


 深々と頭を下げた執事は、美李奈がどんな表情をしているのかはわからない。

 だが、どう思われても、執事は決心をしたのだ。もはやこれは主であっても覆すことのできない硬いものである。


「よくぞ言ってくれました。期待していますよ。セバスチャン」


 美李奈の言葉は執事を優しく包み込むように風に乗った。

 月光が主従を照らし続ける。


「あ、良いお肉!」

「は?」


 素っ頓狂な声を上げる執事は視線の先、大盛になった皿から肉を頬張る静香の姿を見た。

 それと同時にすぐさま自分用にと焼いていた肉が網から消えているのが分かった。


「あ、あぁ!」

「どうしましたの? 気分で悪いのですか?」


 静香は傅く執事の姿を不思議そうに眺めながらまた肉を口に入れた。


「ふ、ははは!」


 そんな光景を見て、美李奈が思わず笑い声を上げる。


「私のはあげませんわよ?」

「お、お慈悲を!」


 そんな主従の姿は、やはりどこか笑顔であった。

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