第41話 乙女の激怒

 地に降り立った紅の悪魔たちは無造作な破壊のみを淡々と行う。これまでにも確認されてきた≪ヴァーミリオン≫の行動パターンである。

 そこに何かしらの目的があるようにも見えず、ただ黙々と破壊と蹂躙を広げ、その無貌の頭部を震わし、針のように長い指先から鉄線のようなレーザーを掃射していく。

 熱したナイフがバターを斬り裂き、溶かすように、レーザーが無数のビルを破壊していく。轟音を鳴らしながら崩れ去る残骸の下、逃げ惑う人々の悲鳴はかき消されていく。

 人は拳大の石を投げつけられただけでも死に至る。だが今頭上が落ちてくるのはそんなものとはくらべものにならない巨大なビルの残骸である。


 避けられるはずもない。避けきれるはずもない。人々はただ落下してくる巨大な影を見上げて、あらん限りの悲鳴と絶望とを叫ぶばかりだ。

 無慈悲な死の現実を、重石によって叩きつけられる……絶望の底に沈む人々の中、赤子を抱いた母親がせめてもと愛しい我が子に覆いかぶさる。それが無駄であることを知りながらも、母親は、ただひたすらに我が子を思い、そして……


「させるわけにはぁ!」


 目を瞑り、迫りくる恐怖の重圧に耐えていた母親は、その凛とした美声と共に遥か上方で分厚いもの同士がぶつかり合う鈍い音と共に背中に大きな影を感じた。

 それは母親だけではなく、周囲にいた人々も同じである。

 ドンッという轟音と共に振動が自分たちの周囲に響く。

 バラバラと三十センチのコンクリートブロックが降り注ぐ。これだけでも人にぶつかれば死に至らしめるものだが、それらの破片も彼らから離れた場所に置いてゆく。


「さぁ、お逃げなさい!」


 人々が見上げたそこには、青い巨人が倒壊したビルの残骸から自分たちの盾になるようにその無機質な背中を向けていた。

 響き渡るのは少女の声。

 青き巨人から発せられる少女の声はまだ幼く、それでも立ち向かうべき意志と恐怖を振り払う熱を帯びていた。


 人々はその巨人を知っている。

 いつの頃から突如として現れた≪ヴァーミリオン≫と戦う者。青き装甲に身を包み、巨大なる肉体を持って盾とする、その巨人の名を、彼らは知っている。


「アストレア……」


 ぽつりとつぶやいた母親は、自らの腕の中で我が子が身じろぎしているのを感じた。


「はっ……」


 幼く言葉もままならない我が子は笑っていた。まだ目もかすみ、人の輪郭すらおぼろげなはずの我が子は母親である自分の顔に小さな手を伸ばし、笑っていた。

 この子は、今の状況を恐れていない。それは無知な赤子だからの感覚から来るものではない。

 直観的に我が子は理解しているのだ。今、自分たちを守ろうとする鋼の意志を、それを実行する者の存在を。


 母親は我が子を強く抱きしめ、立ち上がる。人々も次々と立ち上がる。

 青き巨人は抱えた残骸を地に下しながら、その雄姿を太陽の下にさらす。引き締められた偉丈夫のような顔は真っすぐと立ち上がる人々を見下ろしていた。

 しかし、その無機質なはずの鉄の顔はどこか柔らかなやさしさを含み、緑色の眼は穏やか光を放ち、巨体は再び彼らの盾となるべく、前に突き進む。


 母親はそれを見送ると一目散に駆け出す。今自分がするべきことは我が子を守る為にこの場所より離れることである。人々もそれに続く。

 心配することはない。自分たちの後ろには、いつもその身を挺して自分たちを守ってきた存在がいる。傷つき倒れても立ち上がり、幾度となく降り注ぐ暴力と破壊とを受けてもなお、そこに立つ者がいる。


 その名は≪アストレア≫。




***




 美李奈は≪アストレア≫の背後、避難していく人々の無事を確認すると、アームレバーを握り直し、モニターに複数うつしだされた画面に入りこむ情報を読み取っていた。

 遥か上空、八〇〇メートルの位置では麗美の≪ユースティア≫と≪ウェヌス≫とかいう機体、そしていつぞや見た≪エイレーン≫という戦闘機が空中を飛び回る≪ヴァーミリオン≫との戦闘に入っている。

 そして自身の目の前、無数の≪ヴァーミリオン≫が群がっている。


「十体はいますわね。それに次々と……これは少々骨が折れること」

『ハッ。ですが、いずれも通常型の様子……』

「ですが油断は禁物、あの暴虐の化身たちは礼儀を知りません。故に何をしてくるのかも想像がつかないのですから」

『住民の避難を優先するべきでしょう。迅速な撃破と同時に防衛……ということで』

「フッ……私たちなら、容易いことよ」


 こちらの存在を察知したのか、二体の≪ヴァーミリオン≫の接近を感知する。さらには遠方よりレーザーと光弾を発射する機体もあった。

 だが≪アストレア≫は避けない。その程度の豆鉄砲など、この身に通用するわけもないのだから。


 何十もの光が≪アストレア≫に殺到しても、それらは全て青い装甲に弾かれていく。それでも≪アストレア≫は不動である。

そして、レーザー攻撃が終わり、接近する二体の≪ヴァーミリオン≫がか細くも鋭い両腕を槍のように突きたてながら、≪アストレア≫の胸部を狙う。


「無駄ですわ」


 瞬間、≪アストレア≫の二つの巨腕が二体の≪ヴァーミリオン≫の頭部を掴む。即座に超振動を発動させた≪アストレア≫は一瞬にして崩壊していく≪ヴァーミリオン≫の残骸を握りつぶしながら、遠方で次なる攻撃を仕掛けようとする≪ヴァーミリオン≫を既に捕捉していた。


「ノーブルミサイル!」


 三十メートルの跳躍を見せつけた≪アストレア≫の両膝から無数のミサイルがばらまかれる。エネルギーチャージ中の≪ヴァーミリオン≫たちでは迎撃は間に合わない。


『フッ、考え無しに攻撃するからこのようなことになるのです』


 無数に降り注ぐ攻撃の中、執事は正確に敵に位置を捕捉、ミサイルのロックオンを済ませていたのだ。

 そして、正確無比な計算と絶妙なタイミングで放たれたミサイルはその効果を最大限に発揮しながら命中、破裂し紅の悪魔を業火にて包み込む。


「セバスチャン、残りは!?」

『どうやらまだ降りてくる様子です。どうにも、相手は意地になったか、癇癪を起したかのように戦力を投入してきますな』

「どうであれ、こちらに被害が出る以上はお引き取り願うまでよ」


 美李奈はキッと空を見上げ、地上を狙う≪ヴァーミリオン≫の姿を認める。


「一掃します。チャージを!」

『ハッ!』


 主の命に従い、執事は出力制御をおこなう。≪アストレア≫の胸部へと膨大なエネルギーが収束され、Aの形を模したエンブレムが光輝く。


「……!?」


 突如、降下する≪ヴァーミリオン≫の群れの胴体が真っ二つに斬り裂かれ、爆発していく。

 爆炎の黒煙が空に広がると同時にそれらを裂くように紅蓮の剣が高速回転しながら、飛来、≪アストレア≫のすぐ右脇をすり抜けてゆく。


「あれは……!」


 美李奈は≪アストレア≫の右方より感知された存在に視界を映す。

 そこには、跳び去っていった剣を手に取り、もう片方の剣と共に構える赤銅の戦士≪マーウォルス≫の姿があった。

 ≪マーウォルス≫はその巨体をゆっくりと進めながら、その前方に存在する建造物を押しのけ、赤い眼をギラギラと輝かせた。


『退け、ここよりは我らユノが防衛に就く。道楽者は去るが良い』


 一方的な通信の差し込みから聞こえてくるのはくぐもった声だ。男なのか女なのかもわからない。それと同時にモニターに映し出されるのは≪マーウォルス≫のパイロットであろう鎧武者の姿であった。


「退きません。民の安寧を守るというのなら、その不作法をおやめなさい」

『しからばこちらも問おうではないか。我らユノは国家より正式にその活動の許可を得た公的なる組織、我らの活動の一切は民を統べる国が与えたものだ。貴様らのような……』


 口上を奏でる鎧武者であったが、≪アストレア≫はそれを無視して、スラスターを展開し、新たな≪ヴァーミリオン≫の迎撃へと向かう。


『待て、貴様!』

「あなた方の自慢話に付き合う義理はありませんの。今なすべきことは、一刻も早くヴァーミリオンを駆逐すること!」


 ≪アストレア≫は両肩の斧を射出し、新たに捉えた≪ヴァーミリオン≫へと向かわせる。執事にコントールされた斧は縦横無尽に市街地を駆け巡りながらも、確実に≪ヴァーミリオン≫だけを斬り裂いていた。


『チッ……あぁいい……どれ、私も振るうとしようか!』


 ≪マーウォルス≫もまた剣を構え、巨体を走らせる。≪アストレア≫とは反対側に出現した≪ヴァーミリオン≫に狙いを定め、跳躍、まず一刀を横に並ぶ≪ヴァーミリオン≫を突き刺し、眼下に位置する一体を瞬断。返す刀で背後に接近していたもう一機を斬り裂くと、先ほど投げつけた剣を回収し、四方から殺到する≪ヴァーミリオン≫を切り結んでいく。


『雑兵如きがいくら集まろうとな!』


 刀身に炎が揺らめく様に赤く輝くと同時に≪マーウォルス≫はその二つの剣を大きく振り下ろし、同時に刃を寝かせ、大きくその場で回転する。

 ≪マーウォルス≫を中心に烈風が吹き荒れ、紅蓮の炎が回転する剣より噴出し、一帯を火の海に沈める。


 炎の壁となったそれらは周囲の建造物すら焼き尽くすかの如く燃え盛り、殺到する≪ヴァーミリオン≫すら焼き尽くしていく。

 巻き込まれていく建造物に、鎧武者は何ら感情を起こすことはない。鎧武者にしてみれば敵を倒すことが重要なのであり、それこそが最速の道であるからだ。

 壊れたものは直せばいい。それを行うだけの財力は持ち合わせているのだから……


「あのような戦い方……己に酔えばあのようにもなるということか」


 モニターの端に映る≪マーウォルス≫の演武は猛々しく、見方を変えれば美しいのだろうが、その舞踏の下で砕かれていくものは人々の生活の跡である。

 かのものが戦ったのちに残るものは瓦礫の山だ。そこにあった生活という全てを≪マーウォルス≫は砕いていく。

 美李奈にこみあげるのは怒りだ。

だが、その怒りを燃やした所で、今は目の前の敵に集中しなければならない。


 有象無象でしかないが一丁前に数だけは揃うようで、≪ヴァーミリオン≫は前方に五体が立っていた。

 ≪アストレア≫はスラスターを点火し、斧を振るう。先頭に立つ一体の首を跳ね、次いで二体目を肩口から斬り裂く。

 一瞬にして二体の≪ヴァーミリオン≫を撃破した≪アストレア≫は次なる攻撃として、斧を持ったまま右腕を射出する。刃を伴う拳は圧倒的な加速を叩きだし、≪ヴァーミリオン≫の腹部へとめり込んでいく。


 瞬断される三体の≪ヴァーミリオン≫はたちまちその骸を地に崩す。

 敵は、まだ空間のゆがみより這い出ている。その反応を示すのは≪アストレア≫だけではなく、剣を振るう≪マーウォルス≫も、空中で戦闘を続ける≪ユースティア≫も≪ウェヌス≫も、そして≪エイレーン≫ですら、膨大な数の≪ヴァーミリオン≫の出現を感知していた。


「終わりが見えませんわね……」


 汗で額に張り付いた栗色の髪をぬぐい、さてどうしたのものかとため息をつく美李奈。


『ハッ。やはり害虫駆除は元から絶たねばならぬようです』


 執事はならばと言う具合に新たな情報を主のモニター前に提示する。それはもっとも反応の濃い真上であった。

 ≪アストレア≫が上空を仰ぐと未だ≪ヴァーミリオン≫の降下が見られる。


「そのようね。実りの秋なのですから、その点は抜かりなきよう庭園の手入れをなさい」

『ハッ。ですが、まずは……』

「フッ……わかっていますわ」


 執事との軽いジョークを言い合いながらも、美李奈は≪アストレア≫のスラスターを展開し、機体を上昇させていた。少なくとも周囲にはもう≪ヴァーミリオン≫の影は無かった。

 相変わらず≪マーウォルス≫が被害も考えずに戦っているのが気がかりではあるが、それよりもまず、叩くべきものがある。


『美李奈様、反応を検出。ロックオン、エネルギーチャージ共に終えています』


 もはや慣れたものな執事は言われずとも主の意図を汲み取り、そのように動いている。

 上空五〇〇メートル。そのさらに上空では≪ユースティア≫らが戦闘を続けている光が見えた。

だが、美李奈が視線を向けるのはもっと上、都心部の真上に位置する空間、そこには捻じれたと言うべきか、染み込んだと言うべきか、黒い渦のようなものが形成され、そこから這い出るように≪ヴァーミリオン≫の姿が認められる。


「柄ではありませぬが……消し飛びなさい!」


 ≪アストレア≫の胸部エンブレムが輝き、黄金の閃光が吐き出される。それは瞬く間に天へと上る煌めきとなり、一直線に渦へと吸い込まれていく。


『なに!?』


 その光景は方々にも伝わっていた。

 ≪マーウォルス≫の鎧武者は目の前の≪ヴァーミリオン≫をねじ伏せた瞬間に頭上の閃光に気が付いた。冷たく分厚い兜が閃光フィルターとなり目を凝らす必要はなかったが、黄金の光を纏う≪アストレア≫の姿に、鎧武者は圧倒されていた。


『へぇ……』

『…………』


 ≪ウェヌス≫の真尋もくつろぎの姿勢を解き、感心したような声をあげてその姿を確認した。

 そのすぐそばで援護をしていた≪エイレーン≫の蓮司は懐かしく見た≪アストレア≫の勇姿、そしてそれを操るであろうまだ見ぬ少女のことを感がると歯がゆくなった。


 そして……


「ちょっとミーナさん! 一人でズルいのではなくて!?」


 麗美は相変わらず大きな声で叫んでいたが、とかくその声音に本当の意味での批難はない。その証拠にその表情は不敵な笑みを浮かべており、≪アストレア≫のなすことを見届けていた。


 黄金の光は矢のごとく渦を穿ち、そこから這い出ようとしていた≪ヴァーミリオン≫を巻き込みながら紫電を走らせる。

 耳を裂くような怪音を響かせ、捻じれも一瞬だけさらに空間をねじる様に変化したが、まばゆい閃光と共に虚空に衝撃が走ると、そこにはもう、渦は無かった。


『反応消失、残存するヴァーミリオンも残りわずかでございます』


 何事もなく降下していく≪アストレア≫の中で、執事は淡々と、しかし明らかな笑みを浮かべて報告を行った。


「とうぜんよ」


 髪をかきあげ、≪アストレア≫を着地させた美李奈は一息つくように深呼吸をした。残る≪ヴァーミリオン≫は上空を飛び回る数機程度にまで減っていた。あとは空に居る面々で殲滅は可能であろう。


「しかし……」


 美李奈は地響きと共に背後から接近する巨体の存在を感じ、ため息をつく。


「一体あなた方は何がしたいのでしょうね?」


 即座に反転、両手に構えた斧で振り下ろされた剣を受け止めた≪アストレア≫は、剣を押し込もうと力を込める≪マーウォルス≫と正面からぶつかり合う。

 甲高い金属音を響かせ、二体の巨人が拮抗する。


『フッ……我らが使命は地球の防衛である。それはヴァーミリオンのみに適応されるものではない』


 くぐもった声から発せられるのは明確な敵意である。

 異変は上空でも引き起こされていた。


『私たちは全てを平定する。もちろん平和のためにね』


 ≪ウェヌス≫は全身からレーザーを放ち、≪ヴァーミリオン≫とそして≪ユースティア≫をも狙い撃ちする。≪ヴァーミリオン≫はそのまま射抜かれ四散するが、≪ユースティア≫はそれを何とか避けていた。


「な、なんですの!?」


 回避に専念しながらも麗美は混乱している。


『不法に兵器を所持する貴様らもまた、平和を脅かす存在であるということだ!』


 一度、態勢を立て直すかの如く後方に飛びのいた≪マーウォルス≫は剣を左右に広げるように構える。

 ≪アストレア≫も斧を構え、それと対峙する。


「何を言い出すかと思えば……」


 コクピットの中、美李奈は改めて街の状況を確認した。それはひどい有様であった。切り裂かれた街並み、穿たれた無数の穴、それらのほとんどは≪ヴァーミリオン≫による被害であると同時にかの二体の巨人が振りまいたものである。


「そのような戯言、この私に通用すると思っていて!」


 乙女は、激怒した。

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