第7話 乙女の感情
高級住宅街から離れ、都心部からも少し外れた団地の中に真道美李奈の屋敷はある。下町、というほど活気のある場所ではないが、それでも商店街が今も残っているという意味ではまだ廃れているという程でもない。
都心部には大型のストアなどがひしめき、如月乃学園が近くにあるせいかそういった方面へ向けた店も多いのだが、この付近の団地はそういう面倒ごとの多い立場からは微妙に離れていた。
狭いというわけではないが、上流階級のものたちが商売をするには狭い土地で、そこに目を付けた一般企業が何かを行うにしても、周辺の大企業や権力者がにらみを利かせては全うな商いなど、どだい無理な話である。
そういった上の者たちの利益優先な争いが、ある意味でこの団地と商店街を守っているのはちょっとした皮肉であり、さらに言えば周辺が豊かになることで、彼らにもその恩恵というものがある。
美李奈は、人通りは少ないながらも、懸命に働くこの商店街の人々を尊敬していた。贅沢を言うなら、もう少しおまけをしてくれると嬉しいのだが、それ以上を求めるのは無粋である。
だが、今日の商店街は少し騒がしかった。それは、一週間前の騒動で、行きつけのスーパーが被害を受けたからである。大きな被害ではないのが、店舗の一部が破損して、その修復を待たなければならないのだ。
そうなると必然的に、この商店街で買い物を済まさなければならない。雑多というわけではないが、にぎわう商店街を見るのは美李奈とて初めてであった。
世間でいう所の半ドン、午前中に授業が終わった今日、そんな新鮮な光景を楽しむように美李奈は執事を従え、彼らと同じように買い出しに来ていたのだ。
「セバスチャン。これが商店街の本来の姿ということですわね?」
「ハッ、根室様がよく御覧になられる人情ドラマさながらの光景、私もいささか胸が躍ります」
「私もよ、セバスチャン。御覧なさい」
彼女が目にしたのは、肉屋であった。店頭には牛、豚、鳥の肉が並んでおり、そのすぐ隣では揚げ物を焼く香ばしい音と香りが漂っていた。
「いけませんお嬢様」
「まだ何もいっておりませんわ」
「いいえ、お嬢様。言わずとも私にはわかります。ですが、こらえてください。我々の資金は底をついているのです」
執事はわずかに目を伏せ、大量の野菜が入ったビニール袋を握る手をさらに強く握りしめた。これも全て八百屋の大安売りのせいである。あんな安い値段で野菜が売られれば、買わない手はないのだ。
「世知辛いわね、セバスチャン」
「左様です……」
仕方あるまいと名残を惜しみつつ、美李奈は肉屋の前から立ち去ろうとする。
その傍と小学生の男の子二人組が走り抜けていく。
「おばちゃん! コロッケくれよ!」
「俺も俺も!」
「ハイよ!」
少年二人は小銭を店番に渡しながら出来立ての小さなコロッケを受け取っていた。その声を聞いた美李奈の足がぴたりと止まる。
「美李奈様」
すかさず執事が制止する。
「えぇ、セバスチャン。わかっていますわ」
「あ! オジョーサマだ!」
「オジョーサマ!」
コロッケをほおばる少年二人は、肉屋を眺める美李奈のことを知っているようだった。特に呼んでもいないのに彼らは、コロッケの香ばしい香りを運んで美李奈の下にやってくる。
彼らも団地に住む顔見知りである。彼らの通う小学校と美李李なの通学路が重なる為によく顔を合わせる間柄である。
「オジョーサマも買いものか! 主婦って奴だな!」
「バカ! 主婦は結婚してないと主婦じゃねーんだぞ!」
「あら、詳しいのですね」
「学校で習ったからな!」
少年の一人がコロッケをほおばりながら、胸を張る。
「オジョーサマもコロッケ買いに来たのか!」
「バカ! オジョーサマはコロッケじゃなくてステーキだろ!」
「あいにくと、私は野菜を買いに来ましたのよ。さ、お前たちもこんなところで寄り道してないで、宿題をなさい? またお母さまに叱られますよ?」
実際は、コロッケの香りと内側に見えるアツアツのジャガイモの白い断面を視界から外して欲しいだけなのだが、それを言うわけにもいかず、このように言葉を選ぶわけだ。
「わかったよ、オジョーサマ! 叱られるのはヤだな!」
「宿題ってどこでてたっけ?」
少年二人は素直に美李奈の言うことを聞き入れ、騒がしく語らいながら、走っていく。
「うめぇな! これ!」
「なぁ!」
しかし、暫く走ると、そんな約束も忘れて、再びコロッケに夢中になってかじりついている。
美李奈は、そんな二人の背を見送り、足は一向に動こうとしない。不動である。表情は、涼しげであり、その余裕に満ちた態度は一切崩れていない。それでも美李奈の足は動かない。断固としてだ。
「屋敷の修復、お忘れなきよう……」
「えぇ、えぇ! そうね、セバスチャン。そうでしたわ!」
執事の言葉に、美李奈は自分に言い聞かせるようにうなずいた。重たい足を何とか浮かせて、一歩を踏み出そうとする。
「おばちゃん、カツサンドね」
「ハイよ!」
その場に踏みとどまった。
「おいたわしや、美李奈様……」
執事はビニール袋を片方の手にまとめると、「失礼」と短く言いながら、美李奈の手を引いた。ずるずると引きずられていく美李奈の顔はにこやかであったが、張り付けたような顔だった。
***
「今日は揚げ物にしようかお前たち!」
木村邸の無駄に広いリビングで、綾子の父親は新しい高級外車を買えてルンルン気分で言った。また事業に成功したのだ。
「やったぁ!」
弟の弘はなんだかんだと今のお坊ちゃまな学校になじんでいたが、本質であるサラリーマンの息子時代の感性は抜けきっておらず、素直に喜んでいた。
しかし、綾子は、何か電撃でも走ったような感覚で「ハッ!」と立ち上がった。
「どうしたの姉ちゃん? 体重増えたの?」
ゴンと弟を小突くと、綾子はなぜだか知らないが、今日揚げ物を食べるのはなんだか申し訳ない気分だったのだ。体重が増えたことも事実ではあるがそんなものは認めたくなかった。
「き、今日はお刺身がいいかなぁ……あはは」
「えー魚はやだなぁ!」
「うるさい! 肉ばっか食べてたら頭悪くなるでしょ!」
ケチをつける弟を根拠のない言葉で一喝しながら、綾子は父親にすがるように言ってみた。
「ね、パパ! 今日は魚にしましょうよ! ね!」
「んー……仕方ないなぁ、綾子は! それじゃ今日も寿司行くか!」
なんでこんなことを頼んだのか、綾子もわからなかった。だがなんとなくそうしなければならない何かを感じとったのである。
***
太陽はまだ高く登っている。春とはいえここから少し暑くなる時間帯であった。
屋敷に戻った美李奈は目に見えて落ち込みながら、五杯目となる麦茶を飲みほした。その麦茶はぬるかった。
冷蔵庫の修理自体は終わっているのだが、元々が小さい冷蔵庫は、冷蔵しなければならない食材とカップアイスの為にぎゅうぎゅう詰めであり、比較的常温でも持つお茶だけがよく外に放置される。
「あっはっはっは! まぁ確かに学生さんにゃコロッケの魅力になびくのも無理ないってことだね!」
豪快に笑うのは、岡本典子であった。屋敷が壊れて何かと大変だろうということで、あの騒動の後、こうしてたまに夕食の仕込みを手伝ってくれている。
どうせならば、自分の家に来てはどうかと誘われたのだが、美李奈はそれを丁重に断った。
屋敷を守るのが当主の努めであるからと答えると、典子は、それ以上は聞かなかった。典子は、美李奈のそういう頑固な性格を熟知していた。
とはいえ、何もしないのは気に入らないので、こうして手伝ってくれるのだが、その手さばきは、長年の主婦生活の為かやはり執事や季吉より早い。
「参考になります、典子様」
執事も美李奈の世話係りとして、様々な分野の技能を学んでは来たが、十年前に美李奈と同じく、放り出されて以降は独学で学んだことが大半であり、スペシャリストとしては到達できていないのが実情であった。
真道の家が没落しなければ、彼もまた仕える者として、最高の教育を施されたはずなのである。
「いやだぁ、長くこんなことしてたら誰だってできるわよ。ところで季吉さん、腰の方はどうなんだい」
「ずいぶんと楽になったよ。まだ夜の風は堪えるがね」
「湿布とかならまだ家にあるからねぇ。必要なら言ってちょうだいな。ミーナちゃん、お茶でも飲み過ぎは美容によくないってテレビで言ってたよ!」
食事を作りながら、他の事に気を配ることができるのが典子であり、実際、このちょっとおせっかいなぐらいの彼女の性格が、この真道家には非常に助けになる。
彼女がいなければ生活が回らないことも多かったのだ。
「そんなにコロッケ、食いたかったら作ってあげるよ!」
「それはいけませんわ、典子さん。お夕食の準備までしてもらって、私のわがままにまで……」
「いーの! あんたまだ子どもなんだから。ちょっと位食べたって太りはしないよ! それに、うちもダンナと私だけだからね! 大した手間じゃないよ」
彼女の息子たちはみな、独立して家には夫と二人で暮らしている。ある意味で、典子が美李奈の世話を焼きたがるのは、娘のように思ってくれているからだろう。
美李奈も、その好意自体はありがたく受け取るが、何でもかんでも典子に頼り切りではいけないという思いがある。
事実として、この数日間は彼女の存在が大いに助けになったが、彼女の家とて、被害がゼロではないのだ。
それでも、「子供と老人しかいないような家だ。家の修理なんてのはダンナに任せてあたしは子供の面倒をみるんだよ」と言ってきかなかった。
「とはいえ、材料がないねぇ。ちょっと待ってなさい、すぐに買ってくるわ」
典子はそういうと、パパっと調理器具を片付けると、体格に似合わない俊敏な動きで、美李奈たちの有無も聞かずに自分の家に財布を取りに帰る。
そして、いつも使うママチャリにまたがって、鈴を鳴らしながら、走っていく。
美李奈たちはそれを唖然と見送るしかなかったが、もうこうなったら典子は意地でもコロッケを作るまで家に帰らないだろうなと理解した。
「セバスチャン、アイスは暫く禁止ね。岡本夫人にお礼をしなくちゃいけませんわ」
「ハッ、家計簿を計算しなおします!」
典子は「そんなもん、いらないよ!」と豪快に笑うだろうが、そこに関しては美李奈とて意地がある。受けて恩義は返さなければならないのだ。
「いい子たちだねぇ、二人とも」
季吉は、麦茶を飲み、ドラマを見ながらつぶやいた。昼下がりのちょっとした一幕が終わる。そんな時であった。
ドウッ! という弾ける音が屋敷の薄い壁を叩き、かぶせたブルーシートが嫌に激しく揺れる。そのすぐ後に、町内放送でサイレンが鳴り響く。
それは聞きなれない音であったが、サイレンをある程度流したのちに、肉声の放送が続く。
『……住民は直ちに避難をしてください。繰り返しま……』
肝心な内容を言い終える前に、放送は雑音だけを流す。
「これは……!」
美李奈は、嫌な予感を覚えたが、どうやらそれは間違いではないようだった。
たてつけの悪い窓ガラスを乱暴に引き、身を乗り出すようにして、外の様子を確認する。
すると前方、距離はまだあったが、いつぞやの赤い巨人と同じものが空から降下してくるのが見えた。だが、それだけではなかった。
「二体もいる……」
赤い巨人は、一体ではなかった。まったく同じ姿をしたものが二体、何食わぬ恰好で建造物を踏み潰し、着陸する。瞬間、その二体に対してなにか黒い物体が衝突するのが見えた。
ドウッ! という音は、それが赤い巨人に命中すると聞こえてくる。美李奈が、その黒い物体の飛来した先へと視線を移すと、そこには戦闘機が一機、突出して赤い巨人にミサイルを放っていた。
「なんと無謀な!」
スクランブルのかかった自衛隊の戦闘機だろう。
しかし、一機だけしか飛べないわけではないはずだ。なぜあの機体が、一機だけで飛んでいるのかは知らないが、美李奈はその行為が無謀かつ余計にあの巨人を調子づかせるのではないかと感じていた。
二体の巨人は、そんな戦闘機の攻撃を受けてもびくともしない。
むしろ、鬱陶しい虫を追い払うかのように、その内の一体の指から十本のレーザーを放たれる。戦闘機は、巧みな機動でそれを避けて見せるが、低空を飛行しているためか、その流れ弾は周辺のビルへと直撃する。
そのことに気が付いたのか、戦闘機の行動が目に見えて鈍る。動揺が動きに現れたようだ。
わずかにバランスを崩した戦闘機は、態勢を立て直すのに時間がかかっているように見えた。
(素人ではないのか!)
美李奈自身、ミリタリーな知識は持ち合わせてないし、航空学も取っていない為に、その動きが素人の動きなのかどうかは実際の所はわからない。
しかし、戦闘機が焦りを感じていることだけはわかった。戦闘機は速度をあげ、巨人たちからずいぶんと距離を離して大きく旋回してやっと態勢を立て直すが、その頃には巨人たちは戦闘機への興味を失い、次々にレーザーを周囲に振りまいていく。内一体の進行方向には商店街がある方角だった。
「典子さんが!」
美李奈は叫ぶやいなや、屋敷の外に飛び出す。
「セバスチャン! 早くなさい!」
叱りつけるように執事を呼び出す美李奈。
「ハッ! 根室様も、避難を……」
「そうする方がよさそうだな!」
季吉は走れないという程ではなかった。幸い、自転車ぐらいには乗れる程に回復はしている。
執事もそれをわかった上で主の下に駆け寄った。
「美李奈様、アストレアを?」
「そうよ。どうすれば来るのかはわかりませんが……」
以前は、自分が危機に陥った時に現れたように見える。であれば、今回もそうなのかもしれない。そもそも呼び出し方のわからないものを当てにするにも美李奈としては気が進まないが、現状であの巨人に対処できる方法はそれしか知らない。
考えた結果、美李奈がとった行動は非常にシンプルなものだった。美李奈は両腕を天高くあげ、息を大きく吸い込んだ。
「アストレアー!」
そして、腹の底から名前を叫ぶ。どこに消えたのか、どこに姿を隠しているの、そんなことはわからないし、知る必要もない。だが、これで来なければあのマシーンはポンコツだ。美李奈のアストレアへの評価そのようなものだった。
美李奈の叫びがこだまする。一秒、二秒と経過する……やはりダメか、そう美李奈が諦めかけた瞬間であった。彼女たちの周囲に影がかかる。バっと上を見上げると、そこには青い装甲を輝かせ、わずかに笑みを浮かべているように見える顔をこちらにむけたアストレアの姿があった。
アストレアはAのエンブレムから光を放つと美李奈と執事をコクピットへと転送させる。美李奈は、一週間ぶりとなるコクピットの感覚に妙になれている自分に驚いたが、そんなことよりも、呼びかけに応じるのが遅いことを怒鳴った。
「レディを待たせるとは、なっていませんわね!」
それに答えたのかどうかはわからないが、アストレアのコクピットの機能が順次起動していく。中央ディスプレイに無数の文字が流れていき、そして最後に『MIINA』の文字が点滅した。
「馴れ馴れしい……」
そうつぶやく美李奈は、起動が完了したと判断してアームレバーに力を入れる。それにこたえるように、アストレアはその巨体を、スラスターを使い、軽やかに、衝撃を殺して、大地に立つ。
わずかに周囲を揺らし、アストレアが各部から蒸気のようなものを噴出させ、動力を活性化させる。エネルギーが全身に行き渡ったことを伝えるように、アストレアは両腕に力を込め、拳を握りしめる。
『各部チェック……前回同様でよいのでしたら、オールグリーン、良好ということでしょう。レーダー起動確認、エネルギーゲージ確認、これは……』
どう見ていいのかわからない計器を執事はよく操作できている。彼の見方はさほど間違いではなかった。
「よい、セバスチャン。変化があれば教えて」
『ハッ!』
二度目となる戦いに際して、美李奈はどこか冷静だった。
(敵は二体、どちらともに時間をかけるわけにもいかない……かといって二体同時の戦闘で、このマシーンがどこまでできるのか……)
そのようなばくちを仕掛けられる程、美李奈は、猪突はしていなかった。素早く行動しなければ、敵がこちらを確認して、再びレーザーを撃ってくる。そうなってしまうと被害が拡大するのは目に見えていた。
美李奈は、アームレバーを押し出すように伸ばす。アストレアはそれにこたえるようにスラスターを展開させ、右の拳を脇に構え、商店街に向かう敵へと突進する。
どうあれ、こまごまと考えている暇はなかった。美李奈は、敵をどう排除するべきかを考えていたのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます