第14話 乙女の再会
少女の高笑いが街に響くと、それに連動して紅白のロボットもまた、左手を腰に当て、右手を反らすように口元にあてがうようなしぐさを取る。そのたびにロボットの表情も大きく口を開けて高笑いをしているような錯覚を住民に与えていた。
「……あの声……もしかして」
先ほどまで必至に逃げ回っていたのだろうか。木村綾子は息を切らせ、肩を大きく上下させていた。それは、関口朋子や南雲静香も同様で、特に静香はもう走りたくないといった表情を見せていた。
そんな疲労すら、どこかへと吹き飛ばすこの場の空気にそぐわない笑い声を耳にした少女たちは、唖然としてそのロボットを見上げていた。
「於呂ヶ崎さんだわ……間違いない、あれは於呂ヶ崎麗美さんよ」
朋子も綾子と同じように複雑な表情をしていた。先ほどまで命からがらの逃走をしていた中で、あんなものを見てしまえば、そんな顔もしたくなる。
だが、それ以上にこの声の主が自分たちの知る如月乃学園理事長の孫、周囲一帯に君臨し、今なお飛躍を続ける於呂ヶ崎グループのご令嬢が、一体なぜあのようなロボットに乗っているのかも疑問であった。
「そ、そんなことより……もう走らなくても良いのですか?」
気が抜けたのか、静香はぺたんと地面に座りこむ。周囲にも同じような人々が見られた。
まだ安全であると確定したわけではないが、麗美の笑い声が張り詰めていた空気を見事にぶち壊したことが、彼女たちの緊張感の糸すら切ってしまった。
「ちょっと、静香! ダメだって、立って!」
そんな中でも朋子ぐらいは、まだ緊張感を保っていたが、もう動きたくないという感情を体が出している静香は、引っ張られる腕を好きにさせていた。
綾子は友人二人のやり取りをしり目に、いまだ二体のロボットを交互に見やっていた。
アストレア、青い巨体は先ほどの戦闘で負ったダメージなのか、わずかに傷も見え、輝いていた装甲もレーザーの直撃の後が黒く汚れていた。
そしてもう一方の名を知らぬ紅白のロボットは、その体を太陽にさらすことで一層輝いて見えた。奇妙なしぐさに関するコメントは持ち合わせいないが、にらみ合うように対峙する二体のロボットのパイロットを知った綾子は、どうしようもない不安と焦燥感を覚えた。
(真道さんと於呂ヶ崎さん……なんだかまるっきり正反対な二人がなんでまたロボットなんてのに……)
綾子の知る麗美は度々美李奈に食ってかかる姿しか知らない。高飛車な態度の度に揺れる金色のロールされた髪が印象的であった。恐らく今もロボットのコクピット内でブンブンと揺れているのだろうなと想像するのは簡単だ。
そういう姿しか知らない綾子にしてみれば、もし麗美がアストレアに乗っているが美李奈だと気が付けば、あの巨体であのやり取りをするんじゃないだろうなという予感があったのだ。
『ちょっと聞いていますの!』
そんなことを考えていた矢先、紅白のロボットから麗美の甲高い声がスピーカーを通して周囲に広がる。一瞬、キンッと耳鳴りがした。
紅白のロボットは、軽やかにビルの屋上から飛び降りると、背中の二対の翼と各所に備え付けられたスラスターを駆使して、見事に着地する。すっくと立ちあがったロボットはビシッと右の人差し指をアストレアへと向けた。
『この私が先ほどから通信を送っているというのに! あなたはなぜ無視をするのですか!』
麗美が言葉をつづる度にロボットは、その美男子といった表情を崩し、歯ぎしりをしているかのような錯覚を見せつつ、右足で地団駄を踏む。周囲にその振動が伝わるが、麗美は一切気にしていない様子である。
「麗美さぁぁん! やめてぇ! ぐわんぐわんしますぅ~」
静香の悲鳴が届いたのかどうかはわからないが、紅白のロボットは地団駄をやめて、演技のような咳ばらいをして腕を組む。
動作の一つひとつが無駄に人間らしいのは、操縦する麗美のセンスの問題なのか、初めからそういう機能が付いているのかどうか、綾子はいまいち判断が付かなかった。
『フンッ! まぁよろしいですわ。今日はこのユースティアの初陣、それを勝利の二文字で飾れただけでもよしとしましょう。ですが!』
一々大げさな麗美の態度を忠実に再現するユースティアと呼ばれたロボットは再び左手を腰にあて、右の人差し指をアストレアに向けた。
『助けてあげたというのに、感謝の言葉の一つもないとは一体どういう了見ですの! この私……え? なに、名前は控えろですって? お黙り! え? おじいさまからの?』
もしや麗美はスピーカーがオンになっていることに気が付いていないのだろうか。周囲にもれる彼女の会話は、相手の音声は聞こえないがなにかを言い争っているようだった。
暫くして、ユースティアはいかり肩でアストレアに詰め寄り、アストレアの鼻先をつつくように指を向けていた。
対するアストレアは不動のまま、なんの反応も示さない。
『ちょっとあなた! いい加減に……』
そういいながら、ユースティアがアストレアの肩を掴む。だが、その瞬間、ユースティアの巨体は宙を舞い、轟音を上げながら大通りのど真ん中に仰向けになっていた。
アストレアは掴みかかってきたユースティアの右腕をがっちりと抱きかかえていた。それはなんとも見事な形で決まった背負い投げであった。
***
時間を少し遡り、ユースティアがビルの屋上で一回目の高笑いを終えた頃。
美李奈はしきりに鳴り響く通信コールに何度も返答を返していたが、うんともすんとも反応しなかった。
先ほどの戦闘で外部との通信機能が破壊されてしまったのか、モニターにも表示が映し出されなかった。それでも、内部との通信はできるようで、執事の困り果てた顔がモニターの端に映し出される。
『申し訳ございません、美李奈様。こちらからではなんとも……』
「ふぅ……わかりました。ありがとう、セバスチャン」
美李奈はやれやれといった具合に小さく溜息をついた。目の前のロボットから聞こえてくるあの声はまちがいなく麗美の声である。それは、彼女も気が付いていた。というより、動きを見ればそんなことはすぐにわかった。
だからこそ、この連続で鳴り響くコール音の回数の多さも、麗美という少女ならば、そうするだろうなという考えに至る。
見栄っ張りなあの少女の事だ。通信がつながらないことを理解したら、そろそろしびれを切らして大声で怒鳴りこんでくるに違いない。
『ちょっと聞いていますの!』
「まぁ、予想通り。麗美さんったら」
大仰なジャンプを繰り出し、体操選手のような着地を見せるユースティアを眺めながら、美李奈は再び溜息をついた。この後、麗美が行う行動には大体の察しがついているからだ。
そして、その予想は次々に的中して、外部スピーカーから漏れる少女の大きな独り言を半分以上聞き流し、美李奈は執事へと通信を送る。
「セバスチャン、周囲に敵の反応はありませんね?」
『ハッ! 於呂ヶ崎様の機体のみ、他は反応なしでございます』
「そう、それにしても麗美さんったら。あの声ではご近所迷惑でしょうに」
『音量の調整を行っていないのでしょうか?』
「していてもあの声量なのよ」
美李奈は麗美の大声を無視しながら周囲を確認する。二機の戦闘機が爆発した場所には、残骸が散らばっていた。あの様子ではパイロットは助からないだろう。
「……このような巨大なマシーンを扱っても、彼らを助けることができなかったのは、私の至らなさなのでしょうね」
『美李奈様……彼らは……』
「セバスチャン、命を懸けていたからと言って、彼らの死を正当化することなどできませんわ。あなたもあの残骸をしっかりと目に焼きつけておくのです。私たちが手間取れば、次は綾子さんたちもあのような目に合うのだと」
命を懸けていた、死を承知の上で。そんな言葉を投げかける程、美李奈は戦場を知らないし、言える立場でもなかった。勝利を確信したその瞬間に死を迎えるのは無念であっただろうにと思うことはできてもだ……
そして、混乱の中で撃墜されたもう一機のパイロット。美李奈は彼らの顔は知らないし、どういう思いの中で戦っていたのかもわからない。
ただ、人々を守ろうという感情だけは理解できた。でなければ、先の戦闘でこちらを援護などするはずがない。
美李奈はただ、無言で彼らの為に祈るしかなかった。執事も主と同じく瞳を閉じ、手を合わせた。
『ちょっとあなた! いい加減に……』
美李奈が祈り終えると同時にユースティアの腕がこちらへと伸ばされる。美李奈は反射的にその腕を取り、相手の勢いを利用するようにユースティアを背負い、そのまま地面へと振り下ろした。
その瞬間、バチバチとコクピット内にスパークが走った。そのスパークが美李奈の毛先をわずかにこがす。
「あら……?」
そして、ついにコクピット内の明かりが消え、わずかにモニターが稼働するのみとなった。美李奈は確認できないが、外ではアストレアの関節から煙が立ち上がり、緑色に輝いていた瞳は閉じるように光を失った。
予備の電源が生きているのか、わずかに機能はしているようだが、アストレアを動かすことはできなかった。
ややあって、ガクンッと小さく機体が揺れる。ユースティアの右腕を拘束していたアストレアがパワーを失い背負い投げをしたままの状態で鎮座した。
『美李奈様、アストレア沈黙しました』
「少し……厄介なことになりそうですわね」
『左様で……』
ユースティアの方も投げ飛ばされたままの姿勢でぴくりとも動かなかった。あの衝撃の中で麗美が気絶でもしたのだろうか。
だが、今の二人にはそれを確認するすべはないし、そもそも機体から降りられるのかどうかわからなかった。
「セバスチャン、こういう時、旅客機や電車なら手動で扉を開けられるような機能があると聞きますが?」
『おそらくアストレアにもあるでしょうが……どこをどう触ってよいものか……』
ということなのである。美李奈が例に出したものであっても、そういう知識のない者からすれば、どこをどう操作して扉を開けるのかなどわかるはずもない。
特にこの得体のしれないアストレアの場合、本当に何もわからなかった。
「……?」
さてどうしたものかと、考えこもうとしていた矢先。美李奈はモニターの先で無数の黒い点がこちらにやってくるのが見えた。
一瞬、新手の敵かはたまた自衛隊の戦闘機かとも思ったが、それは黒塗りの大型のヘリであった。その機体には武器のようなものが搭載されているのが見えたが、それを発射する様子は見られない。
ヘリの群れはアストレアとユースティアの上空に滞空すると、機体の下部からワイヤーのようなものをたらし、先端のマグネットやアームが二体の巨人を固定する。
美李奈はそのヘリの側面に獅子の顔が施されていることに気が付いた。よく見れば他のヘリには虎や鷲の顔が描かれている。
「なる程、亮二郎様の手の者ということか……」
まぁあのユースティアとかいう機体に麗美が乗っているのならば、そういうことだろうと納得した。
相手があの老人であれば、こちらに手荒な真似はしないだろうし、悪いようにはならない。美李奈はそう判断すると、今度こそ操縦席にもたれかかるようにしてうなだれる。
屋敷に残してきた季吉は大丈夫だろうか。僅かに揺れる機体に身を任せて、美李奈は屋敷のある方角へと視線を移す。
被害があるようには見えなかったが、自分たちが戻らないということを心配して、団地の住民を巻き込んで大騒ぎにならないだろうか。美李奈はそれが少し心配だった。
***
ヘリによる空輸でどれほどの時間が経ったのか、時計を持ち合わせていない美李奈と執事にはわからないことだった。
三十分だろうか? 一時間だろうか? ともかく極端に会話が少ない静寂の中で狭く薄暗いコクピットにいるということは気分的にはよくない。そういう閉所的な場所はダメだと何かテレビか雑誌で見たことがあると美李奈は思いだしていた。
それでも景色が見えることだけは一つの救いだった。何気なく空からの様子を伺ってみれば、郊外の工場地帯が見えてくる。
(あれは於呂ヶ崎傘下の工業施設……)
灰色の工業施設には無数の特殊車両やヘリ、作業員が集まりこちらの到着を待ちわびている様子であった。
その後、工業施設へと到着したアストレアとユースティアは、その機体を巨大な格納尾へと搬入される。専用としか思えないハンガーに固定された二体の巨人の周りにいくつものクレーンや作業用デッキがかけられ、作業員たちが集まってくる。
暫くして、コクピットが外部から開けられると、美李奈と執事は作業員に案内され、デッキの上へと降りる。
ハンガー内は想像よりも空気は悪くなかった。印象でしかないが、もっとオイルなどの臭いで充満しているものだと思っていたからだ。
「暫くお待ちください……」
作業員の一人がそう言いながら頭を下げ、デッキと通路をつなぐ扉の奥に消えていった。
そんな待ちぼうけをくらうことになった美李奈と執事は、なんとなしにアストレアへと視線を向ける。
四度の戦闘を終えたアストレアのボディは、改めて見ると確かにボロボロになっていた。それは単純に戦闘の苛烈さというものを物語るのだが、やはりこの機体は今の今まで整備など碌にされていなかったのだろうということもわかる。
「全とっかえだ! 急げ!」
「こっちもだ!」
作業員たちから発せられる言葉の中には専門的すぎる単語も飛び交うが、とにかくアストレアは自分が想像する以上に放置されていたものではないのだろうか。
そして、その隣に並ぶユースティア。どういうわけか、ユースティアの周囲には作業員の他にも白衣を着た集団がいた。ドクターか何かだろうか。彼らの中央には、移動式の担架があり、そこには豪奢な装飾が施されたパイロットスーツを着た麗美が寝かされていた。
目でもまわしたのか、気でも失ったのか、完全に伸びている麗美はそのまま反対方向へと運ばれていった。
「美李奈様……少々やりすぎたのでは」
「そのようね。明日の学園が大変だわ」
それは冗談ではなく本気だ。それは麗美がアストレアのパイロットの正体を知った場合なのだが、ここに連れ込まれた以上、気を取り戻した麗美にもそのことは伝えられるだろう。
「本当に、どうしましょう」
美李奈は腕を組みながら、右腕で頬杖をつき小さな溜息をついた。
「久しいな、真道の」
突如として、そのしゃがれた声が響くと美李奈も作業員たちも押し黙って、その老人の方へと視線を向ける。
羽織をきた老人は作業員たちに軽く手を振り、作業を続けろという合図を送ると、その鋭い眼光を美李奈へと向けていた。
「お久しぶりですわ。学園長様……いえ、亮二郎のおじさま」
美李奈は軽く膝を折り、挨拶を返す。執事もその傍らでお辞儀をした。
「うむ……」
亮二郎は小さく頷くことでそれに答え、杖をつきながら二人の方へと歩み寄る。
「やはりとは思っていたが、アストレアには君たちが乗っていたのか」
「えぇ、色々な偶然が重なりまして……おじさまは、これが何なのかご存知でいらっしゃいますか?」
その美李奈の問いかけに亮二郎は少し間をおいてから、アストレアを見上げて答える。
「君もうすうすは感じていたのではないかな。このマシーンの正体というものを」
「いくつかの見当は付きますが、実際のことは何とも」
だが、それは嘘だ。美李奈はアストレアが誰の手によって作られたのかを既に理解していた。亮二郎は、彼女の言葉や態度からそれを察していたが、それを追及することはしなかった。
美李奈がアストレアに向ける視線はどこか冷ややかだったからだ。
「まぁ、よい……このアストレアを作ったのは君の祖父、真道一矢だ」
亮二郎の言葉を聞き、執事は驚いたような表情をするが、美李奈は押し黙ったままだった。
だが、アストレアへと向ける視線が鋭くなったのを亮二郎は見逃さなかった。
「一矢は私財をなげうち、このアストレアを作った」
亮二郎は美李奈へと言い聞かせるように、どこか優しげな口調であった。
「ヴァーミリオンを倒す為に。そして、人類を守る為にな」
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