第22話 乙女のすれ違い

「騒がしい……」


 グラウンドを見下ろしながら、蓮司は自分の名を呼ぶ麗美の声に気が付いていた。屈託のない笑顔はまぶしく、愛らしいのだが、そのお調子者な性格だけはどうにも苦手であった。


 自分を慕ってくれるのは悪い気はしないのだが、年頃の少女が騒がしくしているというのはどうにも良い感じはしないのだ。

 こういう感性をもつのは、彼もまた金持ちの息子であり、紳士淑女というものが当たり前という教育を受けた影響である。


「相変わらず元気ですねぇ」


 その蓮司の隣に並ぶように白い制服の少年がやってくる。

 龍常院昌である。


「龍常院さん……」

「昌でいいですよ、年下ですし」


 昌は軽く笑いながら、大手を振る麗美と彼女を引っ張っていく美李奈に視線を向けていた。


「婚約者でしたっけ? 応援とは大変ですね?」

「そんなんじゃありませんよ。まぁ、於呂ヶ崎公から言われたのは事実ですし、今日は非番ですので」


 ぶっきらぼうに答える蓮司を見て、昌は苦笑していた。


「それでも見に来るんですからやさしいじゃないですか。声をかけてあげたらどうです?」

「そこまでする必要はないでしょう?」

「ありますよ。もう向こうはあなたを見ちゃってるんですから。一声無しってのも可哀想でしょう?」

「そりゃ、まぁ……」


 蓮司は何で自分は年下に言いくるめられているのだろうと思っても、ほとんどが事実なので言い返す事が出来ない。

 それに婚約者とはいえ相手は十六の少女であるわけで、そんな子の同年代が沢山いる場所に自分のような男が立ち入るのはちょっと勇気がいる。


「すぐに昼休憩ですし、一緒に食べてあげたらどうです? 今すぐ出撃……なんてこともないでしょう? それにあの子、多分真っ先にこっちに飛んできますよ?」


 晶の言葉に蓮司は納得したように頷いた。

 同時に彼の脳裏には「お兄様!」と大声をあげながらこちらに向かって駆け寄ってくる麗美の姿も容易に想像できる。


 幸い、彼女のいるグラウンドとこの場所は結構な距離があるので、いくら麗美の行動が早くても時間がかかる為か、恥ずかしげもなく抱きついてくるようなことは無いだろう。


 ただし自分が赴けばその限りではないので、どちらにせよ抱きつかれることは半ば決定事項なのだが。


「平成の侍も女の子には弱いということですかね?」


 その見透かしたような言葉に蓮司はぎょっとしたが、表情には出ていなかったと思う。


「からかうのはよして下さい。大変なんですよ、年下の相手は……」


 蓮司はそこまで言って、自分が今会話している相手も年下であったことを思い出して、慌てて視線を晶の方へと向ける。

 対する晶は気にした様子もなく、それを追及してくることは無かった。


「まぁ大変ですよね。彼女、噂のスーパーロボットのパイロットみたいですし。婚約者としては、複雑なんじゃないですか?」

「え?」


 その言葉は思っても見なかった事だった。

 一瞬だけ晶が何を言っているのか理解出来なかった蓮司だが、彼の言葉を理解した瞬間には無意識のうちに後ずさっていた。


「な、なぜ……」

「いやぁ分かりますよ。あの態度ですよ? 声と仕草を知っている僕たちからすればあの紅白のロボットのパイロットが於呂ヶ崎麗美だってことぐらい」


「そ、そりゃぁ確かにそうですけど……」


 確かに理屈ではそうだ。ユースティアの仕草の一つひとつ、そして度々外部スピーカーをオンにしたまま大声を出す事などから、どう隠した所で知っている人間からすればあのパイロットが誰なのかぐらいはすぐに分かる。


 言ってしまえば自分の両親や二人の兄ですら気が付いているような事だ。婚約者である麗美の両親や祖父である亮二郎も特に否定していない辺り意外とこの事実は、自分で想像以上に知れ渡っているのかも知れない。

 そうであれば、目の前にいる少年がそのことを知っていても不思議ではないし、麗美はよく学園にヘリを向かわせて出撃するのだからバレバレだ。


 そのはずなのだが、蓮司は彼がそうなる前から麗美がパイロットであることに気が付いていたように感じた。

 それがなぜなのかは説明ができないのだが、この少年から出される言い知れぬオーラにはどこか納得させられるものがあった。


「ねぎらってあげたらどうです? 少なくとも、あの子たちはこの国を守ってくれているのは事実ですし、こうして体育祭を迎えられたのもある意味ではあの子たちのお蔭なんですから」


 その言葉に嘘偽りはないように思えた。

 晶は言いながら、腰の後ろで手を組んで踵を返す。澄ましたような視線を蓮司に向けて、彼と並ぶように歩み寄ると、


「それとも、婚約者が戦場にでしゃばるのは気に入りませんか?」

「それは!」


 蓮司が振り向き、晶の肩を掴もうとした瞬間には、晶は既に進んでいて蓮司は空振りをしてしまった。


「次は文化祭などもありますので、どうぞ。僕は歓迎しますので」


 昌はわずかに振り返って会釈をすると、そのまま去っていった。

 一人ぽつんと残される形になった蓮司は、暫くは昌を唖然としながら見送っていたが、すぐに我に返ると、軽く頭を振ってサングラスを胸ポケットから取り出す。


「確かにそうかもしれないな」


 このサングラスも最近になってつけるようになったものだった。意外と自分には似合うんじゃないかと思うようになってきたのだが、最初の内は顔を隠さないとまともに外で歩けないなんてこともあったのだ。


「あの子が俺以上に戦っているなどとは思いたくない……」


 蓮司にも使命感であるとか正義感はある。家に反発して入った自衛隊の中で自分の役割というものを見つけることもできた。

 空を飛ぶということも純粋に楽しいと思えるようにもなったし、実戦を生き延びたという自信もあった。

 だが、その命がけの中において、麗美や二体のロボットの活躍を見ると、醜い嫉妬を感じることもある。年下の、しかも女の子相手にそんな負の感情を抱く自分を嫌悪することもあるが、一度根付いた感覚はそう簡単には払しょくしきれない。


(龍常院君には悪いが、帰るか)


 麗美の様子を見に来ただけでも十分だろうと、自分の中の嫌な感情に言い訳をしながら蓮司もグラウンドを背にむける。


「……ッ!」


 だが、その時、サングラスごしの視線に捉えたのは、息を切らしながらもこちらに熱い視線を向ける麗美の姿であった。


***


 その場にいる少女たちは熱烈なハートマークを青年に向ける麗美の姿に呆れるような、苦笑するような、微妙な反応を向けるしかなかった。


 午前の部が終わり、方々も昼食を取ろうかという時だった。麗美が朗らかな笑顔で青年の腕にしがみついていれば注目にもなるし、そのすぐ後ろで美李奈が頭を抱えるように歩いていれば、綾子たちも何事かと駆け寄るのは当然であった。


 その後は殆ど成り行きで一緒に昼食となるのだが、青年・蓮司は美李奈たちから見てもかなり居心地の悪そうな顔をしている。

 サングラスをしていて表情がわかりにくいはずなのだが、口元をぐぐっとへの字にしているのを見ればそれぐらいはわかる。


「んもう! お兄様も来てくださるなら言ってくれればよろしいのに! それでしたお兄様の分のお席やお昼もご用意できたのですけど……」

「いや、いい。見てすぐに帰るつもりだったから」


 即答であった。


「まぁ! お兄様、私の晴れ舞台を見に来てくださるなんて! 嬉しいですわ!」


 しかし麗美はそんな蓮司の態度を気にする様子もなくくねくねと体をよじらせながら猫なで声を出していた。


「こけていたようだが」

「ハンデですのよ!」


 だがプライドを保つということだけは無意識にでも行うようで、そんなようなことを言って見せる。


 その後も麗美は何かにつけて蓮司に詰め寄ったり、学食から取り寄せた食事を彼の口元に運ぼうとしたりして、騒がしいの一言であった。蓮司も蓮司で短い言葉で断ってはみるものの麗美の押される形でしぶしぶとそれを受け入れている感じであった。


 そんな二人のやり取りを傍で見せつけられている美李奈たちは、互いに席を囲んで奇妙なカップルの間には入るまいと共通の認識を持っていた。


「いやそれにしてもイケメンというかハンサムというか、金持ちの婚約者ってのはやっぱそういうのも必要なの?」


 綾子はサラダのミニトマトを皿の上で転がしながら、同じ婚約者持ちである朋子に耳打ちした。


「さぁ? うちの場合かっこいいとかの前に子どもよ? 可愛い部類だとは思うけどさ」


 時々、時分より遥かに年上の中年との婚約という話もなくはないらしいが、そういうのは世間的にも社交的にも問題がある為か大体はつぶれていくとのことだ。

 結局は若いもの同士での婚約というのが基本となるらしく、いくつか暗黙のルールというのも存在するらしい。


「それにしても、於呂ヶ崎さんの婚約者がテレビで話題の大空の侍だったなんて驚きですわね。婚約者がいるというのは聞いていましたが」


 流石は耳の早い静香である。綾子は静香がそう言うまでは蓮司がテレビに出ていたなどということすら思いつかなかったぐらいだ。


「蓮司様は自衛隊でご活躍なされている殿方ですから、麗美さんも電話や手紙でしかやり取りができないのですよ」


 美李奈はペットボトルのお茶をグラスに注ぎながら、麗美と蓮司の方に視線を向けた。

 麗美は蓮司に無理やりお茶を飲ませようとしているのが見えた。


「だから、このように直接会える機会も少ないので、麗美さんにとっては嬉しい日になったと思いますよ」

「婚約者の方はそうでもなさそうですけど……」


 綾子も二人の方に視線を移せば、今度は麗美が蓮司に食事を口まで運ばせようとしている姿が見えた。


 蓮司はフォークで適当にサラダの切れ端と刺して運んでやっていた。明らかに適当すぎる対応なのだが、麗美にはそれでも十分らしく幸せといった顔を作っていた。

 端から見ればほほえましいカップルに見えなくもないのがまた滑稽である。


「真面目な方と聞きますから。もう少しユーモアがあってもいいと思いますけどね?」

「まぁ確かに堅物……といった感じの人ですものねぇ」


 昼食にしてはフレンチトーストという甘いものを平らげている静香はのんびりとしていた。

 静香にしてみれば、婚約者というものはまだいないわけで他人事なのだ。いずれはそういうようなこともあるかもしれないが、彼女としては大恋愛が前提なので、そこまで考えるようなことはない。


「さて……そろそろ助け舟が必要な頃でしょう」


 美李奈は皿を重ねて席を立つと、微妙な空気を醸し出す麗美と蓮司の間へと入っていった。


「ごめんあそばせ?」


 軽く会釈をしながら二人の前に座り、ニコリと笑う。


「ちょっと、ミーナさん。一体なんのようですの?」


 麗美は露骨に怪訝な表情になるが、蓮司の方はこれで少しは楽になるのだと思ったのか安堵の表情を浮かべるように息を吐いていた。


「麗美さん、旦那様がいらっしゃって嬉しいのはわかりますが、行事中とはいえ食事は食事ですのよ。楽しい会話は食事に彩りを与えますが、一方的な会話はそうではありませんわ」


 どちらかといえば美李奈は、食事は会話の中で楽しくする方が好きである。そういう意味では麗美のような明るい少女との食事は嫌いではないのだが、今の彼女はいささか興奮気味である為に、蓮司の困惑も大きいのだ。

 美李奈はちらっと蓮司の方に視線を向けると、再度会釈をした。それは「いつも麗美がお世話になっています」という風なもので、蓮司もそれを理解したのか、素直にうなずいてみせた。


「所で、蓮司様は、今日はお休みで?」

「いえ、非番という事になります。本来なら自宅で待機なのですが……」

「大方、於呂ヶ崎のおじさまに行ってやってくれと頼まれたのでしょう?」

「……」


 その無言の返答は美李奈の予想が当たっているということだ。

強面の亮二郎であるが、あれで孫に甘く何かと周りに無茶をさせることが多い。本人もどこか破天荒であり、そういう意味では麗美と亮二郎は似ていた。


 あまり権力を振りかざすということはしないが、こと孫のことになる少々度が過ぎるという部分がある。今回もようはそういう関係で、蓮司に無茶を言ったのだろう。

 もしかすれば、彼の非番というのもどこかで亮二郎が手をまわしている可能性も否定できなかった。


「フフ、あまり悪く思わないであげてくださいまし。おじさまはお二人が可愛いくて仕方がないのですよ。それも過保護な程に」

「それは理解しているつもりです。ご老公には世話になっていることもありますので」


 それはどこまでも生真面目な返答であった。愚直すぎる性格は面白味がないのだが、老人からの受けはいいのかもしれない。


「ちょっとお兄様、ミーナさんとばかりお話して!」


 麗美は口をとがらせて蓮司の袖を引っ張る。愛しの相手がライバルと楽しげに(少なくとも麗美にはそう見える)会話をしているのだから嫉妬するのも当たり前である。麗美は少し乱暴に蓮司の腕を抱きかかえると、キッと鋭い視線を美李奈に向けて「横取りしないでくださいまし!」と言い放った。


「あぁ! そうだ、お兄様! 夏休みに入ったら一緒にお出かけしませんこと? お兄様も休暇に入られると聞きましたし!」


 そういって麗美は一人キャーキャーと騒がしくしていて、「ついに誘ってしまいましたわ!」などと舞い上がっていたが、対する蓮司の反応はちょっと冷たかった。


「すまないが、休暇は取りやめだ。世間じゃヴァーミリオンなんてものが出没している。暇じゃなくなっているんだよ」

「そ、そんな……なんとかなりませんの?」


 僅かにその言葉には棘があった。

 だが、麗美はそんなことには気が付いていないし、蓮司の休暇がなくなったことに対してだけ反応を示していた。


「無理だ。本当なら、ここにこうしていることだって……」

「蓮司様」


 それ以上は余計な言葉だ。

 美李奈はそう感じた為に冷たく言い放って蓮司を制する。蓮司もそれを自覚していたのか無理に続きを言おうとはせず少々ばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。


「麗美さん、自衛隊というお仕事なのですから、無理を言ってはいけませんわ」


 美李奈は次に麗美の方を見て、諭すように言った。


「それはそうですけど……」


 麗美とてそのことぐらいは理解している。それでも愛しい人と過ごす時間をどうしても作って見たいという少女らしい欲もあるのだ。


「そろそろ、自分は失礼させていただく」


 そのやり取りの中、どこか居心地が悪そうにしていた蓮司がすっと立ち上がり、それだけを言ってその場から離れようとする。


「あ……」


 麗美はそれを引き留めようと、手を伸ばすがそれよりも速く蓮司の体は移動していた。


「あら? もう少しごゆっくりなさっては?」


 美李奈も少しは麗美が不憫だなと思い、引き留めてみるが蓮司は首を横に振ってこたえた。


「これ以上はダメです。懲罰、痛いんですよ」


 それだけいうと蓮司はサングラスをかけて足早に少女たちの園から離れていった。麗美は物悲しげな表情をして、ハンカチを持って手を振って蓮司を見送った。


「お兄様ぁ、また今度もいらしてくださいなぁ」


 そのやり取りを眺めていた綾子、朋子、静香の三人は顔を突き合わせて小さな会議を始める。


「ちょっと冷たくない?」

「クールぶってるんでしょ?」


 綾子と朋子はあの蓮司の態度に少し反感を覚えたようだった。


「まぁ、とうの麗美さんが気にしてないのが良いんじゃありません?」


 静香は口元にパフェの生クリームをつけたまま言った。

 三人はもう一度去っていく蓮司の背中を見送る。


「けどなんか当てつけているような態度なのよねぇ」


 女と男の関係という難しい話ではないようだが、綾子は蓮司の麗美に対する態度にどこか違和感を覚えていた。麗美という少女を嫌っているわけではないようなのだが、それでもどこか避けているような、そういう感じであった。


 そして、予鈴の音楽が鳴り響く。

 体育祭の午後の部の開始を告げる音楽だった。

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