第38話 乙女の初秋


 巨人たちの激突より遡ること数時間前。

残暑の残る新学期の如月乃学園では、大勢の生徒が今話題のあることについて持ち切りであった。


 生徒会長、龍常院昌が地球防衛の組織を結成した。

 この話題は内外問わず世間の話題をさらい、連日のニュースもこれで持ち切りであった。今をときめく大財閥の若き当主、現役の学生であり、生徒たちをまとめる新星……あらゆる言葉で着飾らされた昌の名を聞かない日はないぐらいであった。


それは美李奈たちも把握している所だが、そんなことよりも大変なことがあった。

 中央庭園のいつものベンチではなく、色とりどりの花々が極彩色の壁をなす庭園中心部、まるで童話の小人の家さながらに木造にこだわった小さな小屋のような休憩室に、美李奈たちはいた。

 

 こういった休憩室は広大な庭園の中にいくつも存在しており、普段であれば優雅にお茶会でも楽しむか乙女の秘密の会話であるとか恋人同士の逢瀬に使われるのだが、今回はそんな甘いひと時ではなく、乙女たちの難しい顔がずらっと立ち並ぶ異様な光景が広がっていた。

 切り株のようなデザインのテーブルに広げられた何十枚ものプリントが乙女たちを悩ませる難敵である。

 つまりは『宿題』であった。


 9月初頭からの学園はそこまで授業がなく言ってしまえば半日で終わる。しかし最近では≪ヴァーミリオン≫の襲来が相次ぎ、急遽授業を取りやめ、避難と相成ることが多かった為に教師たちの中にはその遅れを取り戻そうと必至なものたちもいる。


 美李奈も、麗美も、そして綾子のクラスもそういう教師たちが集まっていた為かどっさりと宿題が出されたという状況である。

 分量としては夏休み程の量ではないが、それでも『夏休みの宿題』という壁を乗り越えた乙女たちの前に再びこんなものが立ちふさがれば気が重くなるのも無理はない。


「ヤバイわ……」


 中でもひときわ顔をしかめているのが綾子である。綾子は既にペンを放り投げ、両手で頭を抱えながらプリントと決着の付かないにらめっこを開始していた。


「全くわからない! なんで『フランス語』なんて出てくるのよ……」

「ドイツ語もある……」


 同じく健康的な小麦の肌を青くするように疲弊した顔を見せる朋子も役に立たない辞書を枕の代わりにして寝そべっていた。


「おかしいわ。英語ならまだしも……嫌だけどさ、英語ならまだしもなんでうら若き女子高生の私たちがフランス語なんて……ドイツ語なんて……どういうことなの麗美さん!」

「私に聞かれましても、授業内容なんて先生方が決めることでしょうに」


 綾子の嘆きを煩わしそうに受け流す麗美もまた大量のプリントをどう処理しようかと悩んでいるのだ。

 例え学園長の孫娘であろうと贔屓をしないのがこの学園の良い所である。だが、それはつまる所、学園長の孫という権力を利用してあれこれやらかすことができないということに直結する。


「それに私たちのような身分ともなれば必然的に外国の方々とお会いする機会が増えるのだから、これぐらいは『普通』ですのよ。おわかり?」

「わかんない。いい、私日本のセレブでいい」

「全く嘆かわしい……あなたそれでも我が学園の生徒なのですか!」


 ぐだっとした姿勢の綾子にそう気が長い方ではない麗美は当然の如く声を大にするのだが、その勢いもすぐに収まる。

 そんなことをして自分のプリントが減るわけでもないからだ。「全く、なんで私まで」と小言でぼやきながら、小さな怒りをペン先にこめる麗美はもくもくと作業を続けるしかなかった。

 かくいう綾子も妙に重たく感じる腕をなんとか伸ばして、見方がよくわからない辞書をもう一度開いて宿題に手を付ける。


 その途中、ちらっと左の方へと目を向けるとすらすらと問題を解く美李奈とのんきにクッキーを食べる静香の姿が目に映る。

 特に静香の方は普段ののんきな姿からは想像もできないがパパッと終わらせていたようで何の心配もなくお茶を続けられているのだ。


「あ、食べますぅ?」


 視線に気が付いた静香がいつもの調子でクッキーを一枚、手渡してくる。


「食べる……」


 色々と言いたいこともあるが静香の持ってくるお菓子は美味しいので綾子は素直にそれを受け取りかじりながら宿題へと目を落とす。

 英単語ですら覚えてないのにフランス語と来たもんだ。『ジュテーム』や『ボンジュール』だけではいけないのかとくだらないことを考えながら、綾子は小さな溜息をつく。


「あら? 乙女の溜息は恋煩いの時だけでしてよ?」


 かちゃっとティーカップが置かれる音と共に美李奈の微笑が綾子に向けられる。美李奈もまたさっさと宿題を終わらせたのか、静香からクッキーを受け取っていた。


「特に麗美さんなんていつも恋煩いですから」

「うぬ!」


 ギクリと肩が震える麗美は鋭い視線を美李奈に向けるが、それだけですぐに宿題に戻る。蓮司がついには連絡が取れなくなってしまったせいで麗美としては溜息どころかすぐさま所属部隊の宿舎に飛び込みたい気分を何とか抑えているのだ。


「それにしても、世間は大騒ぎしているのに学校というものは相変わらずですねぇ」


 かれこれ十枚目のクッキーをかじりながら静香が呟く。


「ほんとよねぇ……うちの生徒会長が変なもの作って大忙しとか何とかしてるのに。道すがらのインタビューとかうっとおしいのよね」


 カリカリと必至にプリントに書き込みながら朋子がうなずく。

 昌が地球防衛の組織『ユノ』を結成してからというもの世間の話題も同様に如月乃学園自体に注目が集まっていた。

 それは昌という存在もそうだがそれ以前に巨大ロボットを所有し、そのパイロットである(今でも隠してるつもりの)麗美の存在もあった。


 今までは亮二郎の手によってなんとか抑え込んできたことであったが、そこに昌という第三者が旗揚げをしたものだからもはや歯止めが効かないのだ。


「なぁにが地球防衛よ。よくもそんなことが言えたもんだわ」


 そんな話を聞くと決まって機嫌が悪くなるのが綾子である。静香も朋子も「しまった」という顔をするがもう遅い。

 と言うのも綾子が龍常院主催の結成式パーティに参加してからと言うもの、昌に対する綾子の態度が見るからに変わっており、一方的に毛嫌いしているのが現状であった。


「もっと体張って街を守りなさいって話よ。やってるのはロボットのPRばかりじゃない」


 金の力なのか権力なのか、それはわからないがユノ結成から流れるテレビのニュースの大半は≪マ―ウォルス≫と≪ウェヌス≫の宣伝ばかりであり、延々と同じ戦闘の映像が流されていた。


「自演臭いのよあぁいうの。そんなにメンツを保たないと活動も出来ないのかしら」


 辛辣と言うよりはもはや私怨が入り混じった綾子の言葉には苦笑いで答えるしかない静香と朋子であったが、麗美だけは大きく首を上下に振って、机を大きく叩いて立ち上がる。


「そう! その通りよ綾子さん!」


 立ち上がった麗美は小さな体を一生懸命に伸ばして綾子の手を取ってブンブンと振り回す。


「きっとアストレアやユースティアのパイロットも同じ考えに決まってますわ! どこの馬の骨とも知らない者が割り込んできてほとほと迷惑だとあなたもお考えだったとは知りませんでしたわ! いつもボケっとしてるから!」

「そうですよ! でかい口叩いてるけどあんたらはまだ二回しか戦ってないじゃないってね!」


 何やら最後の方で馬鹿にされたような気もしたが綾子は同じように立ちあがると麗美と手を取り合いながらわいわいと昌とユノに対する愚痴を語り合い始めていた。

 そんな光景を美李奈はにこにこと眺めながら、「宿題、終わりませんよ?」と一言いうだけで鎮める。

 綾子も麗美も騒ぎを一瞬で収めると、そろそろと自分の席に戻って宿題に取り掛かる。


 残暑の残る九月の日差しはまだまだ暑いという感覚を人々に与え続けていた。セミの声はもう聞こえないのに、騒がしい少女たちの声は庭園から響き渡り、まだ少女たちの平穏は保たれているのだということを伝えてくれるようであった。



***



 カツカツと靴底が床を叩く音が響き渡る真っ白な通路はまるで神殿のような作りになっており製作者の趣味なのかたまたまなのかはわからないが、迷彩服を着こむ蓮司、浩介は場違いな所にいるのだと声に出さなくとも感じていた。

 普段から歩きなれた駐屯所の通路とは全く違う異質な空間はいるだけでも落ち着くことができず、それを先導する幼い子どもの後に付く二人は更に奇妙な違和感にさいなまれていた。


(制服から見るに学園の中等部か……なぜ巨大人型のマシーンの周りには子どもが集まるんだ)


 まるでアニメや漫画のようだなと思いながら、蓮司はハーフパンツの夏服の制服を着た村瀬真尋の後ろ姿をもう一度確認していた。


(女なのか男なのかわからん子だ……)


 突如として浩介共々に上官に呼び出しをくらった蓮司が出会ったのはこの真尋であった。それはいつかの昌との出会いに似ていたが、そんな彼よりも年下の、それも中学生の子どもが、上官と対等以上の姿で語り合っている姿を見れば困惑もする。


「エイレーンのパイロットであるお二人には我が組織「ユノ」へと出向してもらいます」


 出会いがしらに真尋が言い放った言葉はそれだった。

 その後はほぼ有無を言わさずに正式な事例と共に既に搬送手続きが行われていたエイレーンを積んだ輸送機と共に龍常院が所有する人工島へと送られてきたというのが経緯である。


「昌様は蓮司さんをずっと手元に置きたいと考えていたようですよ」

「はぁ……」


 道すがら真尋はそんなことを言ってくる。お前ば龍常院は自分たちに対して色々と都合をしてくれているという話は聞く。事実、エイレーン自体が龍常院より送られてきた代物なのだからそれ以外の支援があってもおかしくはないのだが、たかが大富豪、大財閥がそんなことを易々とやってのけることは異常である。


 とはいえ、それは婚約者の実家も同じである。権力を行使すれば国すら黙らせる程に力を持っているのが於呂ヶ崎という家だ。そんな於呂ヶ崎と肩を並べる龍常院という家は底が見えない。

 新型戦闘機を完成させ、二体のロボットを建造し、そして組織を立ち上げ、はてはこのような施設まで作っている。

 金があるというだけでは説明が付かない程に物々しい代物がここにはそろっているのだ。


「我々ユノの主力は既にご存知かと思われますがマーウォルスとウェヌスというマシーンです。ですが、二体だけでは手が回らないというのも事実、その為には足の速い戦闘機という存在はとっても重要なのだと昌様はおっしゃっていました」


 饒舌な語り口の真尋は後ろを振り返りながら小悪魔じみた笑みを蓮司に向けていた。


「ご期待されていますね、平成の大空の侍殿は」

「世間ではもうその名は廃れていますよ。正義の御曹司、の方が有名でしょう?」


 正義の御曹司とはもちろんメディアが付けたものだ。蓮司としても各種メディアに龍常院がいくらか手をまわしていることには察しがついていたが、こういった小恥ずかしいあだ名まで考えているのではないかと邪推もしてしまう。

 あの不敵な少年がそんな子供じみたことをするとは思えないが……しかし自分に出会った時の屈託のない少年のような笑みも見せた。


(一体どっちが昌という少年の本性なのだ……)


 今こうして大人であり自衛官である自分たちを呼び寄せる権力を振るう少年の事がますますわからなくなる。

 そしてそれに従う自分のこともだ。隊長である浩介はいつになく仏頂面で終始無言である。上からの命令に従ってはいるが不服であるというのは態度からわかる。


 暫くするとこれまた神殿の門のような作りのゲートが仰々しく建てられていた。古めかしいかがり火のようなデザインの照明は厳かな雰囲気を崩さない為の配慮なのだろう。異質過ぎる存在が再び目の前に現れたことは蓮司と浩介にかるいめまいを覚えさせた。

 金持ちの考えることは良くわからない。そんな感想がこの二人の共通した認識であった。


(うちの親父殿もこんなわけのわからん趣味があるのだろうな……骨とう品集めに夢中だから)


 不意に自分にもこういう奇抜なものを好む血が流れているのではないかとどうでもいい不安を覚えながら、蓮司は轟音を立てながら開かれるゲートの先を見据える。

 その先に広がる光景は、神秘的な作りとはうって代わりまるで大規模な軍事施設さながらと言った近代的な装備が所狭しと設置されていた。

 無数の大型モニターに大量のオペレーターが広がり、その上部に位置する司令塔に、龍常院昌の姿が確認できる。

 昌は学園の制服姿のまま後ろ手に組み、大量の部下たちを、そして蓮司たちを見下ろした。


「ようこそ! お待ちしていましたよ!」


 スピーカーから流れる昌の声は少年のように明るかった。


「上からで失礼します。何分、降りるのに時間がかかる場所でして」


 遠間からで良くは見えないが昌は恥ずかしそうに頭をかいているように見える。


「では、私は用意がありますので、これにて……」


 案内を終えたからか、真尋は蓮司と浩介、そして昌に向かって頭を下げると、そのまま退出していく。

 昌はそれを見送ると、蓮司と浩介に向かって笑みを浮かべ、「突然の事で驚かせて申し訳ございません」と述べながら、大型モニターへと視線を移す。

 蓮司と浩介もそれに釣られるように、モニターを見上げる。モニターには無数の映像や数値データが映し出されており、なかには衛星からの映像なのだろうか、地球の姿まではっきりと映し出されていた。


「今より三十分程前に地球近辺にて異常振動が検出されました」


 モニターの映像がせわしなく変化していき、データの更新が行われていく。オペレーターたちのパネルやキーボードを叩く音が室内にこだまする。


「今まで、ヴァーミリオンの出現には謎が多く、各関係機関で調査がなされていたのですが、どうしても宇宙という場所は手が付けにくいようでして。それに面倒臭い利権問題もひしめき合っているせいかどの国も自分たちの国を通過する衛星をよく思っていないんですよ」


 地球の映像がメインモニターに映し出され、次々に拡大されていく。場所は、やはり日本であった。

そして次に拡大されたのは日本の上空である。その瞬間に、蓮司たちは目を疑う光景を目撃した。


「空が割れた?」

「SFだな、これは」


 蓮司と浩介、各々が呟くように感想を述べると同時に映し出された映像の中では何もない虚空に穴が開くように黒い空洞が出現する。それはねじれたようにも見えるし、割れたようにも、シミができたようにも見える異常なものであった。

 そして、その黒い穴からにゅっとか細く赤い腕が伸びてくる。洞穴から這い出るようにして姿を見せたのは、≪ヴァーミリオン≫そのものであった。


「御覧の通り、ヴァーミリオンの出現はこのようにワープホールといえばいいんでしょうか、そういう空間に何らかの影響を与えて現れるのです。これですらつい最近になって調査が進んだことなんですけどね」


 映像資料を説明するかのように淡々と語る昌ではあったが、周囲は落ち着きを持つ彼とは違い一層慌ただしくなる。

 一瞬にして室内には真っ赤なランプが点滅し、アラートが響く。


「昌様、ヴァーミリオンの市街地への降下を確認しました。市街地に集中しています。他区域での出現、降下は認められません」


 オペレーターの一人の報告に頷いて見せた昌は専用のデスクに両手をおいて、「マーウォルスとウェヌスを発進させろ」と指示を与えた後に、ちらっと蓮司と浩介の方へと視線を移す。


「聞いての通りです。今回は我が組織のお力をお見せしましょう。お二人はどうかお寛ぎください」


 その昌の言葉を待っていたかのようにメイド服を来た少女たちがグラスを持って二人の傍に現れる。


「改めて申し上げます。ようこそ、ユノで。私はお二人歓迎しますよ」

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