第9話 乙女の理由
霞城蓮司は歯を食いしばった。
ゴン! という鈍い音と共に彼の体は熱射で熱くなったコンクリートの上に転がった。しかし、蓮司は文句も言わず、すぐさま立ち上がり、痛み、血を流す口もとをぬぐうこともなく、腕を後ろに回して、姿勢を正した。
「いいかぁ! 貴様の軽率な行動は本来であれば処罰の対象だ!」
唾を飛ばす上官、宮本浩介の怒声を耳にしながら、蓮司は「ハッ!」 と大声で返事を返した。声が小さければまた殴られるからだ。それは、蓮司の周囲にいる他の同僚たちも同様であった。
「ミサイル一発、機銃の弾丸一発で貴様らの給料なぞ瞬く間にゼロになるのだ、わかるか! 蓮司ぃ!」
「ハッ! 申し訳ございませんでした!」
クマのようだと評される浩介の顔は、なる程そういわれるだけの強面であり、角刈りの頭髪と日焼けした浅黒い肌、鍛え上げられた筋肉は確かに野獣だ。
しかし、蓮司は彼の拳を受けてもこのように気を失わずに立っていられる。それは、蓮司の肉体が標準より頑丈であるわけではなく、浩介の手加減によるものだ。
蓮司に与えるべきは罰であり、気を失わせる事ではない。浩介という男は、そういう部分を考えるだけの経験がある。殴って寝かせて、また殴っての繰り返しなど意味がないのだ。
「蓮司! 貴様はどこぞの御曹司だから金には困らんだろうが、ここでは違う! 俺たちが抱える兵装一つは国民の血税だと思え! 無駄に使えば、国民の血が流れるのだ! それを理解したかぁ!」
前時代的な発言でもあるのだが、浩介のいうこともさほど間違いではないことを蓮司は理解している。
先日の二体の赤い巨人との戦闘、訓練中であった蓮司は出撃許可ももらわずに急行した。
結果的に巨人たちは、謎の青いロボットによって撃破され、市街地への被害も最小限に抑えられたが、言ってしまえばそれは結果論であり、蓮司の行動が容認されるような話ではない。
唯一の救いは、世論がどちらかといえば突出した青年の行動を好意的にとらえてくれているが、これだって言ってしまえば、被害が少ないから言える事であり、そうでなければまったくもって面倒なことになったのは容易に想像できる。
ある意味で、蓮司がこのように拳一つで済まされるのは、ありえない話なのだが、ともかくお咎めはこの程度で済んだ。
「訓練の成績がトップだからといって調子に乗るんじゃねぇ! てめぇらもだ! スクランブルがかかれば、俺たちはいの一番に敵さんと接触するが、的がでかいだのなんだのと知った風な口を叩く奴から死ぬと思っておけ!」
かくいう浩介すら、実戦の経験などない。むしろ、現代の日本で自衛隊に所属しているからと言って戦闘行動を経験したものはいない。彼の言葉もまた彼の言う『知った風な口』ではあるが、一足先に実戦を経験してしまった蓮司は、浩介の言葉に同意する面もあった。
(そうだ、奴らはでかい。ミサイルでも機銃でもトリガーを引けば簡単に当てられるが、結局通用しないんじゃ意味がない。それに、あのSFのようなレーザーだってあたっちまえば一瞬でお陀仏なんだ)
「蓮司ィ! 聞いてるのか貴様!」
返事を返すよりも前に、浩介の拳が再び蓮司の頬をぶった。気を緩めていたわけではないが、考え事をしていたのがそう捉えられたようだった。
蓮司は、今度こそはと思い、足腰に力をいれ、踏ん張ってみたが、浩介の鍛えられた拳の前には意味のない行為であり、蓮司は再び焼けた鉄板のようなコンクリートに伏すことになる。
「ハッ! 申し訳ございません!」
そして再度、立ち上がり姿勢を正す。このすぐに手の出る一世代前のような性格がなければ、この上官は素晴らしい上官なのだが……とは口が裂けても本人には言えない。
「貴様! 蓮司! 隠す必要はないから、全員に伝えるが、てめぇが追い出されないのは、てめぇの親のとりなしがあったからだと思え! でなければ、てめぇは荷物をまとめて首だ! 使った分の兵装の借金を抱えてな!」
後半はさておいても、前半の事は事実だ。蓮司もそれを隠そうとはしていない。彼は、霞城グループの三男坊であった。実家は決まりとして長男が継ぎ、次男はそんな長男の補佐を務めるように社会に出た。残った三男である蓮司だが、それでも付きまとうのが名家の生まれという扱いだ。
言ってしまえば三男坊である彼の役割は他の家とのつながりを作る為のパイプであり、婿に出されるというものだった。それが、自分とは七つも離れた十六の娘との婚約というのだから、たまったものではなかった。
そういう、ありきたりな親や家の反発からか、蓮司はまるっきり世界の違う自衛隊という組織に身を置いた。自分では、自分の力だけで入ったつもりだが、こうやって自分の見えない所で親の力が働いているというのは気に入らないものだった。
「三度目だぞ! 蓮司! トラックをへばるまで走りたいか!」
三度目、浩介からの鉄拳制裁はなかった。
蓮司は、考え事が顔に出やすいタイプなのだ。
***
別に日課になったわけではないが、木村綾子は、学園の昼休みを中央庭園で過ごすことが多くなった。もとより、この場所はアフタヌーンティーだとか、綾子にはいまいちピンと来ないが花を見て楽しむだとか、そういう場所らしく静かなものだった。
そしてなによりこういう空間で大人しくしていると「あぁ、自分もお嬢様なんだなぁ」と実感できるし、気恥ずかしさ以上にこの空気に流される感覚が心地よかった。
「綾子さん、シールの位置がずれていますわ」
「あ、ごめんなさい……」
なぜか噴水の手前のベンチに座り、内職の手伝いをしていなければ、きっと自分はもっとお嬢様になれるのに。
今日の内職は値札やバーコードを商品にはる内容だった。綾子としては「こんなものまで内職はあるのか……」と少し関心はしたが、やりたいなどとは思わなかった。もうやってしまっているのではあるが。
とにかく、この作業がなかなかに精神をすり減らすもので、商品も値札のシールも同じものしかないため、貼り間違えるということはないのだが、同じ作業を延々を繰り返すというのはなんだかイライラもしてくる。初めのうちは楽勝だなと思っていたが、こうなのである。
(だっていうのに、隣のお嬢様はなんでこうてきぱきできるのかなぁ)
ちらっと視線を真道美李奈の方に向けると、彼女は慣れた手つきで、機械のように素早く正確にシールを貼っていく。気が付けば、綾子よりも数をこなしており、曰くこの内職のおかげで一か月の食費に余裕ができるというのだ。
「さて……あら、綾子さんはまだ終わっていませんの?」
「え、いやぁ……なかなかこういうのって集中が続かなくて……」
「慣れですわ、慣れ。続けていけばコツもつかめますわ。まずシールの取り方がありますのよ」
(いや、そんなコツはいらないよ)
どこか得意げに語り始めた美李奈に頷きながら、綾子は突っ込んでみた。
(けど、この内職してるお嬢様が昨日もロボットに乗って戦ってるんだよなぁ)
先日のことだ。綾子らの暮らす高級住宅街には一切の被害はなかったのだが、それでも二度目の戦いは再びテレビや雑誌の一面を飾り、男子生徒と弟の弘を熱狂させていた。
綾子は、約束の通り、彼女たちの秘密を言いふらすようなことはしていないし、言った所で信用されるわけもない。だが、一度知ってしまえば、こうやって普段通りの生活をしている美李奈という存在がどこか自分たちとは違うような感覚を覚えさせた。
「ね、ねぇ真道さん?」
「何かしら?」
「昨日の……大丈夫だったの? 怪我とかもさ?」
「あぁ……」
美李奈は、綾子が残していた分のシールを貼っていたのだが、その手を止めて、何かを思い出したのか、微笑を浮かべていた。
「大丈夫ですわ。それに、素敵な思い出もできましたもの」
よほどうれしいことが合ったのだろう。美李奈が見せた笑顔は、どこか自然で作ったようなものではなかった。
「けど、怖くないんですか?」
その質問は、美李奈への質問というよりは自分に言い聞かせるような形であった。初めて美李奈が戦ったあの日、自分の想像を超えるような出来事を前に、綾子は恐怖するしかなかった。
下手をすれば、あの時自分は死んでいただろうし、父も、そして今笑顔を見せるお嬢様もその命を散らしていただろう。だが、真道美李奈という少女は、戦う為の力を得たとはいえ、あんな巨大な相手に二度も戦いを挑んで戻ってきた。
「ふむ……」
綾子の問いかけに、美李奈は少し考えるようなそぶりをみせた。ほんの一瞬の間ではあったが、吹き抜ける風が、その間を長く感じさせた。
「怖い……とは感じませんでしたわ。それ以上に、怒り……そう、怒りが強かったと思います」
「怒りですか?」
それは予想していなかった言葉だった。
「えぇ、少々野蛮で品がないと思われますが……素直に答えるならば、私はあの深紅の巨人に対して怒りがこみあげました。まるで破壊を楽しむような振る舞い、決して容認できるものではありません」
「そりゃ、そうですけど……ビームとかが飛んできてるんですよ?」
初めての戦いの時は間近で、二度目の戦いはニュースの映像でしか知らないが、美李奈はアストレアの装甲に守られているとはいえ、幾度となくレーザーや光弾を受けている。耐えるとわかっていても、あんな恐ろしい攻撃を受けるなどという気には、綾子はなれないだろう。
「そうです。あれ一発でどれほどの人々が犠牲になるか、私は考えたくもありませんわ。それをあの者たちは無遠慮にまき散らすのです」
美李奈はそう言いながらベンチから立ちあがると一歩前に進んで、綾子に背中を向けた。美李奈の視線の先には優雅に昼休みを過ごす生徒たちの姿があった。綾子もそれを確認した。
「みなが、あのように笑い、お茶ができるのは良いことです。野菜が詰まったビニール袋を両腕に抱えて走るのも、コロッケを店屋で買うことができるのも、良いことじゃありません?」
振り返り、微笑みを見せる美李奈。その笑顔は、栗色の髪がなびき、日差しが反射して、輝いて見えた。ふわりと制服のスカートの裾が舞う。
「別に、そこまで難しい話ではありませんわ。私はまた、岡本夫人のコロッケが食べたいなと思っているだけですよ」
「コロッケ?」
先ほどから美李奈はコロッケという単語を好んで使っているよう聞こえた。何か思い入れでもあるのかは知らないが、よほど気に入っているようだった。
そういう時の美李奈の表情は、屈託のない少女そのものに見えた。
「えぇ、そうですわ。岡本夫人のおつくりになるコロッケは最高ですのよ。今度……とはいっても資金の問題で一か月後になるのですが、食べにいらっしゃいな」
「はぁ……ぜ、ぜひ……」
まぁ確かに、コロッケという料理は懐かしく食べていないなと綾子は思いだしていた。こんな生活を送るようになって母はあまり料理を作らなくなったし、何かと高級な料理ばかりを食している気がする。
美李奈の家で、コロッケ。それもいいかもしれない。綾子がそんな風に納得した時であった。学園には似つかわしくないけたたましいサイレンの音が、静かな庭園をざわめかせた。
「な、なに! また!」
突然のサイレンに耳を抑え、バクバクと鼓動する心臓を気にしながら、綾子はほぼ無意識に空を見上げた。少なくとも自分の視界に映る範囲には、あの巨人たちの姿はなかった。
周囲にいた生徒たちも、突然のサイレンに驚きを隠せないようでいたが、とにかく校舎へという意識があったのか、なだれ込むようにして走っていく。綾子も、それに乗じようとするが、美李奈はそれとは反対の方向へと走っていくのも見えた。
「ちょ、ちょっと真道さん!」
「綾子さんは避難してくださいな。この警報がなったということは、つまりあの者たちが来たということですわ」
美李奈がそう叫ぶように答えると同時に、二人を巨大な影が覆う。見上げると、そこにはアストレアの姿があった。
「まぁ! 今回は呼ばなくてもきたのですね」
そんなことを言って見せる美李奈を包み込むように光が降り注ぐ。
「綾子さん、早くなさい。少なくとも、この学園も団地と同じく守ってみせますわ。大切な友人たちもいますしね」
美李奈はウィンクをしながら、その体をアストレアの内部へと転送されていく。既に周囲には、綾子以外の姿はなかった。誰かに見られたということもないだろう。綾子は、暫くアストレアを見上げていた。
アストレアは背中のスラスターを吹かし、白い粒子を煌かせながら飛んでいく。綾子は、せめてそれだけは見送りたかった。四十メートルの影はすぐに小さくなり、そして見えなくなった。そうして、綾子は、言われた通り、避難を始めた。
「コロッケ、食べたいしね」
***
アストレアのコクピット内に転送された美李奈は既に執事が乗っていることに驚いていた。
「まぁ、あなたも早いのねセバスチャン」
『ハッ! 買い物途中でしたが、突然アストレアが現れまして……』
執事のコクピット脇には今日の夕食らしき材料が詰め込まれたビニール袋が三つほど置かれていた。
「まったく、このマシーンも、あの巨人たちも……こちらの都合は考えてはくださらないのね……いけないわ!」
アームレバーを握りしめ、アストレアを移動させるように操縦を行う美李奈だったが、加速し、学園から既に数キロと離れた時点で美李奈は大切なことを思いだした。
「ラベル貼りの内職、置いてきてしまいましたわ!」
『そ、それは大変でございます! あれがなければ、次の食材の調達が!』
「は、早く片付けましてよ!」
珍しく狼狽した声を出す二人だったが、今更進路を変更するわけにもいかなかった。レーダーは既に敵の存在を感知していた。
『ハッ! 美李奈様、以前の戦闘のダメージがあります、ご注意を!』
執事の言う通り、中央ディスプレイに映し出される情報では、以前までは緑一色だったシルエットが、わずかに黄色になっているように見えた。
「どうあれ、手短に倒しますわよ!」
美李奈はアームレバーを押し込み、さらに加速させた。
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