第10話 乙女の激闘

 上空五百メートル。アストレアの巨体が空に舞う。

 キィィン! 空を切り、白い粒子が激しくノズルから吐き出されていく。機体のカメラが捉える地上の様子は、美李奈にとっては初めて見る光景であった。


「これが……私たちの住む……」


 幼い頃には旅客機で空の旅をしたこともあったと思う。しかし、こうやって真下の景色を眺めることなどできなかった。

 美李奈はハッと息をのんだ。


 アストレアのコクピットは座席とそこから生えるように伸びるアームレバー、正面のディスプレイを除けば周囲の殆どは外の景色を映す作りになっている。初めてアストレアに乗った時にも感じたが、空にポツンと浮かんだような錯覚を感じさせるものであった。


 だが、そんな光景に関心している暇もなかった。コクピットのモニターが地上を映し出し、一部が拡大される。


「太くなっている……?」


 映し出された赤い巨人は、二度、目撃したものと非常に似通った姿をしていたのだが、どこか細身である印象を受ける以前のタイプとは異なり一回りも二回りも太くなったような印象を受ける。

 以前までのタイプが、病的な細さと例えるならば、今映し出されているタイプは肥満体型のようにも見える。


『接敵十秒前! 美李奈様!』

「先制攻撃!」


 レーダーを確認していた執事に答えるように美李奈はレバーを押し出す。執事もそれに答えるようにパネルを操作し、いまだにどう見ていいのかわからない計器類やディスプレイの表示を注視した。


『ヴァーミリオン?』


 ふと、ディスプレイに映し出された新たな文面が執事の視界に入った。


「ヴィブロナックル!」


 そんな執事のつぶやきとかぶせるように美李奈は叫んでいた。アストレアの両腕が振動し、射出される。甲高い振動音を響かせた二つの拳が一瞬にして巨人に迫るが、巨人は太くなった剛腕で、アストレアの拳を受け止めて見せた。


「振動していましてよ!」


 受け止められた拳はその振動を激しくした。金属同士の削れあう音、振動音が市街地に響く。両者のパワーは拮抗しているようだったが、地に足をつけている分、巨人の方に自力があった。巨人は無理やり、アストレアの拳を放り投げる。

 同時に、アストレアの巨体が地に降り立つ。放り投げられた拳は空中で姿勢を制御し、自動で本体へと戻っていく。


「パワフルだこと……」


 美李奈は敵のパワーに呆れたような声で言った。

アストレアは戻ってきた拳の具合を確かめるように握りこぶしを作り、構えを作って見せる。

 彼我の距離は二㎞、この巨体同士であれば至近距離であったが、両者は動きを見せなかった。


「セバスチャン、ヴァーミリオンとは何かしら?」


 美李奈は、前方の敵を警戒したまま、執事のつぶやきを思い出していた。


『ハッ! 恐らくは、敵の名称かと思われますが……』

「なぜアストレアがそんなことを知っているのか……疑問は残りますが、名前がわかったのはよいことですわ」


 ヴァーミリオン、確かにその名の通り巨人たちの体は赤い。血染めのようだとも感じるその色は、鮮やかさを感じるはずの名前には似つかわしくないものであった。


「命名者のセンスを疑いますわね」


 軽口を叩くのはそこまでにして、美李奈は再び目の前の敵、ヴァーミリオンに集中した。ずんぐりとした胴体に土管のような太い腕と足、しかし顔は以前のタイプと同じで無貌にくちばしという形をしていた。ぐりぐりとせわしなく動く首は相変わらず美李奈の勘に障った。


「接近戦! 仕掛けますわ!」


 再び背部スラスターを全開にし、アストレアがヴァーミリオンにつかみかかるように突撃する。対するヴァーミリオンもゆっくりとした動作で両腕を前に伸ばし、迎え撃つ。両者の衝突は数秒とかからなかった。


 ゴウンッ! 巨大なもの同士の衝突は、周囲に轟音として現れた。アストレアとヴァーミリオンはお互いに相手の拳を掴んでおり、力比べといった状態でその場に踏みとどまっていた。


「前回までとは、勝手が違うということね!」

『出力上昇!』

「維持させなさい!」


 そんな作業をどうすればいいのか、そんなことは美李奈も執事もわからなかったが、美李奈は思わずそんなことを口にしていた。

敵のパワーに押し出されそうになるアームレバーを必至に抑えながら、美李奈は、次の一手を考えていた。


(力任せの勝負ではらちが明かないのならば!)


 アストレアは押し出す力をほんの一瞬だけ抜く。その瞬間、対抗する為に力を押し出していたヴァーミリオンはバランスを崩し、前面にその身を投げ出す形になる。


それは、アストレアも同じであり、ヴァーミリオンのずんぐりとした巨体に押し倒されそうになるが、その瞬間、アストレアの体はヴァーミリオンの右側へと回り込んで、右腕を抱えるようにしてとらえ、足払いをかける。


「せぇぇい!」


 ヴァーミリオンの右腕はえぐり取られるのでは思うほどの勢いで背中までまわされ、その巨体は地に伏す。アストレアはヴァーミリオンの右腕をがっちりと抱えており、簡単には振りほどかせないように固定した。


 ギギギと金属の軋む音が響く。もがくヴァーミリオンのパワーは想像以上のものであり、気を抜けば振りほどかれそうであった。腕の力というよりは全身を使って大きく揺さぶりをかけている状態である。そんなことをすれば自身の腕すら破壊しかねないのだが、ヴァーミリオンはそんなことはお構いなしに暴れまわっていた。


「うっ……」


 機体に備わった機能なのだろうか、激しく揺れるアストレアに対してコクピットに伝わる衝撃はわずかなものだった。それでも美李奈の体を揺らすには十分なものであり、彼女はまたお尻をぶつけていた。


「この!」


 それを認識した美李奈は乱暴な声を出しながら、ヴァーミリオンの腕をもいでやろうと思った。アームレバーを操作し、それに連動するようにアストレアが右の方の足でヴァーミリオンを踏みつけると、力任せにその腕を引きちぎろうとする。


 ミシミシッ! という音と共にヴァーミリオンの肩口からスパークが走る。あともう一息と言った瞬間であった。


「あぅ……!」


 美李奈は酷く間抜けな声を出していた。

 引きちぎられそうになっていたヴァーミリオンの腕がいとも簡単にすっぽ抜けたのだ。だが、それだけではない。抜けた腕はその付け根からロケットのように炎を噴射させた。


「何事ですの!」

『腕が……飛んだ!?』

「こちらの専売特許でしょう!?」


 バランスを崩し、仰向けに倒れこむアストレアは、そのまま抱えていた腕を離してしまう。解放されたヴァーミリオンの右腕はそのまま弧を描き、巨大なミサイルのように鉄塊のような腕をアストレアに叩きつける。


「あぁぁぁ!」


 アストレアの顔面は射出されたヴァーミリオンの腕に押しつぶされるようにして、大地に叩きつけられていた。


 その隙に態勢を立て直したヴァーミリオンはアストレアを押し付ける右腕の下にゆっくりと迫ってくる。二歩、三歩と地響きを鳴らしながら、到着したヴァーミリオンは右腕でアストレアを抑えつけたまま、本体と腕をつなげる。


 接続の完了した右腕はさらに握力を増し、アストレアの頭部を鷲掴みにした。きしむような音が響き、アストレアの巨体が剛腕によって持ち上げられる。ヴァーミリオンは、残った左腕を大きく振りかざし、アストレアへと叩きつける。


「好き勝手を!」


 しかし、アストレアは頭部を掴まれていても、四肢は自由であった。振りかざされる敵の左腕の殴打を右腕で掴み、受け止める。それでも衝撃が走ることには変わりないが、直撃をもらうよりはマシだった。

 やはりというのか、左腕を掴まれたヴァーミリオンは、先ほどの右腕と同じく、左腕を切り離す。だが、美李奈たちもまたそれを考慮していた。


『射出を!』


 即座に執事がパネルを操作する。

 ヴァーミリオンの左腕が射出されると同時にアストレアの右腕も再び撃ちだされる。両者の腕が空中で不規則な軌道を描きながら飛んでいきもつれ合う。


「左腕も残っていましてよ!」


 アストレアはすぐさま次の行動に移っていた。残された左腕でヴァーミリオンの右腕を掴むと振動を発生させる。

 彼女たちは、これぐらいしかアストレアの武器を知らなかった。胸の閃光はこの距離では威力がありすぎるし、ミサイルは前回ので残弾など残っていなかった。戦闘中も執事があれこれと調べても、『残弾ゼロ』、『破損』、『損失中』とないないづくしであったのだ。


 そうなると、結局はこのヴィブロナックルぐらいしか多様するものはない。

 アストレアの拳から発生する振動が、ヴァーミリオンの腕だけではなく、自分たちにも伝わってくる。それがコクピットの二人には苦痛であった。上下左右に揺られる衝撃と三半規管をぐちゃぐちゃにされるような感覚に思わず吐き気すら覚えた。


「あ、ぐ……」

『うぅぅぅ!』


 それでも歯を食いしばり耐えるしかないのが現状だった。その中でも執事はぶれる視界の中でなんとかパネルの操作を続けていた。美李奈は、はじかれそうになるアームレバーを必至に抑えているしかなかった。


 一方、撃ちだされたアストレアの右腕は、ヴァーミリオンの腕を両者から距離を取った場所まで運ぶと、掴んでいた腕を離し、一目散に自身の本体へと戻る。それは、ヴァーミリオンの左腕も同じだったが、速度という面ではアストレアの方が速かった。


 アストレアの右腕は、そのまま頭部を掴む敵の腕、その付け根へと掴みかかる。それを確認した美李奈は叫んだ。


「インパクト!」


 瞬間、アストレアの右腕から放たれる高周波がヴァーミリオンの右腕の付け根を粉砕する。ヴァーミリオンの推進機関はひしゃげて使い物にならなくなっていた。


 アストレアはいまだに顔を掴む腕を無理やり引きはがすと、それをお返しと言わんばかりにヴァーミリオンの本体へと投げつける。それと同時に自身の右腕が接続される。


「セバスチャン、無事ですわね?」

『耳鳴りがするぐらいです!』

「よろしい!」


 不敵に笑って見せる執事に、美李奈も微笑を返す。

 ヴァーミリオンは残った左腕をもとに戻したようだった。腕を破壊された怒りでも見せているのだろうか、乱暴に左腕を振り回して見せるが、それはひどく滑稽な姿だった。

 先ほどは、腕が破壊されることもいとわない暴れ方であったのに、いざ破壊されると苛烈に怒って見せる。まるで子供の癇癪だった。


『美李奈様、どうにも損傷が増えています。お気を付けください』

「多少の無茶は耐えて見せなさい」


 それは執事に向けた言葉ではなく、物言わぬアストレアに向けた言葉であった。アームレバーを操縦し、スラスターを吹かす。白い粒子が舞い、巨体が一直線にヴァーミリオンへと突撃する。

 迎え撃つヴァーミリオンは唯一残った左腕を再び射出するが、それは容易に避けられてしまう。それでも誘導される左腕は急激な方向転換をかけながら、アストレアの背中を追う。


 しかし、それよりも速く、アストレアの膝蹴りがヴァーミリオンの頭部を潰していた。金属がひしゃげる音と共に赤い破片が周囲に散らばる。もんどりを打つように倒れるヴァーミリオンを後目に、アストレアは先ほど投げつけたヴァーミリオンの右腕が足元に転がっていることを確認すると、それを掴み、背後から飛来する左腕を迎え討つ。


 野球のバットのようにスイングされた右腕の残骸が左腕を捉え、鈍い音と共にはじかれ宙を舞う。ぐるぐると回転しながら放り出される左腕は、建設途中で骨組みだけを残した何かの建造物に突き刺さった。


「ごめんあそばせ!」


 あまりそういった被害は出したくない美李奈だったが、仕方がないと己の中で言い訳した。


『あれは、於呂ヶ崎グループのホテル建設予定地……』


 そんな執事のつぶやきなど聞こえなかった。

 アストレアは倒れるヴァーミリオンを持ち上げると、半ば癖づいた動作で、両腕を切り離す。空高く運ばれるヴァーミリオンの巨体を見上げながら、アストレアはAのエンブレムを輝かせた。


「エンブレムズフラッシュ!」


 黄金の光が蒼穹を貫く。既にアストレアの拳から解放され、自由落下をするしかなかったヴァーミリオンはなすすべもなく、遥か下方から迫る光の奔流に飲み込まれ、その機体を蒸発させていく。

 上空で爆発が起きたことを確認し、執事はレーダーを注視した。反応は消えていた。


『お疲れさまです、美李奈様』

「いいえ、まだですわ、セバスチャン」


 そう言われて、執事はまだ敵が残っているのかと勘違いして、再びレーダーに視線を映した。


「早く学園に戻らなくては、内職が撤去されてしまうわ!」


 激闘の締めくくりは、どこか気の抜けたものであった。

 自らのコクピットで主たちが騒いでいる中、アストレアはその青い装甲を太陽光で輝かせていた。

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