第20話 乙女の波濤
晴天の下、本来であれば穏やかなはずの海面はしけにより荒れていて、それに伴い大きなうねりが巻き起こる。
アストレアのコクピットからその様相を眺める美李奈は、また溜息をついた。
「セバスチャン、最後に海に行ったのはいつぐらいかしら」
『そうですな……三年ほど前に潮干狩りに行った時ぐらいでしょうか』
「あぁ……まったく取れませんでしたわね」
その頃の夏、何度目かの食糧危機にあえいだ二人は何を思ったか潮干狩りに参加して見事に惨敗した苦い記憶がある。
美李奈はそのことを思いだして、こめかみを押さえるが、すぐに思考を切り替えた。大荒れする海の中、ヴァーミリオンの反応が検出されている。
その実体はまだ確認できていないがこの青く輝く海とは正反対の血染めの赤であることだけは間違いないだろう。
「ちょっとミーナさん! ぼーっとしてないで行きますわよ!」
既に待機していたユースティアが上空で地団駄を踏む。ありもしない地面を踏みつけるような幻聴が聞こえてくる程に見事なしぐさに思わず吹き出してしまいそうになるが、麗美のいうことも、もっともなので美李奈はアームレバーを握りしめ押し出す。
その瞬間、アストレアの巨体は急降下、巨大な水の柱を作りながら海へと突入する。
「あぁ! ちょっとお待ちになりなさーい! 私より後できた癖に!」
先手を越された麗美があたふたと操縦する為にユースティアは少々間抜けな恰好をしながらアストレアの後を追う。
海中では太陽の光はすぐに途切れ、各々のモニターは補正をかけて周囲の状況を主に送る。魚の一匹でも泳いでいるものだと思っていた海の中はただ荒れ狂う海流とわずかに生じた渦巻きが確認できる。
「見つけた!」
先に飛び込んでいたアストレアのセンサーはすぐさまヴァーミリオンを捉えていた。前方五十㎞の先、補正をかけていても黒い影のようにしか見えない巨体がそこにはいた。
『美李奈様! 何かきます!』
「具体的に伝えなさい!」
あいまいな表現をする執事を叱りつけながらも美李奈はアストレアをさらに海底へと落とす。その瞬間、自然では作りえない渦が周囲の海水を押しのけるように向かってくる。
アストレアはその渦を間一髪で避けることができたが、渦の勢いは周囲の海水にも及んでおり想像以上の水の流れがアストレアの巨体を揺らす。
「ちょ、ちょっと!」
しかし、反応の遅れたユースティアはその渦の直撃を受けることになる。
「きゃあぁぁぁ!」
「麗美!」
渦に飲み込まれたユースィテアは、その巨体を激しく錐もみさせながら抵抗する間もなく海上へと打ち上げられていく。
美李奈はすぐさまユースティアへと機体を移動させようとするが、再び渦がアストレアめがけて放たれる。
それを避けつつも、ぐちゃぐちゃに乱れた海流と水の抵抗はアストレアの巨体に大きな制限をかけていた。思った以上に出力を出さなければ動きが重く、反応を示してもアストレアがそれについてこれないのだ。
『ヴァーミリオン距離、四十! 拡大します!』
混乱の中でも務めを果たしていたらしい執事が叫ぶと、美李奈のコクピットモニターの端に今回の敵の姿が映し出される。その姿は飛行型のヴァーミリオンなのだが、特徴的であった二対の翼が本体の前にも装備されており、四つの翼がX字のように広がっていた。
よく見れば細かい部分にも水の抵抗を抑えるかのような流線型のフォルムに変化しており、不気味に長い両腕は指ではなく杭のように伸びていた。
「あんなので水の抵抗を抑えれますの?」
荒れる海流に流されぬようにアストレアの姿勢を制御しながら美李奈はいぶかしむ。
『私にはわかりかねますが、嫌に用意周到ですな。まるで海を想定していたような』
「宇宙人でも予習はするということよ」
そのように軽口を叩いて見せるものの、動きが鈍くなる事の恐ろしさは以前に体験している。あの時とは違いアストレアに不備はないが、戦場となる環境が相手に有利すぎるのだ。
水中型とでもいうのか、ヴァーミリオンは四つの羽を稼働させ加速する。互いに明確な形が視認できる距離まで迫った瞬間、ヴァーミリオンは水中の中で跳ねるような動作をしてアストレアの頭上を取った。
無貌の顔に取り付けられたくちばしが生物のように開くと、それを中心に渦が出来上がり、再びそれをアストレアへと放つ。
「エンブレムズフラッシュを!」
『エネルギーは間に合いません!』
「構わず撃ちなさい!」
回避行動をとりながらもアストレアは胸部のエンブレムを輝かせ、ビームを放つ。だが、チャージ不足のエネルギーは輝きを放つだけでその威力は本来のものより格段に低下している。
さらには、放たれた瞬間に周辺の海水が蒸発し、モニターを真っ白な泡と水蒸気が包む。それを払うようにアストレアが巨腕を振るうと、激しくもつれ合いながらも白い闇は切りさかれて視界を何とか確保する。
ビームと渦がぶつかり合う。しかしビームは拮抗することもなく暴力的な渦の前に霧散し、大きなうねりを上げた渦が直撃はせずともアストレアの巨体を揺らす。
「麗美さんは!」
『漂っています!』
激震に耐えながら美李奈が叫ぶ。その上方、先の渦巻きに吹き飛ばされていたユースティアの反応がキャッチできたが、ゆらゆらと流されるように信号は移動していた。
「起こせと於呂ヶ崎のメイドに伝えなさい!」
『ハッ!』
そう指示を下した瞬間にアストレアの至近距離で爆発が起きる。魚雷であった。
ヴァーミリオンの脇腹から発射された魚雷は海流の影響を受けながらも執拗にアストレアへと迫って二度、三度と爆発を引き起こす。
「スパークスライサー!」
アストレアは後退をかけながら両肩のビームカッターを発射する。だが、減衰したビームカッターはヴァーミリオンが腕を払えば容易に消え去り、反撃の魚雷を撃ち返されるだけであった。
アストレアはそれでもビームカッターを発射して魚雷を迎撃するが、その隙はヴァーミリオンが懐に入りこむには十分な時間だった。
「このっ!」
拳を振るうアストレア。
しかし、ヴァーミリオンは軽やかな動きで潜り抜けると右腕でアストレアの側頭部を殴打する。その反動を利用し、再び距離を取ると、追い打ちの魚雷をばらまく。
アストレアもバランスを崩しながら、両腕を振動させると、その周囲に白い泡が立ちこめる。半ば乱暴に腕を振るうと超振動による衝撃と無数の泡が魚雷の進行方向にふさぐ。
一発の魚雷がその衝撃で破裂すると周囲の魚雷もそれに誘発され、連鎖的に爆発を起こす。コクピット内ではけたたましい警報が響いていた。
美李奈はアームレバーを引き寄せ腕をクロスさせる。アストレアもそれを真似て防御態勢を取ると同時にヴァーミリオンの杭のような両腕が爆発で生じた泡を突き破り迫る。
ギィィィン! という耳をふさぎたくなる金属音がコクピットに伝わる。
「ショルダーアックス!」
拮抗状態の最中、アストレアは両肩のパーツを射出する。高速回転しながら水を切り裂き、外側へと飛んでいく二振りの斧は弧を描きヴァーミリオンの背後を捉える。
『誘導します!』
執事がパネルを操作すれば、斧は角度を微調整しながらヴァーミリオンの背後からその両腕を切断するべく迫る。
だが、ヴァーミリオンはアストレアを蹴りつけその場から離脱、四枚の羽を駆使して再び距離を取った。
目標を失った斧はぴたりと回転を止め、アストレアの両手に収まる。
「お寝坊さんは!」
その怒鳴り声は再びの魚雷の爆発音でかき消されていた。
***
於呂ヶ崎麗美は心地よい揺れにいざなわれて不快微睡みの中にいた。いつもなら高級羽毛の使われた専用のベッドでなければ体のあちこちが痛くなって寝たくないなどとワガママを言っているはずだが、ヴァーミリオンの渦に飛ばされ気を失った彼女はそんなことを言う間もなく意識を手放していたのだ。
だが、表面的な意識を失っていても深層心理というものは働くようで、気絶は眠りとなり、眠りは夢を生み出していた。
夢の中の麗美は様々な場所にいた。緑の平原、満天の星空の下、雪の降り積もるコテージ、夏の夕暮れを眺めるホテルのベランダ……
そこに立つ麗美の隣には必ず婚約者である霞城蓮司の姿があった。蓮司は(本来なら無愛想な顔)歯を白く輝かせ、不敵な笑みを麗美に向けて彼女の腰を抱き寄せて、そのスマートながらも鍛えられた胸板に麗美の頭をくっつけていた。
麗美は身をくねらせながら「ダメです、そんな!」などと少しつやっぽいことをボヤいているがその表情はだらしなく惚けている。
そして夢の中の蓮司はくいっと麗美の下あごを持ち上げると、まっすぐな瞳を麗美に向け、徐々に顔を近づけていく。
「あぁそんな! そのままめくるめく……」
などと馬鹿な言葉を吐き、二人の距離がゼロになろうとした瞬間であった。
「いぃぃぃぃ!」
麗美の体をピリピリとする電流が走る。それは人体に影響の出ないながらも結構な痛みを与え、気が緩みに緩んでいた麗美は大声を上げながらコクピット内で飛び起き、その拍子に天井に頭をぶつけてうずくまる。
「何事! 何事ですの!」
『お嬢様』
「ハッ! 蓮司お兄様は? コテージは? 夏の夕暮れは? ちょっと早い階段は!」
『お嬢様』
「ダメよ麗美! 私まだ花も恥じらう十六……」
『お嬢様!』
「あぁ! 頭が痛い!」
モニターに映し出されたメイドの一声が、麗美の頭に響くと痛みを増加させるような錯覚を感じた。麗美はそのおかげでボーっとしていた意識をはっきりと覚醒させ、やっと自分の置かれた状況を理解する。
「んん! 状況はどうか!」
そして先程の醜態をよもやメイドが一部始終見ていた等とは思わないが、それでも仕切り直すように咳払いをして威厳を込めて言い放つ。
『現在アストレアが海中にて戦闘中ですが、劣勢のようです』
「ふふん! やはり私がいなければダメダメですわね!」
麗美は得意げな表情を作りながらわきわきと指を動かし、アームレバーを握り直す。ユースティアはかなりの距離を流されていたようだが、その程度ユースティアのスピードであれば誤差にもならない。
意識を取り戻した主に答えるようにユースティアはその瞳を輝かせ再び機動する。
先ほどまでの間抜けな姿とは打って変わり、ユースティアの体はくるりと回転し、姿勢を正す。各部スラスターと背部の二対の翼に異常がないことを確認すると同時に点火。
海中であってもユースティアの圧倒的なスピードは変わらない。奇しくもユースティアのボディもまた流線型であるからだ。
もちろん理由はそれだけではなかった。大出力を誇る背部の翼とアストレア以上に備え付けられたスラスターにより生み出される加速は水の抵抗すら押しのけて突き進む。
しかしそれは想定して作られた機能ではない。ようは無理矢理突き進んでいるという事実には変わりはなく、ヴァーミリオンのようにそれに特化した性能ではないということだ。
「さぁユースティア! 私達の活躍を見せつけてあげましょう!」
しかし麗美はそんな事は知らないし、気にするような性格でもない。ただ少なくとも、自分の活躍が保障されればそれでいいのだ。
だが、そんな考えの奥深くには友人を助けたいという純粋な気持ちもあるのだが、麗美にそれを自覚させるのにはもうしばらくの時が必要なのであった。
***
防戦一方というものはなかなかにフラストレーションが蓄積する。それでも冷静なのは美李奈の強みだ
「うっ……くっ!」
アストレアの後退と同時に息をのみ込んでしまった美李奈は一瞬だけ呼吸が出来なかったが、後退をかけ終えると元に戻っていた。
その脇を渦が通り抜ける。アストレアは体をかがませて、発生した余波に身を任せる。乱流の中で不規則な機動を描き流されることになるのだが、それが敵からのロックをある程度は防いでくれる。
だがそれはアストレアの反撃の機会すらもなくすことになる。
『ミサイルを!』
執事は半ば無意識のうちに叫んでアストレアのミサイルを放っていた。魚雷ではないためにやはりミサイルの動きのどこか遅い。
問題なく突き進んでくれることだけがすくいだったが、そののろのろとした動きはヴァーミリオンにとっては玩具のようで、わざと近くによっては急ターンをして煽り、ミサイルの誤爆を誘った。
「まったくもって嫌になりますわね」
その挑発とも取れる行為に美李奈は怒りすら通り越して呆れを感じていた。
以前より考えていたことだが、ヴァーミリオンの思考というものはどこか幼稚性を感じさせた。上手くいけばそれを繰り返し、邪魔をされたりすれば怒り狂う。
それはある意味で人間だれしもが持つ感情の一つなのかもしれないが、ヴァーミリオンは度が過ぎるというべきか、しつこさがある。
「ですが、それが付け入る隙になりましてよ! セバスチャン! ミサイルを!」
『ハッ!』
執事は既に主の意図を汲み取りミサイルの発射準備を整えていた。狙いはもちろんヴァーミリオンである。
飛沫を上げながら射出されるミサイルは当然ながらのろのろとした動きだ。
ヴァーミリオンも調子に乗ってそれを迎撃もせず遊ぶように回遊する。しばらくの後にわざとミサイルの群れに突っ込むとその合間を潜り抜けるように泳ぎ、誤爆を招く。
爆発を背にヴァーミリオンは大きく両手を広げ威容に立ちふさがって見せた。表情のないはずの顔にも余裕という態度が見て取れる。
だからだろう。その爆発のさらに後方より接近するユースティアに反応が遅れたのは。
「ジャッジメントクロスソード!」
麗美の雄叫びと共に加速に乗ったユースティアは両腕のブレード煌めかせ背後よりヴァーミリオンを切りつける。
反応が遅れたヴァーミリオンではあるが、得意のフィールドである為かとっさに回避行動に移ることが出来た。
だが、それでも右足と背中の羽の一つが切り裂かれてしまう。大きくバランスを崩しながら上昇をかけるヴァーミリオンであるが、その頭部に衝撃を感じた瞬間には振動が襲った。
「さすがのタイミングですわね麗美さん」
それは射出されていたアストレアの左腕であった。
もがき引きはがそうとするヴァーミリオンではあるが、引きずられるようにして振り回されるせいでそれを行う事は出来なかった。
「当然、一瞬の隙を見逃さない私の眼力を侮ってもらっては困りますわ!」
胸を張り、高笑いをする麗美だったが、美李奈はそれを無視してアストレアの残った右手に、ショルダーアックスを合体させたアストライアーブレードを握らせる。
「麗美さん、相手が調子を取り戻す前に決めますわ!」
返答も待たずにアストレアは自身の左腕に引きずられて海上へ運ばれるヴァーミリオンの後を追う。
「あっ! 待ちなさい! 抜け駆けを!」
麗美も慌ててそれに続く。
海上を突き抜け、上空へと打ち出されたヴァーミリオンはその時になってやっと左腕の拘束から解放されるのだが、その時既に命運は尽きていたのだ。
ほぼ同時に上昇していたアストレアは剣を横一閃に切り払う。その瞬間にヴァーミリオンの上半身と下半身は切断され、残った三つの羽ももはや機能を失う。
「おどきなさぁぁい!」
そして一足遅れるように現れたユースティアがアストレアを押しのけるように前に出ると黄金に輝く両腕のブレードをクロスさせ、ヴァーミリオンの上半身へと迫る。
刹那、紅い風となったユースティアがヴァーミリオンと交差すると同時に、ヴァーミリオンの上半身は四等分に切り裂かれ爆発を起こす。
ユースティアは両腕にブレードを収納すると、爆発を背に腕を組む。
「完全勝利ですわ」
勝ち誇るように、見せびらかすように、麗美は踏ん反り返り、ユースティアも先程までのクールな姿はどこに行ったのか、麗美と同じく不必要なまでに背筋を伸ばしているように見えた。
『相変わらずと言いますか……』
執事は言葉を選ぼうとしながらも途中で止めた。
「いいのですよ。あれが麗美さんなのですから」
美李奈もその様子をただ微笑しながら眺めるだけだった。
大海原は多少のしけは残っているものの、次第に本来の緩やかな姿を取り戻していた。太陽光を反射し、きらきらと波飛沫を輝かせながら、二体の巨人の勝利を祝うように再び波がうねった。
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