第36話 乙女はそれを許せない・後編

 先の戦いより一日が経った。


「不要です、下がりなさい」


 真道屋敷の崩れかけた玄関の前で美李奈は腕を組み、二人の黒服の男をにらみつけていた。その視線は鋭く、冷たく、鉄面皮といえるその表情は、本来の美李奈であれば想像もつかないものであった。

 それを対峙する黒服の男たちもまた無表情を装い、お互いに目配せをしながら居座り続ける。


「ですが、受け取っていただかねば私どもの誠意というものが……」

「なる程、龍常院の者は同じ事を二度、伝えねば理解をしないというのですね?」

「いえ、そういうわけでは……」


 物腰は穏やかで、声音も清らかな美李奈だが、その一つひとつには他者を威圧する空気があった。それはつまり、真道美李奈という少女は激怒しており、大変機嫌が悪いということである。


「下がれと言った。そのようなもの、我が真道の家は受け取らぬ。誠意はもので示すものではないとあなた方の主に伝えなさい」


 ぴしゃりと言いきった美李奈は、じっと男たちを睨みつけたまま不動を保った。男たちは深々と頭を下げるばかりで、遂に言葉を発することもなくなり、それでも後に引けないという使命感だけで両足を玄関に縫い付けていた。


 だとしても、美李奈の態度は変わらない。むしろ先ほど以上に鋭い視線が男たちの後頭部に突き刺さる。

 美李奈は腕を組んだまま、男たちの間に割って入るようにして、黒ずんだ古い靴を履く。


「邪魔よ、私は今から出かけます。主のいない屋敷に残りたいという無作法を行うのならば、正式に苦情を出すとしますよ」

「は、ハッ! で、では我々はこれで!」


 二人の男は、下げた頭をさらに深く落とし足早に屋敷の玄関から立ち去っていく。

 美李奈はそんな男たちの背中を見ることもなく、軒先を越えて、周囲を見渡す。

 

幸いというべきなのかはわからないが、美李奈たちが住む区画はほぼ無傷であり、多くの人々はそこが安全圏内であると判断したのかどっと人が押し寄せ、近くの小学校や中学校の体育館は避難民で箱詰めになっていた。


さらに、美李奈は遠くを見つめる。それはスーパーなどが立ち並んでいた市街地の方角であった。その上空を無数のヘリが埋め尽くし、それと同時に工事の轟音が肌を叩くように伝わる。

 ≪マーウォルス≫、≪ウェヌス≫による配慮のない戦いは、確かに無数の≪ヴァーミリオン≫を殲滅し、圧倒的な強さを見せつけて戦闘を終えた。

 デモストレーションとしては大成功だったのは間違いないだろう。ニュースでしつこいぐらいに流れる龍常院グループが創設した『ユノ』という組織の宣伝はもう何十回と二体の巨人の戦果を映していた。


「……気に入りませんね」


 だが、その背後で生じた惨状は露骨な程に報道がされていない。あらゆるメディアでの情報規制が敷かれ、それこそこの手の話題に聡いネット関連であっても不自然な程に龍常院を称える情報が多く、街の被害に追及するものはごくわずかであった。


 たった一日である

 それだけで世論は龍常院グループを『救世主』と評し始めたのだ。


 美李奈は戦闘の余波で生じたであろう道路のひび割れをなぞるように見つめ、何となしにその後を追うように歩を進める。

 その先はいつぞやの商店街へとつながっていた。以前立ち寄った時は、件のスーパーが臨時休業であった為に早い時間であっても人があふれてい たが、今回はガランとしており、店のいくつかも人の気配はなかった。

 商店街の通路を覆う半透明の屋根には所々に穴が開き、崩れた破片が通路に散乱していた。


「……お肉屋はどうなったのかしら」


 そういえば、あの店のコロッケは結局買えずじまいだったことを思い出した美李奈はほぼ無意識のままその店先まで足を運ぶ。

 やはり人の気配なく、暗い店内は寂しい空気が流れていた。

 美李奈は再び商店街を見渡した。生暖かい風が通り抜ける以外に変化はなく、死んだような光景は言い知れぬ空虚感を抱かせる。


「これでは廃墟と変わらないでしょうに」


 遠くでは相変わらず瓦礫の撤去作業の轟音が響いていた。その度に美李奈の足下に転がる小さな破片がカタカタと揺れ、誰もいない商店街に耳障りな害音だけが反響していく。

 人の気配のない街並みとはこれほどまでに恐ろしく、むなしいものだとは思わなかった。


 幼い頃、まだ豪邸に住んでいた頃に夜中の通路ですら使用人たちが控え、ぼんやりとした明かりが灯された空間を知る美李奈は、無人という空間をある意味では初めて体験したのかもしれない。


 人の気配もなく、小動物の気配もない、避難区域に指定されているわけでもないこの区画でここまで人がいないという事実は美李奈には耐えられないものであるし、理解の出来ないものであった。


 この地域の人々はどうあれ強くたくましいと思っていたのだから……


「このような有様を作った原因は私にもあるということ……」


 美李奈は、あの日……バカンスの終わりの日に執事と共に誓った言葉を思い出す。

 もう決して無辜の民を悲しませるようなことはしないと、非道を許すわけにはいかないと……そう誓ったはずなのに、美李奈の目の前に広がる光景はどうだ。非道を許すなどと偉そうな事を言っておいて、この状況を見過ごしたのは他ならぬ自分自身ではないか。


「私が倒れたばかりに、このような!」


 ぎりっと奥歯が擦れる。爪が食い込む程に拳が握られ、美李奈のしなやかな腕が怒りに打ち震える。


「あら! まぁまぁ!」


 突然、甲高い声が無人の商店街に響く。その声は撤去作業の轟音の中でもキンと耳に響く音であり、その聞きなれた声に美李奈はハッとなってその主の方へと視線を向けた。


「やぁぁぁっぱりこんなうらぶれた場所にいたのですね!」


 商店街の出入り口付近、差し掛かった日差しが逆光となり、その小さな人影を認識するのに少し時間を有してしまった。

 その影は腕を組み、ロールされた金色の髪をゆっさゆっさと揺らしながら、大股で、肩で風を切るように突き進んでくる。


「麗美さん?」


 その人影は、まぎれもなく於呂ヶ崎麗美であった。

 いつもの自信過剰気味な笑みを浮かべた麗美は近づくたびに美李奈を見上げる形となり、遂には目と鼻の先までの距離へと寄っていく。


「なんだかお久しぶりね、ミーナさん。ちょっとお茶に付き合いなさいな」


 麗美はパチリとウィンクをして、「拒否権はありませんわよ」と付け加えるとスカートを舞い上がらせるようにターンをしてまたづかづかと大股で出入り口へと歩いていく。

 いつもなら、ここで一言二言も麗美に何か言葉をかけてやる所だが、美李奈はそんな気分にもなれず、黙って麗美の後ろをついていく。


 黒光りするリムジンを停車させていた麗美はさっさと乗り込んでしまい、窓に肘をおいて誰も通らない道路をじっと眺めていた。


「早く乗りなさいな。冷房、つけてるんですから」

「そうね、そうさせてもらいましょうか」


 美李奈は頷き、微苦笑をしながら麗美の隣に座る。そくさと控えていた麗美の使用人がドアを閉めると、リムジンはゆっくりと発進した。

 都心部の中央、於呂ヶ崎が管理する区画に付くまでの間、車中は、冷房の効き過ぎなぐらいにひんやりとしていて、そして車のエンジン音だけが響いていた。



***



 クラシカルな音楽が流れるゆったりとした空間とアンティークが置かれた店は於呂ヶ崎グループ御用達の高級なカフェであり、一杯数千もするような驚きの紅茶やコーヒーが並ぶような場所である。

 美李奈と麗美がその店に入ると、マスターと思しき初老の男が二人を迎え入れ、中央のテーブルへと案内する。

 店内に他の客の姿はない。それは先の戦闘の影響というよりは、麗美が事前に貸し切りにしていたからなのだが、それを美李奈が知る由はない。


「マスター、いつものを。彼女にもね」


 初老のマスターは軽く会釈をするとカウンター兼厨房に姿を消した。

 二人の少女は向かいあい座ると、奇妙な沈黙が流れた。


「ミーナさんとお茶をするなんていつ以来かしら?」


 お冷のグラスのふちをなぞりながら、麗美は瞳を閉じて幼い頃の記憶に思いめぐらせていた。


「そうですねぇ……まだ二人とも小さかった……思えば、麗美さんとのお茶会だなんて一回だけでしたわね」


 美李奈もフッと微笑を浮かべてかつての、まだ令嬢として何不自由なく暮らしていた頃の思い出をよみがえらせていた。

 豪邸の庭で、遊びに来ていた麗美と共に純白の椅子に腰かけ、花々が彩るテラスでケーキをとりわけながら、大人ぶってコーヒーを飲んで、あまりにも苦かったから砂糖を入れ過ぎたら今度は甘すぎて……二人して笑いあった記憶がある。


「どうぞ」


 ちょうどよいタイミングを見計らってマスターが二人に紅茶を配る。香りが引き立つ最適な温度で注がれた紅茶は宝石のように輝き、その表面に二人の少女を映し出した。

 二人は同時にカップを手に取ると、一口飲みながら、また同時にカップを置いた。


「……いつまでそんな酷い顔をしているおつもり?」


 麗美の唐突な言葉に美李奈はきょとんとした顔で麗美を見つめた。

 いつも不敵な笑みを浮かべているか、ぷりぷりと怒っているか、はたまたは婚約者の蓮司に冷たい態度を取られて落ち込んでいるかの三択である麗美の表情は、今回ばかりは真剣なまなざしで美李奈を見つめていた。


「そんなに酷いかしら?」


 美李奈は思わず、両手で頬を抑えて顔をうつむかせる。


「えぇ、酷いも酷いですわ。いっつも憎たらしい余裕の表情を浮かべているミーナさんが、いじいじうじうじと落ち込んでいるだなんて気持ちが悪くてしかたありませんわ」


 よほどの言い様であったが、美李奈は言い返す言葉を持たなかった。麗美の言葉は、的確な程に今の美李奈の状況を語っているからだ。

 それを美李奈自身も理解している為に、何も言わない、言えない。


「ま・さ・か! と思いますけど!」


 ダンッとテーブルを叩く麗美。しかし叩きつけた手の方が痛かったらしく「いっ!」と小さな悲鳴が上がった。

 しかし、麗美はすぐさまキッと美李奈の顔を睨むようにして覗き込むと、早口でまくしたてる。


「街が壊れた原因が自分にあると思っているのではなくて!? そうだとすればそれはとんでもない思い過ごし、とんでもない思い上がりですわ! あなたがそんな風に思っているのなら私はどうだというのです! ユースティアは健在であるのにも関わらず先の戦いでは出撃もできず、黙ってあのものたちの勝手を眺めていた私はとんなお間抜けじゃないですか!」


 美李奈は麗美の言葉を黙って受け止めるしかなかった。彼女の言葉はまだ止まらない様子だったから。


「アストレアの修復はもう間もなく終わります! 感謝してくださいまし、うちの作業員たちが寝ずの突貫作業でございましてよ! ボディに傷一つなくワックスもかけましたからね! いいですか! あなたは戦う牙がなかったのですから、街がどうとか自分の責任を勝手に背負い込まないでください! その責任を背負うべきはあのものたちでございましょう!?」


 聞きようによっては無責任な責任転換ともとれるような言葉だが、麗美は本気でそう思っている様子だった。


 それが、於呂ヶ崎麗美という少女だ。思ったことはずけずけというし、遠慮がない。配慮も足りないが、決して間違ったことは言わない少女。児戯に等しい正論を振りかざして、穴を指摘されればムキになるか、めそめそと落ち込む可愛らしい少女。

 そんな少女が、あれやこれやと言葉を模索して自分を慰めようとしているのか、鼓舞しているのか……それを思うと、美李奈は不思議と笑いがこみあげてしまう。


「……何がおかしいのです?」


 目を細め、不機嫌な声をあげる麗美は乗り出して体を椅子に戻して、紅茶を啜る。しゃべりすぎて喉が渇いてしまったのだ。ついでにちょっと喉も痛い。


「いいですかミーナさん! そもそもヴァーミリオンとの戦いは私たちが初めたことでしてよ! それを後からきた者たちが大きな顔して横取りするなど納得がいきませんわ! そうは思わなくて! いいえ思うはずだわ!」


 再び立ち上がり、左手を腰にあて、右手の人差し指を美李奈に向ける麗美。何かと忙しい少女はその態勢のまま、高らかな宣言を行う。


「いいですこと! 新参者たちに誰が一番ヴァーミリオンを熟知しているのかを知らしめてやるのです! えぇ一度の不覚は許してあげましょう。私、心が広いので。ですから、ミーナさん……」


 麗美が最後の言葉を投げかけようとした瞬間、美李奈はカップの紅茶を飲み干してゆったりとそれを降ろしていた。

 ただそれだけの動作なのに、麗美は思わず言葉を止めてしまい、美李奈を見つめるしかなかった。

 美李奈はニコリと笑みを浮かべながら、姿勢を正し、


「その通りね、麗美さん」


 と、笑顔のまま、凛とした声で言った。


「私としたことが、少しナーバスになってしまったようですわ。フフフ、アストレアで戦えないことがこんなにも『悔しい』などとは今まで思ったことありませんもの」


 そう語る美李奈の表情は不敵な笑みへと変わっていた。それは、麗美がいつも見ている美李奈のいつもの顔だった。


「私たちがなすべきはヴァーミリオンを打ち払い、人々を守ること……民の安寧を保つことこそ、力を持った私たちの役目……」


 美李奈はスッと立ち上がると、麗美のすぐ隣まで移動した。


「で、あるならば例え膝をつこうとも立たねばならないのは必定。龍常院が力のみを行使するのであれば、我らはそれを否定します。力のありようを理解せずに振り回すなど、蛮族の行い……守護者の行うべき行為ではありませんわ」

「そ、その通りでございましてよ!」


 麗美は慌てて立ち上がると、じっと美李奈の視線と向き合う。


「私たちは民を守るべく剣を取った者同士ですわ! 民を傷つけてまで敵を倒そうなどという行いは決して許されませんわ!」

「ならば、誓いましょう麗美。私たちが行うべきこと、示すべき道を」


 いつしか美李奈は麗美に右手を差し出していた。麗美もそれをゆったりと握り返す。


『私たちは非道を許さない』


 重なり合った声はクラシックの音楽に乗り、店内に浸透していった。

 二人の少女を照らすように、太陽の光が玄関の窓から差し込む。

 美李奈はニコリと笑い、麗美は顔を赤くしてぷいっとそっぽを向いて、そくさと握りしめていた手を離して後ろ手に組む。

 それでも麗美は暫くすれば気の抜けたような笑みを浮かべて、席に座った。カップを持ち上げて、美李奈に目配せをして、「おかわり、するでしょ?」と問いかけながら、少し冷めてしまった紅茶を飲み干す。


「えぇ、ぜひ」


 美李奈も向かいに座り、マスターの運んできたポットから新しい紅茶を注ぐ。

 少女たちの誓いの茶会は、まだ始まったばかりだから。

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