四章 乙女の花道
第50話 乙女の城
於呂ヶ崎の所有する大型ヘリは金にものを言わせて作った空飛ぶリムジンともいえる。その飛び方は揺れを感じさせず、よほど機体を傾けない限りはグラスからワインがこぼれることもなく、給仕をする使用人たちが態勢を崩すこともない。用意された真っ白なソファーは光沢を放ち、敷き詰められた絨毯はさながらホテルの一室でもあった。
ヨーロピアンな家具の一式を取りそろえたその空間にいる於呂ヶ崎亮二郎はあられの袋に手を突っ込み、そのままバリバリと頬張るといういつもの姿でいつも以上の仏頂面を浮かべていた。
「こぼれていますよ」
ソファーに腰掛ける亮二郎のすぐ後ろに控えている老執事は小さく咳ばらいをして指摘するが、亮二郎は「フン」と鼻を鳴らして、塩のついた指をなめとり、踏ん反り変えるようにして不服の意を伝えた。
老執事はやれやれという具合に首を振り、ちらっとヘリの窓から外を眺める。空には報道機関のヘリが数台、海には無数の艦船が『巨大な城』に押し寄せている光景があった。同時にヘリの上空には≪エイレーン≫が飛び交い、まるでこちらを監視するかのように旋回飛行を続けていた。
「まぁ機嫌を損ねるのもわかりますが、このように目視できるのですからよいではないですか」
『巨大な城』の出現から既に丸一日が経過している。出現と同時に真っ先に動いたのは『ユノ』であった。それはまるで城の出現を予見していたかのように迅速で、即≪エイレーン≫部隊の派遣、即関係機関との共同調査という名目で海域を占領していた。この事で後れを取った亮二郎は子供のようにふてくされて今に至るということだ。空域からの接近が海域よりも緩いのは上空を飛ぶ≪エイレーン≫の護衛という存在も大きいが、不明物を調査する『ユノ』という宣伝によるところも大きい。
「しかし、大きな城でございますなぁ……あ、いや戦艦ですか?」
「どっちでも、おのれ龍常院め……彼奴等は何をどこまで知っておるのだ」
このところの亮二郎の口癖である。それを言い出した所で何かが解決するわけでもないが、亮二郎としては言わずには言われない言葉であった。亮二郎は残りが少なくなったあられの袋から直接口に流し込むようにして頬張ると、咀嚼をしながら老執事に割り込むようにして窓をの外を眺めた。
「いつか話していた真道の金の流れ……恐らくその正体はあれだな」
「でしょうなぁ。素人が見てもわかります、あれは恐らくアストレアらと同じ技術でしょう」
雰囲気とでもいうのだろうか、人型のマシーンと城のような戦艦というまるっきり違う存在であっても表面的な作りというものにはどこかしら類似点というものは出てくる。少なくとも老執事にはその城の存在が≪アストレア≫たちのようなマシーンと同じものに映った。
それは亮二郎も同じであり、「真道め、こんなものまで」と唸るように呟いた。
「おい、あれは空を飛ぶのか?」
「さぁて、技術的なことまでは何とも……ですが、戦艦のようなヴァーミリオンが出現し、海底からあのようなものが出てきたことを考えれば宇宙でも問題なく行けるようには作ってあるのではないですか?」
唐突な質問を投げかけられても動じないのがこの老執事だ。そのような問答は慣れっこである。
「宇宙か……だが、十六年前にはこんなものは見たことも聞いたこともない」
亮二郎は見えるはずもない宇宙を仰ぐようにして視線を上に向けた。満天とは言い難い星空、月夜に照らされた雲が淡い光を放ちながら立ち込めている。宇宙は無限の開拓地などという言葉をいつだった聞いたことがある。それは、若い頃の亮二郎、そして一矢の旺盛な好奇心をくすぐり、足並みをそろえるようにして宇宙開発に身を乗り出していた。
シャトルを作る、衛星を飛ばす、宇宙ステーションを作る、月に住居を作る、火星のテラフォーミング……夢想、空想をないまぜにしながらも本気でそれらに取り掛かっていた若き頃を思い出しながら、亮二郎は溜息をつく。
そんなバカなことをやっていたのは十六年前だ。そして、それは親友との別れの年にもなった。宇宙開発事業の凍結、狂ったように技術者を集めた親友、そして「侵略者が来る」と警告を残し、マシーンを作りだした男……そして真道という世界に名を轟かせた家の没落。
嵐のような記憶をたどれば、亮二郎の記憶にあるのは未完成だった≪アストレア≫の姿である。
「まだ完成していなかったのでしょう。そもそも出現と同時にヴァーミリオンを迎撃したと聞きますし、やはりそれに対応するように作られたマシーンということですよ」
「気に入らんな……」
見飽きたというように亮二郎は窓から離れて再びソファーに腰を降ろし、「すべては真道の奴の予見通りということだ」と、苦々しい口調で言った。それは、若い頃から真道一矢という男に向けていた純粋な嫉妬であり、今になってそれがぶり返してきたことを亮二郎は自覚していた。
奴は昔からそうだった。全てを達観していて、見透かしていて、先見の明があって……故にそんな男の興した家が潰えると聞いた時は何の冗談かとも思った。だが、実際はどうだ。大富豪、真道家は潰えたがその粒は残り、そして今なお真道の城は健在であった。宇宙からの侵略者という脅威に対しての備えもある。
つまる所、真道一矢という男は全てを理解していたのだ。何が起きるのか、どうすればよいのかを理解したうえで、捨てるものを捨てたのだ。それを信じることができなかった当時の自分を殴ってやりたくもなる。そのツケが今になって回ってきたのだ。
しかし、だとすれば、気がかりもある。
(あの男が孫娘を苦境に放り込むだろうか?)
マシーンを用意し、戦艦を用意し、全てを予見していた男が孫娘のその後を予見していないはずがない。あの男ならば、かつての生活は行えずとも、孫娘に苦労をかけるような生活は強いることはないはずである。それが肉親の情でもあるし、務めでもある。
ともすればすべてをかなぐり捨ててもでも打ち払わなければならないほどに≪ヴァーミリオン≫という存在は強大なのだろうか?
(いや、だとしても……だからこそ、真道が全てを伝えなかったことの理由にはならんはずだ)
目を瞑り、思案に更ける。ヘリのローター音は最新の技術で内部に響くことなく、静かなものだった。
「……おい」
「なんです?」
「真道の遺産を食いつぶした虫どもを至急調べろ」
「かしこまりました」
老執事が操縦席へと向かい、無線機を通じて屋敷の使用人たちに連絡を送る姿を眺めながら、亮二郎は自分でもずいぶんと飛躍した理論にたどり着いたなと苦笑していた。
「今に思えば、俺は真実を知らなさすぎた……知ろうともしなかったな……」
親友であり、ライバルであり、兄弟同然のように切磋琢磨しあってきた相手。そんな男の呆気ない、哀れな最後を認めることなどできずにくすぶっていた。らしくないと言い訳をして、見ないふりをしてきた。世界に名を轟かせた真道という家の莫大な資産がたかがマシーン一体、戦艦一隻で潰えるはずがない。美李奈という少女一人が極貧に陥るはずもないのだ。
いくら真道の分家、親族が虫のようによってたかろうとも、食いつぶせる程のものではない。
「旦那様、ご報告が」
思案を遮るように老執事がやってくる。
「なんだ?」と亮二郎は短くいった。
「真道様ですが、ご兄弟はおられたのですか?」
***
「遂に……来たか」
龍常院銀郎は明かりもつけずに自室にこもっていた。木彫りの椅子はギシッと音を立て、銀郎の躯体を支える。机にはバーボンの酒瓶とグラスが置かれているが、銀郎は一口も飲んではいなかった。時折、備え付けられたPCに部下たちからの報告書のファイルが送られてくるがそれらも未だに目を通してはいなかった。
いや、通さなくてもわかるのだ。半日前より出現した巨大な城のような戦艦。その調査結果の事であると銀郎は理解していた。それこそが己が探し求めていた代物なのだから。
「よもや自ら姿を見せるとはな……」
ゆったりと腕を動かしながら、PCを操作するといくつかの画像と動画のファイルが表示される。そこに移るのは件の戦艦であった。それを眺めながら銀郎は微笑とも苦笑とも取れる曖昧な笑みを浮かべ、直後に表情を消した。
(マーウォルス、ウェヌス、ミネルヴァ、エイレーン……そしてユピテルカイザー。奴の残した下らぬガラクタとは質が違う。十数年の歳月をかけ、研究と回収を続けてきたマシーンどもだ)
銀郎の脳裏に浮かび上がるのは自身が今まで作らせてきたマシーンの姿であった。どれも一騎当千の性能を誇り、互いの欠点を補い、あらゆる環境下に対応できるように設計し、開発してきたものだ。今までに出現してきた≪ヴァーミリオン≫など、敵ではない無双の力を誇るマシーンたちである。
なぜならそのように作らせたから、そのようになるように作ってきたのだから。
(世界は導くのはこの私だ。真道の手ではない。この私が行うのだ)
銀郎は椅子から立ち上がるとウールのコートを羽織った。暗闇の中、ゆらりと幽鬼のように歩きだし、扉を開ける。その両脇には警備員たちがおり、主の退室に合わせて足並みのそろった敬礼をする。
銀郎はそんなことになど目もくれずに、通路を歩いていく。神殿のような作りのその通路は靴の踵が当たる度に甲高い音を響かせた。
行き着く先は仰々しい石造りのような見た目をした扉である。それが開かれれば内部に広がるのは古の神殿とは打って変わった近未来のような機械が詰まった『ユノ』の指令室であった。無数のオペレーターたちがせわしなくうごめき、ありとあらゆる情報が飛び交う世界の守りの要、そして己の城。
「聞け」
司令台へと上った銀郎の一声により、その空間は一瞬にして静寂に包まれる。スタッフたちはみな一斉に頭上にある司令台を見上げ、そこに立つ主の姿に注目する。
「諸君らが今日まで働いてきたのはもちろん、我らが母なる星を侵略者の魔の手から守る為であるのは改めて言う必要もないだろう。諸君らは私の言葉通りに実務を行い、マシーンを作り上げ、今日までに実戦も行ってきた。だが、それはこれより始まる真なる戦いの余興であったことを知ってもらいたい。諸君らも知っての通り、半日前より太平洋に浮上した箱舟は、その戦いの撃鉄を降ろし、鐘を鳴らしたのである。それは、深淵の宇宙より着たる血染めの悪魔……それを焼き払わんとする神の業火である。中にはその神の炎を恐れるものもいるかもしれんが、あの船こそが人類の希望の象徴であることを理解してほしい」
語り続ける銀郎の言葉には威厳があり、スタッフにその言葉一つを突き刺し、植えつけるように投げかけられていく。
「なぜ私が神々の名を冠したマシーンと組織を作り上げたのか、今日まで共に戦ってきた諸君らであれば理解してくれていると思うが、悪魔を打ち払うのはいつも神である。これは数多の神話で語られる通りであり、我らはその神の如き力を振るうべく、立ち上がった戦士であるという自覚を持ってもらいたい。敵は、ヴァーミリオンは未だその正体のつかめぬ存在である。正体がわからぬというのは恐ろしいことである。底がなく、姿も曖昧である恐怖は私も感じているが、決して打ち払えぬものではない。現に我らのマシーンは先の戦いにおいて巨大なヴァーミリオンを打ち砕いて見せたのだ。で、あるならば恐れることなどない。いかに不明な敵であろうと我らの機神は常に勝利をもたらすのだから」
その演説は『ユノ』の施設内全てに轟いていた。それは格納庫にて待機する昌たちにも届いており、今なお戦艦を監視する≪エイレーン≫のパイロットたちにも届いていた。『ユノ』に携わる者で銀郎の言葉を聞かぬものはいない。銀郎はそれを理解したように、隅々までに轟くような声音を張った。
「これより我らユノは海底より浮上せし神の城を用いてヴァーミリオンとの戦いに挑む」
その静かな宣言は大いに『ユノ』のスタッフを沸かせた。銀郎が形ばかりの敬礼をすればスタッフは一丸となって返礼する。それを見下ろし、わずかばかりに満足げな笑みを浮かべた銀郎は司令台の椅子に座り、状況を見守る。中央の巨大モニターに映し出された巨大戦艦は今なお静寂を保ち、海上にぽつんと浮かんでいた。それはまるで主の帰りをまっているかのようであった。
「真道の最後の遺産……いや、俺たちの城……」
無意識のうちに外に漏れていた言葉は誰に聞かれるわけでもなく激務に戻ったスタッフたちの声でかき消された。
「お前如きにはやらせんよ。一矢……真道の家は潰えた。俺からすべてを奪った真道の家はな。だが、貴様の残した城は俺が使う。俺こそが真の道を歩むべき男なのだからな……」
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