第57話 乙女包囲網

「先手を取られましたなぁ」


 執務室から外の様子を覗きながら、於呂ヶ崎亮二郎付きの老執事はのんびりとした口調で言った。

 屋敷の外には重火器を手にした兵士が大勢群がり、空には攻撃用ヘリが三機編成で旋回していた。既に屋敷内にも兵士たちは入り込み、各フロアを制圧しているとの報告がある。於呂ヶ崎家にもボディーガードはいるが、重火器と航空兵器に生身で立ち回れるようなものは残念ながらいない。

 この老執事もかつては名うての傭兵として……という過去はなく、単なる使用人だ。もちろん拳銃にだって触れたことはない。


「自衛隊ですな。守るべき国民に銃口を突きつけるのは彼らとて忍びないでしょうが、お上の命令には歯向かえないのが日本人の悪い点でございますな」


 包囲は突然だった。彼らはヘリのローター音で目が覚めた。それは市内全域の住民も同じだ。

 亮二郎が目を覚ましまず初めに聞いたのは工業区画が包囲されたとの報告だった。それを聞いた矢先には屋敷内に兵士たちが続々と、雪崩のように入り込んでいた。

 使用人たちに一切の危害はないが、各方向から武器が向けられているというのはあまり良い気分ではない。

 この突然の状況の中で、亮二郎はいつものようにソファーに腰掛け、憮然とした面持ちで状況を見守っていた。


「いやはや後ろ盾の多さには舌を巻きますな。流石は世界の軍需産業をまとめようという龍常院。やり方が制圧前進でありますな」

「なぜ見抜けなかった?」


 このような大規模行動が展開されるのであれば、その情報は於呂ヶ崎にもそれとなく入ってくるものだ。軍事方面において、於呂ヶ崎家は龍常院程ではないせよ影響力がある。患部連中にだって知った顔はあるし、防衛省にだってつてはある。


「金の力か権力の力か。はは、今の総理は押しに弱いですからなぁ。大方、押し込まれたのでしょう」


 老執事は窓を眺めるのを止めて、自分のデスクへと戻る。設置されたPCには続々と情報が入りこんでいた。殆どはフロアの制圧がどれほど進んだかを使用人たちが伝えてきているだけだが。

 外では新たにヘリが二機駆けつけていた。屋敷内の騒動もさらに加速していく。兵士たちの制圧がここにまで迫っているという証拠だ。この状況に置いて亮二郎は使用人たちに抵抗を禁じた。むろん連中が引き金を引くなどという凶行に出ればその限りではないが、今は彼らの身の安全を確保しなければならなかった。


「ユースティア、アストレア共に制圧されたようです。まぁ破壊も操縦もできないので放置でしょうが」

「麗美たちの方はどうだ?」

「麗美お嬢様は学園にて待機中でございます。彼らも公共機関にはそうやすやすと手を出せんのでしょう。しかし、今朝から美李奈様のお姿がお屋敷にも確認できないとのことです」

「ちっ……なりふり構わんということか……」

「この豪快な手腕……やはり真道の人間ですな。一矢様にそっくりでいらっしゃる」

「頑固なのもな。真道の人間は融通が利かんわけではないが……しかし、一矢の阿呆め。そんな話は聞いてなかったぞ」


 亮二郎はデスクに置かれた冊子の束を手に取った。気になり、これまでに調べさせたある男の情報のまとめである。一枚目の定例文を捲るとまず目に入るのは家系図だ。

 『真道家・家系図』と記されたそれは真道美李奈から上の世代にさかのぼっていた。美李奈の父親筋を辿り、祖父一矢の名前を見つける。その隣、家系からは断絶された記号と線を目で追っていけばそこには「正行」という名が記されていた。


「誰だこいつ。聞いたこともないわ」

「それはまぁそうでしょうな。一矢様がまだ小学校に上がる前に家を飛び出したと調べがついていますし。旦那様が一矢様とお会いになられたのは中学の頃でございますし……一矢様としてもあまり話したくない身内の恥部だったのでは?」

「フン、では奴はその恥部に殺されたということか。血の繋がった兄に裏切られたとでもいうのか……」

「それは……」


 老執事は言葉を詰まらせる。これまでの調査でおぼろげながらわかってきたことは、真道家の没落の真相と龍常院が持つ技術力の出どころである。そしてそれをまとめる過程で亮二郎は一つの結論にたどり着いていた。

 それは彼自身、到底許せないことでもあったし、親友の無念はいかほどのものだったか……


「龍常院銀郎などとふざけた名前を名乗り、奴は……一矢の全てを根こそぎ奪い、そしてその孫娘まで貶めたというのか!」


 机を力いっぱいに叩きつけると同時に仰々しい扉が蹴破られる。ぞろぞろと銃を構えた兵士たちが侵入してくるのを亮二郎は無言で睨みつけていた。


 ***


 『城』が浮上する。

 エンジンが唸りを上げ、海水を蒸発させながら巨体が重々しく、しかし確実に空へと舞い上がろうとしていた。

 『城』……否、≪ユノ・レギーナ≫の巨大庭園にも似た艦板の上には≪ユピテルカイザー≫が王の如き偉容で立ち、その傍らに控えるように≪マーウォルス≫、≪ウェヌス≫、≪ミネルヴァ≫が傅く。

 ≪ユノ・レギーナ≫の側面には五機の≪エイレーン≫が護衛という形でついているが、早々に限界高度に達してしまい、離脱していく。

 その様子をモニターで眺めていた銀郎……正行は小さく、しかし満足げに笑みを浮かべた。


「どうだね、地球最後の希望。王の城の浮上だ。一矢の残した遺産の中でもまぁ、確かに使えるマシーンではある。流石に戦艦をいちから作るのは時間がかかるのでな」


 正行は使用人に用意させた洋菓子入りの軽く押し出しながら、美李奈に振り向く。

 美李奈はドレス姿のまま一輪の花の如くそこにいたが、美しい花弁以上に棘が目立つバラのような雰囲気を纏っていた。


「食べないのか? 一袋二千円のものだ」

「結構ですわ」


 美李奈は睨むわけでも、悲しむわけでも、ましてや恐怖するわけでもなく無感情に正行を見つめる。

 この男が大叔父様にあたる。それは少し理解の外にあった。突然の事だったというのもあるが、生き別れの兄がいるなどとお爺様は話してくださらなかった。


「一体、何をなさるおつもりですの? かような戦艦で世界を征服なさるおつもりですか?」

「それはそれで魅力的だが、武力による制圧など無駄だよ。所詮反感を買い、反抗される。それを鎮圧するにしても時間と金がかかる。いつしかその波は大きなうねりとなりとりかえしがつかなくなる」


 正行はウィスキーの入ったグラスを呷りながら、一息つけた。


「社会を裏から操る方が私好みだな。まぁ、そんなことをして何になるのかはさっぱりだがな……」

「あなたはいつも裏からしか物事をなさらないのですね」


 この男は老獪などと呼ばれる以前からして表舞台に姿を現すことが極端に少なかった。龍常院グループと言われればその正体を知るものはおらず、彼の息子の世代でやっと内部事情が明らかになったぐらいだ。

 しかしそれでも龍常院の運営の影には正行があり、彼の意のままであるというのはその道を歩むものにとっては有名な話だ。傘下の企業であれ、つながりを持つ政治家であれ、龍常院に関わる存在は全て正行によって管理されていたと言ってもいい。

 美李奈もまたそのような話を聞いたことはあった。あいにくと幼い頃に家が没落してからはとんとその関係には関心を引くこともなくなり、言われるまでは思い出さない程にまで風化した記憶であったのだが。


「孫たちが死地に向かうというのに、涙の一つ、激励の一つも送らず、日中から酒を呷る。日陰者には似合いの姿ですが、仮にもあなたは祖父なのでしょう?」


 そんな美李奈の嫌味も正行は涼やかな顔で受け流す。


「昌には私の全てを叩き込んだつもりだ。軟弱なせがれとは違う。あいつは王だよ。生まれながらにしてな」

「所詮は学生でしょう?」

「それは君も同じだ、美李奈。たかが学生、しかも落ちぶれ貶められた家の娘。マシーンを操るには不相応だな。その気高い心は評価するが、そのようなみすぼらしい娘が地球の命運を背負うにはいささかヒロイックに欠ける」

「まぁおかしい。人を助ける為にドレスを着る必要はありませんわ」

「しかし着飾る必要はある。古来より戦士たちが過剰なまでの装飾を施してきたことにも理由があるようにな」


 部屋には沈黙が流れる。カタカタと小刻みな振動があるのは≪ユノ・レギーナ≫のエンジンの衝撃波が届いているのだ。


「なんといいますか、少し期待外れでした」


 美李奈は立ち上がり、ガラス張りの部屋の隅まで移動して空を見上げる。そこからは≪ユノ・レギーナ≫の後部が見えた。もう拳大にまで小さくなった船体を見つめながら、美李奈は溜息交じりに言った。


「世界に轟く龍常院の元締めがそのような俗物であったなどと」

「人間、一皮むければそのようなものだ。私は意地汚いし生き方も綺麗ではない。一代で龍常院などという架空の家を立ち上げる為には汚い金も使ってきた。だがな、それは真道とて、そして於呂ヶ崎とて同じだ。とやかく言われる筋合いはないということだな」

「そのお話はもう二度目です。無駄話はおやめになさってくださいな」


 ピクリと正行の眉が吊り上がるが、次の瞬間には「そうだったな。年は取りたくないものだ!」と喉の奥で笑う。


「だが気に入らんな。その真っすぐとした視線と態度。ますます一矢に似てきたな」


 一瞬にして低い声になる正行。別に脅そうとしているわけではない。それが本来の彼の声音なのだ。見た目の若作りに合わせて多少、声も意識しているが、それも中々に疲れる。ある意味で本来の時分に戻れるのは久々だった。


「放っておいても問題のない道端の草程度に思っていたが、真道の人間はなぜこうも私の前に立ちふさがるのか。宿命、因縁、オカルト染みてくるな。こうなるのなら、アストレアもあの時に破壊しておくのだったな。お前もさっさと学園から追い出すように仕向ければよかったと思うよ」

「……」


 美李奈は無言で振り返る。その視線は初めて正行に怒りの感情を込めていた。


「まさかとは思いましたが……あなただったのですか?」

「……」


 今度は正行が無言になる。言い淀んでいるのではない。沈黙が返答なのだ。


「我が真道の没落はアストレアの開発が原因……それだけではないとうすうす感じてはいました。あのユノ・レギーナなる戦艦の建造も行っていたとしても、それだけで傾く家ではありませんでした。宇宙産業の失敗とて、負債にはなれど、補えないものでもなかった……それなのに我が家は音を立てて崩れた……まさか、あなたが?」

「別に……私が直接手を下したわけではない。私以上に意地の汚い連中をそそのかしただけだ。実際に金を食いつぶしたのは分家の連中だよ。まぁ、奴らも金を食い尽くして消えていったがな」


 正行は淡々と説明しながら、新しくグラスにウィスキーを注いだ。


「アストレアの設計とヴァーミリオンのデータだけは有効に活用させてもらった。おかげで我がユノはアストレアを凌駕するマシーンを作り上げることが出来たし、ヴァーミリオンに対抗するすべも見つけた。一矢も最後には兄に孝行してくれたな」

「あなたという人は……!」

「勘違いするな」


 美李奈の言葉を遮るように正行の低く、唸るような声が室内に響く。


「それらのデータをよこしたのは一矢の方だ。兄ならばとでも思ったのかもしれんが、なぜ私が真道に手を貸さねばならんのだ。真道如きに地球を守るなどという偉業が果たせるわけがなかろうが」

 

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