第11話 乙女の休日・前編

 アストレアとヴァーミリオンの三度目の戦いから四日が経っていた。日曜である。


「気に入りませんわ!」


 扉を乱暴に押し開けながら、於呂ヶ崎麗美はずかずかと大股で赤いカーペットが敷かれた廊下を歩いていた。廊下には飾られた絵画や壷、均等につけられた窓に至るまで全てが最高級という徹底ぶりだったが、そんなもの麗美は見飽きている。

 その後ろでは数人の使用人たちが麗美を引き留めようとしているが、麗美はそんな言葉など聞き流していた。


「あの巨大なロボットが現れてから私の手がけた企画が全てぶち壊しですわ!」


 麗美は大股どころか、いかり肩になりつつあった。異様に長い廊下を突き進み、再び扉を壊すような勢いで開ける。

 ここ最近、彼女をイラつかせているのは、青いロボットと赤い巨人たちである。のんきな学園の生徒たちは三回にわたる戦闘をまるで娯楽番組でも見るかのように楽しんでいるし、わりと世論の評価も高い。


 それは、青いロボット(アストレアという名はまだ世間には広まってすらいない)のヒロイックな見た目とその行動であろう。身を挺して街を守り、被害を抑え戦いを徹底する。むろん、これらの評価は些細な事で逆転するだろうが、少なくとも今はまだ好意的に捉えられている。


 しかし、そんなことは麗美にはどうでも良いのだ。それよりも重要なのが、その三回の戦闘すべてにおいて、どういうわけか麗美が関わる全ての計画、その建造物や土地が被害に合っていることだった。


「私に恨みでもあるのかしら! えぇ、きっとそうに違いありませんわ!」


 一度目は、麗美が祖父や父におねだりして作らせてもらったレジャー施設の建設予定地での戦闘である。元々企画自体が最近になって始まったものであり、土地をならした以外は手を付けていない為に、大きな被害はなく良しとした。それでも土地の整地をやり直す羽目にはなるのだが。


 二度目はそれらの計画を取り仕切る関連企業のオフィスが赤い巨人のレーザーにより吹き飛んだことだ。幸い死傷者は出なかったが、データや書類関係は全て灰と化した。実はこの時点でレジャー施設の計画が振りだしに戻っていることを麗美は知らない。


 そして三度目。三度目は何が理由であろうと許す気はなかった。麗美の我慢ができなかったのは、やっと建設に入ったホテルへの被害である。今も、赤い巨人の無駄に太い腕が突き刺さり、それの撤去作業中であった。


「第一にあのような者たちの為に私の計画が全て水泡と化すだなんて耐えられませんわ!」


 ここまで偶然が重なれば、麗美のいらだちもある意味では正当なものなのかもしれない。


「お父様もお父様ですわ! 何が『いいじゃないか、また作り直せば』だなんて! そんな問題ではなくってよ! 私の沽券に関わるというのに!」


 別に、彼女自身が金を出しているわけでもないので、彼女自身の何かが傷つくということはないのだが、それはそれとして気に入らないことである。


「それにあんな得たいのしれないものがデカイ顔していること自体が気に入りませんわ!」


 ここまでくると殆どがやっかみでしかないのだが、麗美としては何でもいいのでいらだちを発散したいだけだった。今回の事にしてみれば、自分が関わるものに傷がつく、その原因がロボットたちの戦闘である、つまり気に入らないという単純な図式の下に成り立っているのだ。

 だが、今回はそれ以外にもアストレアやヴァーミリオン(もちろんこの名称も麗美は知らない)に対するいらだちはあった。それは、彼女の憧れの男性が今回の件で怪我をしたということだった。


 男の名は、霞城蓮司。自衛隊に所属する霞城家の三男坊であり、何を隠そう、彼女の婚約者だ。何かと家同士のきな臭いやり取りがあったという話も聞くが、麗美自身は蓮司のストイックさや家に縛られない生き方をするその姿勢に情愛の念を抱いており、結婚そのものには乗り気であった。そんな夫となる男が、久々のテレビ電話で顔にあざを作っていれば、麗美の頭の中は騒ぎにもなる。


 あれこれと事情を聞きだそうとしても、「任務だ」の一言で返されてしまったが、そんなそっけない態度もまた良い……というのは置いといても、彼女はそこで、蓮司が一人出撃し、赤い巨人ヴァーミリオンに果敢に挑んだというニュースを思い出した。つまりそこでできた傷なのだと。実際は命令無視の懲罰であったのだが、麗美がそれを知る由はない。


「あまつさえあのものたちは蓮司様も傷つけた! 許しませんわ、許しませんわ! そうでなくって!」


 いらだちが最高潮に達した麗美はその場で地団駄を踏み、キッと後ろについてくる使用人たちへと振り返り、同意を求める。執事もメイドもみな苦笑しながら頷くしかなかった。彼らは麗美の扱いを心得ていた。


 だが単純な麗美はそれでひとまずの満足をして、再び歩き始める。西洋の城とでもいうような長い廊下、その奥には虎だ、獅子だ、鷲だ、なんだかよくわからないがそういう猛獣が刻まれた、なんとも少々センスを疑う扉が見えてくる。これが祖父である、於呂ヶ崎亮二郎の趣味なのだ。


 そんな仰々しい扉を前に、麗美は先ほどまでの大暴れが嘘のように落ち着きを見せていた。二度、三度と深呼吸をして気分をさらに落ち着かせる。衣服の乱れもきっちりと正す。


「おじいさま、麗美です」


 獅子が咥えるノックハンドルを叩く。


『入れ』


 隣の虎の口が開き、重苦しい声が響いた。その瞬間、麗美も使用人たちも無意識のうちに姿勢を正していた。

 そして、扉が自動的に開かれる。鷲は……何も動かなかった。無駄に羽を広げてぎょろりとした目をこちらにむけてはいるが特に何もアクションはなかった。


「…………」


 開かれた扉の中、まず目に入るのはその最奥で窓の外を眺める老人の姿だろう。単着物に羽織をまとい、袴という和装の男は、西洋スタイルな屋敷には本来なら不釣り合いな見た目だが、有無を言わさない圧力がそれを容認させていた。


「……フン」


 亮二郎は麗美が入室したことを感じ取ると、振り返り、背後に控えていた使用人たちを顎でしゃくって、出ていけと指示を出した。先頭に立っていた年かさの執事はそれを受け取り、深々と礼をして、他の者たちを従え下がっていく。

 部屋には麗美と亮二郎だけが残された。


「よく来てくれた、可愛い麗美」


 亮二郎は六十五とどちらかといえば十六の孫を持つにはまだ若い。それに顔の掘りが深く、目元に皺がよっているが、鋭い眼光と銀色に見える白髪が実年齢より若く見せていた。

 亮二郎は杖をロココ調のソファーに立てかけると、麗美にも座るように促した。


「おじいさま、私はもう十六ですわ。そんな幼子のような……」


 麗美は、小さくお辞儀をしながらソファーに腰掛けるとそんな可愛らしい反抗を口にして見せた。亮二郎はそれをにこやかに受けると、「はっはっは! そうだったな、麗美もレディだ」と好々爺のように笑って見せた。


「さて、さっそく本題と行こうか。今日、お前を呼び出した理由は……いくつかあるが、まず初めに聞きたいことがある」

「なんでしょう?」


 祖父は口元の皺をなぞるように手を顔に当てていた。何か考えごとをする時は、彼はいつもそうする。


「麗美よ、学校はどうかね?」

「はい?」


 そんなことを聞くためだけに呼び出したのか? 麗美は呆気に取られたが、鋭く光る眼が、亮二郎の質問を真剣なものだと感じとった。


「え、えぇ! もちろん満足ですわ。おじいさまが理事長をなさっているのですし、我が於呂ヶ崎の誇りとなる学園でしてよ」

「ふむ……では家はどうかね? 敦も香苗さんも」


 敦と香苗は麗美の両親の名だ。


「何不自由なく、最高水準の生活……といえばよろしいかしら?」

「そうか……では、この街はどうかね?」


 『如月乃学園一帯の土地は於呂ヶ崎のもの』、そんな空気が周囲にはあった。

 所有権を持っているというわけではないが、事実として学園を始め、於呂ヶ崎の息がかかった施設やその経営者たちが多く住んでいる。むろん、学園に通う生徒の家族もいるのだが、密集具合としてはやはり関係者の方が多い。


 これがまた区画を変えると別の企業であったり、家であったりのグループに分かれる。土地に住む関係者たちの割合でその家の格の大きさが決まるとは暗黙に流れる認識であった。

 大人たちはそういうきな臭いやり取りを熱心にしており、土地から追い出す、追い出させるなどという時代錯誤も甚だしいやり取りもひそかに続いているという話もきく。


 しかし、一度その支配するグループの庇護が得られれば多少は安定もする。その安定を求めて傘下に加わる者たちも多く、それが結果的に勢力の拡大、維持に繋がるのだ。

 祖父も父も、そういった傘下にくるものを拒まず、それとは無関係な者たちも受け入れる。自分たちが面倒を見る事が、君臨したものの務めであるとは幼い頃から聞かされていた。


「好きではありませんわ。まぁ……すがるものたちを捨てる程、嫌悪しているわけでもありませんが、いい加減に権力であるとか、勢力であるとか、そんな中世の派閥争いのような真似は、私はしたくありませんわ」


 麗美自身は、そういった空気が好きではない。学園では自分の後をついて回る生徒たちもいるが、それで派閥を作ったわけでもなく勝手についてきているだけだ。ついてきて、慕う以上、その面倒を見てやるのが務めなのだから。

 まぁ、時折こういうグループ、派閥があって便利だなと感じたことはなくもないのが事実なのだが……


「ふむ……」


 孫娘の返答を聞いて、亮二郎は再び思案に入った。一方の麗美は、祖父の質問の意図がわからずもやもやとした感情が生まれていた。


「おじいさま! 私はおじいさまとの語らいは嫌いではありませんが、おじいさまが一体なにをお聞きになりたいのか、それが知りたいのです。この質問には、一体どんな意味があるのですか?」


 たまらず聞きだしてしまった麗美だが、亮二郎はそれを視線を向けるだけで制止させた。そうなると麗美も押し黙るしかなくなる。


「正直なものいいだな、麗美」

「ッ……ま、まぁ……その者たちのおかげで私たちの生活が潤いに満ちていることは事実です。それに報いるという意味では、彼らの生活を安定させるのも確かに務めだと思いますわ」


 その言葉は、どこか亮二郎に言わされたような感じもした。


「フフフ……でまかせではないな。口に出すというのは、思ってなくてならん。麗美にもそう感じるだけの気概があると見た」


 時折、祖父のこの遠回しな口調の意味が分からない時があるが、叱られているわけではないことだけは理解できた。


「世の中には、この姿勢を上から目線であると揶揄するものもいるが、そんなものは些細なものだ。放っておきなさい。しかし、事実として我々は上に立ってしまったのだ。勝手に下につくものたちがいるのだからそれは仕方のないことで、我々もそれを受け入れた。受け入れたからには責任も出てくる。いずれお前も、そしてお前の夫となる蓮司君にもその重荷を背負ってもらう必要があるのだが……まぁ、今はそれはよしとしよう」


 亮二郎は、立ち上がり杖を手に取ると、それで二度、床を小突いた。


『お呼びでしょうか、ご老公』


 その声はいつも祖父の傍で使えている執事の声であると麗美が気が付いた。


「麗美を連れ行く。支度をせい」

『ハッ』


 主従の短いやり取りが終わり、亮二郎は麗美へと視線を向ける。


「来なさい、麗美。私がお前を呼んだ理由、それを教えよう」



***



「これはこれは……」

「想像以上……ですわ」


 関口朋子と南雲静香はこんなボロ屋敷など初めて見たし、こんなひどい場所で人間が三人も暮らしていけることが信じられなかった。


 しかし、これでもずいぶんとマシになった方なんだと、綾子は説明したかったが、多分伝わらないし、理解もできないだろうなと思い、それはやめた。吹き飛んでいた屋根の代わりにブルーシートが貼られていた箇所はどうやら修理が済んでいたようだった。


「ほら、二人とも」


 呆気にとられる友人二人を催促しながら、綾子は手に持ったケーキの箱の中身が溶けていないか心配だった。


(ドライアイスもあるし、大丈夫よね?)


 綾子が手に持っているケーキは、彼女もかつてはテレビで取り上げられていたという記憶が残る有名な店の一品であった。まさかそんなものを自分の小遣いで買えるようになるなどとは思わなかったが、美味しいとは評判であった。


 彼女たちが美李奈の屋敷に訪れたのは、三日前の事である。戦闘を追えた美李奈だったが、結局置き忘れた内職のセットは既に撤去されていた。そんなものを見慣れない学園の生徒からすれば、ゴミにしか見えなかったらしい。


 そういうわけで、本来手に入るはずだった資金が途絶えてしまったらしい美李奈は、いつもの凛とした姿勢はどこへいったのか、目に見えて落ち込んでいる姿が学園で話題になった。

 それでも再び新しい内職を見つけてくるあたり、バイタリティーというものがある美李奈なのだが、食費の確保が難しいらしく、曰く楽しみの二百円のカップアイスがまた先延ばしになったとのことだった。どういう計算なのかは聞いてないが、六週間は食べられないとのことだった。


 別に二百円ぐらい……と綾子は言いたかったが、どうやら日持ちする食材を買ったり屋敷の修理や庭園(という名の小さな家庭菜園)の立て直しに結構な金額が飛んでいっているらしい。


「えぇと、呼び鈴はないんだった……」


 そういうわけでガラス部分がガムテームで補強された扉をノックする綾子。だが、一回ノックすると扉はフラッと倒れていく。


「え!」


 声を上げた瞬間、倒れかけた扉をボロのスーツを着こなした執事が玄関の前、すんでの所で受け止めていた。


「あぁ……申し訳ございません。扉の修理がまだ完了していないもので、取り敢えず立てかけてあるのです」


 執事はそう言いながら、扉を玄関横において、三人に頭を下げる。そのしぐさだけは完璧だった。なんとなく慣れている綾子はすぐに礼を返したが、残る二人はいまだに唖然としていた。彼女たちの執事でもこんなことはしないのだろうなと思った。


 三人はそのまま屋敷の中へと案内される。用意された室内スリッパがよく見かける来客用の緑色のビニールスリッパであるのは中々にシュールな光景だ。

 綾子は特に気にした様子もなくそれを履くのだが、朋子と静香は奇妙なものを見るような視線をスリッパに向けていた。


「ご安心ください。毎日消毒、除菌は済ませてあります」


 それを察した執事が付け加えると、二人は顔を見合わせ恐る恐るスリッパを履く。


「きついですわ」


 統一された大きさであるスリッパは往々にしてこういうことがある。静香にはそのスリッパが少し小さかったようだ。

 そうこうする間に三人は少しささくれの目立つ畳が敷かれた居間へと案内される。小さな丸テーブルに型の古いテレビ(一応デジタル放送に対応はしているようだが)、色のあせた座布団が用意されていた。


「あら、いらっしゃい」


 その丸テーブルの上座? に位置する場所には美李奈がガラスのコップで麦茶を飲んでいて、居間のすぐ傍、庭園が見える位置の縁側にはじいやである根室季吉が腰かけていた。

 季吉は綾子たちがやってきたことに気が付くと、正座をして、彼女たちにお辞儀をしてみせた。


「やや、これはこれは! みぃちゃんのお友達ですかな? 私は季吉と申します。そちらの綾子さんとは、以前お会いになりましたな。お久しぶりでございます」

「どうも、お久しぶりです。真道さん、ケーキ買ってきたんだけど……」

「まぁ、それは嬉しいですわ。セバスチャン、確か岡本夫人からいただいた緑茶の粉が……」

「それは私がいれよう」


 そういうと季吉はのっそりと立ち上がり、台所へと向かう。


「さぁさぁ、みなさんもお座りになって。昨日畳も座布団も天日干ししましたの」


 美李奈の表情はにこやかであった。


「フフフ、この屋敷に私と同年代の方がくるなんて、綾子さんだけでしたが、今日はご友人もいらっしゃるのね? 初めまして、私は真道美李奈……ご存知ですよね?」


 美李奈がそういうのは、自分の学園での噂を認識しているからだ。だから、学園の生徒であれば、自己紹介もこのように手短に名前だけを名乗ればあとは勝手に向うがどういう存在かを測ってくれる。


 そして、やはりというべき、朋子も静香も美李奈のあだ名は知っていたし、どういう人柄なのかはもちろん知っていた。しかし、いざこうやって直接対面すると、噂以上の少女であると実感する。着ているものも、この屋敷も、全てが彼女たちにとっては触れることも初めてな、それこそ世界の違うようなものであふれているというのに、美李奈のその佇まいは、自分たち以上に堂に入っていた。

 そんな乙女たちのお茶会は、季吉が緑茶を淹れた頃から始まったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る