第69話 乙女の血
美李奈は目の前に映り込む二体の赤い肉塊をどうして両親であると呟いたのか、それはわからなかった。それでもその二つから感じ取る違和感というものは美李奈にそのような錯覚を刷り込ませていた。
美李奈は自身でも気が付かないうちにアームレバーを握る手を緩めていたのだ。
「……!」
その気のゆるみをいかにして察知したのか、幽鬼のように立ち尽くす巨大な、赤い≪アストレア≫の両腕が蠢く。酷く緩慢な動きに見えたそれは、実際には素早く、動作と共に攻撃を繰り出していた。
赤い≪アストレア≫の両腕が千切れ飛ぶ。それは明らかに自分を狙っていた。
「うっ!」
いかに敵の攻撃が速かろうとも、それに反応できない美李奈ではない。
だが、この時の美李奈は気が緩んでいた。故に動作が一歩遅れてしまい、逃げることも迎撃することも敵わず、肉の塊の直撃を受けることになったのだ。
「あぁぁぁ!」
『こいつら、まとわりついて!』
撃ちだされた両腕は攻撃性能はないようで、べったりと≪アストレア≫に絡みつき、全身を覆った。まるでそれ自体が意思を持つかのようにうねうねとうごめき、≪アストレア≫を取り込もうとしているようにも見えた。
さらに肉の塊は硬質化し、≪アストレア≫の動きを完全に封じ込めていた。
『ミーナさん! 何をしてるの!』
美李奈の調子がいつもと違う。
そのことに気が付いた麗美はすぐさま駆け寄ろうとするのだが、それを遮るのは己の駆る≪ユースティア≫に似た巨大で赤い≪ユースティア≫であった。その巨体のどこにそんなスピードがあるのか、赤い≪ユースティア≫は一瞬にして、麗美の前に割り込み、血濡れた剣を振るう。
『させん!』
が、それを≪ミネルヴァ≫が防ぐ。≪ユースティア≫と同じ機構を持つ≪ミネルヴァ≫は自身も同じように両腕から剣を伸ばし、敵の攻撃を受け止めていたのだ。
しかし、純粋な体格差によるパワーは歴然としていた。もとよりパワー重視の設計ではない≪ミネルヴァ≫は攻撃を防ぐことで精いっぱいで、押し返すことができなかった。
『お兄様!』
その瞬間、麗美は美李奈か蓮司、どちらを助けるべきなのかを迷ってしまった。どちらも自分にとっては大切な人だ。その二人が同時に危機的状況に陥っていた。その混乱は操縦を鈍らせるには十分なものだった。
赤い≪ユースティア≫もまた目ざとく、隙を見せた麗美へとターゲットを変更していた。≪ミネルヴァ≫を蹴り飛ばし、その勢いのまま、麗美へと剣を振るう。
『ぼぅっとするな!』
弾かれながらも、蓮司は麗美へと怒鳴った。
それに反応するように麗美も≪ユースティア≫に防御の態勢を取らせるが、咄嗟のこと故にその防御は緩いものであった。勢いのまま弾かれる≪ユースティア≫、それめがけて赤い≪ユースティア≫は骨を内側から突き破るようにして、背部から砲台を生成する。
血の塊のようなビームが斉射され、次々と≪ユースティア≫へと直撃していく。その激震の中で、麗美は悲鳴を上げた。
「麗美さん!」
その光景を眺めることしかできない美李奈はアームレバーを押したり引いたりしてみるが、完全に固定された状態ではびくともしなかった。
執事がサブコクピットで出力調整を行っているが、それでも抜け出すことは不可能のように思えた。
≪アストレア≫を覆う肉の塊は徐々に侵食し、完全にこちらを包み込もうとしていた。
「両腕を振動させて!」
『了解です!』
自分にもダメージがあることを想定しながらも、美李奈は持ち前の決断力を取り戻しつつあった。この状況に置いて唯一使える武装はそれぐらいであると判断したのだ。
刹那、膨大な振動がコクピットを襲う。ゴリゴリと肉を削る音がコクピットに響き渡るが、一向に脱出が出来ているとは思えなかった。それどころか侵食はさらに加速しているのではないかと錯覚するほどだった。
「何が目的で!」
埋もれていく視界の中、美李奈は悠然と佇む赤い≪アストレア≫を睨みつけた。
だが、そこからは何も、読み解くことはできなかった。
***
「えぇい、しっちゃかめっちゃかにしてくれる!」
昌は状況が全て狂っていることにいら立っていた。
予想外の敵の出現は良いだろう。むしろ、敵が何かしらの奥の手を隠し持っていることは重々承知していた。故にこれは想定の範囲内だ。
しかしこうまで戦線が乱れるとは思っても見なかった。
「使い物にならない船の為に龍常院は資産の三分の一を失った!」
ドウッと≪ユピテルカイザー≫を前進させながら、昌は叫んだ。
目の前で余裕を見せつけるように立つ赤い≪アストレア≫に拳を叩き込もうとする。
貫手のように構えた右手が高速回転することで、≪ユピテルカイザー≫の拳の破壊力は格段に増す。ジェネレーター直結による出力も合わさり、スパニッシュナックル以上に貫通力と打撃力を持つこの拳はまさに必殺の一撃ともいえるものだ。
しかし、赤い≪アストレア≫は避けるそぶりも見せず、ゆっくりと右腕を掲げると、ドリル状の拳を易々と受け止めて見せたのだ。
ぎりぎりと削られていく右手は、しかし、同時に再生を始めていた。
「馬鹿が!」
スパニッシュナックルが通用していなかった時点で、昌はこの攻撃が通用しないことを悟っていた。この一撃は囮だ。
彼は既にエネルギーのチャージを完了させていた。≪ユピテルカイザー≫の胸部が禍々しく光輝く。
「消し飛べ、エンブレムズブレイザー!」
至近距離から放たれる黒と金色の渦が赤い≪アストレア≫を包み込む。膨大な衝撃と光量をまき散らしながら、吹き飛ばされていく赤い≪アストレア≫はその身を暴力の渦、その奔流に飲み込まれていく。
渦が消失すると同時に、数キロ離れた場所まで吹き飛ばされていた赤い≪アストレア≫は四肢の全てが吹き飛び、胴体部分だけが朽ち果てた状態で残っていた。
モニターを通してみても動く気配はない。
「朱璃、もう一つは捕捉出来ているな!」
『はい!』
返す刀で、昌は背後に位置する赤い≪ユースティア≫めがけて両腕を射出する。拳は回転させずに、掴みかかろうとする黒い腕。それから逃れるように赤い≪ユースティア≫は機体を翻し、上昇をかけようとしたが、その進行方向に赤い光が走る。
それは≪ユピテルカイザー≫の両目から放たれる牽制用のビームであった。そのビームに右肩を貫かれた赤い≪ユースティア≫はがくんと態勢を崩し、加速を失う。
そして真下から迫る黒い腕に頭部と右側の翼を掴まれてしまった。
「えぐり取れ!」
昌の号令と共に黒い腕、その拳が高速回転を始める。
瞬間、赤い≪ユースティア≫の頭部と右の翼はねじ切られ、えぐり取られていった。血しぶきように見えるのはオイルかはたまた本物の血液か、定かではない液体をまき散らしながら、赤い≪ユースティア≫はその肉体を抉り取られ、穿たれていく。
そして昌はそのゴミのようになった残骸を放り投げると、機体の両腕を戻す。
「フン、奇襲で手傷を負ったが、真正面からならばこちらが負ける道理はない……だが……」
昌はちらっと戦場を見渡す。
真っ先に映るのは先ほど自分が撃破した二体の残骸。そして、叩きのめされた≪アストレア≫たち三体、遥か後方では今だオーバーヒート状態の≪マーウォルス≫と茫然としている≪ウェヌス≫、そして機能の大半を失い、もはや船としても城としても運用できないであろう戦艦ユノのなれの果てが見えた。
「無様だな。あれがお爺様が追い求めた真道の遺産か……所詮は古いだけの骨とう品にすぎないというわけか……」
そして昌は前方に控える敵要塞を見据えようとした。
「だが、なんにせよ、王の機体、俺のカイザーであれば敵に負けることは……」
その瞬間、暗闇がモニターを覆った。
「なんだ!」
『昌様、先ほどの敵機が!』
「なぜ気が付かなかった!」
彼らの視界を肉の塊が覆う。
内側からは知るよしもないことだが、≪ユピテルカイザー≫の全身を赤い≪アストレア≫の肉塊が覆いつくそうとしていた。全身を朽ち果てさせながらも、赤い≪アストレア≫は生きていた。ぼこぼこと内側から肉の塊を増殖させながら、歪な人の形を取り戻していく。
その変化は赤い≪ユースティア≫にも現れていた。失った頭部と翼が瞬時に復元されていくのである。
「くそ! まだ生きている!」
肉の塊に囚われては敵わない。
昌は≪ユピテルカイザー≫の出力を上昇させながら、肉の塊振り払っていく。硬質化しようとしていた肉の塊が次々と飛び散り、≪ユピテルカイザー≫の全身を帯電する電流によって焼き尽くされていく。
「今度は何だって言うんだ!」
叫ぶ昌の視界には二つの巨大な肉の塊が溶け合うようにして一つになっていくのが見えた。お互いが両腕を広げ、まるで愛しい存在を受け入れるように抱き合う……それが人の姿をした何かでなければこれほど美しいものはないだろう。
だが彼らの目の前にあるのは人の色をした肉の塊であった。それはひどく醜悪なものであった。
「合体……」
溶け合い、お互いにむさぼり合いながら、その肉塊は一つの大きな存在へと変貌する。
それはまたしても人の形をしていた。百メートルと超す巨体、肉塊の鎧を身にまとい、砕けた王冠を頂く白骨化した頭部、ドロドロに溶けていたはずの肉は次第に真紅の装甲へと変化していく。
骨の頭部は無貌に覆われ、一切の表情がなくなり、ぬめりを持った表皮のような装甲は金属に見えるにも関わらず脈動していた。
背部の翼は爬虫類のように変化し、両腕は四つに増え、それぞれに斧と剣を持った姿を現していた。
「天秤……?」
斧を持つ二つの腕は水平に広げられていた。斧はまるで測りの杯のようにも見えた。
剣を持つ残りの二つは天高く掲げられる。それはあたかも支柱のようであった。
天秤……そう表現するしかなかった。
だが、変化はそれにとどまらない。
そう、肉の塊に固定された美李奈の≪アストレア≫。それにも異変が生じていたのだ。
***
「引き寄せられる!」
もはや外の様子を伺いしることができない美李奈であったが、まだかろうじて生きているセンサーの類からそれが分かった。
肉の塊によって自分たちはどこかへと連れていかれようとしているのだと。
外では卵のような形に変化した肉塊がふよふよと合体した≪ヴァーミリオン≫に引き寄せられていく。
そして≪ヴァーミリオン≫……否≪ヴァーミリオン・リブラ≫の腹部へと吸い込まれていく。
「う、あ!」
とてつもないことが起きる。
直感めいた何が美李奈によぎった次の瞬間、彼女はなぜだか暖かなぬくもりを感じた。それはまるで、赤子が母親に抱かれるような温かさであった。
『――』
そして、声。
何を言っているのかはわからない、その声……だけど、美李奈はその声をどこかで聞いたことがあると思った……
「お母様……?」
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