第4話 乙女の初陣

 その土地はかつて、真道家の豪邸が鎮座した広大な広場であった。

 真道家の没落と同時に、屋敷は取り壊され、更地となり、無数の雑草とわずかな木々がぽつぽつと残っているばかりであった。どういうわけか、買い手もつかず、放置されたその土地から遥か八〇〇メートルの地下にそれは眠っていた。

  誰にも発見されず、ただ埋もれるだけであったその施設は、いくつもの障壁に守られていた。


 そこに眠る巨人は、静かに、しかし確実に覚醒を始めていた。まず初めにそれの内部の機能が順次に起動していく。動力炉に火が入り、それが施設内にこだまする。

 それと同時に、強靭な装甲に守られた胸部のコクピットに光が灯る。無数のパネルが、そしてセンサーが捉える光景を映し出す。

 コクピット中央に備わったディスプレイがひとりでに起動し、プログラムの立ち上げを意味するように無数の文字の羅列を流していく。

ディスプレイが最後に映し出した文章はローマ字で「MIINA」、美李奈であった。


 淡く光が灯る両の眼は、眠りから覚める人のようであった。巨腕が、巨脚が、唸りを上げ、内蔵された動力はさらに雄叫びを上げるかのごとく稼働する。巨人を固定していた機材は崩れ落ち、彼を守っていた特殊合金の障壁が轟音を立てて開かれていく。


 それに連動するように、巨人が上昇する。次第にその速度は早くなり最後の障壁が開かれ、大量の砂と草木が崩れ落ちる中、青い巨人はついにその体を外界へと踊りだす。

背部に備わった大型スラスターは白い粒子をまき散らしながら、点火し、その巨躯を軽やかに空へと運ぶ。

 そして、巨人は飛ぶ。己の使命を果たすべく。そして己が出会うべき者に出会う為に。



***



 青い巨人が己の目の前に傅く光景は、真道美李奈にとっても衝撃を与えた。差し出された巨腕は、掌を見せ、まるでそこに乗れと言っているようであった。


「何者です!?」


 美李奈がそう叫んだのは、誰かがそれを操縦しているからという考えの下ではない。名乗りもせず、このように催促をしてくる態度が無礼であるからだ。

 だが、巨人は答えない。答えるすべを持たない。また、そのやり取りは今なお暴れる赤い巨人にしてみれば絶好のチャンスでしかなかった。赤い巨人は再びくちばしに光を収束させると、青い巨人に対して放つ。

  まっすぐと飛来する光弾はまちがいなく、青い巨人へと直撃する。態勢の問題か、青い巨人は光弾を受けると同時にその巨体をわずかに崩す。


 それでも、何かの機能が働くのか、美李奈を含めた周囲の者たちには被害が及ばぬよう、青い巨人はその体を支え続けた。

 二発、三発と光弾が降り注ぐが、青い巨人は表情を変えることなく、受けるがまま、美李奈に手を差し伸べ続けていた。

 だが、衝撃は容赦なく彼女たちに襲い掛かる。


「きゃああ!」

「うおー!」


 風圧が砂塵や瓦礫を巻き上げる。それらは、綾子へと降り注ぎ、執事や季吉にまで及ぶ。


「美李奈さま! 危険です!」

「……ッ!」


 美李奈は、思わず彼らの方へと視線を移すが、幸いにも瓦礫などの直撃は免れたようだ。

 だが、元よりがたのきていた真道屋敷は壁のいくつかが崩れ、補強されていた屋根は全て吹き飛んでいた。

季吉が耕した菜園も土に埋もれ、収穫したエンドウマメも周囲に散乱していた。

 美李奈は再び、青い巨人へと向かい合う。


「巨人よ! あなたならば、この理不尽を覆せれるというのですね!」


 巨人は答えない。だが、美李奈はその無言を了承していると捉えた。


「ならば、此度の不敬、不問としましょう! であるならば、お前の力を見せるのです!」


 美李奈はそう叫びながら両手を青い巨人へと広げた。その瞬間であった。エンブレムのようにも見えるAと読み取れる部分から青白い光が放たれる。それは、美李奈を、そして大量の砂をかぶった執事を包み込んだ。光をまぶしいと感じた、次の瞬間には、二人は既に自分たちが見知らぬ場所にいることに気が付いた。


 瞼をあけた美李奈は、そこに広がる光景に思わずハッとした。腰が抜けて、立ち上がれずこちらを唖然と眺める綾子、先ほどまでは執事と共にいた季吉、そして既にのびている綾子の父の姿を遥か上空から見下ろす形でとらえたからだ。

 美李奈は、自分が青い巨人のコクピットに座っていることに気が付いた。


「これは……!」

『美李奈様!』


 直後に、執事の声が響く。珍しくその声は困惑しており、一拍遅れて、彼の顔がディスプレイに映し出される。どうやら自分とは別の場所に乗りこんでいるようだった。


「セバスチャン、どうやらあなたも無理やりエスコートされたようですわね」

『ハッ! 正直、何がなんだかわかりませんが……』

「それは私もです。ですが……!」


 執事を諭すように、しかして、美李奈は語尾を強めた。

 美李奈の座るコクピットは、思いの他広い。コクピット周辺は、外の景色をはっきりと映し出し、どこか虚空に放り出された感覚を与えた。

 気が付けば、自分は座席から仰々しく伸びるアームを握っていた。そのアームは美李奈が大きく腕を振り回しても問題がない程に自由が効くようで、それがこの巨人の両腕と連動していることに気付いた。


『アストレア……』


 ふいに執事がそんな言葉を漏らす。


「アストレア? 女神の名前ですわ」

『ハッ! どうやらこのマシーンの名前のようでございます。美李奈様、正面、ディスプレイをご覧ください』


 執事の言う通りに美李奈はコクピット正面、その中央のディスプレイに目を通す。この巨人のシルエットが映し出されており、その色は緑一色であった。その下、≪ASTRAEA≫という文字が映し出されていた。


「アストレア……似合いませんわね」


 それはギリシア神話の女神の名である。だが、美李奈はこの巨人を男のようであると認識している。そして事実として、それは間違いではない。誰が見ても、この≪アストレア≫と呼称される巨人は男のような印象を与える。


「まぁ……今はそのような事は置いておきましょう。セバスチャン! よろしくって?」

『ご期待に沿えますよう……』

「やってみせなさい。綾子さん!」


 美李奈は、自分の声が外に届いているかどうかはわからないが、とにかく外でこちらを呆けたように見上げる綾子に呼びかけた。ビクッと肩を震わせたのを見るにどうやら届いている様子だった。


「綾子さん、お父上とじいやをお願いします。今は、あなただけが頼りなのです。ここから東、集会場がありますわ。そこが避難場所となっていますわ」


 綾子が腰を抜かしていることは知っていたが、それを伝えれば、もしもの時の判断材料になる。美李奈は、返事を待たずに、アストレアの体を立ち上がらせる。

 駆動音と共に巨体が再び夕暮れの空にそびえたつ。そして、アストレアは赤い巨人へと向き合い、その緑色の瞳が強い光を放つ。赤い巨人もまた、無貌の顔をこちらに向けて、こちらをマジマジと見つめるようにその顔を動かしていた。


「なんという醜悪な。品性のかけらもありませんわ!」


 美李奈がアームレバーを思い切り前に突き出すと、アストレアは背部のスラスターを吹かし、赤い巨人めがけて、その巨体を弾丸のように飛ばす。一秒と立たずに轟音と共に二体の巨人が衝突する。赤い巨人は、先ほどまでの暴虐のつけを払うかのようにあっさりとその身を後方へと崩す。


「お行儀の悪い!」


 だが、美李奈はすぐさまアームレバーを操作し、赤い巨人の腹めがけてアッパーを放つ。倒れかけていた赤い巨人は、アストレアの拳につきあげられるようにして、無理やり態勢を立て直される。巨人の背後には民家が立ち並んでいたのだ。


「セバスチャン! ここでの戦いは危険ですわ。どこか良い場所はなくって!?」


 美李奈は巨人を抱きかかえるように取り押さえる。途中、巨人のくちばしに青白い光が灯るが、美李奈はすぐさま拘束を解き、アストレアの両手で巨人の頭部を掴むと同時にそれを上空へと向けさせた。光弾は雲を突き破り空へと消える。


 主の指示を聞いた執事は、己のコクピットで、慣れない機械を操作しながらも期待に応えようとしていた。彼のコクピットは美李奈のそれとは違い、少々手狭であり、パネルやボードが無数に設置され、各所にはあらゆる情報を示すディスプレイが表示されていた。

  その内の一つ、そこに地図のようなものが映し出されていることに気が付いた執事は、己の土地勘を照らし合わせて、目星をつけた。


『美李奈様! ここより北、十㎞の地点に無人の空間があります!』

「北?」


 美李奈がその方角へ視線を向けると、執事の指定した場所と思われる箇所をアストレアが拡大してくれる。確かに彼の言う通り、不自然な程何もない土地であった。美李奈は、すぐさまそれが何なのかを理解した。


「あれは於呂ヶ崎グループの大型レジャー施設の建設予定地!」


 言い終わるよりも早く、美李奈はアストレアを動かしていた。巨人の肩を掴み、スラスターを点火させる。

ドゥ! という轟音と共に二つの巨体は民家の真上を飛び、一直線に指定地点へと戦場を移した。



***



 まるで漫画だ。綾子は目の前で繰り広げられた巨人同士の戦いをそう感じた。少女漫画のような金持ちの学校に通うことになったと思えば、今度は少年漫画のような展開で、知り合ったばかりの少女がロボットを操縦して戦っている。

正直、もう何がなんだかわからない綾子は先ほど美李奈に言われた言葉を思い出していた。


「に、逃げなきゃ……」


 気が付けば足腰に力が戻っていた。綾子は積もった砂を払いのけながら、近くで伸びている父親の肩をゆすった。


「父さん、父さん! あぁもう! のんきなんだから!」


 取り敢えず父親は放置して、綾子は、じいやと呼ばれていた季吉の方へと駆け寄った。彼もまた混乱している様子だったが、どうやら自分よりは落ち着いているようだった。


「えと、大丈夫ですか?」

「う、うむ……しかし、みぃちゃんが……」


 綾子の手を借りながら、季吉は体を起こす。二度、三度、大きくせき込むとアストレアが轟音と共に北の方角へ飛んでいくのが見えた。


(私たちが逃げやすいようにしてくれた?)


 でなければあんな行動には出ないだろうと綾子は感じていた。とにかく、今はこの伸びている父親をどうにかしなければならないと、綾子は判断した。


***


 アストレアの剛腕が赤い巨人を無人の大地へと叩きつける。その異様なまでに広い土地は、絶好のポイントであった。

  少なくとも四十メートルの巨体が二つ暴れても問題のない敷地であり、壊されて困るものもない。ただし、整地が終わったのだろう整った地面だけは台無しになるだろうなと美李奈は思った。


「ですが、今は!」


 叩きつけた巨人に馬乗りになるようにアストレアを操縦する美李奈は、巨人の顔面めがけて拳を振り下ろす。

金属同士のぶつかりあう鈍い音が周囲に響く。その一撃は、容易に巨人の頭部を粉砕してみせた。

 だが、巨人は、その程度では機能を停止する様子はなかった。血とも燃料とも判断の付かない液体をまき散らしながら、つぶれた頭部をせわしなく挙動させる姿はまさに醜悪であった。


「ウッ……」


 吐き気がした。美李奈は思わず、巨人を再び担ぎ上げ、地面に叩き落とす。ギギギと金属のゆがむ音が響くが巨人はのろのろとした、緩慢な動きでまだ活動を止めていなかった。

  その動作が酷く人間のように見えるのは、美李奈には気に食わなかった。ギクシャクとする動きで立ち上がる巨人はだらりと垂れる長い腕を肘関節だけをアストレアに向ける。


『美李奈様! 熱源反応、攻撃がきます!』

「回避を!」


 だが、美李奈は言葉とは裏腹にアストレアをその場に立ち止まらせた。巨人の指から無数のレーザーが放たれる。計十本となる光の筋はアストレアの各所に命中する。


『美李奈様!』

「平気よ、堅牢な装甲に守られたわ!」


 レーザーが被弾したことを知らせるように中央ディスプレイのシルエットのいくつかが点滅するが、色は緑色のままだった。それをダメージがないのだと判断した美李奈は、再びレーザーの発射態勢に入った巨人をにらみつける。


 アストレアの背後、距離はずいぶんと離れてはいるが、そこには町がある。美李奈は、この目の前の巨人が、破壊を楽しんでいるように感じられた。ギギギとゆがみ続ける音が、どこか耳障りで下品な笑い声のように響く。

 再び十本のレーザーが放たれる。アストレアは不動であった。再びレーザーが機体を焼くが、アストレアの装甲はその程度のレーザーを弾いて見せた。


「お黙りなさい!」


 怒号と共に美李奈はアームレバーを突き出す。それに呼応するようにアストレアの右腕が付きだされる。力強く握りしめられた拳が振動を始める。高周波を発生させたその拳は、大きく震える。

 美李奈はディスプレイに映し出された単語を叫んだ。


「ヴィブロナックル!」


 声と同時にアストレアの巨腕が肘から外れ、腕の各所に備わった推進機関が音をあげ、赤い巨人めがけ飛んでいく。発射された拳は一瞬にして、巨人をとらえると手始めにストレートをつぶれた頭部に再び叩きこみ、上空へと上昇する。しかし、すぐさま下降をする拳は掌を開け、真上から巨人をわしづかみにする。


『振動率上昇!』

「インパクト!」


 執事が拳の状況を伝えると、美李奈はすかさずそう叫び、アームレバーを握りしめた。その意志に反応するようにアストレアの拳は、甲高い音を響かせ、巨人へと超振動を叩きこむ。その瞬間、巨人の体はいたるところからひびが生じ、内側から破裂する部分も出てくる。

  関節部分からは火花とスパークが飛び散り、金属のきしむ音は、今度は、断末魔の悲鳴のようにも聞こえた。


 そして、アストレアの拳が巨人を握りつぶす! その瞬間、巨人は負荷に耐えきれなくなったのか、各所から小さな爆発を繰り返し、その赤い肉体を崩壊させた。

 敵を破壊した拳はひとりでに、アストレア本体へと戻っていく。拳が元に戻ったことを確認した美李奈は、自分が酷く汗を流していることに気が付く。


「敵は……もう動きませんこと?」


 美李奈は無意識に制服の首元を緩めた。

 執事の顔がディスプレイに映し出される。おぼつかない操作を繰り返しながら、彼は状況を確かめようとしていたのだ。数秒後、作業を終わらせた執事は、安堵の表情を浮かべる。


『美李奈様、敵の活動反応は停止、レーダー……? にも反応はありません。お疲れ様です』

「そう……」


 執事の報告を聞きながら、美李奈はこのコクピットにエアコンはついていないのかどうかが気になった。ちらりと周囲を見渡すように視線を動かすが、そういった類のものは見受けられなかった。


「セバスチャン、暑いわ」

『ハッ……空調のようなものがあるようですが……』

「よい……下手に動かしても怖いわ」

『ハッ!』


 美李奈は、今更になって自分が飛んでもないことをしていたのだと認識した。そこに恐怖であるとか高揚感といった感情はなかったが、とにかくとんでもないことしたという感覚だけがあった。

 殆どはがむしゃらで動かしていたようなものだが、このアストレアはこちらの意志に沿うように動いてくれた。

何かそういう機械的なサポートでもあるのだろうかとも考えた、今はもうどうでもよかった。

 半ば呆けていた美李奈は、周囲が騒がしくなることに気が付く。遠巻きにこちらを監視するようにヘリが飛んでいるのが見えた。サイレンの音も響き、立ち込めていた黒煙は、なりを潜めていた。


「…………」


 美李奈は、早くこの得体のしれない巨人から降りたいと思った。

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