第19話 乙女の溜息
霞城蓮司はちょっとした有名人だ。キャッチフレーズは『市民を守る為に一人勇敢に出撃した若き自衛隊員』、『ヴァーミリオンの脅威から人々を守るべく大空を舞う侍』……これ以外にもいくつかあるがそれらは誇張され過ぎて目を通すだけで眩暈を引き起こしかけた。
よくもマスメディアはこういう文章を恥ずかしげもなく書けるものだと半ば感心している。
メディアがそのように囃し立てるのは良いのだが、嫌なのはこれに乗じて組織が自分を広告塔にしたて挙げていることだ。このせいで本来ならフライト訓練のはずの時間は興味もないインタビューや写真撮影などというくだらないものに取って代わられた。
さらに蓮司を困らせたのが実家である。家を飛び出したドラ息子が飛び出した先で英雄扱いともなれば掌を返すのは当然だ。さらに言えば事業の広告にすら使われる始末だ。
とはいえ、本来であれば即刻除隊の身であった自分が残っているのはその気に入らない親の力のおかげでもある。
それを理解しているからこそ、こういうくだらない仕事も文句も言わずに行うわけだが、それでもやはり億劫であるのは間違いない。
世間もメディアもなかなかに単純で、蓮司の考えごとが顔に出やすい態度、この場合面倒臭いというものと短い受け答えがどういうわけかストイックであり寡黙な自衛官であるという印象を持ったらしく、それがまた好ましいキャラクターなのだそうだ。
「霞城蓮司二等空尉であります」
蓮司は応接室の扉をノックする。これからまた面倒な仕事で、どこぞの偉いさんとあって話をしなければならなかった。
「はいれ」という上官の声が聞こえると、蓮司は「失礼します!」と言いながら扉を開ける。
(子供?)
扉を開けた先、自衛隊施設には似つかわしくない背格好の少年がそこにいた。その真っ白な学生服は見た記憶のあるものだった。
蓮司は視線を悟られぬようにすぐさま礼をして上官の隣へと座る。
(如月乃学園……麗美の学校の生徒か)
あのお転婆娘が何か自分に使いでもよこしたのかとも思ったが、それなら於呂ヶ崎の使用人がくるはずである。それか面倒なことだが、麗美本人が乗り込んでくるだろう。
だが、目の前にいる少年は使用人には見えないし、用意されているお茶も茶菓子も中々良い銘柄であることが蓮司にはわかる。
「霞城二等空尉、こちらは龍常院昌さんだ」
「龍常院……?」
くんではなく、さん付けかと内心では上官に冷ややかな意見を覚えつつ、彼はその名前は聞いたことがある。学園の例によって世界を股にかける大企業の家だ。航空機、車両などの製造の大半を一手に担っているとも。
さらに蓮司の記憶が確かなら龍常院グループの会長は何年も前に亡くなり、代が変わったと聞いていた。若い者が跡を継いだとは聞いているが……
「初めまして、霞城蓮司さん。お噂はかねがね」
昌はすっと立ち上がり、蓮司に握手を求めた。蓮司もそれに答えて手を差し出す。
「はは! 光栄です、平成の大空の侍に握手をしてもらえるなんて。学校で自慢できますよ」
昌の態度はまさしく少年だった。憧れの人に出会い感激するような顔、打算込で笑みを向けてくる大人たちは違う純粋さが感じられた。
そのあどけなさが蓮司に安堵感を抱かせるのだ。
「すみません、わがままを聞いてもらって」
握手を終えた昌は少し照れたような顔をしながら、握手した手とは反対の方で頭をかいて、上官に頭を下げていた。
「いえいえとんでもない。この程度のことであれば……」
上官は慌てて顔を上げるように言うと、ちらっと蓮司の方へと目配せをする。
「ハッ、市民の要望に応えるのもまた私の役目でございますので!」
蓮司はビシッと姿勢を正し仰々しく敬礼をして見せる。ここ数日のやり取りの中で生まれた奇妙な連携であった。
上官は敬礼をする蓮司を見て満足げな笑みを浮かべると、ニコニコしたまま昌へと視線を戻す。
「しかし、龍常院グループの若き会長が我々に一体どのような要件で?」
「えぇ、本日は我が社のアメリカ支部にて試作された新型機をこちらに配備しようと思いまして」
「は?」
昌はすんなりと言ってのけるが、ようは外国の新型をやるというのだ。それはわかるのだが、上官が間抜けな声を上げたのは、世界に名だたるグループとはいえ一企業が自衛隊に、それもアメリカの最新型を一機よこすというのはそうそうできるものではない。
「新型……ですか? しかし、アメリカで開発となるとまずは在日米軍基地にて運用するのが……」
「まぁ、普通ならそうなりますが状況が状況ですし、わが社の意向としては対ヴァーミリオンにおける実戦経験のあるこちらの部隊で運用していただく方が有意義であると判断したまでです。確かに各方面の説得は大変でしたが」
まるで他愛のない談笑をするように述べる昌ではあるが、一企業、一グループが国を黙らせているというとんでもない事実を口に出しているのだ。
「それに、国民感情もそう心配することはないと思いますよ。実際問題としてヴァーミリオンは今の所我が国にしか侵攻していませんし、新型を駆るのがそちらの大空の侍であるのなら、納得もするでしょう」
「自分が……ですか?」
名指しを受けたわけではないが、そのあだ名が自分のことを指しているのはわかっていたので、蓮司は流石に驚きの声を上げた。
またも自分の預かり知らない所で大きなことが動いているのだから、それも仕方のないことである。それにまさかそんな話をされるなどとは思っても見なかった。
「しかし、機種転換の期間もありますし……」
上官は口では判断を決めかねるという風な態度を取っているが、声音や目を見れば喜んでいるのはまるかわりだった。
「それに関してはこちらの知識不足でしたのでご迷惑をおかけすることになります。ですが、あの二体のロボット、彼らだけでは広域を防衛することは不可能ですし、そういう時迅速に動けるのは自衛隊の方々です。新型の性能が実証されれば、対ヴァーミリオン対策も進むでしょうし、何より国が守れます」
昌は一端お茶を飲んで間を置くと、言葉を続けた。
「とはいえ、こちらもなるべく速く正式な機体を開発したいという俗な考えもあるんです。ですから、そういう意味では我が社はあなた方を実験に使っているようなものなのです。純粋な善意だけからの行動ではないということだけは知っておいてもらった方がいいかなと」
その言葉は少年が扱うには重々しいものであり、そんな昌を見て蓮司は息をのんだ。
先ほどまで屈託のない少年の笑顔を見せていた姿はなく、そこには大企業をまとめる男の姿があったからだ。
(白のスカーフということは学園の二年? そうだというのにこの風格はなんだ?)
今も霞城グループで敏腕を振るう兄二人に劣らない空気が昌にはあった。
それは、ただのもの好きな少年であるという最初の印象からはひどくかけ離れているもので、そのギャップがさらに彼の異質さというか、大きさを蓮司に植え付けていた。
「機体の方は近日中に送らせていただきます。調整などで外部スタッフを入れてもらうことになりますが、よろしいですね?」
いつしか彼の言葉は提案ではなく決定事項となっていたが、蓮司も上官もそれに違和感を覚えることはなく、ただ頷いていた。
***
五月になると忙しくなるのが中間考査、ようは中間テストのことを考えなければならない。さらにそれが終わり六月ともなれば体育祭が待っている。
面白いのはこの如月乃学園での体育祭は強制参加のリレーを除けば殆どは体育会系の部活動の対抗行事になっており、殆どはそれの観戦か体力自慢、スポーツ自慢の生徒が参加するぐらいである。
お坊ちゃま、お嬢様気質の生徒たちが多いためかさほど盛り上がりを見せないのがこの学園の体育祭なのだが、それでもそれらの部活動はこの時期になるとにわかに活気づく。
関口朋子あたりは既に調整に入っているようでなにかと忙しそうに準備をしており、最近ではジャージ姿か体操服姿でよく見かけるようになった。
南雲静香は見るからにやる気をなくしており、どうせ運動するんだからと言い訳しながら学食の無料パフェをおかわりしている。
だが、綾子は体育祭に向けて準備をするとかのんきにパフェを食べるとか、そんな余裕はなかった。
どこかで何とかなるだろと高をくくっていたテストが思い外、広範囲での出題であり赤点を回避するべく必至に教科書やノート、配られたプリントとにらめっこして取り敢えずの知識を頭に叩き込まないといけなかった。
このように見ているだけで勉強をしているつもりになっている時点で実際の所、危機感はまだ低いのだが、そんな自覚は彼女にはなく、目に通す教材もまばらであった。
「もう、追試を受ければいいじゃありませんの」
花弁を広げたように見えるパフェグラスのふちについた生クリームをスプーンですくい取りながら静香が気軽に言ってくるのだが、そうもいかない。
彼女の言う通り、わりと如月乃学園は生徒に対する救済処置が大きい。よほど素行不良でもない限りは追試を受ければ間違いなく進級はできるし、美李奈のように内職をしようが外でバイトをしようがそれは自由だった。
「うちは進級とかそういうの抜きでその時のテストの成績次第でお小遣いが決まるの!」
お嬢様になって先月の小遣いの額は驚くほど上がった。それは確かなのだが、それはたまたま母親がセレブになって気を良くしていたからで今月の小遣いの話になると別だ。
このテストの成績による小遣いのやり取りはかつての生活の名残であり、お嬢様になっても好きに大金を扱えるわけではなかった。四月が例外だったのだ。
「あぁー! もうダメ! 日本語になってないんじゃないのこの問題!」
多数の教科を詰め込もうとしている為に綾子の脳内はオーバーヒート寸前で文章を読み取ることを拒絶していた。
もっとお嬢様という生活は楽なもんだと思っていたがそうではなかったらしい。
スポーツに精を出す朋子はもちろん目の前で新しいデザートを注文しようと、スプーンを咥えてルンルン気分でメニューを開いている静香にしても幼い頃からの英才教育のおかげなのだろうか少なくとも赤点を取るようなことはないらしい。
(こちとら数か月前までバリバリの庶民だっての)
まぁそういう言い訳が今となっては無意味であることはうすうす感じてはいる。
綾子は「もうなんでもいいやぁ」と投げやりになりながらノートと教科書を鞄に詰め込み、自分もデザートでも頼んでやろうとメニュー表を手に取る。
「これは消費した脳内のカロリー補給よ」
などと根拠のないことを言いながら、普通なら長蛇の列を並ばなければ買うこともできない高級スィーツの欄を眺める。
何とも発音のし辛い名前ばかりが並んでいるので食べてみたいなと思いつつも綾子はいつもシンプルな名前のケーキばかり頼んでいる。それでもそんじょそこらのケーキよりは高級らしいのだがそんな細かい味の変化など彼女はわからない。
「ま、ショートケーキでいいでしょ」
つぶやきながら綾子はテーブルにつけられたクラシックな形をした呼び鈴のボタンを押す。電子音で再生される鈴の音と共に食堂のウェイターがやってくる。
「すみません、ショートケーキ一つ」
「あ、私も」
便乗するように静香も注文をしていく。学園のオリジナルパフェ、季節のフルーツタルト、ベルギー産の生チョコを使ったガトーショコラ……
よくもまぁそんなにホイホイと注文ができるもんだなと呆れながら、隙があればちょこっといただいてやろうと綾子は考えていた。
「そうだ綾子さん」
「ん?」
注文を終えた静香がどういうわけかまだメニュー表を眺めながら声をかけてくる。
「テストや体育祭が終わった後ですけど、海に行きません?」
「海? プライベートビーチ?」
「でもよかったんですけど、今年はあいにく親戚たちが……それとは別に私、フェリーを買いましたのでせっかくと思って」
さらっととんでもないことを言ったような気もするがそれは聞かなかったことにする。
「海かぁ……いいわねぇ。去年は弘の奴が熱だしていけなかったし」
「じゃ、弘君もお連れになりなさいな。あとは……真道さんでも誘いましょう」
「そうねぇ……朋子ちゃんも呼ぶでしょ?」
「えぇ、彼女泳ぐの好きですし。あとは……」
そんな風に煩わしい行事ごとなど忘れて少女二人は夏の計画を立てていく。
実際は、その計画を遂行するためには赤点を回避しなければならないのだが、綾子の中からはその悩みなど綺麗さっぱりと消え去っていた。
***
テストを間近に控えようと体育祭が迫ろうと、美李奈は内職を続けなければまたも今月の食費の危機だった。そろそろアルバイトも真剣に考えなければいけないのだが、アストレアでの戦闘を考えるとそれも中々に難しい。
であるならば庭園に植える野菜の数を多くするべきかと考えてはいるが育てて慣れていない野菜に手を出して全て枯らしてしまうのも避けたかった。
だから結局は内職で現状維持なのだ。
「へぇ、面白いもんだね」
美李奈の左横に置かれたダンボールに詰められた小物を手に取りながら昌は興味深そうに見回す。
「レディの私物を容易く持って行くのが生徒会長の特権なのですか?」
昌の方には目もくれず内職を続ける美李奈は、毅然と言い放つ。
「慇懃無礼という奴だったかな。それはすまないね。癖なんだ」
素直に小物をダンボールに戻しながら、昌はひょうひょうと答える。別に言いだろうこれぐらいと言った感じの態度も感じ取れたがそれを一々指摘する美李奈ではない。
「お暇なのですね?」
「暇なものか。生徒会長とはいえテストは受けなければならないしそれなりの成績を取らなければ示しが付かない。体育祭の運営協議会にだって顔を出さないといけないし各月ごとの行事ごとだって今から考えなきゃならない。それに社内も慌ただしい……おっと、これは学校とは関係ないな」
「そうであれば、こんなところで油を売る暇などないでしょう?」
「息抜きは必要さ。狭い会議室に箱詰めにされるのは御免だね」
そう言いながら昌はベンチの背もたれに手をかけ、美李奈の右横に上半身を乗り出す。
美李奈はじろっと視線だけ向けると、それとなく手に持っていた小物を右側においてから腕を伸ばす。
ずっと同じ態勢だったので体がほぐれる感覚が心地よかった。
「しかし……もう何度も言われてるかもしれないが、君も大変だな。こんな生活、よく耐えられるね」
昌はベンチに置かれた小物をどかそうかなとも思ったがそれはやめて仕方なくポケットに手を入れ、傍らに立つだけにした。
「耐えるも何もそうしなければ生活できませんもの。当然でしょう」
「そうじゃないよ。君ほどの才覚があればもっとましな暮らしぐらいはできるんじゃないかってね」
「土台がありませんわ。真道の権力はおじいさまが全て解体しましたもの」
「しかし名前は残るだろう?」
「そうですね、没落した名家という名前は知れ渡っていましてよ?」
かつての名声など簡単に崩れるものだ。そんなもの美李奈は幼い頃に経験している。知名度というものはプラスに働くにしてもそれは宣伝をするものがいてこそだ。
メディアの一つにでも取り上げられれば話も変わるだろうが世間は没落した家のことよりもゴシップに目が行くし、今ならば実現したスーパーロボットに話題が集中している。
コネも何も全ては途絶えているし、顔も知らぬ親戚一同がどこで何をしているかなどどうでもよかった。
「たくましいんだな」
「……?」
いきなりの言葉だった。
美李奈は、視線は向けずに疑問符を浮かべていた。
「出世欲、名誉欲、まぁあとは快適な暮らしだとか夢見るんだろうが……君からはそういうのはあんまり感じられないな。現状を受けいれている。だが、それに甘んじるわけでも絶望しているわけでもない」
「そうでなければ前には進めませんし、生きてはいけませんわ」
美李奈は小物をダンボールに詰めてそれを膝の上に置く。
昌は今度こそ横に座ろうとするが、それよりも先に美李奈が立ち上がり、入れ替わるようにベンチに座った昌をしり目に、
「失礼、怖い方がにらんでいますので」
そういう美李奈の視線の先には氷のように冷たい眼差しを向ける天宮朱璃の姿があった。美李奈は軽く会釈をしながら、彼らから離れるように歩いていった。
暫く歩いていると、数名の黒服と男たちと年若いメイドが目の前に現れる。
美李奈は溜息をついて、彼らの傍まで寄った。
「また……ですのね?」
「はい、ヴァーミリオンの出現が確認されました」
メイドは無機質な声音で答えた。於呂ヶ崎のメイドである。
「麗美さんは?」
「既に」
「場所は?」
「海です」
「一足早いバカンスだこと……ちょっと!」
美李奈はメイドの横に立つ黒服を呼びつけて、手に持っていたダンボールを押し付ける。無表情だった黒服はわずかに動揺しており、ダンボールと美李奈を交互に見やる。
「んもう、気の利かない方ね。預かっていてくださいまし。これは我が家の食費なのですから」
「は、はぁ……」
ダンボールを預けた美李奈はそのまますたすたと歩いていく。
久しく行っていない海……前回の戦闘では湾岸沿いの工業地帯には行ったがあんなのは海ではない。
海はもっと広く穏やかなものだ。まさか久しぶりの海がヴァーミリオンとの戦いで赴くことになるなどとは何とも風情がない。
美李奈は駆け出していた。早く片付けて内職をして、テストに備えなければいけない。
そう考えるだけの余裕が、彼女にはできていた。
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