第12話 乙女の休日・後編
美李奈の家を訪ね、自分たちの住む世界とは悪い意味でかけ離れたその光景に、初めは気おくれしていた朋子と静香であるが、話始めると、育ちの良さとそういう外での交流というものに慣れているのか、美李奈と打ち解けるのは早かった。
それは、美李奈自身の聞き上手な部分もあり、特におしゃべりというわけでもない朋子がこの屋敷に来てからは一番喋っていた。
話の内容は、綾子が買ってきたケーキの事からだったが、話が弾めば静香がカロリーの話をしたりダイエットというものに興味があったりと広がり、その流れで活発な朋子がスポーツジムなどを紹介していった。
「フィットネスクラブってのもいいんだけど、ここのって運動よりリラクゼーションとかショッピングの方にばかり力入れてるからさ。そういう意味じゃちょっと遠いけど駅前のジムの方がしっかりと運動に集中できるんだよね」
学園ではそれなりにお嬢様口調で話す朋子だが、割と素の口調は砕けている。そういう意味では綾子にとって彼女は話しやすい友人であった。
そんな風にあれこれと運動について語る朋子は、確かに腕や足が引き締まっている感じがする。筋肉質というわけではないが、無駄な脂肪というものはないように見えた。そんな朋子の体を見れば、綾子は無意識に自分の二の腕なんかをつまんでしまう。
(……まだ大丈夫よね)
そんなことを内心つぶやきながらも、完食してしまったケーキを思い出し、明日からダイエットをしようなどと、どうせ続かない決意をひそかに固めていた。
「ですけど、お金を払って運動というのもなんだかおかしな話じゃありません?」
などというのは静香だ。ちゃっかり余ったケーキを食べている彼女はふっくらとしているように見えるが、それは比較する対象が朋子だからだろう。ある意味では女性らしい肉付きだと感じる。
それでもそんなにカロリーの多そうなケーキをぺろりと食べているのにそれ以上の肉が付く気配がないのは何とも卑怯なのではないかと思わなくもない。
「フフフ、考え方ですわ静香さん。運動することはマイナスにはなりませんし、健康的でもあります。それにジムであれ、クラブであれ、そこには専属のコーチなどもいるのですし、正当な対価でこちらに実りをもたらすのであれば、それは決して無駄ではないと思いません?」
「ははは! 違うのよ真道さん、この子、運動したくないだけなんですよ」
「まぁ、朋子さんったら。私はそこまで怠慢じゃありませんわ!」
「けど、運動って言っても体育ぐらいでしょ?」
図星を突かれたのか静香はぷいっと怒って見せてケーキをほおばった。そんなやり取りを眺めながら美李奈は小さく笑う。声や腕のしぐさ一つとっても優雅で品のあるものだったが、その笑みは自然であった。
「けど、レディにとって甘味というものは切って離せない重要なものであるのも事実ですわ。私も甘いものには目がありませんのよ」
静香をフォローするように美李奈が付け加える。その意見には綾子も賛成だ。その瞬間、ダイエットしようなどという決意が消えたことを、彼女は認識していなかったが、所詮はその程度のものだった。
「そうよ、南雲さん。食べ過ぎなきゃいいのよ!」
そんなことを言う綾子だが、どちらかといえばそれは自分に言い聞かせているものだ。とはいえ、静香も静香でそういう言葉に乗せられるように「そうですよね!」と笑みを浮かべながら三つめのケーキを食べていた。
「それにしても、あのお庭の畑って、真道さんたちがやってるの?」
ケーキを嬉しそうに食べる静香にあきれ顔を向けていた朋子は、縁側の方とちらっとみた。会話の邪魔にならないようにと、気を利かせた季吉と執事が外で雑草を抜いたり種をまいたり、土を耕している姿があった。
ちょっと前までは無残にも荒れてしまった畑だが、何とか直すことができたようで、今でこそ野菜などは実っていないが、苗を買ってこれば今年の夏ごろには何かしら実るらしい。
「えぇ。始めた頃は大変でしたが、土弄りというのは中々奥が深いものでして、色々と勉強になりますのよ」
「へぇ……私は、あまり花とかそういうのは興味なかったけど、菜園かぁ……やってみようかしら。けど家じゃ土地がないわね……カズの所で用意させようかしら」
「カズって誰?」
それは朋子の口から初めて聞く名前だった。綾子が聞いて見ると、答えたのは静香だった。
「あぁ、和宏さんでしょう? 木村さん、婚約者ですよ、朋子さんの」
「あぁ! あの中学生の!」
顔は知らないが、よく朋子が愚痴っている婚約者のことらしい。愚痴と言っても朋子はその婚約者の事はあまりとやかくは言わずにお互いの家の文句ばかりなのだが……
しかし、婚約を嫌っているわりにはそうやって親しげな呼び方をするのだなとも思った。
「あいつの家、広いからねぇ。まぁ畑の一つや二つ作るぐらいは許してくれるでしょ」
「けどいいの? 婚約者っていっても、まだ他人の家でしょ?」
「大丈夫よ、カズは私に惚れてるからね。ちょっとお願いすればすぐに貸してくれるわよ。むこうの両親もカズには甘いし」
そうやってはっきりと言ってのけるのが朋子という少女だ。
「まぁ、悪いお人だこと」
そんな風に言って見せる美李奈だったが、口調は本気ではなかった。
「ま、カズにもいい勉強になるでしょ。学校の成績はいいみたいだけど、体がねぇ……あれじゃ転んだだけで骨折れるんじゃないかしら」
「フフフ、まるで母親か姉のようですわ」
「ん? んーそうかも、私弟ほしかったし。そういう意味じゃ、木村さんの弟君は私結構好きよ?」
美李奈の言葉に否定もしない朋子は、突然そんなことを言いだした。以前、朋子たちの弟である弘の話をしたことがあったが、こんな生活になったというのに弘はまだやんちゃ盛りで、お坊ちゃま学校でも何やら騒がしいことをしているようだった。
それでも弘は毎日楽しそうに学校に登校したり、わずか二日で数人の友人を引き連れてくるあたり、ある意味自分より満喫している。
そんな話をしたような記憶があったが、どうやら朋子は一緒に騒げる家族が欲しいのだろうなと思った。
「やめた方がいいって、うちの弟生意気よ?」
「それがいいんじゃない。男の子ってのはやんちゃがいいのよ」
「それは相手にした事がないからよ……毎日騒がしくされちゃたまったものじゃないって」
最近の弟はアストレアに夢中で朝から晩までその話だ。それはいいのだが、間近でアストレアを見た綾子に詰め寄ってはどんなものだったとかをしつこく聞いてくるのだから、正直面倒な気分でもある。
「あら、もうこんな時間なのですね」
いつの間にか四個目のケーキを完食していた静香が壁に着けられた丸時計を見て驚いたような声を上げた。時刻は四時を回っていた。この時期ならまだ日が高く明るいが、そうも言ってられないのが、お嬢様の辛い所で、お稽古だなんだと休日でも忙しいのだ。
綾子はまだそういったことには手を出していないが、母親は茶道だの舞踊だのと習わせる気のようで何かと教室を進めてくるのが悩みの一つである。
「セバスチャン、お客様がお帰りになるわ」
遠くの畑で執事の了承の声が聞こえる。すると、玄関でガタガタと大きな音が聞こえる。どうやら扉を外しているようだった。
綾子はケーキの空箱を回収して、朋子、静香と共に美李奈に礼を言いながら玄関まで移動する。
「短い時間でしたけど、真道さんとお話できて光栄でしたわ。今度は家にいらっしゃいな」
静香はそう言いながら「お好きなスィーツ、教えてくださいね?」と付け加えた。
「えぇ、そうさせてもらうわ、静香さん」
「じゃ、その次は私の所ね。まぁ、あんまり面白い所じゃないから、外に出た方がいいかもだけど」
「楽しみにさせていただきますわ、朋子さん」
静香に続いて朋子もにこやかに言った。えてしてトリになった綾子は、言葉を詰まらせながら、どうしようかなと言った具合に話す内容を考えていた。とはいえ、そうすぐに思いつくものでもなく、綾子はセレブになる前の感覚で、
「じゃあさ、今度は街、出かけましょうよ。ブランドとかなくて、適当なお店に入ったりさ、どっかのカフェでパフェ食べたりさ」
「どうかな?」と反応を伺う。
三人ともが少しきょとんとした顔をしたが、美李奈はすぐに微笑して、「えぇ、よろこんで」と返した。朋子も静香もそれに頷いてくれて、綾子もその快い返答を聞くことができて満足であった。
綾子ら三人は再び美李奈に礼を言うと、真道屋敷を後にした。もうじき四月も終わろうとしていた。高級住宅街へと向かう道のりは、少し遠く、少し前から夏のような日差しが続くこの頃は女の子にとっては天敵である紫外線が怖かった。気にしてないのは朋子ぐらいなもので、大きくのびをしていた。
「んー! あぁ、嫌だなぁバレエのレッスンとか。それならバレーがやりたいって」
「あらまぁ、それ、冗談ですの?」
そんなつもりなどないことはわかっているが、静香は先ほどのお返しも含めてそんなことを言った。対する朋子は全く気にせず、「なによ、いいでしょう? それにコルセットがきついのよ、あれ」と答える。
「あはは! まぁけど、関口さんは確かにそっちタイプかもねぇ」
綾子は、コルセットが何なのかはわからなかったが、朋子がバレーをしている姿だけは容易に想像がついた。
三人の少女が遠くで花火の音を聞いたのはそんな時だった。
「……なに? 今日、どこかで祭りなんて」
耳の良い朋子はその言葉をすぐに撤回していた。それは、花火の音ではないと。
「なに? どうしましたの?」
静香は、特に慌てた様子でもなく、その異常な空気にはまだ気が付いていない様子だったが、綾子は朋子と同じく、その音が、何か尋常ではない事の前触れであることを何となく察知していた。
綾子は、無意識のうちに朋子と静香の手を引いた。
「な、なに!」
朋子はすぐに反応して、走ってくれたが、静香だけはまだ状況が飲み込めていないようで、慌てていた。そのせいでわずかにバランスを崩してしまったが、それで転倒することはなく、なんとか二人に付いて走ることはできていた。
それと同時に、いまだ耳になれないサイレンの音が周囲に響いた。だが、そのサイレンをかき消すような轟音と共に巨大な影が三人の上空を飛んでいく。
「ッ……二人とも、踏ん張ってよ!」
朋子が叫んだ。綾子も静香も彼女がなんで急にそんなことを言ったのかはわからなかったが、殆ど無理やり朋子に体を抑え込まれてしまう。
それが理解できたのは、一秒と立たない内だった。強烈な突風が三人の体を叩きつけ、周囲のものを吹き飛ばし、がたがたと音をかき鳴らせた。
衝撃波だった。その勢いはすさまじく三人は体を大きく転がされてしまう。幸いにも怪我はないが、体のあちこちが痛かった。
「もう! 一体何だっていうのです!」
静香は状況が飲み込めないことと体の痛みに対して怒ってみせるが、上を見上げると絶句した。
「やば……」
それは綾子も同じであった。彼女たちの頭上、そこには赤い巨人、ヴァーミリオンが腕を組み、今でのとはまた異なる流線型の尖ったような姿をして、浮遊していた。再び遠くからエンジンの音が響く。視線をそちらに移せば、戦闘機の編隊の姿が見えた。
「やばいって、これ。巻き込まれるよ!」
綾子がそう叫んだ瞬間、周囲にいた人々も狂乱し、騒ぎ立てながら、我先にと逃げ惑った。一瞬にしてその場が騒々しくなり、人々の逃げる足音が地面を揺らしているのではないかという錯覚すら感じさせた。
ヴァーミリオンは動かない。それは、自分の足下で逃げ惑う人々がいるからなのか、はたまた興味もなく、ただそこにいるだけなのか、それはわからないが、今までのヴァーミリオンの行動を見ていれば、おそらくは前者だろうというのが人々には想像ができた。
戦闘機の編隊も、それを確認できていたのか、ヴァーミリオンと距離を取り、旋回行動をしていた。攻めあぐねいている状態なのだが、逃げる人々からすればなぜ助けてくれないのだという感情が湧き上がってくる。
だが、こんな状態でミサイルでも機銃でも撃てばその破片や衝撃は容赦なくヴァーミリオンの下にいる人々に降りかかる。だが、そんなことは彼らは知らないし、知る由もない。それにこんなところで文句を言ったところで、空を飛び交うパイロットたちには届きやしないのだ。
「とにかく、走るよ!」
「そうね……」
朋子が怒鳴るようにどんくさい静香の手を引っ張る。綾子もそれについていくように人ごみをかき分けて逃げていく。どこに逃げるかなんて考えてなどいない。とにかく、ここから離れなければいけないのだということだけは共通の意識として持つことができた。
***
友人たちとの楽しい休日、その余韻を見事にぶち壊しにされた真道美李奈は怒っていた。だからこそ、行動は早く、何のためらいもなくアストレアを呼び出すことができた。既にコクピットに座り、機体の起動を待った。
「……?」
なんとなくだが、アストレアの起動が以前より遅く感じた。その違和感の正体は結局わからないが、中央ディスプレイに起動のメッセージが流れ、それに一拍おいて執事の顔がモニターに映し出される。
『美李奈様、アストレアですが、やはり損傷個所の修復がなされていないようです。武器も……』
「よい、わかった」
舌打ちをしないのは、彼女の育ちの良さの表れだ。だが、悪態の一つや二つもつきたくなるような感覚だった。
アストレアの表面装甲には、確かに傷なども見受けられるが、さほど大きな損傷があるようには見えない。だが、美李奈は機械に特別詳しいわけではない為、内部の損傷の具合がどれ程のものなのかはわからない。
それがさらにいらだちを覚えさせるが、そういつまでもイライラしているわけにもいかなかった。とにかく、起動をしたのだから、現場へと急行しなければならないのだ。
アストレアのスラスターが白い粒子を放出しながら、巨体を飛ばす。だが、それも以前ほどの加速には至らないような感じがした。そういう理解のできない不調が、美李奈を不安にさせる。執事も何とか調整できないものとかと格闘を繰り返しているが、どうすることもできなかった。
だが、それでも美李奈はアストレアをヴァーミリオンの下まで飛ばすしかできない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます