第44話 乙女と貴公子

「少し涼しくなってきましたね」


 秋の夜風を受けながら美李奈の栗色の髪が緩やかになびく。あいにくと夜に合う寝間着を持ち合わせていない美李奈はまたくたびれたジャージ姿で、その傍には値札シール貼の内職セットが広げられていた。明後日までにあとダンボール二箱分は作らないとちょっと家計が苦しい事になるのだ。


 そんな経済危機を迎える九月の下旬。今朝は夏の日よりが顔を見せていたが、夜ともなれば秋の涼しさが姿を見せ始める。既に入浴を終えた美李奈は内職に勤しみながら縁側に腰掛け、新たな実りをみせはじめた庭園と夜空に浮かぶ満月とを交互に見ながら涼んでいた。


 美李奈の隣には季吉が甚兵衛を着こなし、執事と碁を打ち秋の夜を楽しんでいた。

 この数か月は激動の日々であったと思う。夏季休暇も考えてみれば≪ヴァーミリオン≫に潰され、その後も新たなマシーンや『ユノ』という組織の出現、戦いに次ぐ戦いの日々であった。何事もなく日々平穏な暮らしを続けられているという事にちょっとした違和感を覚えるのは、感覚が戦いという非日常に慣れてしまったためだろうか。


 そんな億劫な思案をかき消すように風が吹くと庭園の葉が擦れ、その陰に隠れた虫たちの音が届く。美李菜奈はそんな秋の様相を微笑を浮かべながら堪能して、少し乱れた横髪をすくうように撫でた。


「そういえば最近は庭園の手入れも疎かにして、じいやに任せっきりでしたわね」

「はっはっは! 老いぼれのできる仕事はそれぐらいなもんだ」


 「気にすることはない」とつ季吉は笑いながら黒い碁石を打つ。


「うっ! こ、これは……」


 季吉が一手打つたびに執事の表情が渋っていき、何かを嘆願するように顔をあげるのだが、季吉はニヤッと老獪な笑みを浮かべながら、首を横に振る。執事はうなだれながら難しい顔で思案の態勢に入る。

 かれこれ碁を始めて一時間。待ったなし、しかし長考無制限というルールでやっているのだがもうこれで執事の五連敗である。季吉との年月という圧倒的な経験の差以上にどうやらこの二枚目半な執事には囲碁や将棋の才能がかけらもないようなのだ。

 それでも執事は諦めきれないのかじっと碁盤を睨み、次の一手を考える。だが季吉はもう勝利を確信しているのか、既に体を美李奈の方へと向けていた。


「わしは待つことしかできん。この体、あと四十若ければはせ参じるのだが……」


 「いや、お恥ずかしい」と頭をかきながら季吉は苦笑した。

 美李菜はゆっくりと首を横に振りながら、


「良いのですよ。爺やが屋敷を守ってくださっているからこそ、私たちは安心して帰ってこれるのですから。本当なら爺やにも休みを与えたいのですが……」

「はっはっは! 日長、土いじりをして家にこもっている爺ですから、もう年中休みのようなものです」


 季吉はいつもこうやって笑ってくれる。八十を超える老体を屋敷に一人で置いておくことは美李奈としても不安ではあるのだが、この老人はそうは思えないほどに元気であり、屋敷の為に尽くしてくれる。

 事実として季吉がいなければこの屋敷は回らないだろう。


「しかし、秋の夜だというのに無粋な連中もいるもんですなぁ」


 季吉はぼりぼりと頬をかきながら遠くから聞こえる重機械の作業音に顔をしかめた。先の戦いで破壊された建造物の復興工事の音である。主体は龍常院傘下のものであり、腕も装備も人員すらもそろっているためか、その復興は驚く程早い。

 しかし、戦闘の度に被害が拡大しているためかほぼ夜通し、毎日そんな騒音が聞こえてくるのではたまったものではなかった。


「全く、直せばいいというものではないだろうに……わしにはあの連中のやりたいことがわかりませんな」


 あぐらをかく足を組み直しながら季吉は膝に肘を置いてぼんやりと月を眺めた。


「それに、ヴァーミリオンとかいう敵はいつまでくるのでしょうなぁ」


 季吉はぬるくなった麦茶を呷り、


「あいつらも何か目的があってわしらを襲っているのかねぇ?」


 そんなことをつぶやいた。

 ≪ヴァーミリオン≫とは何か。美李奈も思えば敵の事について深く考えるようなことはしてこなかった。無秩序な破壊と暴力をまき散らす存在、ただそれだけでも鉄拳を向けるに値する無法者ではあるのだが、その本質ともいえる『何か?』は今なおわからずじまいである。


「テレビでは宇宙人の侵略などと言っておるようだが……」

「どうでしょうね」


 美李奈は内職の手を止めて、


「実はもっと単純なことかもしれませんわ」

「ほぅ? 単純と?」

「えぇ。何であれそこに目的があればおのずと察することができます。侵略がしたいのか、戦争をしたいのか……ですがヴァーミリオンからは『破壊』しか感じないのです」

「破壊……ねぇ。だとすれば何とも哀れな敵ということになりますなぁ」

「同情などしてあげるつもりはありませんわ」


 美李奈はきっぱりと言い放った。


「対話を求めるわけでも、応じるわけでもない。何の目的もなくただ破壊を行うだけのものなど、早速災害でしかありません。であれば、情けなど不要、振り払うべき害悪なのですから」


 慈悲や慈愛も無制限に向けるものではないということを少女は理解している。時としては刃を向けることが必要であるとも。

 彼女にとって≪ヴァーミリオン≫は情けをかけるべき相手ではないのだ。『事情』があるのなら考えもするが、少なくとも今までの戦いで≪ヴァーミリオン≫にそんなものは一切感じられなかった。

 あるのは明確な敵意と破壊衝動、そして何より意地の悪い粘質的な戦い方である。


「あれらは明確に私たち人類の敵……だというのに、龍常院の方々は……」


 美李奈は小さく溜息をついた。あの戦いの後、龍常院側からこちらに対して報復というものはなかった。相変わらず過剰なまでに宣伝を行っている以外は普段通りで、しいて言えば≪アストレア≫と≪ユースティア≫が足手まといだったということを少し仄めかす、些細な嫌味があったぐらいだった。

 その程度の陰口など取るに足らないが、美李奈にしてみればそんな姑息な手段でしか自分たちを正当化できない『ユノ』という組織に怒りがあった。


「目的も敵も同じだというのに……あの方々からは義を感じません。戦いを楽しむようなそぶりをみせるなどと!」

「過剰に見せつけるのは自信のなさの現れだよ、みぃちゃん。なーんも心配することはないさ。みぃちゃんたちは堂々と胸を張ってればいいんだ」


 季吉はそろそろ執事が降参するだろうと思い、碁盤に視線を落とす。執事は渾身の一手を打ち込んできたが、季吉はすぐさまそれを覆す手を打ち込む。

執事は「なっ!」と驚愕に目を開き、また再び長考の溝へと落ちていく。

それをしり目にしながら、季吉はイタズラっぽく笑い、


「みぃちゃんは賢い子だから、わしがとやかく言わなくてももう答えは出ているんだろう」

「当然ですわ」


 美李奈はフフンと得意げな笑みを浮かべた。


「好きなだけ陰口を叩かせておきましょう。例え汚名を着せられても私は人々の盾となり、戦うのですから。私の行いに恥ずべきことは一切ありません」


 美李奈は立ち上がり、月を見上げた。


「それが真道のやり方ですもの」




***




 翌日。

 日差しも緩やかな頃合いであり、ますます秋を感じさせる日和であった。相変わらず如月乃学園は雅で優雅な装いに身を包んだ少年、少女たちがキラキラと輝くような新品同然の制服と鞄、靴を揃えてやってくる。

 そんな中でも変わらずボロボロの一式を纏う美李奈はいつものように休みの時間は中央庭園のベンチで内職に励んでいた。


 特に昼休憩の時間はかなり作業が進む。綾子たちからのせっかくのお昼のお誘いを断ったのはそろそろ納期が迫ってきているからだ。これを逃すと、普段の生活はもとよりアイスも買えなくなってしまう。ただでさえ、綾子との買い食いで余分な出費を出して、執事にこっぴどく嫌味を言われたばかりなのに。

 美李奈は小さなサンドイッチをかじりながらせっせとシールを張り続けている。


「むっ!」


 怒鳴り声でもないのによく響く、そんな声が聞こえる。

 美李奈がすっと顔を上げると、視界の先には白い制服を着た見知らぬ偉丈夫がいた。スカーフを見るに三年生であろう。その男は美李奈を見やると無表情のまま、ずんずんと大股で歩み寄ってくる。そのたびに熱気とでもいうのだろうか、圧になるものが感じられ、美李奈はほんのわずかに怪訝な表情を浮かべた。


「お前、真道美李奈だな?」

「無礼ではありませんか?」

「むっ?」


 ぱたっと内職の手を止めた美李奈はその偉丈夫を睨み付けるように、見上げた。

 対する彼は首を傾げ、なにをそんなに怒っているのだろうというような表情で美李奈を見下ろす。


「名を尋ねる時は自分から名乗るのが筋でございましょう? 特に殿方であれば、なおさらかと思いますが?」

「そうであったな!」


 キィンと耳に響く大きな声であった。


「私の名は天宮蒼雲! 見ての通り三年だ。生徒会に所属している!」


 偉丈夫が声を出す度に美李奈は顔をしかめて、ベンチの縁へと逃げるように態勢を動かした。

 何より唾が飛んでくるのが鬱陶しい。


「して、その天宮蒼雲様が一体どのような御用で?」

「それはご挨拶だな真道の。貴様であれば言わずとも理解できると思うのだがな!」


 蒼雲は腕を組んで豪快に笑い声をあげる。それが穏やかな庭園には似合わず、さらにはその声量が思いのほか大きかったのか枝に止まっていた鳥が一斉に飛び去っていく。


「会話のつながりもなく全てを察することが出来るほど、私はあなたとは親しくはないのですけれど?」

「ふむ? 戦場では二度、三度と会いまみえたが、それでは足りぬというか?」


 美李奈は蒼雲がそこまで言わずとも、彼が≪マーウォルス≫を駆るパイロットであることに察しはついていた。全身から醸し出される威圧感と猪突さを人の形に押し込めたような言動はまさに赤銅の闘士そのものであるように見えた。


「よもや戦での遺恨をここに持ち込むか? だとすれば、私の見込み違いであったというところだが」


 蒼雲は美李奈のそっけない態度の理由がとんとつかめないのか、そんな的外れな言葉を吐き出していた。美李奈にはその無遠慮さがさらに癇に障るのだ。


「いきなり現れて一方的なものいいをされて良いはずがないでしょう?」

「はっはっは! はっきりとものを言うなお前は! まぁ言われてみればそうだな。それは悪かった。何、先の戦いにおいて剣戟を交し合った者の顔を見に来ただけだ」


 そういいながら蒼雲はまじまじと美李奈の顔を覗いた。そこにいやらしさはなく、ただ純粋に相手を観察しているだけのものなのだが、ひどく威圧的な面持ちの青年である蒼雲の顔面が寄ってくるだけでも圧がかかる。


「ククク! まるっきりお嬢な顔立ちだというのに、マシーンに乗れば苛烈極まりない戦いを繰り出す。人は見かけによらないとは言うがお前はまさにと言ったところだな」

「それはどうも。あなた様は見かけどおりでいらっしゃる」

「表裏はないと自負しているよ」

「そのようで……」


 美李奈としては早くこの場から立ち去ってもらいたい気分であった。


「もう一度、お前のマシーンとは戦ってみたいものだ。心の底からそう思うよ」

「私はお断りいたしますわ。今はそのような無駄、行う時ではないでしょう?」


 本気でそんなことを考えているのかと美李奈は蒼雲の言葉に耳を疑った。


「無駄か。酷い物言いだな。どうであれ、マシーンという真剣を扱う試合だ。それは無駄ではなかろう? 真剣な戦いには常に得るものがある。私はお前との戦いで好敵手というものを得たつもりだ」

「いいえ無駄です。今は我々で刃を向け合う時ではないと、おわかりでないのですか?」

「強くなければ敵は倒せぬ。であるならば我々は常に強者であり続け、そして迷いなき太刀筋で切るしかあるまい?」

「その刃が民を切るとしてもですか?」

「加減をして倒せる敵であるとは思わんのでね。それに迅速な処理は結果的に人を救うとは思わぬか?」


 美李奈は絶句した。この男はおそらく本気でそんなことを言っているのだ。打算であるとか、容赦がないとかではない。自分の行いの過程を考えずに、都合の良い結果だけを抜き出している。猪突猛進では片付けられないほどに危うい男である。


「些細な被害が生じるのは戦の常だ。諸行無常だな」

「己の振るった剣の後ろを顧みることはしないのですね」


 もはやこの男との語らいは無意味であると悟った美李奈は内職の一式をまとめてベンチから立ち上がり、蒼雲に背を向けて歩みだす。


「また戦場で会おうぞ!」


 蒼雲は大手を振って、大声で言ってきた。

 美李奈はそれを無視して、一直線に去っていく。


「……!」


 少しでもともに戦える同志になるのではと期待した自分が馬鹿であったと思いながら、美李奈は目の前に現れた少年を見据えた。


「龍常院晶……」

「おや、久しぶりと言うべきかな?」


 そのように答える晶の傍には天宮朱璃の姿もあった。彼女は晶に寄り添うようにして立っていたが、いつぞやのような鋭い視線は相変わらずであった。


「蒼雲と話していたようだが、彼、うるさいだろう?」


 晶は後方で今も手を振る蒼雲を眺めながら苦笑していた。


「まぁ悪い奴じゃないんだよ彼も。朱璃にとっても優しいお兄さんだからね」

「……」


 晶に後ろ髪を弄られている朱璃は頬を紅潮させていた。


「それで、御用はなんでしょう?」

「いやなに。ユノを立ち上げて、二機のマシーンを出撃させてきたのは良いけど、そろそろ上に立つものが重い腰を上げないと示しがつかないだろう?」


 晶はくっくっと喉で小さく笑っていた。


「今夜だ」


 晶はすっと指を空に向けた。


「今夜、再びヴァーミリオンが来る。これは我が組織の観測データが導き出した確かな情報だ。これまで以上に巨大なヴァーミリオンが来る」


 晶は微笑を浮かべた。


「宣言するよ。龍常院晶も、この戦いに参戦させてもらうと」

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