時間を無駄にしたと思った場合

 この一年間を無駄にした!

 新人賞で落選してしまった時、投稿者が陥るマイナス思考の筆頭が、おそらくコレではないでしょうか。かくいう自分も、小説投稿を始めた頃は、完全にそう考えておりました。

「あんなに頑張ったのに落ちたなんて……」

「この一年間は完全に無駄だったんだ……」

 そう考えると、もはや何を信じていいかわからず、すぐには立ち直れないような精神状態に陥ってしまいます。


 しかしながら、ちょっとだけ待ってください。

 小説が落選してしまった場合、その作品の執筆に費やした時間は、本当に無駄なのでしょうか? 人それぞれ意見はあるでしょうが、個人的には、無駄ではないと主張したいです。作家デビューできなかったという意味では、確かに無駄かもしれませんが、自分の行動を全否定する必要はありません。

 たとえば甲子園。言わずと知れた球児たちの憧れですが、甲子園で優勝できる学校は一校だけです。だとしたら、優勝校以外の球児たちは、野球を頑張って無駄だったのでしょうか? そんなはずないですよね。試合後に球児たちが流す熱い涙は、毎年例外なく、観客をおおいに感動させてくれます。目標に向かって真面目に努力した経験や、そこで手に入れた友情は、場合によっては一生の財産となるでしょう。

 それと一緒と言うと少し語弊がありますが、小説投稿についても、過程で手に入れた物には価値があります。文章を書くスキル、励まし合った投稿仲間、落選の絶望から立ち直った経験……。この一年間をなかったことにしたら、そういう付随物も、すべてなかったことになるのです。

 個人的にそれはイヤなので、もし仮にタイムマシーンを与えられても、自分は一年前へは戻りません。落選自体は悲しいですが、そこから得た教訓や反省には、価値があると思うからです。そもそも失敗は成功のもとと昔から言いますし、本気で何かに取り組んだ経験は、その人の人生において大きな意義があるでしょう。


 ちなみにこれは落選の弁解ではなく、落選を反省するのは当たり前の前提として、その上で「過程で手に入れた物は大切にしようね」と言いたいわけです。

 この一年間は無駄だったとか、自分の過去を全否定しながら生きるなんて、非常に悲しい行為ですもんね。小説投稿だけに限らず、仕事や恋愛や人生全般において、それはしないで生きたいものです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る