執筆再開

 北京で働き始めてからちょうど一年後、シンガポールへの転勤が決まりました。

 いわゆる海外転勤です。すでに中国に住んでいたわけですが、そこからさらに海外転勤になったのです。当時のシンガポールに対する認識といえば、「マーライオンがいる国だっけ?」程度でしたが、一も二もなく承諾して引越を完了しました。自分は激しい人見知りではありますが、冒険心だけは無駄に旺盛なので、知らない国へ飛び込むのは大好きです。

 それはさておき、シンガポールへ引越してから、心身ともに大幅な余裕が生まれました。仕事の内容や拘束時間は以前と一緒で、住む国が変わっただけなのに、何故か突然すごく時間ができたのです。北京では停電や断水が頻繁に起こったり、ちょっとでも油断すると身体を壊したり、生活そのものが結構大変だったのですが、シンガポールは非常に住みやすい国でした。余裕の原因はその差でしょう。ちなみにこれは文句や誹謗中傷の類ではなく、自分は中国が大好きだと付け加えておきます。

 それでまあ、できた時間をどう使うって、もちろん小説の執筆に使いました。開始早々に挫折したものの、小説を書きたい気持ちは残っていたので、一年の空白期間中にネタは結構たまっていたのです。その当時は2009年の1月で、頑張って完成させたら、4月の電撃へ挑戦できる時期でした。そういうわけで、放置していたファイルを引っ張り出して、仕事が終わった後に毎日少しずつ書き進めることに。本格的な創作活動の始まりです。


 ちなみに余談ですが、この時シンガポールで完成させた作品が、これまでの小説投稿の中でもっとも高い成績を残しました。

 具体的には、初投稿の電撃大賞で一次通過。その後何度か大幅に改稿し、コバルト文庫のノベル大賞(旧ロマン大賞)では、三次選考まで進みました。「けっ、自慢かよ」と思ったあなた、どうか安心してください。何度もしつこくアピールしている通り、筆者の落選回数は135回ですから、この後披露するのは失敗体験ばかりです。

 これだけ何度も挑戦しておきながら、いまだに処女作を越えられないのは悲しいですが、今思い返せば初めての小説はそれだけ特別だったのでしょう。自分の投稿成績は、残念ながら右肩下がりの一直線ですが、熱意の量が結果に反映されているのかもしれません。それを充分に自覚していても、意図的に乗り越えるのは難しく、試行錯誤を重ねている最中です。


 とにかくまあ、そういうわけで。

 小説自体を書き始めたのは2007年ですが、実際の小説投稿は、2009年の電撃大賞が初参加となりました。

 今もまだ続いている、長い旅の始まりです。

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