消えた原稿

 文字化けに両面印刷、さまざまな困難をクリアしても、トラブルは続きます。

 その日はようやく新作が完成し、職場で原稿を印刷した後、自宅でチェックする予定でした。しかしその前に、ホーカー(シンガポールに多数ある安価なフードコート)で夕食を。シンガポールは外食産業が発達しており、自炊するよりも安いような価格で、多種多様な世界中の料理が味わえました。共働きが多いのが一因と聞きましたが、とにかくそういう食事情には、自分もおおいに助けられた次第です。

 食事中にふと考えるのは、もちろん小説投稿のこと。寝るまでに三時間あるから、今日中にチェックを済ませて、修正点が見つかったページは、明日直してもう一度印刷しよう……。自然と作品について考えてしまうのは、小説投稿者の悲しい習性と言えそうです。なんて思いながら帰宅しました。

 さあ、さっそく原稿のチェックを……。

 あ、あれ、その原稿が見当たらないぞ……。

 なんと自分、小説について真剣に考えすぎるあまり、その小説が入った袋をフードコートに置き忘れてしまったのです。本末転倒にも程がありますね。気付いた瞬間は背筋が凍りつきました。

 今になって冷静に思い返せば、紙が消えても元データは手元にあるので、再印刷すれば済むだけの話です。そうはいっても原稿は自分の分身。誰か知らない人間の手へ渡り、ぞんざいな扱いを受けているかもしれないなんて、許せる出来事ではありません。

 こうしちゃいられない!

 今すぐフードコートへ全力ダッシュだ!

 駅前行きのバスを待つのさえもどかしく、暗い夜道を汗だくで全力疾走(シンガポールは一年中暑い)しましたが、結論から言うと見つかりませんでした。まずはお店の人へ尋ね、それから近くのお客さんに尋ねても、返事は「知らない」「見ていない」の一言です。どうにもできずに泣く泣く家へ帰りましたが、その晩はショックでよく眠れませんでした。


 あの原稿は、果たしてどうなってしまったのでしょうか。

 素人の投稿小説に価値があるとは思えませんが、クリアケース目的に盗まれたのかもしれないし、外側が使い古したボロボロの紙袋だったので、ゴミと思われて捨てられた可能性も考えられます。

 一次落ちの小説はゴミ。

 そんな極端な言葉も存在しますが、常木らくだの小説原稿は、一次で落ちる前からゴミなのでした。

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