第9輪 だが断る! つもりだったのだが
ノーラに追いついた俺は財布を取り返すのに成功した。
遠くでは、亀の化け物と銀の鎧を来たこの国の軍隊が激闘の最中だが、まあこっちは観戦ムードで気楽なものである。
そこに、裕福そうなおっさんが自称商人を名乗って俺のトラックの話題を振ってきた。
謎はすべて解けた!
あんた、このトラックがほしいんだな? とおっさんに突きつけた俺に返ってきた答えは——。
🚚
「いいえ! とんでもございません!」
……あれれ〜?
しまった。予想が思いっきり外れたので、つい、頭脳は大人、身体は小学生のような反応をしてしまったじゃないか。
まあ、俺のは天然だけど。
「てっきりそういう話かと思ったんだが……」
「一介の行商が買える額ではありませんよ。ちょっとした小物とか、壊れてしまって動かないのであれば別ですがね」
「へえ、そんなものか」
これは良いことを聞いたな。
金に困ったら売るか……
「ご自身の乗り物の価値をご存じではない?」
「あ、いや……そういうわけじゃないんだがな。その、なんだ、アンタは見た感じ金持ちそうだったから、」
「はっはっはっ、お世辞がうまいですなあ。私なんて、王都に店を構える商人たちと比べれば、その辺の雑草のようなものですぞ。……ま、そんなことはともかく。私が聞きたかったのは、この乗り物をどちらで手に入れたのか、なんですよ。もしよろしければ、お教えいただけませんかな?」
「うーん……どこで入手したかって言われてもなあ」
さて困ったぞ。
適当な言い訳を続けていたが、流石にこの質問には答えにくい。なにしろ俺はこの辺——ええと、なんだっけ、レーニア王国だったかの地名はひとつも知らないのだから。
「うーむ……」
「迷われる気持ちも分かりますが、ただでとは申しませんぞ。入手した際の業者の情報だけでも西方銅貨三枚……いや、五枚はお支払い致しますが。出土品であるなら、出土した場所をお教えいただければ同じぐらいは……」
前のめりになって聞いてくる商人が、ややうざい。
そもそも答えようがない質問なのだからなおさらだ。
「あー、いや、礼はいいよ。実はそのなんだ、元はといえば、うちの祖母の持ち物でな。由来と言われても困る。代々引き継いで使ってるんだ。まあ、嫁入り道具みたいなもんだよ」
「はあ……嫁入り道具、というのは持参金の一種ですかな……? しかし……そういうことでしたら、出所ぐらいは伝わっているのでは」
「いや、それがまったく」
「それは残念……失礼しました」
子どものころに読んだ小説を思い出して、そう嘘を吐くと、マイルズというおっさんは、態度をころりと変えて引き下がった。
はあ……面倒な。
けど、トラックが嫁入り道具ってどんな家だろうなあ……。小説では宇宙船だったから、それよりはマシだと思うが。
「あの、ご主人様……」
「あん?」
「ひぅっ。すみませんアル」
「……お前、そんなビビんなよ……」
商人のおっさんと入れ違いに声をかけてきたノーラに生返事を返す。
ところが、ノーラのやつ、見て気の毒になるぐらいにしゅんとなってしまった。
目の奥に涙を浮かべて、怯えているのだが……。
「お前なあ……俺から金盗んでおきながら、そういう態度取られると、どっちが被害者かわからんだろうが。もっとふてぶてしくしてろ」
「……う」
「まあいい。そろそろ行くぞ」
ノーラは困り顔になった。
俺の要求が変なのは分かるが……いや、そこまで変なことを言っているつもりもないのだが。
被害者はどう考えても俺だしな。
ともあれ、俺は大きなため息を一つ吐くと、ノーラの腕を取った。
馬車の御者に途中下車する旨を伝えて、少しでも金を返して貰えるか交渉する必要があったのだ。だが……。
「……ぃ、いやアル」
「ああん? お前、立場わかってんのか? 警察……じゃなかった、衛兵に突き出してもいいんだぞ」
いやいやと首を横に振るノーラに、俺はそう言って脅かしたが。
「わたし、どうしてもディノンに行きたいアルよ……お願いアル! ご主人様! わたしをディノンに連れていって欲しいアル。それで、ディノンに着いたら、わたしを売ってもらって構わないアル! そのお金で弁償するアルよ!」
「ンだと……?」
ノーラは、懇願のようにも、勝手な言いぐさのようにも思える発言をすると、俺をじっと見つめて——いや、見据えている。
……ディノン、というのはこの街道の先にある街の名前だったか。
俺は、頭をがしがし掻いてから、ノーラを見返した。
「っかたねぇな。話ぐらいは聞いてやる。なんでそんなにディノンとやらに行きたいんだよ、お前は……」
そして俺は語るも涙、聞くも涙の物語をノーラから聞くことに……はならなかった。
ちょうどその時、一頭の馬と騎手が、戦場からこちらに向けて駆け込んできたからだ。
「こっちの世界も、馬は普通の馬なんだな……」
「ご主人様、昨日から『こっちの世界』と何度も言ってるけど……どういう意味アルか?」
「ん……ああ。まあ、気にすんな。そんなことより、事情は聞いてやるけど、金はちゃんと返してもらうからな? 確か……銅貨八枚、だったよな?」
「……あう」
あう、じゃねえよ。金を返せば許してやってもいい、ってだけ優しいと思え。
などとノーラに説教していると、近寄ってきていた馬上の騎士が面頬をはね上げた。
騎士、というのは、戦場で戦っている兵士達が着ている実用一辺倒の鎧とは違う、装飾入りの磨き上げられた甲冑からの想像だったが。
で、その甲冑の中身は予想外のことに……美人だった。
少しだけ覗いている髪は金髪。意志の強そうな透き通ったブルーの瞳と首が連動して動いて、俺を含むこの辺にたむろしていた一同をざっと右から左に眺めていく。
一瞬、俺のところで視線が止まった気がするが、気のせいだろう。
視線で一同をなぞった後。
美人ならではの冷たいぐらいの表情をさらに強張らせて——結果、きりっと凜々しい表情になっていた——薄い色の唇を開いて、曰く。
「あー。私の名はエリスだ。家名はレイドール。レーニア王国の騎士団に所属するものである。すまないが、このばひゃ……えっと……この馬車の御者と、あの
いま明らかに噛んだ。
言い直した後で、何事もなかったような顔をしているが、一瞬困り顔になった上、少し頬が赤く染まっている。
……第一印象は百二十点だった。
「へえ、あっしが御者ですが。雇われなので馬車の所有者はあっしじゃありませんが」
「乗り合い馬車だな? ディノン行きか」
「へえその通りですが……」
「王国令に則って、徴用をしたい。……なに、一部の装備品をディノンまで運んで欲しいだけだ。先の戦いの様子は見ていたと思うが……想定より損害が出てしまってな。けが人を運ぶのでこちらが準備した馬車を使い切ってしまう。装備品のために、一部の部隊を残してここで野営させる手もあるが、君たちの手を借りればそれも最小限で済みそうなのだ。もちろん、規定の報酬は支払うとも」
エリスと名乗った騎士は、立て板に水とばかりにぺらぺらと説明するが、さっき噛んだせいかまだ頬は赤かった。……いい。
「……うーん、乗客がそこそこいますので、そんなに大量には運べませんぜ」
「可能な範囲で構わないとも。……詳細は後に来る従士が数字をまとめてくるから、そっちと詰めてもらいたい。——念のため言っておくが、これは王国民の義務である。協力を拒むのであればそれなりの罰則があるが」
「はあ……そういうことでしたら……仕方ないですなあ」
美人だが、男言葉で突っ張ってるのは玉に瑕ってやつかなあ……。権力を笠に着るのも嫌な感じだね……。
などと、御者と女騎士の会話から第一印象を修正していたところ、彼女は次に俺へと向き直った。
きりっと再び表情を固めてから——よく見るとまだまだ若そうで、子どもが背伸びしているような印象がある——問いかけてきた。
「あなたは旅人か? 王国民ではないように見受けられるが」
「……あー、まあそんなもんだが。どうして分かるんだ?」
「王国民に黒目黒髪の民族はいない。それに……少し変わった服装だからな」
「ん……ああ」
俺がそのとき着ていたのは、この世界に来たときから変わらず、ジーンズ地のジャンパーとジーパンだったが、確かにこれは珍しいかもしれないなと頷いた。
「あなたにも協力を頼みたいのだが……」
「ん? 強制じゃないのか?」
「うむ……王国民以外には、軍の要請に従う義務はないのだ。しかし、報酬は支払えるし、ぜひ協力して欲しいのだが……この街道をやってきたということは、ディノンを目的地としているのだろう? 見たことのない
「いや……悪いけど、俺は引き返すつも——」
「ご主人様!」
ノーラが、俺の腕に手をかけて台詞を遮る。
なぜか眉をひそめているエリスの態度が気になったが、それは置いておいて、俺はノーラに向き直った。
「ディノンに……行きたいアル」
「そんなお前、『バスケがしたいです』みたいなこと言われても……」
「お金も出るアルよ?」
「そりゃそうなんだが、馬車だと何日かかかるんだろ? 飯どうすんだ……って、あれ? お前、道中の飯はどうする気だったんだ?」
「乗合馬車は、食事も売ってるアル。到着するまでは持ち合わせでなんとかなりそうだったアル……ごめんなさいアルよ」
持ち合わせってそりゃ俺の金だろ? という目で睨んだ効果があったらしく、ノーラは再び縮こまった。反省しろ。
「食事の問題ならば、我々が報酬として提供……いや、無料で差し上げよう」
「ん……いいのか?」
「死人は飯を食わん」
「あー……ご愁傷様です」
横から提案してきたエリスに、それでいいのか? と確認したら、ずいぶんとドライな反応が返ってきて軽く引いた。
まあ、流石にあの戦いじゃあ死人も出るよなあ……。
「もちろん、本来の報酬は値引くようなことはしない。どうだろうか」
「何日ぐらいかかるんだ?」
「そこは、行軍だからな……八日ほどは見ておいてくれ」
八日か。結構あるな……。
ノーラに、乗合馬車でなら何日なんだ? と聞いたら「今日入れて三日」と返ってきた。
ずいぶん差があるぞと思ったが、どうも軍隊の移動というのは遅いものらしい。
うーむ。いくらぐらい貰えるかが重要かなぁ……。
と思ってまたエリスに聞いてみたら、運べる量にもよるが銀貨二枚半ぐらいは出すとのこと。銀貨一枚は銅貨十八枚分らしい。ずいぶんと半端だ。
金額的に、一週間は宿に泊まれる程度のはずなので、まあ悪くない感じではある。濡れ手に粟でがっぽりにはほど遠いというか、九日拘束されるにしてはずいぶん安いのだが、まかない付きだと思えば……やっぱ安いような?
宿賃や料理の値段からの計算で、感覚的には、最小の通貨が日本円でいうと百円ぐらいの価値があって、計算していくと銀貨一枚は一万五千円ぐらいなのだ。九日付き合って三万円以上四万円以下、というのは役所ならではのしみったれた報酬ではないだろうか。
あ、ちなみに最小単位は小銅貨といって、これが銅貨の八分の一の価値らしい。
さらに半銅貨というものがある。こっちは普通の銅貨の半分の価値である。
誤解しそうだが、銅貨が半分に割られているわけではなく、普通の銅貨より一回り小さいものだそうだ。
なぜ十とか百の束になってないのかと小一時間は問い詰めたくなるが、この異世界ではそういうものだから仕方ないようだ。納得いかんが。
こういった、通貨単位にまつわるあれこれは、昨日宿を取るときに主人からそれとなく聞いておいた。といっても、さりげなく聞けたのは銅貨より下だけだったが。
それでも、流石に細々と突っ込みすぎて、少し変な顔をされていたが、この辺は知っておかないとやばいことになりそうだったからな。
あー、そうか、あの宿、衛兵の紹介だったから特別価格だったかもしれないなあ。とすると、全体にもうちょっと価値があるのかもしれん……。
というようなことを、もろもろ考えて、俺はエリスに再び聞いた。
「うーん……。寝るための野営道具とかも貸してくれるか? もちろんタダで」
「ご主人様っ」
ノーラの声は俺を咎めるものではなく、喜びを含んだものだった。
俺が、半ば引き受ける気になったのが分かったのだろう。勘の良い奴だ。
——それとも、俺がこいつに腹を読まれる程度に単純なのだろうか?
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