第43輪 高貴なるお誘い
エリスとレオが街を出て。
ここが近いうちに戦場になると聞かされた俺たちもまた、街から脱出しようとしていた。とはいえ、腹が減ってはなんとやらという言葉もある。
そんなわけでまずは食事にしたわけだが、川海老がひっじょーに旨かった。
というか、あれは川海老という感じのものではなく、柔らか車海老みたいな何かではないかと思うのだが。
値段も高くはなかったし、チャンスがあればまた来て喰いたいものである。
さて。そんなこんなで食事を済ませた俺たちだが、店を出てしばらくすると思わぬ人物から呼び止められることになったのだ。
王宮で会った、王女付きの眼鏡メイド——フレデリカ嬢である。
彼女は既に、女装神の妹(あるいは帝国の皇女)に魔法で洗脳されている可能性が高いのだが……。
俺は緊張を感じながらも、彼女の話を聞くことにした。
🚚
そうしてやってきた喫茶店。
——と言いたいところだが、この異世界、どうも喫茶店に類する店がないのだった。
茶がないわけではないのだが、以前にこの世界に来たばかりのころに衛兵の詰め所(そうだよ、俺がしょっ引かれたところだよ、覚えてるかな?)で飲んだ萌葱色の液体……まあ平たくいうと日本茶みたいな感じのやつで、味もそれっぽいやつ——ただし味は基本薄め——しか店で供された記憶がない。
広い世界だから、紅茶のようなものも、きっとどこかにはあるのだろうが……。
代わりにあるのは、昼間から営業している酒場と食事処の類である。その中でも一番近いのが、麦湯と軽食メニューを提供する店だろうか。といっても、酒場や食事処のランチ営業という感じで、専門店ではない。
勘違いしないようにな。麦酒、ではなくて麦湯だ。
大麦の種子を煎じて作る飲料……シンプルに言えば麦茶だ。
ただし、ホットだ。煮出したものをそのまま飲む。
あるいは、冷めた奴を飲むこともあるが、店ではあまり提供しない感じだ。
基本的にこの世界、冷やしている飲み物・食べ物はあまりない。
というか、あるのだが、井戸水に漬けてある、というようなレベルであって、現代日本人である俺の感覚からすれば温いとすら言える。
日差しがきついときはそれでも案外美味しいと思うようになったのだが……。
むしろ、この世界の感覚では、温かいものが即ちご馳走という感じらしい。
電子レンジもないのだが、火はある。
なので調理直後のものを食べたり、わざわざ火を起こして温めたものを食べるのが豪華、という感覚なのだ。
いきおい、外食の店でも温かい麦茶……というかこの場合、やはり麦湯というのが分かりやすいだろうが、そう言ったものが供されるのである。
なんだか説明が長くなったが……。
そういう理由で、俺たち三人に眼鏡メイドのフレデリカさんを加えた四人は、軽食と共に麦湯を出す店に移動したのであった。
「よかったら何か食事も頼んでください」
「いえ、そういうわけにも……」
固辞する彼女に重ねて注文を勧める俺。
言うまでもないことだが、俺は腹一杯なので、何かを喰う気にはならない。だからといって軽食と麦湯の店に来て、麦湯だけで済ませる客はあまり多くないわけで……。
若干、気を使うというか、スタ○でコーヒーのみで数時間居座るようなことが苦手なタイプなのである。そもそも、あのお洒落感が苦手なのだが。
まあ、それは今関係ないな。
「俺の故郷では、こういう場所では男が払うものなんですよ」
「ええと……でも私、職務中ですし……」
「……いや、実は、さっきみんなで飯を食ってきたばかりで、腹一杯なんですよね。店にも悪い気がするので、どうか一つ」
「そういう事情ですか……分かりました、ジョーさんにとってその方がよいのでしたら」
そんな感じのやりとりを重ねて、なんとか料理を注文して貰った後。
先にやってきた、熱いぐらいの麦湯が入った陶器のゴブレットを手にした俺はようやく、彼女が自分達を呼び止めた理由を尋ねた。
メイドのフレデリカさんは、あの時皇女の魔法にかかっていたから、注意が必要だ。
しかし、衛兵連れなどではなく、単独でやってきているからにはそう剣呑な話ではないと考えたのだが——。
「ごほっごほっ……なんですって?」
予想外の要請に、麦湯が気管に入って
「はい……ですから、王女様主催の園遊会に出席して欲しいのです」
「その園遊会ってやつもなんだかよく分からないけど……それよりその後、なんて言いました?」
「帝国の皇女様が、貴方とお話がしたい、と……」
「いや、さらにその後です」
「よろしければ、二人の奥様もお連れ下さればと……」
そこだ。ノーラが俺の嫁だと誤解されるのはまだ分かる。
だが、二人のというのはどういうことだ。
俺は卓を共にしている少女に目をやる。
黒髪の彼女、ミナは我関せずという様子で、注文した焼き菓子のようなものを囓っていた。
動揺した様子はない。
むしろ、何をこれぐらいで驚いているのかと言いたげな雰囲気すらある。
……ええ? そういうものなのか?
こっちの世界はこれぐらいの年齢の嫁がいたりするのだろうか。
「まあそれはおいとくか……フレデリカさん。この二人は、俺の嫁じゃないですよ」
「あら……そうでしたか」
眼鏡の位置を直しながら彼女はなんでも無かったかのように受け流した。
と、思ったのだが。
「……とすると、ジョーさんは独身でいらっしゃいます?」
ん……?
上目遣いになってそんなことを問いかけてくるフレデリカさんに俺は頷きを返した。
「そうですか……」
一人で頷いて、麦湯の入ったゴブレットに視線を落とした彼女の意図は分からない。なにがしか深い意味でもあるのかと思ったのだが……。
それより——。
俺は気になっていたことを問いかける。
「フレデリカさん、昨日のことはどれぐらい覚えていますか?」
「あの、ジョーさん。私のことは、フレデリカと呼んで下さい。敬称を付けて呼ばれることは仕事柄、滅多にないので、ちょっと不思議な感じがしてしまいます。敬語も不要です」
「はあ……でも、フレデリカさんの口調は丁寧ですよね」
「それも職業病ですね……日頃から癖を付けておかないと、ついうっかりがありますし」
「ああ……なるほど」
気持ちはちょっと分かる気がした。
しかしまあ、今はそんなことを話している場合ではなく。
「フレデリカさん、それより——」
「フレデリカ、でお願い致します」
むむ。
俺は内心ため息を吐きながらも、特に損することはないのだし、彼女の希望に合わせようと思い直した。
「フレデリカ、昨日のことは覚えているのか?」
「ええ、覚えていますわ」
言葉を区切った彼女が浮かべた、これまでにない表情に、俺は一瞬視線を奪われた。
「あなた達のせいで、私は大変な目に遭ってしまいましたし……」
「あー……いや、あの時は悪かった……」
眼鏡の奥に潜む、どこか悪戯めいた眼差し。
もっと地味な女性だと思っていた彼女に、こんな一面があったとは知らなかった。と俺が思って言葉を濁すが、すぐに。
「ふふっ、ちょっとした冗談ですよ、ジョーさん」
そのどこか蠱惑的な眼差しはしかし、錯覚だったのかすぐに消えた。
呼びかけ方を変えたせいで、彼女の心境が少し気安くなったせい……だったのだろうか。
そして、そんな小さな疑問よりも。
「あなた方が王宮を辞された日の夜になって、帝国の皇女様がまた貴方と会いたいと——」
「待った」
妙に引っかかる一言が俺の意識を絡め取った。
「その日の夜、だって?」
「え、ええ……貴方とそちらの兎人の方と、ええと、確かもう一人がお昼過ぎに謁見にやってこられて……いえ、皇女様とのお茶会だったかしら……」
俺はなるほどと呟き、ノーラと視線を合わせて頷き合った。
やはり、彼女は皇女の魔法の影響下にあるようだ。
俺とノーラ、そしてレオが王宮を訪れたのは真夜中。だが、彼女はそれを昼のことだと思っている。
「まあ……ともかく、園遊会へのお誘いは皇女様のご要望なのです」
いや——曖昧にしか認識していない。
そして、それでなぜか納得している。
「そうか……」
俺は呟いて考える。
彼女が伝えてきた園遊会とやらへの出席要求に、どう答えるべきか。
明らかにこれは罠……と考えるのが普通だ。とすれば……。
「せっかくだが……そろそろ街を出なければならないので」
「あ、すみませんが、それは難しいかと思います」
「……どういうことだ?」
「ジョーさんは街から出すなということで、それぞれの門の衛兵に手配書が回っています」
……なん、だと。
「ど、どういう理由で?」
「皇女様がどうしてもジョーさんにお会いしたいということでしたから……王女様の命により、この者の出国まかりならず、としております」
「……犯罪者扱いってわけじゃないのか?」
この場合、だから良いというわけではないのだが……。
つい気になって聞いてしまった。
「丁重に扱うように、と手配書にはあるかと思います」
「でも……街は出られない?」
「はい、申し訳ないのですが……」
「つまり、それって……強制だよな?」
皇女の事情というか背景を考えると、眼鏡メイドの彼女に言っても仕方ないのだが、口調が恨み節っぽくなってしまったようで。
「ご迷惑をお掛けしますが……その、あの年代のお姫様はなんと言いますか、気まぐれなところがございますし……お付き合いいただければ、と。園遊会はしあさってに開かれますので、それまでの滞在費はこちらでお支払い致しますので、何とぞ……」
そういう気楽なものではない、と知っている俺としては愛想笑いも浮かべられない。
……しかし、まあ。
ある意味では、これは好都合かもしれなかった。
例の皇女——
話を聞き出して情報を得るにはちょうどいい。
それに、だ。
……そのはずだよね、普通。
というわけで、俺たちは——まあ、ほとんど選択の余地はなかったのだが——フレデリカの要請に従って園遊会とやらに出席することにしたのだった。
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