第42輪 メイドさんは昼食の後で

 

 今後の方針を決めるため、エリスと落ち合うことにした俺。

 しかし、彼女とレオは既にこの街を後にしていた。

 その理由は、皇女に支配された王宮を解放するのに必要な援軍を呼んでくるため。

 結果として街に取り残された俺とノーラ、ミナの三人。

 騎士団の秘密基地だかで出会った男が言うには、数日以内に戦場になるからはやくこの街から離れたほうがいいということだが……。あ、いや、これはエリスからの伝言だったか。

 急な成り行きに話を聞かされたときは混乱した俺だったが……。

 ともかく、こうなったからには俺が取るべき行動は一つだろう。


   🚚


「……てなわけで、メシにしよう」


 ランドルフのおっさんが立ち去って行った後。

 俺は室内に残った二人の顔を見て、そう言った。


「街を出なくて良いアルか?」

「賛成」


 俺の注意を促したノーラと、言葉少なに頷いたミナが視線を合わせた。

 彼女達が何か言う前に、俺は口を開いた。

 

「早く出た方が良いにしても、まだ数日あるだろ。なら、メシぐらい食ってからでも遅くないさ。昨夜から、何も食べてないから腹が減って仕方ないしな……」

「私もお腹減った」

「ノーラも腹は減ってるだろ」

「それはそうアルが……あ、そうだったアル。ミナ、これ……」


 ノーラが懐に手を入れてから、ミナに差し出したのは先の露店で買ったペンダントだ。


「これは……?」

「ご主人様が買ってくれたアルよ」

「お兄さんが……これを」


 あの夜に会ったときから、ずっと口を酸っぱくして言っているので、最近のミナは俺のことを「おじさん」呼ばわりすることも減ってきた。

 ……ゼロにはなっていないのだが。

 黒髪の少女は、珍しく言葉に詰まったようで俺の顔をまばたきして見ている。その後ろにノーラが回って、ペンダントの革紐を首にかけてやっていた。

 数秒後、掛け終わったペンダントのトップをつまんで持ち上げて、まじまじと見てから、ミナは口を開いた。


「……ありがとう」


 ぼそっとした口調だが、口元には笑みがある。


「おう、似合うぞ。……ノーラのもな」

「……あ、そのイヤリング……?」


 俺が付け加えた一言で、ミナはノーラの耳元を飾るイヤリングの存在に気付いたらしい。ノーラはそんな彼女の前で、軽く頭を振って、耳に下がった三日月を揺らして見せた。


「そうアルよ、これもご主人様に買ってもらったアル」

「……うん、よく似合ってるよ、ノーラ」


 笑顔のノーラに、ミナが頷く。

 俺はそんな二人を急かして、ベッドから腰を上げさせる。

 それぐらいに腹が減っていたというのが理由の半分、後の半分はなんとなくの照れくささだ。

 大したものでないのに、感謝されるのはどうも面映ゆい。


「ところでお前ら、何が食べたい? ってか、この辺って名物料理とかあんのかな」

「川海老の素揚げが有名らしい、エリスさんが昨日そう言っていた」

「ほう、海老か……ビールが欲しくなるな」

 

 初日はどたばたしていたので、食事に拘るような余裕がなかった。

 手近だという理由で入った大衆料理屋は、まずくはなかったが、こっちに世界に来てからよく見かける、煮込み料理とパンの組み合わせによるシンプルなメニューしか提供しておらず、格段旨いと思えるものでもなかった。

 せっかくなので、今日ぐらいはうまいものを食べていきたい。

 川海老というとつまみという感覚になるだろうが、こっちに来てから海老の類を喰った記憶すらないので、歓迎できるものだった。

 出来ればビールを付けたいところだが、こっちの世界では日本で飲めるような冷えたビールはない(お目にかかったことがない)。

 ラガーではなく、上面発酵のエールならあるが、残念ながらあまり冷えてないやつしかない……。


「ん?」


 もしかすると、トラックを冷蔵トラックに変形させることができるのではないだろうか。

 これは……今度試してみるしかないだろう。

 エールは樽で買えばいいのかな。

 しかし、その間はトレーラーハウスにはならないから、生活はテントか宿屋か……なかなか難しいところだ。

 そもそもトレーラーハウスに冷蔵庫があると解決する話なのだが。

 女装神ヘンタイの奴が戻ってきたら、そういうことが可能なのか聞いてみるしかないだろう。

 ……などと考えながら、俺たちは宿屋を出て食事処に向かったのだった。


「って、これ、でかくね……?」

「そうアルか? 普通、海老は、もっと大きなものアルよ?」

「うん、これぐらいはあるはず」


 皿に盛られた川海老の山の前で、ミナが手を動かして「普通の」海老のサイズを指し示す。

 だが、黒髪の少女の手の動きから察するに。


「いや、それ、猫ぐらいあるよね……?」


 思わず、口調がちょっと変わってしまった俺である。

 っていうか、海老なのかそれは。海老型モンスターの幼生とかとは違うのか。

 皿の上に視線を戻す。

 そこに載せられているのは、素揚げの川海老なのだが、サイズは養殖のブラックタイガーぐらいはある。っていうかこれが普通の海老だろう。うむ。

 ってか、これの殻、このまま食えるのかな?

 

「頭は硬いけど、身体はそのまま食べられるアルよ」

「そうなのか……じゃあ、まあ、頂きます」


 ノーラの返事に俺は半信半疑で頷きながらも、手を川海老に伸ばした。

 

「これをかけた方がいい」


 ミナが差し出してきたのは、レモンのようだが、形と色が違う柑橘類だった。


「これは?」

「かぼすアルよ、食べたことないアルか?」

「……ああ、かぼすね」


 もちろんあるのだが、俺の知識の中にあるかぼすは、皮がピンク色はしていない。ライムグリーンのはずだ。

 女装神ヘンタイの魔法だかによる翻訳は「近い表現に置き換える」系のものらしく、こんな感じで色々と微妙に——あまり微妙ではない気もするが——違っていることがある。

 まあ、大きな問題はないのだが。

 俺は少し考えてから、取り皿に取った素揚げの海老に直接(自称)かぼすを絞った。

 囓ってから身にかけつつ食べる、みたいな食べ方もありそうだと思ったのだが、簡単な方を選んだ。

 単にノーラの真似をした、とも言う。


「さて、と……」


 ごくり、と喉が鳴る。

 匂いは普通だ。川海老というだけあって、磯の香りというよりはもう少し……なんというか、ええと、表現に困るが……そうだな。全体的には、揚げ物の油の匂いがする。フィッシュアンドチップスのフィッシュが近いかもしれない。

 海老の殻っぽい香ばしさの匂いも、するようなしないような。

 しかし、本当に殻が囓れるレベルの固さなのだろうか。

 そこで、バリッと、音を立てて囓ったのは、俺の斜め隣に座っているノーラ。……うむ、問題なさそうだ。

 俺は口を開いて、まだほんのりと湯気を立ちのぼらせている熱々の海老の素揚げの頭をもって、下を引っこ抜くと、胴体部分に囓りついた。

 殻の感触がするが思い切って咀嚼すると、簡単に割れる。バリバリとうるさいぐらいの音が耳に響くが、せんべいなんかと同じ理屈で、歯やらを伝わって音が内側からも耳に届いているのだ。

 そしてその味は……。


「うまい」


 なんというか、まったりとしてコクがあって……シャッキリポンと口の中で踊る……ってことはないのだが。

 淡水魚だとよくある泥の臭みがあるのかと思ったのだが、それはなかった。

 一匹一匹のサイズがでかいからといって大味でもない。

 一囓りすると、よく揚げられた殻が思っていたよりも遙かに警戒に砕けて、そこから生まれた香ばしさが溢れる。

 それから間を置かずに、海老らしい、ぷるぷるした身肉へ歯が辿り着く。

 弾力で口の中で跳ねそうなぐらいのそれを、ぎゅっと噛みしめると、じゅわーと広がる旨味と、馥郁ふくいくたる香りが口腔内で混じり合う。

 胴体の部分はそんな感じだが、指でつまんで引っこ抜いた頭に残る川海老のミソ。これをすすると、また旨い。

 濃いといえばいいのか、複雑といえばいいのか。

 口の中で儚くとろけるような食感に、似合わない強烈な味のパンチ。

 ノックアウトされそうになりつつ、思わず二尾、三尾と口にしてしまう。

 そして、ふと気付いた。

 これぐらい柔らかい殻なら、尻尾の部分も食べてみたほうがいいんじゃないか。

 日本だとフライの海老の尻尾は食べる人と食べない人に分かれていて、カルシウムは多いが、消化に悪いとかなんとか。

 だが、この海老は素揚げで食べられるほどだ。アメリカのほうでは脱皮直後のワタリガニをソフトシェルクラブといって揚げて食べることがあるらしい。ならば、これも。

 というわけで、端をつまんで囓ってみた。シャリシャリとした食感で、思っていた通り、軽く食べられる。えびせんに似たような味わいだが、完全に海老なので、それよりも香ばしさが強というか、海老を喰っているという実感がすごい。

 海老の尻尾、そういうのもあるのか……。

  

 川海老の素揚げ以外にも数品の料理を平らげて、食事処を辞した俺たちは、一部の荷物をおいたままにしていた宿屋に向かっていた。次の客が来るのもあり、食事が終わって戻ったら引き上げる約束になっていた。

 もちろん、金目のものはおかずに持ち歩くのだが、食事には必要のない着替えなどは置かせてもらっていたのだ。

 歩きながら、俺は腹を撫でた。

 素揚げがうまかったので追加注文してしまったのだが、揚げ物なので、最後のほうは若干油で胃がもたれるような感じになってしまった。

 どんなに美味いモノでも、食べ過ぎると嫌になるが、それに近い状態だった。


「反省だな……」

「美味しかったアルね」

「うん」


 俺が腹を撫でつつ呟く傍ら、並んで歩いていたノーラとミナは苦しそうにはしていない。

 二人ともかなりの量を食べていたのだが、服の上から見える範囲では体型にはあまり影響がなさそうだった。人間……もとい、人族とは身体のつくりが違うのかもしれない。

 ミナなんて身体は子供らしくちっこいのに、俺の八割は食べてたしな。

 そんなことを考えていた俺に、後ろから声が投げかけられた。


「ジョーさん、待って下さい」


 それは聞き覚えのある声だったが。

 緊張に背筋を凍らせながら、俺が振り返る。

 ノーラもほぼ同時に振り返ったので、彼女が硬い表情を浮かべているのも見て取れた。それもそのはず。俺の名を呼んだのは……。


「——フレデリカさん?」


 王女に仕えるメガネっ娘メイドで、昨夜に皇女の魔法をかけられていたため、洗脳された可能性が高い——フレデリカ嬢だったのだ。

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