第41輪 そして大体いなくなった
王宮での帝国の皇女、いや、女装神の妹との一幕の後。
ひとまず逃げ出すことにした俺たちだが、追っ手を撒くためにレオとは二手に分かれた結果、俺はノーラとともにとある宿屋の納屋で一夜を過ごすことになった。
目を覚ました俺は考える。
王都メルキノの王宮に派遣した使者が帰ってこなくなったのは、妹神の使う魔術の影響だということは分かった。だが、どうやってそれを止めさせればいいのか。そもそも、帝国の皇女に扮しているはずの彼女は、なんのためにこの国にやってきたのか。
教会騎士団であるエリスやら、レオの目的である、原因を究明するという課題は達成したとも言えるが……。俺が女装神から求められている「この世界を救う」こととの繋がりはまったく不明だった。
ともあれ、この後のことは、エリスと相談するしかないだろう。
🚚
そのために、俺とノーラは、エリスやミナと落ち合うことにした。
元々潜入がうまくいけば、この街に来たときの宿屋に戻る予定としていたので、そこにいけばよい。
潜入したことはバレてしまったものの、追っ手に追われているという状況ではないので、辿り着くことは難しくないだろう。そう思って納屋を出たのだが。
「……誰か、後をつけてきてたりするか?」
「その気配はないアルよ、ご主人様」
街路を歩きながら、俺とノーラはそんな会話を交わす。
あの納屋から出て、まだ数分というところだったが……。
一歩出たら周囲を兵士に囲まれている、などと言うことはなく。
それどころか、街中を追っ手の兵士が駆け回っている気配さえなかった。
日頃から、街中を巡回していると思われる警邏兵は、皇女の影響下にないのかもしれない。王宮にくせ者が忍び込んだこと自体は明確なので、手配書ぐらいは回っていると思うのだが。
しかし、街の空気は来たときと同じ、平穏なものであった——行き交う人々と、行き交う小舟を見る限りでは。
メルキノは運河の街だから、普通の街なら大通りがあるところには、運河があり、両サイドに人が歩いて通れる道がある。
日本で言うなら、川が妙に多い街という感じだろうか。
そして、その川にはゴンドラのような小舟がいくつも浮かんで行き交っている。
俺のように徒歩で移動する場合、時折、運河を横断する必要が生じる。
橋も少しはかかっているが、渡し船になっているところも多い。
「ご主人様、こっちアルよ」
「あ、ああ」
その渡し船が珍しくて、漕ぎ手が長いオールで立ったまま水を掻いている様子を眺めていたら、ノーラにちょんちょんと肩をつつかれた。
名残惜しさを感じながらも俺は目を離した。
時刻は昼前だった。
といっても、正確な時間が分かる物を持ち歩いてはいなかったので、太陽の位置からの感覚的な把握である。
ちなみに、トラックのシガーソケット経由で充電して持ち歩いているスマートフォンの時間だが……これは、こっちに来て日が経つにつれてずれていった。
理由を理解するまでに時間がかかったのだが、どうやら、この世界は微妙に一日の時間が二十四時間とズレているらしいのだ。
ずれの程度は数分のようで、生活リズムに影響するほどではないし。
まあ、地球とぴったり一緒のほうがおかしいのだ。
しかし、昼前だからか、だいぶ腹も減ってきたな……。
何かの肉らしいものを焼く、魅惑的なまでの香ばしい匂いが漂ってきたりしたのにつられて、俺はそんなことを思った。
道ばたには露店がいくらかでている。そのうちのどれかだろうと、思わず立ち並ぶ出店を順繰りに眺めたところ、広げた布の上に小物を並べている露天商らしき男と目が合った。
ただの偶然だが、店主の反応は素早い。
「っと、旦那! 見たところ旅のお方のようですが、そちらの女性に記念の贈り物はどうすか?」
「んん……?」
「お目の高いお客さんのお眼鏡に適うような、高価なものはありゃしませんが、ここでしか手に入らないようなものばかりですよ!」
卑下しているようで、高いものがないので買いやすい、というアピールのようである。
商売が上手いのか下手なのか、微妙な線だ。
「今はそれどころじゃないアル」
「いや……、ちょっと見てくか」
「ご主人様?」
ノーラは鼻であしらうような態度を取った。
状況からすればそれが正解なのだが、俺が乗り気な返事をしたせいで、ちょっと困ったような、純粋な驚きを感じさせる表情をこちらに向けてきた。
そんな彼女に商品の一つを手に取って見せた。
「どうだ? この銀色のイヤリングとか」
「本当にいいアルか……?」
「ああ。せっかく遠くまで来たんだし、エリスから報酬は受け取っているから、この程度のものぐらいなら二つ三つ買ったって別に困らないだろ」
「それはまあ……そうアル」
店での交渉はノーラに任せているし、今回の旅立ちの前に生活費が厳しいのを指摘したのが彼女だったとおり、財布の管理もほぼ彼女任せなのだった。
一度持ち逃げされたわけだが、ミナを助け出してからというもの、彼女の信頼を得ているのは分かっていた。
だが、分かっていないこともあった。
今朝、目を覚ましたときに、寝ているノーラの姿を眺めてようやく、彼女の日頃の格好に飾り気が少ないことに気がついたのだ。
俺はノーラやミナを奴隷扱いはしていない。
だが、その一方で、彼女が自己主張をしないことをいいことに、この年代の女の子に相応しい扱いをしていなかったのではないか、とそんなことを考えたのだ。
だからアクセサリーを買ってやる、というのは単純過ぎるかもしれないが……。
「本当にいいなら……これと、これが欲しいアル」
そう言ってノーラが指さしたものを見ると。
三日月を象った一対のイヤリングと、涙滴型のペンダントトップのついた細い革紐のネックレスだった。
どちらも銀細工と思しき代物で、ようやく読めるようになった数字と記号だけの値段表示からしても高いものではなかった。
「ふむ……」
「お客さん、こっちに揃いの型のもあるんだが、別のがいいのかい?」
「付ける人が違うアルから、これでいいアルよ」
店主の指摘を受け流すノーラを見て、なるほどと俺は頷いた。
一つはミナにやるのか。
彼女らしい心遣いに俺は口元がほころぶのを感じた。
「……これで幾らになるアルか?」
いつものように価格交渉を始めたノーラ。
俺は、そこから目を離した。こういった露店とのやりとりは、大阪のおばちゃん顔負けのバトルになるので、自分が参加する余地はあまりない。
というか、下手に口を挟むと逆効果になりかねない。
運河を行き交う小舟を眺め始めて数分。
「ううーん、流石に二点でそこまでの値引きはできねぇなぁ……」
「一生に一度の旅アル……それに、ご主人様が私にプレゼントを買ってくれるなんて、今後あるかどうか……もし値段で気が変わってしまったら困るアル……」
なんだか大げさな話になっている上、俺がひどいけちんぼみたいな扱いになっているが、いつものことなのでスルーする。
「むう、そういうことなら、まあ……」
と、思ったところで。
露天商が不承不承の体で頷きかけた瞬間、俺はそれの存在に気付いた。
「店主、これは……?」
「ん……? 買ってくれるのかい?」
「この形、なんか意味があるのか?」
俺が指し示したその腕輪は、チャームのような飾りが付いている。
その形状は、矢印と丸が合成されたもので……。
「ああ……なんだったかな、帝国のほうで使われてるシンボルだと聞いてますがね……そう、確か火だったか……すいやせん、不勉強でして」
「なるほど。それも貰おう。……悪いがノーラ、そういうことで頼む」
「了解アル……エリスさんにプレゼントするアルか?」
「いや、もう一人いるから一応買っておくかと思ってな」
「ああ……そっちアルか」
俺は頷いた。口の端がにやにやと笑い出すのを抑えきれない。
そう。これを付けるのが相応しいのは、俺の周りには一人しかいない。
矢印と丸をくっつけたシンボルの指す意味は——地球では男性のシンボルマーク、なのだから。
……とまあ、そんな一幕もあったのだが。
結局、俺とノーラは、集合先の宿屋までまったく妨害を受けずに辿り着いた。どういう理由なのだか、追っ手はまったくかかってないらしい。
ともあれ、宿屋でエリスと落ち合ったら、状況報告をして、今後の行動を考えようと思っていたのだが……。
その目論見は脆くも崩れ去ることになった。
というのも、待ち合わせ場所の宿屋で俺とノーラを待っていたのは、潜入工作には参加しなかったミナと——これはいい。当然だ——もう一人が、例の酒場の地下にある騎士団の秘密基地だったかで初めて顔を合わせた、神経質そうな細身のおっさんだったからだ。
……ええと、名前はなんだっけ。
ラン……たしか、ラン……ランニダス?
「確か……ランドルフさんだったアルね……どうしてここに?」
そうだった。
ノーラが呼びかけてくれて助かったと思いつつ、俺はおっさんの前に座る。
四人部屋(男女別にはしていなかった)の宿屋の室内にあったテーブルには椅子は二つしかないので、俺とおっさんが座って、ノーラとミナはベッドの上に腰掛けている。
「——サー・エリスとレオニダス卿は、ワイバーンで急ぎ本国に向かってしまったため、その伝達に来たのだよ。ちょうど、このお嬢さんに説明して、たった今、帰ろうとしていたところだから、タイミングがよかった」
先の挨拶の後、開口一番でそんなことを言われた俺はまばたきをして、なんとなくノーラやミナのほうに視線を投げた。ノーラは俺と同じように驚いていたが、ミナは頷く。
なるほど、先に説明したと言っていたからミナは知っているのか。
「ええと、じゃあ……」
「彼女からの
「は、はあ……」
生返事で頷いた。
そして考える……確かに、理屈の上ではそうだろう。
昨夜は王宮に忍び込むという選択肢を取ったが、帝国の敵兵がいて、なおかつ皇女が魔術師で王様や王女やら兵士やらが操られているのだとしたら、軍隊でも呼んでこないと事態は解決できそうもない。
レオのやつが俺より先に戻って、事情を伝えたからそういう判断になったのは分かる。
しかし、俺を放り出していくとは……なんつーか。
冷たい、というか。
「レオニダス卿は、君たちが戻るまで待つつもりだったようだが、サー・エリスが君たちを巻き込むのは筋違いだと主張したのでね。これを受け取りたまえ」
「これは……?」
布の袋を渡された俺は、その音から中に硬貨が入っていることを理解する。
「追加報酬だ。これを持って、すぐにこの街をでていくといい。早ければ数日後に、この街が戦場になる可能性がある」
「戦場に……?」
「大規模な攻囲戦をするわけではないがね。飛竜に乗れる騎士と、王都の近くにある教会騎士の駐屯所から騎士をかき集めて、百騎ほどの教会騎士で幾つかの部隊を編制して、王宮の解放作戦を開始することになるだろう」
「はあ……」
「もちろんこれは口外無用だ。いいかね」
「……分かりました」
……いや、これは、なんだか大変なことになってきたな……。
ちょっと頭がついていかないぞ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます