第40輪 つかの間の休息

 

 結局のところ、俺たちは王宮の騒動の後、二手に分かれて逃げることになった。

 幸いにも、深夜の時間帯を狙ったのがよかったのか、追っ手は少なく、俺とノーラはなんとか逃げおおせることが出来た。

 レオのほうがどうなったかは分からないが……やつのことだ、余計な心配はいらないだろう。

 ただし。

 問題が皆無というわけではなかった。

 逃げるという目的がすべてで、なりふり構ってはいられなかったため、逃げ込んだ先で、予想外の状態に陥ってしまったのである。


   🚚


 なんだか、とても眩しい。

 俺はつぶっていた目を細く開きながら、同時に顔の前に手をかざした。

 どうやら朝が来たようだ……いや、この日差しの強さからすると、昼に近いかもしれない。

 まあ、目覚まし時計に起こされたのではないから、仕事の時間にはまだ余裕があるはずだった。

 手にくっついて、顔に降りかかってきた数本の細い棒状の何かを振り払おうと再び手を動かすと、がさごそとした感触があって……。

 ……待てよ?


 急速に回転を始めた頭と、見開いた目に入ってくる青空。それで、俺は自分の居場所が自宅ではないことを思い出した。

 ここは地球ではなく、日本でもない。

 ここは異世界。そして、メルキアーノ王国の王都メルキノ。

 さらに言えば……とある宿屋に、併設されているちょっとした建物。

 端的に表現すれば——物置小屋に俺はいる。

 

 屋根の一部には穴が開いたまま修繕されていないようで、青空が覗いている。そこから差し込む太陽の光で目が覚めたらしい。

 俺が寝ていた場所はといえば、干し草の小山のだった。

 先ほど顔に降りかかってきたのもその一部。

 どうやら、昨夜にここへ逃げ込んだまま、そのまま眠ってしまったらしい。


「ノーラ? いるか?」


 干し草をかきわけて、俺は共にここに着た相方を探す。

 ほどなくして、草の間からウサ耳がぴょんと飛び出してくる。

 どうやら彼女もまだ完全に夢の世界に旅立っているようで、その身体をあらかた掘り出すに至っても、一向にウサ耳の獣人娘は目を覚まさない。


「おーい……」


 ぷにぷにと柔らかいほっぺたをつつく。

 それでも起きない。


 俺は周囲を見渡した。小屋の入り口は板戸でしっかりと閉じられている。耳を澄ませば、町の雑踏が聞こえてくることは聞こえてくるのだが、音の発生源はそこまで近くはない。

 宿屋そのものは通りに近いところにあるのだが、この小屋は、宿屋と併設されている馬小屋の間を通って、奥まった位置にひっそりと佇んでいるのだった。


 差し迫った危険の匂いは感じられない。

 昨夜、逃げ切ったと思ったが、それは間違いないようだ。

 ……そもそも、王宮では異常事態が発生しているのだが、一般市民の間ではさほど噂になってはいない。

 つまり、王宮の外では話題になるほどの変な動きがないということになる。

 言い換えれば——皇女の一団の企ては、情報を隠匿して進める必要があるのだと推測できる。

 もしかすると、大々的に追っ手を放てない状態なのだろうか。

 そんなことを俺が考えていると。


「うん……ご主人様……そこは…………アルよ」


 頬を俺の指で押されたままのノーラが、そんなことを呟いて身をよじった。

 彼女の身動きに伴って、干し草が立てる音はさほどうるさいものではなかった。

 だからか、その言葉はずいぶん艶めかしく、小さな小屋内に響いた。


 眠ったままの彼女が着ているのは、以前に俺が買い与えた兎人族伝統の狩猟服だとかいう服装。

 だがそれは、俺の感覚では明らかに学校の体操服。

 残念ながら、下はブルマではなくやや長めの短パンというか、ハーフパンツにしては短い程度の丈があるズボンだったが。

 本来、色気のある服装ではない。

 だが、寝乱れた彼女のその服装は、上はお腹が出ていて、足の片方は太もも辺りまでめくれ上がっている。


 ノーラはスタイルがいい。

 この世界に来てから出会った女の子たちの中で、スタイル選手権を開けば断トツでトップである。

 もちろん、これまで行動を共にした面子は、誰もが魅力があるといえばある体型なのだが、ノーラは正統派である。

 次点がエリスだが、彼女の胸は若干……いや、けっこう残念なのだ。

 なにぶんにも十代なので、もう少し成長は期待できるとは思うのだが。

 ミナは、将来性については期待度が非常に高いが、違法性を感じるレベルで若すぎる。王女に至っては将来性もあるのかないのか……。皇女はエリスよりも若い。女装神ヘンタイ? あいつは女装だぞ正気か。

 あ、フレデリカさんはもしかするとけっこう——。


「そんな、だめアル……」


 妙齢の眼鏡っ娘のことを考えていた俺は、息を飲んだ。

 悩ましげな寝言とともに、寝返りを打ったノーラが俺の腰にしがみついてきたからだ。

 ただ抱きしめているだけではない。

 長い枕とでも勘違いしているのか、身体をすり寄せてくる。

 これは……おうふ。

 ふくよかなところがふくよかな感じでふわふわっとしているのが、体操服に似た柔らかい上着を通じてじんわりとした温もりとともに伝わってくる。

 ……辛抱たまらんぜ。


「……ぉぉーぃ……」


 思わず小声になって呼びかけてしまう。

 当然、それでは彼女は起きるはずもなく。

 俺はふよんふよんとした感触をもう少し味わうことができてしまった。

 ……意図的にやってるという説もある。

 いや、すみません、やってます。


「誰に謝ってるんだ俺は」


 脳内での謝罪と、呟きでの自己セルフツッコミ。

 天国のような感触には勝てなかったよ……。


「いかんいかん」


 下心を振り払うように、俺は考えていることを変えた。


 ——これからどうすればいいのか。


 例の酒場に戻って、エリスと、戻ってきているならレオのやつと再会する必要があるだろう。

 戻るときには、街中で巡回などが行われているかもしれないから、先に状況を確認しなければならない。

 場合によっては、変装か何かを考える必要がある。

 今回の仕事で貰えるはずの報酬——つまり、運賃の一部はエリスから先払いで貰っているので、その金を使って食事と一緒に、目立たない服を調達するのがよさそうだ。

 ノーラも、一部に地球の服を着ている俺も目立つのは間違いない。

 ともあれ、この問題はなんとでもなりそうだ。

 俺は次の課題に思考を移すことにした。


 ——酒場に辿り着いたら、俺の仕事はこれで完了なのか?


 エリスからの依頼という意味では、終わったのかもしれない。

 俺たちがここに来ることになった最初の問題……メルキノの王宮から連絡が途絶した理由は分かったのだ。

 昨夜の件からすると、帝国の皇女が魔術で王宮の中核を支配して、洗脳状態にしているのだろう。

 問題の解決のためには帝国の皇女を追い出す必要があるのだろうが、そういうことは軍隊とかの仕事だと思う。俺たち……少なくとも俺がエリスから頼まれた仕事として見れば、原因を掴んだのだから上出来だろう。

 だが、女装神ヘンタイに指図されたことがこれで終わったのかどうかは分からない。

 そういう意味では、俺の仕事は完了しているのか不明だ。

 俺はさらに深く考えることにした。


 ——そもそも、この一連の状況が意味するものはなんなのか。


 今回の事件が、帝国の皇女が引き起こしたものだというのは明らかだ。

 だが……何のために?

 帝国の皇女が、女装神ヘンタイの妹だというのも想定外だ。

 たぶん、それは女装神ヘンタイによる指示……そして、俺の本来の目的である、この異世界を救うことと何らかの関係があるのだろう……。

 でもなあ……未だに、どうすればいいのかさっぱり分からんのだが。

 そもそもこの世界って、何か危機に瀕している感じがしないんだよな——。

 俺は、元々ここにくることになったきっかけを思い出そうとする。


 ——女装神ヘンタイの指示はなんだったか。


 ええと確か……俺は記憶を遡る。

 トレーラーハウスでやつが残していた書き置き。

 ノーラが読み上げてくれたそれには、確かこうあった。


『こう書いてあるアル……さらば、諸君。私はここから旅立ち、しばらくは戻らない。そして、ジョー。少女騎士の依頼は、貴君の使命に深く関連している。断ることなかれ。最後に、重要なことを告げなくてはならない……棚にある缶入りのビスケットはボクのだから、絶対絶対ぜーったい食べたらダメだかんね……大丈夫アルか?』


 ……あーくそ、何一つ肝心なこと書いてねえ。

 あいつ、戻ってきたらマジでお仕置きだな。

 ……まあ、ミナを助けろってのも『神の直感でそれが必要だと分かる』とか言ってたし、本人も分かってないんだろうが……。

 ここまで考えた末で、俺は考えをまとめる……。

 

 ——結論としては……。


 やっぱり、戻ってエリスと再会したら、彼女の言うことに付き合うしかないのか……。

 俺の辿り着いた結論はそれだった。

 女装神ヘンタイの言うことでひとつだけ明確なことがあるとしたら、それはエリスの依頼が俺の異世界救済の使命に深く関係しているということ——。

 なら、それに従うしかない。


 

 とまあ、そんな感じで長時間考えている間、ノーラの魅力的な感触を堪能したのである。ああ、認めよう、それがぐだぐだ考えても仕方なさそうなことを考えた理由だよ。

 いいだろ、たまにはさ。

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