第39輪 ロイヤルパレス・ブレイク
女装神の妹が皇女だった。
短くて分かりやすい一言だと思うのだが、なんか違和感ばりばりだな……。
ともかく、王女の寝室に強引に入り込んできた皇女は女装神の妹だった。そして俺たちの目の前で、彼女は護衛と王女たちに魔法をかけて、意識を忘我に至らせた。
王宮を支配していた魔術師とはつまり、皇女だったのだ。
俺たちは彼女と会話を続けたのだが、分かったことは多くはない。
皇女にして妹神は、帝国のほうで何らかの問題があったため、こちらにやってきたというのだが……俺たちを兄の女装神の手先だと疑っているのか、あまり肝心なことは言ってくれないのだ。
そうこうしているうちに、レオが王宮の状況を回復させて出て行くことを妹神に提案した。
って、レオさん、強気すぎませんか? あの女装神の妹とはいえ、神ですぜ? ……いやまあ、レオのやつにしてみれば、神だとかの言い分を信じる理由がないんだろうけどなあ。
——結果として、なんだか皇女の逆鱗に触れたような感じになりつつあって。
これから俺たち、神様と一戦を交えちゃうの?
チェーンソー! チェーンソーが必要なんだが!
🚚
妹神が扇を鳴らすと、呆けて立ちすくんでいた魔導騎士二人の瞳に光が戻る。
「この者達は侵入者です。捕らえなさい」
「はっ、皇女殿下」
二つ返事で了承した魔導騎士達がこちらに向かってくる。
俺はそいつらの動きを注視しながら、レオに抗議した。
「くそ、お前のせいで交渉が決裂したじゃねーか」
「そもそもぼくたちの目的は交渉ではなくて原因究明だよ。もちろん、可能ならば解決することも目的に含まれているけどね」
「ここで俺らが捕まったら究明どころじゃねーだろ」
「確かにそれはその通り。というわけで……」
レオが言いそうなことを察した俺は、やつの台詞を奪おうとした。
「三十六計——」
王女の寝室には張り出した大きな窓ガラスがある。移動したときに説明しなかったと記憶しているが、ここは二階。日本のマンションなんかと違って、天井がとても高い作りなので高さは七メートルはあるだろう。
地球でならば、そこから脱出するのは第一選択肢にはならない。
だが、重力の弱いこの世界でなら……とりわけ、より重力の強い地球で暮らしていた俺と、兎人であるところのノーラなら、飛び降りても多分問題ないはずだった。
レオのやつは……まあ自分で言い出したぐらいなんだから公算はあるのだろう。というか、ぶっちゃけ知らんがな。自己責任だ!
ともあれ、俺は故事に習って、最後の一言を口にした。
「逃げるにしかずだな」
「まずは先制攻撃だね」
は? と思う間もあらば、レオが懐から取り出した石を、剣を抜いてじりじりと迫る魔導騎士二人の足もとに放った。エメラルドのように、透き通った緑色の石だった。
その石は床に叩きつけられると、思ったよりも脆いのか、バラバラに砕け散った。
直後、吹き荒れる風の渦が生まれる。
「ぬっ、精霊石だと?」
「風の精霊石にこのような使い方が……っ」
驚く魔導騎士達と、にやりと笑うレオ。
なるほど、あれは風の精霊石か。俺は顔の前に腕をかざして、吹き荒れている強風を防ぎつつ思考を巡らせた。火の精霊石の威力は知っていたが……風の精霊石は比較すると地味だな。
それにしても、やっぱ俺たちとの一戦がヒントになったんだろうか?
レオはその間にも動き続けていた。
腰に下げていた短剣の一本を魔導騎士に向かって投げるが、これは敵も
単純に身をかがめるだけでやり過ごされたのだ。
が、そこに長剣を掲げたレオが飛び込む。
片手で短剣を投げ、もう片方の手で剣を抜いていたという器用なやり口で、これは予想外だったのか、屈んだ騎士は目を丸くして、白刃を甘んじてその身に受ける——
ということにはならなかった。
横合いから突き出てきた黒い剣を、レオは手にした剣で弾かなくてはならなかったのだ。もちろん、その黒い剣の持ち主はもう一人の魔導騎士である。
つばぜり合いの状態になり、好戦的な笑みを浮かべているレオと、無表情な魔導騎士の力比べが始まる。そこで屈み込んでいた騎士が立ち上がり、持っていた剣を——突きだしてくるより前に、レオと力比べをしていた騎士が前のめりにくずおれた。
倒れた騎士の後から姿を現したのはノーラだった。
その手に持っていたのは装飾の施された椅子……の破片。
後から忍び寄って、室内にあった椅子が大破する強さで一撃したのだった。
これには、もう一人の魔導騎士も驚いたようで、目を剥いていた。
「——勝負あり、か」
俺は呟いた。
「いいえ、まだですよ」
一連の流れを(俺と同じく)傍観していたはずの、妹神の言葉と共に、扉がノックで打ち鳴らされた。
いつの間にかドア近辺まで移動していた彼女がその扉を開けると、完全武装の兵士が数人そこにいた。
そしてアリッサ王女もまた。
彼女は、感情の色が見られない面持ちで腕を上げると、俺たちのほうを指さして言った。
「くせ者じゃ、ひったてい」
「……くそっ」
俺は状況をすぐに理解した。
皇女に操られたままの王女が、ごたごたの間に近くの兵士達を呼び込んできたのだと。
レオやノーラもほぼ同一のタイミングでその結論にいたったはずだ。
そして、よく見れば。
メイドのフレデリカも姿を消していて、部屋の外からはさらなる金属鎧の擦れる音が聞こえてくる……。
仮に、新たに現れた数人と残る一人の魔導騎士を倒したところで、増援は次から次へとやってくるのだと知れた。……しかたがない。
「飛び降りるしかない!」
俺たちは視線を合わせる暇もなく、窓へと走った。
一番近かったのは魔導騎士たちと立ち回りを演じていなかった俺だった。
一瞬だけ思案して、結局、掛け金の辺りを蹴りあけることにした。ガラスが割れ、閉じていた両開きの窓が開く。履いていたスニーカーの底が頑丈でよかった。
バルコニーに踏み出した俺は、眼下が芝生であることを確認して、手すりを乗り越えようとするが、そこで制止された。
「ご主人様、避けるアル!」
肩を押された俺がバランスを崩して、半ばひっくり返りながら後ろを見ると、そこにはサッカーボール大の火球が迫っていた。
「うおおおおお!?」
辛くも間一髪で回避する。俺を肩で押しのけたノーラも、なんとかギリギリで避けるのに成功しているようだった。いや危なかった、感謝だ。
レオもどうやら金髪の一筋すら焦げてはいないようだった。
やつは視線を厳しくして、火球の出所——魔導騎士のほうを向いている。
発生源がその魔導騎士であると分かった理由は単純だ。
二発目の準備がされていたからである。
身体の前で、垂直に立てられた剣。
それより少し前の空間に、拳大の火球が出現していた。目を見開いて一心に集中している様子の騎士の正面に浮かんだその火球は、少しの時間で火勢を強めてハンドボール大に膨らむ。
「……魔術ってやつか!」
「魔導騎士は熟練した魔法使いでもあるからね」
「エリスの話じゃ、イマドキ火球出したりするのは時代遅れってことだったと思うんだが」
「流行ってるとか流行ってないより、有効かどうかじゃないかな?」
その正論に俺は反論の言葉を失な……わなかった。
「魔法って覚えるの大変だったんじゃ?」
「優れた教育方法でも開発したんだろうね。かつての学習方法だと長時間が必要だったのが、最新式だと短時間で住むというのは飛竜の訓練手法などでもある話だよ」
マジかよ、やっててよかった進○ゼミかよ。
俺はぶつくさ言いながら、当面の問題に集中することにする。問題は単純だった。このまま飛び降りることは可能だが、背中を火球で撃たれてしまうのだ。
それなら逃げない方がましである。
逃げたい、でも、撃たれないようにする必要がある。
幸いにも、火球攻撃に巻き込まれるのを恐れているのか、部屋にいる他の兵士達は近づいてこないので、魔導騎士の攻撃だけ見ていればよい。多分、躱すことはできる。
だが、このまま攻撃を待って、ただ避け続けるのでは、階下にまで兵士達が集結してしまうのもわかりきっていた。
反撃のタイミングは敵が魔法を放ったあとだ……と俺はレオに伝えようとしたのだが。
「実はもう一個あってね」
などと言い出したレオが、二つ目の精霊石をぽいっと放った。
膨らみきった火炎球の中に。
——爆発。
炎が四方八方に散り、魔導騎士本人はおろか、周囲の兵士にまで火勢が押し寄せる。
「ぐはっ」「うおっ」「ひえっ」
火球自体が内側から強風に煽られて炸裂したため、見た目の派手さの割には威力はさほどでもないようだったが、逃げ出すには好機だった。
俺はノーラの手を取り、バルコニーを超えて宙へと身を躍らせた。自分の後にレオがついてくる気配を感じる。
一秒あるかないかの落下のあと、地面に転がるようにして着地。
それは勢いを殺すためでもあった。
「ふう……なんとか怪我はせずに済んだか」
俺は額の汗を拭いながら、空中で手が離れたノーラのほうを向いて、彼女と、その後に続いたレオの安全を確認する。
とりあえず二人とも怪我はなさそうだ。
だが、悠長にしていられる時間はなさそうだった。
辺りが騒がしい。金属鎧のパーツがぶつかりあう音や、人々の駆けているであろう足音、それに笛の音。
このままではディノンの港町のときのように、周囲を取り囲まれてしまうし、いまは足になるトラックがない。
「急いでここを離れよう」
そこで俺がそう提案すると、
「二手に分かれたほうがよさそうだ。ぼくは別行動を取るよ」
「わたしはご主人様と離れるつもりはないアル」
レオが追っ手を分散させる提案をして、ノーラは少し慌てたように口を尖らせつつ俺の腕を掴んできた。
別行動がいいのか、一緒に動いたほうがいいのか。
検討している時間も惜しい状況。俺は一も二もなく同意の頷きをする。
月夜の灯りの中、俺たちは踵を返し、二手に別れた。
そしてこの判断が、俺たちの明暗を……分けたというと大げさすぎるのだが、ちょっと想定外の展開を呼ぶことになったのである。
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