第47輪 続・花咲く庭園で、大義は花開く


 口は災いの元と言われる。

 たとえばそれは、異世界でとある帝国の皇女に扮している神様がいて、そいつが神様だと知らない、護衛のくそ真面目っぽい騎士に「ねえ、あいつマジで人間だと思ってる?」と軽い調子で聞いたりしてはいけない、ということだ。

 ……うん、まあ駄目だろうな、常識的に考えて。

 でもな、こういうときどういう質問をすればいいのか、普通分からないと思うんだよ。

 とりあえず、ちゃんと笑顔で質問したはずだったのに、なぜいけなかったんだろうな。

 いやまあ、冗談はさておき、この質問をする前から、皇女には様を付け忘れてたりしたので、護衛の騎士の女からすれば「はいはい、違反が累積で、免停なので素直に免許証だせや」みたいな反応をされるのは、一連の出来事の帰結としては仕方ないところはあったようにと思う。

 正直、その辺は俺も反省している。

 でもさ、皇女の外見って、女装神ヘンタイと瓜二つなんだよ。

 それを考えれば、実際、情状酌量の余地はあると思うんだが。


   🚚


 庭園の芝生の上で、俺は魔導騎士のリーダーと称する美女——リンと向かいあっていた。

 そして、そんな俺たちを囲むように、ノーラや、園遊会の来客が並んでいる。後者の連中にいたっては、その表情からして、思わぬところからやってきた臨時の催しを見るような感覚じゃないかと疑ってしまうのだが……。

 まあ、成り行きとはいえ、この展開は俺にも解せないところがある。

 しかし一番の問題はといえば。

 

 俺は、戦いにそなえて、腕や足の腱を伸ばしているリンの姿を見ながら、内心でこっそりため息をついていた。


 すでに鎧を外していた彼女だが、それだけではなく、少しでも動きやすくするためにか、鎧下、という綿入りのもこもこした服も脱ぎすてていたものだから、上半身は薄い肌着のようなタンクトップだけの姿になっていた。

 紫がかった長い巻き毛が、肩を越えて、露わになった鎖骨に触れている。


 リンのプロポーションは素晴らしく、ノーラとほぼ似通っているのだが、身長が高い分、迫力というか圧倒される感じがあった。

 エリスとの違いは……顕著なのは、胸部装甲の差だな。

 身長や全体的な肉付きの違いもあるが。

 と、ここにいない少女のことを思いつつも、俺は決定的な問題点を口にした。


「命がかかってるって場面でもないのに、女を殴れるかというと……なあ」


 それはあくまでも口の中で呟く程度の小声だったので、リンには聞こえていないようだった。

 正確には、ちらりと意味ありげにこちらを見てきたから、俺が何かを言ったのには気付いていたようだったが、具体的になんと言ったかまでは分かるまい。

 周囲の観客はもっと離れているので、これまた分かるはずもない。


 ここにいる人間の中で、さっきの俺の声を聴き取ることが出来そうなのは、俺の知る限りではたった一人。


(——いやあ、遅くなってごっめんね〜)

「って、お前じゃねえよ!」


 兎人たるノーラには、聴き取ることができたかもしれないと思ったのだが。

 実際に頭の中に直接語りかけてきたのは、女装神ヘンタイ様だった。


(——それがさあ、メルキノに着く頃には合流出来るかなーと思っていたんだけど、性格の悪い知り合いに邪魔されちゃってさ。なんだか色々仕掛けてきたんだけど、あの情熱はどこから湧いてくるんだろうね〜。まあそんなことはいいや。ともかくさ、ボクにとってもずいぶん誤算だったわけだけど……んー、ところでジョー、キミは今何してんの?)

「長い……いや」


 俺は周囲の視線に気付いて、一見すると独り言にしか見えない口での返事から、思考での応答に変更した。


(とりあえず、お前の残したよく分からん予言だか指示書だかにしたがって、メルキノまでやってきたんだが、街から出られなくなって——いまは決闘の直前だ)

(決闘? なんか時代錯誤なことしてるねえ)

(お前が神様やってる世界なのに、他人事みたいに言うなよ。って、そうだった……)


 俺は話す順番を間違えていたことを悟った。


(お前の妹を自称するやつがここにいるんだが)

(——へ? 妹?)

  

 その口ぶり(テレパシーぶり?)から、俺は女装神ヘンタイ様がこちらの事情をまったく把握してなさそうなことに気付いた。

 お前が今どこにいるのかはさておき、そこからも俺たちがやってることは分かるのか? ってか、いったいどこまで俺たちの状況を把握しているんだ? と聞いてみると。


(いや、全然分かんないよ。逆にどうなったのか聞こうと思ったから、この念話を繋げてみたところなんだけど)

(神の癖に……使えねえなあ)

(この世界で、ヒトに対して神が出来ることは幻覚ぐらいだよ。そういうルールなんだ)

(……そういや、お前の妹もなんか幻覚っぽい魔法を使って人を洗脳してたぞ。本物だとしたらの話だが)

(あー、いやー、うん、まあ……それはたぶん、本物……だと思うよ)


 なんとも歯切れの悪い念話調だが、そうだろうなあ、と俺は一人頷いた。


(え、なにその「やっぱりか」みたいな反応。キミが向こうの人生で培った、「恋愛禁止のアイドルなんていってもどうせ彼氏だっているんだろ、分かってるんだ俺」的な疑いにまみれた心は、どこかに置き忘れてしまったの?)

(いや? つっても、外見がお前そっくりだしさ。そう思うのが自然だろ……っていうか、妙に具体的な例を挙げるなよ、んなもん培った覚えはねえぞ)


 そこまで考えたところで、ふと思い出した。


(んん? 待て待て、お前が昔使った時間を止める魔法あったじゃん? あれも幻覚だったのか?)

(あ、いっけね……!)

(おい、おいおい、お前、マジか——)


「さて、ジョーとやら、始めるとするか?」

「えっ? あ、ちょっと待ってくれ、ええと、その、なんだ、腹が痛いっ」


 唐突に始まった、女装神との情報交換の念話に割って入った——いや、割って入ったのは明らかに女装神だが——リンに、俺はおざなりに言い訳をして待たせることにした。


「腹痛だと? 貴様、そのような言い逃れ通じると思ったか」

(それはそうと、そこにボクの不詳の妹がいるんだとしたら、ちょっと困っちゃったなー)


「だ、大丈夫だ、すぐに治まるから、あと数分だけ待ってくれ」

(いったい何が困るんだ? っていうか俺のほうが困ってるぞ、今の状況。なんだかややこしいわ)


「無様……なんと無様な言い逃れをっ! 貴様、姫だけではなく私と、神聖な決闘をも侮辱したいのかっ!」

(いや、神と神は関わり合いにならないってルールがあるんだよね、だから、そこに転移でぴょんとは行けなくなっちゃった。絶対に駄目ってわけでもないんだけど、バレると困るし)


「そんなつもりはないんだ、今は本当にぐぐぐぐっ、おかしいな、腹がおかしい」

(その話ならいもうとしんから聞いたけどな、……いや、それはいい、俺がここでやるべきことってなんなんだ? ここから逃げ出していいのかどうか分からなくて困ってる)


「ええい、そこになおれ! ——チッ、剣があれば……構わん、元々予定していたのだ、この拳で貴様の根性、たたき直してくれよう!」

(んー、いや、それは、そっちに行かないと分かんないよ。前にも言ったと思うけど、神は予兆を感じることができて、正しい行動を当てることができるんだけど、それは人間で言う第六感みたいなものだから、せめて直接、面と向かってキミを見て確認しないと)


(仕方ねえな、かかってこいよ!)

「そんな悠長なこと言ってる場合じゃねえっつの!」


 ……ん?

 あれ? 今、なんか、おかしかったような……?


「貴様、何が悠長だと……ええい、いくぞ!」 

(なんかよく分からないけど、なるはや、でそっちに向かうからよろしくね〜)


「しまった、宛先間違えた! ってどういう条件で宛先決まってんおわっ」


 俺の舌がもつれたわけではない。

 挑発されたと感じたのか、リンが俺のほうに突っ込んできたのだ。

 幸いにも、問答無用で殴り倒そうというよりは、警告のつもりだったらしく、俺には、突進してきた彼女が振りかざした腕を避けるだけの、十分な余裕があった(頭脳の大半が同時進行する会話に占有されていても、それが出来るぐらいなので、彼女が加減しているのもまた間違いなかったが)。


「ふん……ようやく、私を見たか」

「もう少し時間をくれよな。慌てるなんとかはもらいが少ないって言うぜ」

「くっ……。行き遅れだと? 私はまだ若い!」


 さっきの一撃のときに接近してきていた彼女が右の拳を振るってきたのをスウェーしながら、俺は訝しんだ。

 そして気付く。

 貰い、の一言が、貰い手の意味に翻訳されたのだろう。


「やっぱり、この自動翻訳の魔法はおかしいぞ……」

「わけのわからんことをっ」


 続いて繰り出されたのは、素早く空を切る蹴り足の一撃だった。

 たたらを踏んでこれも避けながら、俺は脳内のメモ帳に、リンには足技があることを書き込んでおく。

 後ろに距離を取った俺を、さらに連続の蹴撃が襲う。


 この世界に来てからの格闘経験は今回でまだ三度目というところだが、だいたい予想通りの格闘スタイルだった。

 異世界だからといって、人間が空を飛んできたりしないのは非常にありがたい。

 

 だが、蹴り技はなかなかやっかいだ。

 昔に経験したボクシングでは当然、反則になるわけで。

 あまり対面したことのないスタイルだから、違和感や戸惑いを感じるのだ。

 そして、それは弱点になる。


「ぐっ……」


 リンが放った、俺の胴を狙った巻き込むような蹴り技を、左腕の二の腕でガードしたときに、それを痛感した。

 足技は——重く、ダメージが大きい。

 固めたガードの上からだというのに、上体が揺らいだ。

 

 体格のよい、といっても肉厚ではなくて背が高いという意味だが、リンが繰り出す蹴りには十分に体重が乗っていて、下手に受けるとダメージが蓄積されてしまう。

 俺はそう悟ると、掲げていた両腕を少し下げ、前傾していた姿勢を元に戻して上体をほぼまっすぐ起こす。


「ほう……? さっきのは珍妙な構えだと思ったが、今度はそれか」


 余裕の表れなのか、リンは俺の構えをそう品評した。

 実際、そういう態度が自然な程度には、彼女は強敵だった。

 この世界で対面した相手の中でも実力者だろう。

 軽装になった姿からも分かるが、筋肉が程よく付いている身体は鍛え上げられたものだし、動きはしなやかで、訓練のたまものか判断も正確で早い。


 まあ、先に手を出させているのは、計算の上でもあるのだが……。


 取っ組み合ってみて感じたのは、どうやら、彼女の手持ちは打撃技に限らない、ということ。

 視線や反応でもそれが分かるのだが、特に、掲げた手を拳に固めないのが明白な証拠だった。

 拳打を放つときだけ固めて、日頃はほどいておくのは、組み打ちの最中でも相手を捉えるチャンスを逃さないということであり、つまりそれは投げ技や関節技の類があるということだった。


 あくまでもボクシングスタイルしかない自分には、関節技にハマることだけは避けたい。

 その警戒が強すぎる姿勢を見透かされたのか。


「だが、その構え方であれば、私にとっては余程やりやすいぞ!」


 宣言と同時の、リンの大胆な懐への飛び込みに、俺は目をみはることになった——。

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