第48輪 勝ち目のない戦い、なぜならば俺は

 人生とは果たして何なのか?

 就活失敗のニートから転身してトラック運転手を始めたはずが、気がつけば異世界で女騎士と組み打ちをやっていると、そんなことを考える。

 ……なんてことはない。

 殴り合いの最中に、悠長に人生とはなんぞや、などと考えている余裕があるはずもなく。

 そのときの俺が、リンの肢体から繰り出される拳や足を避け、躱し、いなしつつ考えていることはたった一つだった。

 どうすれば、彼女に勝てるかだ。


   🚚


「だが、その構え方であれば、私にとっては余程やりやすいぞ!」


 リンは気勢とともにこちらに突っ込んできた。

 接近戦インファイトを重視した前傾姿勢クラウチングスタイルから、距離を取って戦うアウトボクシング方針に変更するつもりで、俺が上体を起こしたアップライト姿勢に切り換えたのを見て、彼女は与しやすいと考えたようだ。

 懐の深くまで飛び込まれた俺は、想定を超えたリンの俊敏さに目をみはる。


 リンが繰り出した拳は、まっすぐに俺の顔に向かってきた。

 それは、ストレートパンチではなく。ボクシングで言うなら、腰の回転に加えて、拳をひねる回転も乗せられた、コークスクリューブロー。空手なら単に正拳突きと呼ばれる、重い一撃だ。

 俺は、虚を突かれて迫りくるその拳を——


「くっ?」


 右手で弾いて逸らす。

 パリングと呼ばれる防御の技術だ。

 その瞬間、リンが顔をしかめた。こんな回避方法をされるとは予想してなかったのだろう。


 確かに、後一歩踏み込みが早ければ、もっと手堅く、ブロックしていたと思う。

 まっすぐ伸びる拳は、横からの打撃には案外弱く、タイミングよく殴り付ければ払うことができる。

 それが分かっていても、飛んでくる拳に対してそれをやるのは度胸も技術も必要だが、これでもボクシングはずいぶん真面目にやってきたのだ。 


 スナップを利かせられず、拳速が遅くなるコークスクリューだったのも俺にとっては幸いだった。さらに言えば、幾ら重みをました一撃だと言っても、相手が女で、体格的に大差なかったのも大きい。

 相手がヘビー級だったら、タイミングを合わせてパリングしても十分に弾けずに顔の端に喰らっていた可能性もある。

 だが、それは仮定の話。

 今は、俺がリンの拳を防いで——そして、上体が流れた、無防備な態勢の彼女が、俺の拳の届くところにいる。


「——!」

「っ……くそ」


 先ほどの俺と同様に目を見開いたリンは、自分の不利に気付いていただろう。そして俺は。

 ——素早いステップを踏んで、彼女から距離を取った。


 危険があったわけではない。

 その証拠に、リンの表情は訝しげなものに変わっている。なぜ反撃をしなかったのか、と問いかけてくるようですらある。

 疑問はもっともだが、答えは単純明快。

 女を殴るのに抵抗があるのだった。


「参ったなこりゃ……どうすればいいんだ?」


 呟いている間に、体勢を立て直したリンが再びキックを飛ばしてきたが、今回は油断していなかったので、頭を低くして躱ダッキングする。

 そして考える。


 やはり俺には女は殴れない。

 決闘を受けておいていまさら何を言っているのだ、とツッコミが入りそうだが……確かに言い返す余地もない。

 もちろん、相手を殴ることを、まったく考慮していなかったわけではなくて。


 これが命のかかった真剣勝負なら問答無用で殴れるわけで……。

 決闘という形式であることから、やりづらさはあるにしても、ほどほどに手加減して殴れるだろうとは思っていたのだ。


 だが、思ったよりも、リンの格闘能力が高いのがよくなかった。


 戦いを始める前は、自分のほうが優位だと思っていた。

 こちらに来た直後に喧嘩した獣人種族の人狼族は、この世界において、普通の人間では勝てない相手らしい。あの時の俺はそんなことは毛頭知らなかったのだが。

 しかし、そんな人狼族も、俺にとっては敵ではなかった。

 そのようなことから、相手が騎士とはいえ魔法抜きでの格闘であれば、まず負けないだろうという予想をしていたのだ。


 だが、戦えるほど、彼我の実力差は開いていなかった。

 下手に手加減をすると、拳を掴まれてやばいことになりそうな予感すらある。

 現状ではこちらの回避技術をリンが見慣れていないらしく、軽々といなせているが、この優位がどこまで続くかも分からない。


 ……どうする。

 考える……にしても、この場面で可能なことの選択肢は限られている。

 一番分かりやすいのは、降参することだ。

 殴れないのだから、負けを認めて終わらせればいい。

 周囲で沸いている観客には不満だろうが、別に見世物をやっているつもりはないのだから、それも一つの選択ではある。


 しかし……その選択肢を選ぶくらいなら、決闘に同意しなかっただろう。

 一方的に持ちかけられた決闘で、喧嘩を売られるような形だったのだが、それでもどうしても戦わないと言い張ることは出来た。

 そうしなかったのは、ここで勝利して、彼女に言うことを聞かせることに利点があるからだ。

 これから皇女と対面する——ことによっては、対決になる——のだから、敵の勢力は少しでも削っておきたかったのだ。


 そういう理由で、殴れないからという理由で敗北を認めて、立場をさらに不利にしてしまうのは論外。

 皇女に対する非礼を詫びろという話だが、場合によってはこれからが本気の非礼の見せどころになるのだから(?)。


「……よし」


 俺はリンが蹴り技から繋いだ掌底をスウェーして躱すと、舌で唇を舐めて呟いた。

 ——殴らずに勝つ方法、そのいち、を試してみよう。

 思いつきではありながらも多少の自信を込めて、そう決心する。

 そこに、息を整えるためか距離を取っていたリンが、繰り出す攻撃の数々が無為に終わったことに不満を覚えているであろう表情でこちらに問いかけてきた。

 

「……奇妙な動きだが……ジョーとかいったな? その格闘術、流派のようなものはあるのか?」

「流派、ね……特にはないな」


 ボクシングだと言っても分かるまいと思った俺は(例の自動翻訳の魔法を信じていないせいもあるのだが)、そういう風に切って捨てると、一歩前に出た。

 格闘家としての反射反応のようなものだろう、リンが下げていた腕を持ち上げて身構えた。

 決断を済ませた俺は、それを見て躊躇はしなかった。

 フットワークを使ってすばやく進み出る。

 防戦一方だった俺の態度が急に変わったことに対して、警戒の色を顔に浮かべたリン。

 その機先を制するように、軽いジャブを繰り出す。


 ——殴れないって言ったのに、結局、殴っているじゃないか!


 そのように罵られるかもしれないが……狙っているのはリンの構えた腕だ。つまり、ガードに当てにいっている。

 腹や顔を殴るのに比べて、腕の上から叩く程度のことで、しかも加減付きの打撃なのだから、気に病む部分は殆ど無い。

 なんせ相手はこちらを殴り倒そうとしているわけだし。

 とはいえ、この打撃では勝利は遠い。

 ぺしぺしとおちょくるように軽いジャブを当て続けていても、ポイント制ではない「参った」宣言か戦闘不能で終わる勝負の上では、あまり意味はない。

 ガードしている腕を痺れさせて重くする、という、漫画で見かけるような効果があるにしても、肝心のストレートを顔や腹を狙って打てないのでは仕方ない。

 だがしかし……。


 ぺし——ぺしぺし。ぺし。ぺし、ぺし——ぺしぺしぺし。

 ぺしぺし……ぺし——ぺし、ぺし、ぺし——ぺしぺし。

 ぺし、ぺしぺし——ぺし……ぺしぺし——ぺし。


「く、くそ、貴様ぁっ! からかっているつもりかっ!」


 相手を激昂させて、こちらに突っ込ませるには十分だった。

 ガードを固めた姿勢から、リンの狙いはこちらに伝わってくる。

 蚊がたかるような鬱陶しい攻撃を強引に切り抜けて、こちらの懐に潜り込んで強烈な一撃を放つつもりだ。もしかすると、掴みかかってきてからの投げ技だとか絞め技という線もあるかもしれない。


「かかったなっ」


 だが——それはこちらも同じ。

 突貫してきたリンの正面から、素早いステップで退避する。

 まるでスペインの闘牛士のごとく、間一髪でひらりと躱した俺はボクサーとしてのスタイルを捨て、、後方斜め後ろから彼女の首を抱きかかえるように組み付く。

 右腕を彼女の首元に回し、右手はそのまま自身の左上腕部に回して、左手でリンの後頭部を押すようにする。

 いわゆる裸絞めだ。

 頸動脈を絞めるならスリーパーホールド、気管を絞めるならチョークなどと言って区別するそうだが、いずれにしても絞め落とす技なのは違いがない。

 本当に落とすわけにはいかないから、降参を認めさせるという算段だったのだが。

 

 気付けば、俺の足が両方とも地面から離れていた。

 その、一瞬の浮遊するような感触の後、自分がひっくり返って背中から地面に落ちかけていることに気がついた。


「——ぐはっ」


 どうやら、背負い投げ(のようなもの)を食らったらしい。

 俺の裸絞めが雑過ぎて、反撃の余地があったということだ。

 地面に倒れたままはまずいと判断して、苦痛を感じながらも起き上がって距離を取る。

 幸いにも、リンのほうも緊急回避で放った技だったらしく、かかりが甘かった。おかげで、追い打ちを受けることもなく、なんとか逃げおおせたが、背中はそれなりに痛む。


「けほっ、けほっ」


 見ればリンも喉に手をやっていたから、痛み分けではあったようだが……。


「やっぱり、見よう見まねじゃ駄目か……」


 俺はため息を吐きたい気持ちをこらえて、再び構え直した。

 一度の試行で失敗したからと言って、諦めるわけはない。痛みも大したことないし、まだ戦える。

 とはいえ、同じ手段は警戒されてしまって使えないはずだ。

 何か良い方法はないだろうかと考えながら、咳の発作から立ち直ったリンの姿を眺める。


 先にも述べた通り、帝国の魔導騎士のトレードマークらしい黒い鎧を脱いだ彼女は、タンクトップのような服だけの軽装だ。

 ここまでの戦闘の結果だろう、汗ばんで上気した肌が、そのまま見えている。少し朱に染まっていて、それがなんとも艶めかしい。

 ……って、いかんいかん。

 気が散ってしまいそうになった俺は、視線は注視したままで意識の上でだけ頭を振る。


 ——そうしたら、ピンときた。

 それは、きわめて邪悪な思いつき。

 女装神ヘンタイ様と久々に交信したせいではないか——そう思いたくなるような——そんな、天啓のひらめきが訪れたのである。


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トラック運転手やってたら異世界を救うことになった! 折口詠人 @oeight

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