第46輪 花咲く庭園で、大義は花開く featuring ノーラ
わたしの名前はノーラ。
人族と違って、家名にあたる名前は特にないネ。ミナもそれは同じアル。
山間にあった、住んでいた獣人の村が山賊に目を付けられて、襲われる前にみんなで逃げ出したアルが、着の身着のままで逃げたから……結局、路銀が足りなくなってしまって、私とミナは奴隷商に売られることになったのヨ。
両親は他界していたし、まあ仕方ないアルね……この頃、景気がよくないせいで、私は無期の契約となったアルが、一族が生き長らえることが出来れば、買い戻してもらえる可能性もあったのネ。村を捨てて流れることを決めたときから、覚悟はしていたネ。
それより、問題は契約が決まる前に引き離されたミナのことだったアルが……。
ご主人様のおかげで、わたしはもちろん、わたしの友人だったミナも、奴隷の待遇から助けてもらったアル。
まあ……かなり非合法っぽくて、実際のところ、大丈夫なのか分からないのだけれどもネ。
なのでわたし、この恩は何が何でも返すと、そう決めたのヨ。
🚚
目の前には、外見からして美味しそう、というより、美しい食事が並べられている。
園遊会、などという催しに参加するのは初めてだったが、これは宴の一種だとノーラは理解していた。
精霊に感謝するための村の祭りでも、豪華な料理は付き物だった。
もちろん、内容は、いま卓を彩っているものと比べれば、ずいぶんと見劣りするものだったが——。
「ノーラ、これも美味しい」
そばに居たミナが、肘でノーラのお腹をつついてきた。
両手は、手にした取り皿とフォーク——帝国から伝わってきたという、ノーラの出身の村では見たことのなかった食器——でふさがっているから、そうしたのだろう。
「うん……美味しいアルね」
白身の魚を
そこで、ノーラはようやく気付いた。
ミナが食べているのは、牛一頭を丸ごとローストしたものから切り分けた、ピンク色の薄切り肉だ。
彼女は、それをノーラに勧めていたのに、とんちんかんな返事をしてしまった。
ノーラが反省の弁を口にする前に、ミナが眉をひそめて言う。
「ノーラが、美味しそうな食べ物を前にして心ここにあらずなんて、らしくない。なにか気になることでもあるの?」
「わたし、そんなに食い意地が張ってるほうじゃないアルよ? ……いや、確かに、故郷にいた頃は、かなりよく食べていたかもしれないアルけども……」
「村にいた頃は食べられるときに食べないといけなかったのはある。私も、ノーラを見習ってよく食べるようになったし」
「……それはきっと関係ないアルよ」
牛人種族の血を濃く引いているミナは、子供の頃からよく食べるほうだった。
本来、彼女の種族は大柄に育つことが多いので、その、ノーラに負けず劣らずの食べっぷりも納得できるのだが、ミナの場合は体格がまだまだなので、食べたものはいったいどこに消えているのだろうと思うこともあった。
「それで、何が気になっているの」
「気になっているというほどのことでもないアルが……ご主人様のことアル」
「ノーラはおじさんに甘すぎる。多分、あの人、大したことは何も考えてない」
「そういう言い方はないと思うアル」
ノーラはそう呟いてから、自分たちが、彼に助けられたのだということを、ミナにもう一度思い出させようとして……。
辺りが奇妙にざわめいていることに気がついた。
何か起きたのだろうか。
ノーラは耳に集中する。
獣人種族の耳は、人族のそれとは違って種族ごとの差が激しい。
ミナは、人族の耳がある位置から牛の耳に近い形をした耳が生えている。
ちなみに、低い音を聴き取るのが得意で、人族や兎人族では聞くことが出来ない音でも聞こえているらしい。
ノーラは、そもそも耳が四つある。人と同じ耳が左右についていて、頭の上に兎と同じ長い耳が二つあるのだ。
人族と同じ耳は、人族と同じような機能で。
兎と同じ耳は、より高い音を聴き取る能力が優れている。
兎は、耳の向きを変えて全方位の音を聞いたり、高く上げることで遠くからの音を聴き取ることができるのだが。
耳が四つある兎人の場合、兎よりもさらに高い精度で音の位置を把握することができる。
ある音の発生源の距離と方角を探り出すことが得意なのだ。
だが、その為にはかなりの集中を要する。
人間の場合もそうだが、音に集中するには目を閉じるのが効果的だ。視覚情報を遮断することで、その他の五感に集中できる。
だから、このときのノーラも、そうしていた。
人々の興奮した囁き声が沢山連なって、自然なざわつきが生まれていたのだと分かる。
遠くで何かが起きて、そこから噂が一気に広まったのだ。
集中を続けると、そのざわつきの発生源までも分かってくる——
「ご主人様」
目を閉じていたノーラは、そう呟いて……。
目蓋を開くと、走り出した。
後ろからミナがノーラを呼ぶ声が聞こえたが、今は止まって説明する時間も惜しい。
ドレスを着ているので、全力で駆けるのは難しいが、獣人は身体能力も優れている。普通の人が走るほどのスピードは出ている。
野外で行う、園遊会という性質上、屋内のパーティー会場のような混み具合でないのは幸いだった。
ノーラは、十数秒でその場所へ辿り着いた。
「ノーラさん、」
「いったい何があったアルか」
走りよってきたノーラが目立っていたので、気付いたフレデリカが彼女に話しかけようとしたが、足を止めるよりも先に口を開いたノーラが、逆に詰問を返す。
「詳しいことは分かりません。ただ、皇女様の命で、ジョーさんを迎えにきたはずの、魔導騎士が、決闘をすると……」
「決闘? 誰と——いや、それは分かっているアル」
聞こえてきた会話をつなぎ合わせて、事情を少し把握しているはずのノーラだったが。
なにぶんにも状況の変化が唐突すぎて、かなり混乱していたので、そんな風に自分で自分に問いかけをしかけて、自分で答えてしまう。
だが、目の前ではノーラのご主人様である
その周囲にはノーラとフレデリカを含めた、園遊会の参加客が、そのまま決闘の観客になったのか輪を作っている。
「ともかく、すぐに止めるアルよ」
「それが……そういうわけにもいかず——」
「どういう事情か知らないけど、パーティーで決闘なんておかしいアル。黙って見てることないアルよ。周辺を警備している兵士さんを呼んででも止めさせるアル」
「——ジョーさんが、承諾してしまったんです」
思ってもみない回答に。
ノーラは、目をぱちぱちとさせた。
「——どういうことアルか?」
「
唇を噛んでそう呟くフレデリカを見て、ノーラは彼女に言っても無駄なのだと理解する。
しかし、このまま決闘が始まるのを手をこまねいて見ていることは出来ない。
そのときのノーラは、周囲の観客と肩を並べていて、これから決闘に臨もうという二人からは距離を取っていた。
止めるにしろなんにせよ、もっと声の届く側まで近づく必要がある。
そして、一歩二歩と踏み出したところで。
「ノーラ——ストップだ。大丈夫、そこで見ててくれ」
当の本人から制止される。
ただ引き下がるわけにもいかず、ノーラは聞いた。
「ご主人様……いったいどうしてこんなことになったアルか?」
「うーん。いやまあ、なんていうか成り行きだな、皇女様についての俺の質問が気に入らなかったらしくて……」
「それなら早く謝るアル。成り行きで決闘するバカはいないアルよ……それに、相手が魔導騎士だなんて、危険すぎるアル」
「あー、まあ、そこは……素手での勝負ということにしたんで、大丈夫だ」
条は、そう言いながら借り物の上着を脱いで……ちょっと迷う素振りを見せてから、芝生の上にそのまま置いた。
汚れるのではないかと気にしたようで、決闘の準備という空気に合わない、その小市民的な発想に、ノーラは思わず微笑みを浮かべる。
その一方で、魔導騎士も身に着けた鎧を外し始めていた。
なるほど。
たしかに、条の言う通りに、素手での戦いになるようだ。
それならば危険性は低いはず……。
と、ノーラは思いかけて、ふと嫌な予感がした。
「素手でも、魔法を使われたら勝てっこないアル」
「いや、魔法は禁止だ。それでいいんだろ?」
「ああ、安心しろ。火炎も雷撃も——それどころか、一切の魔法を貴様には使わないとも。もし私が魔法を使用したら、負けにしてくれていい」
律儀な口調で、女の魔導騎士は答えた。
肩当てを外し、胸当てに手をかけた彼女は自信に溢れている。その態度もまた、ノーラの胸をざわつかせる。
だが、魔法も使わないということなら——ノーラが、条の実力を見る機会は多くはなかったが、彼が獣人種族並の強さなのは分かっている。
普通に考えれば、勝ち目は十分にある。
条自身もそう思っているのか、半ば勝利を確信しているような……確かな自信を感じる。
条は、ノーラのその推測を裏付けるように言った。
「まあ余興みたいなもんだよ。ところで、アンタ——リン、だったか。俺が勝ったときの約束、守ってもらうぞ?」
「ああ。貴公の望みをなんでも一つ聞き届けようではないか」
それでも。
言葉にできない嫌な予感が周囲を漂っている錯覚に、ノーラは囚われていたのだった……。
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