第18輪 そして俺は逃亡者になった
なんもかんも
いや、ほんとに。
🚚
あれから……まあなんというか、予想通りの展開になってしまって……。
「教会に襲撃をかけるとは貴様ら、それでも人の子かっ!」
いつものように運転席に俺を乗せたトラックが、騎士鎧を装備した連中と街の衛兵の制服を着た連中の組み合わせからなる一団に、十重二十重に取り囲まれていた。
ざっと見たところ、完全装備に近い騎士と従士のセットが十名強と、鎧は着ていないが槍持ちの衛兵が三十人弱。
計四十人はいる。
俺たち一行を取り囲むだけなら十分すぎる人員を前に、もはや俺にできることは神様を貶すことだけだ。
なんでこんなことになったのか、その原因はつまり神である。
運命とかではなく、物理的な意味で神が騒音を立てたので、例の二人組の衛兵に見つかってしまったわけだ。すべて神が悪い。今回のミナを連れ出す行為(誘拐ではない。繰り返す、これは誘拐ではない)も神様がやれと言ったからであって、俺そのものは悪くないだろう。
駄目な感じの新興宗教幹部なら、そういう言い訳をする。
俺の場合に至っては、本当に隅から隅まで言い訳ではなく、本物の神に唆されたわけであるからして、実質的にも俺は完全かつ純粋な被害者なのである。
そう思った俺は、周囲を包囲されているにもかかわらず、
と——そうこうしているところに、聞き覚えのある凛とした声が、フロントガラスを突き抜けて俺の耳にまで届いた。
「ジョー! お前という奴は……見損なったぞ!」
「……エリス」
俺は唇を噛んだ。
いま、俺とノーラと馬鹿神は、教会から人を誘拐しようとしている悪人として認識されている。殺気だった周囲の連中を見れば一目瞭然だ。
だが、奴隷になったミナを元の場所に返す……つまり、人を助け出すための行動なのだという背景を知っているエリスならば……。
と、思ったのだが。
「まさか……お前がこんな大それたことをするとは……」
形のよい眉をひそめて言う彼女の表情にあるのは苦悶、だろうか。
雲行きとしては決してよい感じではない。
俺は吐息とともに心の踏ん切りを付けてから、トラックの運転席から降りた。
周りを囲む騎士だか衛士だか兵士だか分からない連中が、ざわついた。
そして周囲を制して、ひとり俺達の前に進み出ていたエリスはといえば——ほんの一瞬だけためらいの様子を見せてから——腰に下げていた細身の長剣を抜き放つ。
月夜に、前近代的な松明やらランプの明かりと、現代的なヘッドライトに照らされた刀身が冷たく輝く。
その表情は固い。
俺を、ただの暴漢や
けれど、向けられた剣の切っ先はこう言っていた。
もはや、仲間や友人の類ではない、と。
俺はしかし、そんなエリスの姿に失望してはいなかった。
仕方ない、とそう思えるのだ。
この世界に来るはずだったという、俺が轢いてしまったあの高校生の年代ならいざ知らず。
二十六歳……六捨七入すればもちろん二十代だが、あえて四捨五入などという非論理的な基準で区切ると三十代……あくまでも仮の意味で……の俺からすれば、これも世間の世知辛さの一つと理解できる。
いまも、助手席に座っているであろう、あの女装マニアの神ではないが。
「
こういう言い回しだと、神様の魔法による言語翻訳では意味が伝わらない場合もあるのだが、今回は自分を納得させるための呟きなので、細かいことは関係ない。
「できれば……素直に投降してくれるとありがたいのだが」
「悪いようにしない、とは言ってくれないんだな」
「それは……な。事情は分かっているのだが……約束はしかねる、としか言えない」
「やれやれ、真面目なこって……」
これ以上、問答を続けても仕方ないだろう。
あの女装の——ここで「既に神ですらなくなってる!」と助手席で騒いでいる奴がいたが、心を読む暇があったら役に立つことをして欲しい——言うことを信じるなら、この世界は地球よりも重力が小さい。
ならば、ひょっとすると力尽くでこの場を切り抜けることも可能ではないだろうか。
……だが、抵抗されるとなると彼らも本気にならざるを得ないだろう。
剣を振り回す連中と正面切って戦いたくはない。
ここはやはり素直に捕まって——。
「それは困るね♪ ならここはボクがどうにかしよう。どかーん」
背後で、アイドリング中だったはずのエンジンの回転数が急上昇する音がした。
慌てて振り向くと、いつの間にか女装神は助手席から運転席に移っている。そして、両手はハンドルに。やおら動き出した車を見れば事態は確定的に明らか。
「馬鹿、お前、なんてことを——」
「早く乗ってよー♪ 置いてっちゃうぞー」
ここでこいつを翻意させようとしても無意味だと悟った俺は、動き始めたトラックの助手席——はもう無理っぽいので、荷台へとノーラに腕を引っ張られるサポートを受けつつも駆け上った。
運転免許持ちがこんなことをしていたら、一発免停ものなのではないかと異世界なのにヒヤヒヤしてしまうのは、俺が小市民だからだろうか。
いや、俺はもう二度とあんな人身事故を起こしたりしないんだ——。
「しっかり掴まっててねー」
「おい、やめろ、この馬鹿女神っ」
荷台から必死に制止しようとする俺。血相が変わっているのだろうが、後ろを向かない制服コスプレ女神に見えるわけもなく。
言葉だけで止めようとしても、やはり無意味。
例の、この世界にくるきっかけになった事故を思い出して、身体中から血が引いていく感覚を覚える。
トラックの運転席の後部には窓が付いているから、運転席から荷台を見ることができるように、荷台から運転席を見ることもできる。それはつまり、その気になれば——。
俺たちを取り囲む連中に捕まって逮捕されてもいいんだ。
ここで再び事故を起こすよりは。
どんどんどんどんどんどん、と。
窓ガラスをめったやたら叩く俺。最初は平手で、次は拳で。
乱暴運転を止めるためなら窓の一つや二つ壊してしまって構わない。ガラスよ砕けてしまえと拳を振るうが、一体どれほどの強度があるのか、そこも魔法で保護されているのか、傷一つ付かない。
それどころか、俺の拳が傷ついていく。
内出血どころか、腫れた部分が裂けて血が出始める。
それでも殴るのをやめない。
……やめるわけにはいかなかった。こいつが勝手にやっていることと割り切れれば楽なんだが。それは今の俺には無理だ。必ず、止める。
「——主人様、ご主人様!」
叩き続けて、それでもガラスを砕けないどころか、叩きまくっているのに、こちらに気づきすらしない運転席のクソ野郎目がけて、俺が何度目かの全力で拳を振り上げたとき。
俺の腕に何かがまとわりついてきた。
それはあまりにも柔らかく、重く、暖かい何かで……。
俺の気持ちを短時間だけ現実に引き戻すには十分な何かだった。
「ノーラ……か」
息つく間もなく拳を振るいつづけていたので、正気に返った途端に肺をはじめとする身体の各部が酸素不足を主張する。
肩を大きく上下に動かして息をしながら、それでも足りない酸素に頭が白くなるような感覚とともに、俺は涙を浮かべたノーラの顔を見つめる。
ずいぶんと……驚かせてしまったらしい。
涙だけではない。彼女の表情は、ほとんど泣き顔だった。
「ご主人様……どうしてこんな……怪我してしまっているアルよ……」
そっと俺の拳に触れるノーラ。
じんじんとした痛みを感じ始めるが、今はそれはどうでもいい。
「——駄目なんだ」
「何が、駄目アルか?」
「人を車で——トラックで轢いたりしちゃいけない。轢かれる側はもちろん、轢いた側でさえそれは辛く、苦しいことなんだ……だから……止めなきゃ」
そして俺は再び、ガラス窓に向き直った。
一旦は心を落ち着けたとはいえ。気持ちは何も変わらない。
俺がした過ちの贖罪にはならないにせよ、止められる事故——事故というより、意図的な殺人もしくは障害行為なのだが——は止めないといけない。
冷静になった今、同じやり方では効果がないと分かったのは収穫だろう。
ここから窓を覗いてみると、助手席にロックはかかっていないから、荷台からアクション映画のスタントよろしく、外から助手席に入るという手は残されている。
そして俺は。
「でも……誰も轢いてないアル」
——動きを止めた。
その言葉を理解するまでに、ゆうに二秒はかかったかも知れない。
左右と前方を見渡して状況を確認する。
足もとから感じる振動もある。トラックは止まっていない。動き続けていた。
……徐行以下のスピードで。
「ええい、止まらんかっ」
「ぐぬぬぬぅ、面妖な……動きは遅いのにこの力……まるで陸上機甲亀の歩みのようではないか」
よく見れば。
周囲を取り巻いている騎士とか兵士達は、離れた位置からすごい形相で言葉を投げつけているか、車体の前方に取り付いて踏ん張ってトラックの動きを止めようとしている(すごい根性だ)かのいずれかだった。
しかも、制止しようとしているのは鎧に身を包んだ騎士らしき連中ぐらいで、衛兵らしき揃いの制服の連中は、車の動きに合わせて囲いの輪を維持したまま着いてきているだけだった。ぶっちゃけ、滑稽ですらあった。
「……えぇ……?」
この様子に、俺はほっとすべきなのだろう。
よかった、人を轢く運転手なんていなかったんだ。……なのだから。しかし、こみ上げてきた感情はと言えば。
「納得いかねえ……」
先ほどまで気にもならなかった拳の痛みが激しくなる。
無駄な努力というか、暴走した恥ずかしい行動だったというか。
さっきまでの高ぶった気持ちが一転して羞恥に変わる。もちろん、考えていたことは間違ってはいないと確信しているのだが……。
荷台に人を積んだままゆるゆると進むトラック。取り囲む人々。バンパーやフロントガラスにしがみつこうとする全身甲冑の騎士たち。続いている怒号だけはなんともシリアス。
そして、最後に、異世界の神兼運転手が口ずさむ鼻歌が聞こえてきて。
俺は力なく両手を下ろして……もう、なるようになれと思った。
いや、確かに、これでよかったんだけど!
……人間、どうしても納得できないことってあるよなぁ。
「——いけない。ノーラとそこの人、気をつけて」
そんな状況だったから、不意にぼそりと呟かれたミナの忠告を聞き流してしまった。
このときの俺はまだ、この世界の教会騎士団に喧嘩を売ることの意味を理解していなかったのである——。
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