第3輪 ウサ耳少女に、どこで学んだその片言、と俺は聞いた


「すごいアルよ! ご主人様、どこでこんな武術を学んだアルね?」


 俺の側で、例のウサ耳少女がぴょんぴょんと飛び跳ねている。

 彼女が言う「ご主人様」とはつまり、俺のことだろう。

 ご主人様。

 ご主人様。

 ご主人様……!

 健全な男子なら、その八十八割が呼ばれてみたいと思うはずの「ご主人様」コールに、俺の心もうっかりぴょんぴょんしてしまいそうになる。


 ともかく、なんでこうなったか、ちょっと時間を遡ってみよう。


   🚚

 

「すげえ……あいつ、勝ったぞ」

「獣人の、それも狼男に素手で勝てる人間がいるなんて……」

「ちょっとチビだけど、ああ見えて実は武術の達人なんだな」


 狼頭の野郎をのした俺の耳に、周囲のざわめきが届く。

 ……って、チビは余計だ、チビは。

 これでも百七十はあるんだぞ、一桁目をすればな!


 とまあ、それはさておき。

 俺は、ちょっと驚いていたのだった。

 それは、思ったより狼野郎が雑魚だった……ということによるものではなく。

 だ。

 ……実は俺は、高校の頃にボクシングを一時期だけやっていた。

 当時、もう少しだけ……ほんとに少しだけなんだが、今よりも背が低かった俺は、学校にいたガラの悪い連中に舐められたくなくて、格闘技を学ぼうとしたのだ。

 練習にはずいぶん真面目に取り組んだと思う。

 けれど、結局、才能はなかった。公式戦では、大した結果は残していない。

 その一方で、同じ高校のボクシング部に所属しているやつ、というキャラ付けが大きかったのか、変なちょっかいをかけられることはなくなったので、始めた意味は十分以上にあったが……。

 ともかく。

 もっとも練習に励んでいた現役ばりばりの頃でも、こんなに身体がキレていたことはなかったように思う。

 もし、最後のあの大会でこれぐらい動けてれば……。

 なんてな。いまさらの話だ。


「う、うーむ……」


 考え事に夢中になっている間に、狼野郎が意識を取り戻していた。

 やつは、上半身を起こしてはいるものの、片手を頭にあてて、ぐぬうと唸っている。

 たぶん、軽い脳しんとうで、頭の中がシェイクされているはずだ。さっきのアッパーは良い入り方をしたからな……。

 しかし、見れば見るほどよく出来たかぶり物だ。片目を閉じることまでできるのな。

 顎の裏や、首元までふさふさの毛皮に覆われている。

 足はブーツを履いているので見えないが、肉球の付いた手や、尻尾のことも考えると、かぶり物というより着ぐるみに近いのかもしれない。

 と。


「ん……てめえは……………………ヒィッ」


 目眩が収まって俺の姿を視界に納めてから、ようやく何があったのかを思い出したのだろうか。

 狼野郎は悲鳴を一つあげると、座ったまま、足で地面をかいて後ずさりした。

 情けないポーズだ。


「気がついたみたいだな」


 俺はできる限りに声を掛けた。

 あまりの雑魚っぷりに、すでに敵愾心てきがいしんはない。

 指紋を付けてくれやがった窓ガラスぐらいは拭いて欲しいとは思うが、そんな細かいことよりも、今のわけの分からない状況について、質問したいことがあったのだ。

 答えてくれれば誰でもいいので、手近なこいつに聞いてみよう、というわけだ。


 ここはどこか?

 俺が轢いた、高校生(中学生?)の姿を見ていないか?


 まずはその二つぐらいから始めようと思って、俺はその場にしゃがみ込むと——いわゆる、うんこ座りの姿勢で——狼野郎に手を伸ばした。

 肩が土埃で汚れているから、払ってやろうと思ってのことだ。


「ひ、ひえっ……す、すいませんすいません。あっ、あ、これ、これ差し上げますんでどうかご勘弁を……さ、ささっ、どうぞどうぞっ」


 なんか泡を食って(最近の着ぐるみはすごいな、実際に唾が飛んでた)、そんなことをまくし立てた狼野郎が、こちらに何かを差し出してきた。

 だもんで、俺はそのを反射的に受け取ってしまった。


 じゃらり……っ。


 鎖……だと?


 俺が瞬きをして、その鎖を見直したとき。


「し、失礼しやした〜」


 立ち上がった狼野郎が、まるでさっきのダメージがなくなったかのように、軽快に走り去っていった。

 くるりと尻尾を巻いて——あ、比喩じゃないぞ。


 ……お、おう。


 俺としてはその感想が精一杯だった。

 やさしく肩を払おうとしただけなのに、どうしてこんなことになるのか。

 ともかく、奴に渡された鎖をどうにかしようと。


「あぅっ」


 握った手とは別の手で引っ張ってみたら、鎖の先に付いていた女の子が悲鳴を上げた。

 ——あ、そうだった。

 そういやこの鎖、ウサ耳娘の首輪に繋がってたっけな。


 …………え? ということは、つまり俺がもらったは?


 そして、冒頭のシーンに戻る訳だ。


   🚚


「すごいアルよ! ご主人様、どこでこんな武術を学んだアルね?」


 それが、ウサ耳少女の第一声だった。

 引っ張ったせいで首が擦れてないかと確認した後の話だ。

 ちなみに、痛いところは特にないらしい。よかった。

 で……少女の質問に、俺はしばし考えて、別の質問を返した。


「ご主人様ってのは、俺のことか?」

「もちろんアルよ。さっきの狼男が、ご主人様にノーラを譲ったアル。だから、ご主人様がノーラのご主人様アルね!」

「ええと……ノーラってのが、あんたの名前か?」

「はいネ。ノーラはわたしの名前アルね。獣人族の兎人の娘アル。ご主人様よろしくアルよ」


 よく分からないことが多かったが、とりあえず、なるほどと俺は頷いた。

 で、大事な質問をする——。


「その片言とウサ耳は、キャラ作りなのか?」


 ……。

 …………。

 ……………………。


 ん。なんだこの沈黙は。

 なぜか、今まで騒がしかった周囲のやつらまで静かになっている(ちなみに、まだ俺のことをすごいと言っていたが、どう考えても買いかぶりだと思う。やつが弱すぎたのだ)。


 ……少し、いたたまれないような気がしてきた。


 俺、なんか間違ってたのかなあ?

 何がいけなかったのか反省しようとしたところ、ウサ耳少女がおずおずと問いかけてきた。しかしこの娘、瞳が大きいな。赤目にするカラコンのせいだろうか。


「あ、えーと……ご主人様は、どこから来たアルか? もしかして遠くの国の人アルね?」

「どこから……うーん、日本だけど。千葉生まれ、千葉育ちだよ」

「ニホン……ティバ……」

「千葉な、千葉」


 なんかイントネーションがおかしいウサ耳娘の言葉を訂正する。

 すると、ウサ耳娘は両手の人差し指をこめかみにあてて、考え始める。わざとらしいポーズだが、美少女の手にかかれば、なんとも可愛い仕草だ。

 そしてしばらくして……。

 当然と言えば当然なのだろうが、


「……………………聞いたことがないアル」


 そんなふうに言ってきやがった。


「いや、ここが日本じゃないってのは、まあわかるけど。そういう風に言われると、なんか、胸に来るものがあるなあ……」


 俺は自分の声が徐々にトーンダウンして呟きになるのを感じた。

 やっぱここ、日本じゃないんだなあ。

 はあ。マジ、どうしよ……。

 

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