第10輪 湖と女騎士と俺
おっさんはトラックを買う気はなかったようだった。まあどうでもいい。おっさんだし。
その後、ノーラと一悶着……起きる前に、やってきた女騎士(たぶん騎士だと思っただけであって、本当に騎士だとその時点で確証があったわけではない。結局、騎士だったけど……何をぐだぐだ言っているんだ俺は)エリスの要請を熟考した結果、俺はトラックで彼らの装備品を運ぶ仕事を請け負うことにしたのだった。
結果的に、ノーラが行きたいと言っていたディノンを目指すことになったが、甘やかしているわけではない。銅貨八枚は、きっちり返してもらうつもりである。——じっちゃんの名にかけて。
って、探偵ものネタは前回で終わりだったか。悪いね。
🚚
……あれから五日が経った。
そして、その間に幾つかのことが起きた。
ひとつは、ノーラからディノン訪問に固執するわけを聞き出したこと。
もうひとつは、エリスの嬢ちゃんと仲良くなったこと(俺の主観で)。
最後のひとつは、
だいたいそれぐらいか。
あ、あと、国軍の糧食らしい、スモークした塩漬け肉は意外とうまかったな。
うん、これはどうでもいいか。
まあ、まずはひとつ目から行こう。
「実は……ディノンには、わたしの親友がいるのアル」
「へえ」
「名前はミナって言って……彼女も奴隷アル。同じ奴隷商のところにいたときに親友になったアルね」
「ほう」
「同じ獣人種族の、牛娘でおっぱいの大きい子アル」
「くわしく」
俺は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の奴隷の主を倒さねばならぬと決意した。
……だってアレじゃん?
牛娘だよ? そりゃもう期待大ってものだよね。
男なら分かるだろ? な?
「それで……その、ミナって娘を助けに行きたいのか」
「そのとおりアル」
もともと、ノーラは、隙さえあれば逃げ出すつもりでいたらしい。
前の主人である狼男のところでそうしなかったのはなぜだ、と聞いたら、そもそも、監視が厳重な奴隷商から、狼男に引き渡されたのがあの日だったとか。
狼男視点ではつまりこうなる。
ノーラのような美人な奴隷を手に入れて、意気揚々と帰り道を歩いていた。いい気になっていたので、つい、わけの分からん乗り物に乗っていたイケメン(俺のことである)に喧嘩をふっかけてしまった。結果、返り討ちにあってしまう。それでイケメン(くどいようだが俺のことである)への詫びとして、手に入れたばかりの奴隷のノーラを差し出したというわけだ。
……うわ、可哀想な奴。
サンドリスの街——あ、俺がやってきた街のことな——に戻ってあいつを見かけたら、優しくしてやろう。うん。
……狼顔は区別付かないけどなー。
「ま、事情は分かった。けど、具体的にはどうやって助けるつもりなんだ?」
「……考えてないアル」
「おい」
「しかたないのアル……まずは逃げなきゃと思って……で、逃げるついでにディノンまで行けばいいと思たアル」
「無理もない話……なのか? ずいぶん無鉄砲な気もするが」
「そんなに褒められると照れるヨ」
「いや褒めてねえぞ!?」
とまあ……ノーラから聞いた事情とやらはこんな感じだった。
親友も奴隷になっているということなので、安否が気になる気持ちは分かるし、出来れば助け出したいってのも分からんでもない。
ディノンに着いたらあたってみるつもりだが——しかし、金がないから、なんとかしてやれるとは思えんのが辛いところだ。
エリスに色を付けてもらったところで、銀貨三枚がせいぜいだろう。
日本円にして五万円程度で奴隷が買えたら苦労しないよな。
……ま、地球で奴隷貿易をしていた頃は、ガラス玉で人を買ったらしいがな。
そうそう。エリスといえば……。こんな出来事があったんだ。
あれは、俺たちが彼女と出会って、二日目の朝のことだ。
行軍では、俺のトラックは、軍隊の後方が定位置になった。
国軍は、足の遅い歩兵が先頭で、その後に騎兵——騎士団に所属しているエリスも本来ならこの位置だ。ただし、今回の軍の編制では、騎士団はあくまでもオブザーバーというか、おまけのような扱いらしく、騎兵は数が少なかった——で、最後に荷馬車隊が続いていた。
俺のトラックは荷馬車隊よりもさらに後ろの最後尾。まさにしんがりである。
大河ドラマなどでは、しんがりというと危険な場所という印象だが、それは背後に敵を背負っている場合。
今回のように支配地域である王国内を行軍しているのであれば、危険はない。
この配置に深い意味があるのかないのかは俺には分からなかったが……。
俺とノーラが乗ったトラックに併走するように、エリスとその従士である渋いミドルのおっさんが馬を進めていたのは、俺らの監督が目的なのだろうな。
あ。ちなみに速度は最徐行レベルである。
あまりにも低速で走らせなきゃならんので、エンストするんじゃないかと思ったほどだ。
ま、それはさておき。二日目の朝の話に戻そう。
昨夜は、軍隊の人たちはちゃんと野営をしていた。
だが、俺たちは半ば客扱いだったために、野営の準備には多少手を貸す程度だった。まあ、やり方もあんまり分からなかったし。ノーラはそこそこ働いていたが。
ライターもないのに火を起こすとか、現代人の俺には厳しい。
で、まあ……飯をごちそうになった後、夜が更けたので寝て……そして朝になった。
「ふあああ〜」
寝床で、伸びをした俺が大きなあくびを一発かまして、地平線に目をやると、まだ太陽はその姿を現しきっていなかった。
時間的には四時か五時か……まあその辺だろう。
もう一度寝てもよさそうだったが、ノーラやエリスに寝ぼすけと思われるのもしゃくに障る気がする。
とりあえず、顔でも洗いに行こうかと、近くの小川に向かった。
街道から少し離れたところには、川が流れているらしい。
大きな川で、幾つかの支流があるのだそうだ。
水場が近くにあるのは野営場所として便利である。というわけで、昨日は、その支流のひとつが近くにあるところまで来た時点で、早めに行軍を終わらせて野営に入っていた。
支流——つまり、小川は野営場所のすぐ側で、小さな湖を作っていた。
なお、上流の川そのものは「少し離れたところ」と言っても、数キロメートルは離れているらしい……ええと、ここいらで使われている単位では、一リーグ半前後だっけ。
この一リーグは、四キロメートルちょいぐらいのようだ。
言葉が通じるのに単位が違っているのが不思議だったが、リーグより短い単位がヤードというらしいので、なんか時代がズレてるというか、地域性の違いなのかもしれない。
たぶん、日本語っぽく聞こえるのは例の
で、話を戻して……俺が、木立の間を抜けて、小さな湖にたどり着いたとき。
木陰の向こうから、軽やかなハミングが聞こえてきた。
「お、誰かいるのか?」
そして俺は何も考えずに、進路と視界を遮っていた葉の茂った枝を腕でおしやって——。
うん。ご想像の通りだよ。
「——え?」
「——は?」
ちゃぽん、という密やかな水音。
湖の岸に近いところに、全裸のエリスがいた。
甲冑の兜を被っていたときは金髪としか分からなかったが、彼女の髪はずいぶん長く、先端が腰まで届いている。手入れが良いのか、日の光を反射してつややかに輝いている。
日本人とは異なる肌の色で、より純白に近いせいか、血行の良い首の付け根付近は、桜色に染まっている。
欧米系の人種だから、胸はたわわに実っているかというと、残念ながらさほどでもなく、ノーラなんかよりはすらっとした体系だ。地球では、北欧系の若い女性にありがちな、妖精めいた体躯というのが一番近い。
騎士ということで、日頃から鍛えているのだろう。贅肉がなく、しなやかな身体付きだ。ただ、締まった腰付きから緩やかなカーブを描いている臀部だけが、まるく円を描いて、豊かさを主張していた。
彼女が半身を捻ったような姿勢だったから、尻と片乳が目に付いたとも言えるな。
ともあれ、エリスは、長い睫毛に彩られた大きな蒼い瞳を驚きで見開いて固まっていた。身じろぎ一つしない。あ、瞬きはたったいました。
人は本当に驚いたとき、悲鳴は出ないっていうけど、マジだね。
観察を続けていると——え、目を逸らさないのかって? どうしてその必要があるんだ? 俺には理解できないな——彼女は、ぎゅっと口を引き結んで。
「キっ、斬るッ!」
ひっくり返った声で叫ぶと。
岸の方に置いてあった、剣帯に着いた鞘に飛びついて。銀色に輝く騎士剣を抜きはなって俺を追いかけまわしたのであった。全裸で。
いやあ、刃物を持った女の子に追いかけられたのは初めてだけど、こればっかしはどっちの世界でも怖いよな。良い勉強になったよ。
次に、俺と全裸のエリスを発見したのが別の男じゃなくてノーラで、それで彼女が正気を取り戻して、茂みに飛び込んだのは彼女の名誉のためには良かったと思う。
もちろん、俺はこうして生きているし……怪我一つせずに済んだので、みんなハッピーエンドってやつだね。
裸の付き合いは友好のために重要だし。俺は脱いでないけど。
あれから、エリスと目が合うたびに彼女が涙目になっているのは、まあ、気付かないふりをしているわけだが……。
ともあれ、これが、この五日に起きた大まかなことだ。
ん? みっつめの
あいつは(俺の)様子を聞かないやつだったよ……。
それだけだな、うん。
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