第15輪 異世界での買い物に必要なスキルとは

 ノーラの親友であり、奴隷でもあるミナという少女——。

 彼女が教会に修道女になっていることを知った俺。エリスは、ミナの引き取りは不可能だと言うので、俺は彼女をこっそりと連れ出す決意をかためた。

 女装の変態とはいえ、神様自身が「助け出せ」と言っているんだから、これ以上の免罪符はないだろう?

 これぞまさしく、神のまにまにってやつだな。


   🚚


 頂点に到達しかけた太陽で、街は隅々まで照らされている。

 俺はノーラを伴って、服屋を見に行くことにした。彼女が着ている服はあくまでも男物。もっとぐっとくる衣装が必要だった。主に俺の眼福のために。

 それを済ませたら、次は下見である。

 その対象はもちろん教会だ。

 日中に公然と連れ去りをかますわけにはいかないので、実行は夜にしようと思っているが、そうなると下見は必須だ。

 ……なんだか犯罪者になった気分である。


「まあ……これからそうなる……っていうか、既になっているのか」

「ご主人様、どうしたアルか?」


 隣を歩くノーラが、俺の顔を横から覗き込んでくる。

 俺は彼女の頭を軽く叩くと——いや、殴るんじゃなくて、ポンポンってやつ。俺の奴隷なんだからこれぐらいはセーフだろ。常識的に考えて——別にどうもしない、と答える。

 そして、かわりにノーラに聞く。


「そういえば、この世界にも、洋服屋ってのはあるのか?」


 俺が地球という別世界からここにやってきた事実については、ノーラには話している。というか、初日に会った衛兵にもそう説明した。特に秘密にするって発想がなかったからだ。

 だが、その日の午後以降に会った、宿の主人とか、おばちゃんとか、その後にあった商人のなんだっけ……そうだ、マイルズだった。どうもカタカナの名前は印象に残りにくい気がするな……それと、エリスとサンチェスってお付きの人には真実は話していない。

 ……どう考えても変人か、頭のおかしい人扱いされるのは目に見えているからな。

 いま予測しているこの推測は確実性の高い予報の一種だ。回避する方法は俺が知っている。俺に任せろ。

 ってなもんだ。

 

 話がそれたが、そういう事情で、ノーラにだけは普通にこの世界の常識を聞くことができる。……ただ、どうもノーラのやつ、俺がと勘違いしている節があるんだよなあ。

 なんか片言に聞こえるし、うまく言葉が通じてないのかもしれない。

 が、まあ実害はない。


「洋、というのはよく分からないアルけど、服屋なら大きな街なら幾つかあるアルよ」

「……あ〜、そっか、確かに『洋』はねぇわな……分かった、じゃあ、適当に人に聞いてみるか……」

「服を買ってくれるのはありがたいアルけど、本当にいいアルか? この服も尻尾穴を開けた後は、動きやすいしこれで十分アルよ……?」


 こっちに尻を向けて見せたノーラに俺は鷹揚おうように頷いた。

 そうやって喜んでおいてくれると、こっちの望む衣装を着せるのに都合がいい。ふふふ。

 と、俺はひとつだけ確認を忘れていることに気がついた。


「服ってどれぐらいするんだ? もしかして足りないかな?」

「このあたりの価格は知らないアルけど、普通の服なら銀貨一枚あれば十分アルよ」

「げ、案外高いな……」


 とはいえ、分からないでもない価格設定だった。

 中国とか東南アジアの発展途上国に工場があって、今どきのミシンに安い労働力で大量生産——なのが日本の常識だが、この異世界でそんな作り方をしているとは思えない。一点一点手縫いだとすれば、一着一着の価格は吊しのスーツより高くても不思議ではない。

 単純なTシャツのような服ならそこまででもないだろうから、安物なら銀貨一枚、などとなるわけだ。

 俺の呟きに、ノーラは気遣わしげな表情を見せた。そして、


「やめとくアルか?」


 殊勝にもそんな風に言ってくる。ここで否というのは男がすたる気がするので、俺は胸を張って——

 

「……いや、とりあえず見に行ってから考えよう。高すぎたらごめんな」


 少しだけ弱気に答えた。

 ……仕方ないだろ。金がないと無理なもんは無理なんだしさ。


 そして俺たちは、通行人から聞き出したもっとも近い服屋の前までたどり着いた。

 地方都市あたりの商店街の片隅に残ってそうな洋服屋というとイメージが湧くだろうか。ガラス張りのショーウィンドウにマネキン、なんてものはないぞ。

 とはいえ、店の中にところ狭しと吊された服は色とりどりで、はなやかだ。やはり着る物は女受けするのだろう、店内には女性客が多かった。

 店員はそんなにはいない。店の前で客引きをしているふつうの人間——この世界の言葉では人族か——がひとりと、店の中にはあとふたりいるようだったが、それでも客の人数のほうがやや多く、積極的に接客はしないようだった。


 俺はちょっとほっとした。

 日本の一部の洋服屋みたいに、店に入ったらあっという間に店員に捕捉されるような仕組みだったらどうしようと思っていたのだ。

 あれ、なんか威圧感あるからやめてほしいんだよな……。


「好みの服とかあんのか?」

「んー。そうアルね……」


 店に入った俺がノーラに聞く。

 しばらく店内を見渡した後で、ノーラは一点を指した。


「ああいうのがいいアル」

「ほほう、どれだ……えっ? あれか?」


 俺はノーラが指し示す先を追って動きを止めた。


「駄目アルか?」

「そりゃあ、価格さえ折り合いがつけば別に構わないが……ちょっと待て」


 値段を聞き出すためにか、店員に声をかけに行こうとしたノーラを引き留める。

 俺は、ノーラと彼女が指さした先——同じような衣装が数着ある一角との間で視線を動かして改めて聞いた。


「あれは……何だ? ノーラの地元の伝統衣装とかそういう奴か?」

「狩りをするときに着る服アルよ」

「狩り」

「そんな顔をしてどうしたアルか。まるでムーア鳥が池に落ちた顔アル」

「……今の表現はよく分からんが、言いたいことは理解した」


 俺が何に驚いているか。それは簡単なことだ。

 ノーラが指さしている先にある衣装が、地球にもあるアレにしか見えないからだった。

 そう……に。


「しかし——どうしてブルマじゃないんだ!?」


 ……そこじゃないと思いつつも、俺は叫ばずにはいられない。

 

「ブルマって何アルか?」

「知らないのか。ブルマってのはだな……」


 俺は力説した。

 ただのフェティッシュな発言などではない。ブルマが登場した背景である女性解放運動に言及し、それまでのコルセットだとかの拘束的な衣服ではなく、ゆとりがある自由な衣服に転換することにより以下略と熱弁をふるい、その意義をこんこんと語ったのであるが……。


「ブルーマーさんなんて人は知らないアルよ」


 そりゃそうだわ。

 残念だが……この世界にもブルマはないことを俺は知った。

 それも生まれることなく葬り去られていたのだ。

 こんなに悲しく、切ないことはあるだろうか。何故こうなったのか、神に問いたいと心から思う。

 この世界の神といえばあの女装神ヘンタイなのだからなおさらではないか。ノーブルマノーガール。

 次回、夢で会ったときに必ず追及しようと俺は決意を固めるのだった。


「兎人以外には売れないから、銀貨半分でいいらしいアル」

「……ん? なんか言ったか?」

「値段を聞いてきたアル」

「ああ……そうだった」


 あまりにも深く決意を固めていたため、ノーラの行動と言葉が意識に入ってこなかったらしい。

 それにしても、銀貨半分というと銅貨九枚か。結構安いな。それなら……。


「もう一着ぐらい買って良いぞ? ってか、それだけで、寒くないのか?」

「今着ている服が少し暑いぐらいアルよ? でも、替えは今ので十分アルからとりあえずは一着でいいアルよ」

「それならいいんだが……。もしかして、兎人ってみんな暑がり?」

「人族と比べるとそうかも知れないアル。ご主人様がいつも着ているそれ、見るからに暑そうアルよ?」


 ノーラの言葉に俺は自分の服に視線を落とす。

 こっちの世界に来たときに着ていた服の中で「いつも着ている」に該当するのは、上に羽織っているジーンズ地のジャケットだろう。

 下着の類は当然外からは見えないし、ズボンは王国軍の備品から譲ってもらった、こちらの世界産の木綿の品に変わっていたから、この服だけがちょっと浮いている。


「着心地悪くないんだがな……っと、そういえば、靴下欲しかったんだ。前のは穴が空いちまったからなあ。売ってるかな?」

「靴下ならその辺アルよ?」

「むむ……サイズ表記がないな…………まあ、これでいいか」

「編み目があんまりしっかりしてないアルね」


 俺が選んだグレーの靴下に、横から手を伸ばしたノーラが批判的に言う。

 なるほど、引っ張ってみて確かめるのか……。

 こういうのはよく分からんなあ。ああ、ユニ○ロが懐かしいぜ。


「こっちのほうがいいアルよ」

「赤は……嫌だなぁ」

「それじゃこっちなんてどうアルか」

「茶色ならまあありだな、これにしよう」

「決まりアルね? 後はわたしに任せるアルよ」

「おう、がんばってくれ」


 ノーラが店の奥にいた店員に歩み寄り、価格交渉を始めた。

 俺はそんな彼女を後ろから見守っている。

 なんでこうしているかというと……ついさっき、屋台で串焼きを買ったときに、ノーラに「ご主人様はどうして正札のまま買うノカ?」と指摘されたのが発端だった。

 話を聞いてみたら、この世界ではちょっとしたものだろうが、値引き交渉するのが当然らしい。日本でも値引き交渉するのが一般的な地域はあるが、それでも今どき大半の店では値引きはしないと思う。

 その日本で育った俺は、この世界ではどうやらいいカモだったらしい。

 衛兵の紹介だった最初の宿を除くと、なんだか色々高いと感じていたのも、どおりで……というところだ。


 そうと知ったからには価格交渉をしないといけないと考えた。

 損をするのも馬鹿らしいしな?

 だが、俺にはこの世界での相場観が全くない。何がどれぐらいの価格かを知らずに価格交渉するのは不可能だ。

 それだけではない。

 例えばさっき買った、砂ネズミのもも肉の串焼き。焼き鳥のようなものだと思えば、店先に掲げてあった一本一ルクという価格——一ルクは小銅貨一枚で、だいたい百円に相当する——は妥当だと思うのだが……。


「普通、ご主人様みたいに四本買ったら三ルクぐらいに値引くのが当然アル」


 ……というわけだ。

 一本なら百円だが、四本なら三百円になるものらしい。スーパーなんかでの売り方からすれば分からなくはないが、そういう風に値引き交渉するものだという発想がないと、見逃してしまうだろう。

 ……結論から言えば、俺はその辺をノーラに一任することにした。

 ノーラが分かる商品の範囲で、という制限は付くが、これで煩わしいことが一つ減る。それに、ノーラが俺の金を盗んだ件についても、この労働で返してもらうということにしたので一石二鳥になった。


 実際、今ノーラと店員の交渉を聞いていると彼女に任せてよかったと思う。

 上下の体操着(悲しいかな下はハーフパンツだったが)と靴下のセットで、銅貨九枚と小銅貨三枚ぐらいで落ち着きそうなんだが、それが高いのか安いのか俺にはさっぱり分からんからな……。


 とはいえ、なんら誘導することなく脚を露出させるファッションにさせることができたという意味では、この買い物、大成功であったと言えるだろう。

 

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