第14輪 諦めてくれと少女騎士は言った

 すべての始まりは今日の昼……。

 つまり、俺がノーラを伴って、ミナの情報を得るためにエリスのところを訪れたとき、彼女から投げかけられた一言。それが発端だった。


   🚚


「すまない、ジョー。私は、奴隷の件で、お前に協力してやることはできない」


 騎士館の中。執務室と思われる小さな部屋で。

 豪華というより質実剛健だと感じる、装飾のない大きな机を挟んで、俺たちと相対していたエリスはそう言うが早いか、俺たちに向かって頭を下げた。

 長椅子にノーラと並んで座っていた俺は、手にしたお茶のカップから立ち上る湯気をしばし眺めて。


「……どういうことだ?」

「ミナという少女のことは諦めるんだ、ジョー」


 エリスを当てにすることにして、ディノンに訪れた初日である昨日は特にミナを探そうともせずに、宿を取って疲れを癒やすだけにした。

 そして今日。朝のうちに騎士公館を訪れて、エリスからミナの所在を聞かせてもらうことができたら、昼にでも行動に移す心づもりだった。神様から与えられた期限は七十二時間だから、三日分はあるとはいえ、あまり悠長にもしてられない。

 もちろん、エリスのところに情報が入らない可能性もあるとは思っていたが……。

 この口ぶりからすると、情報はあるが、言えないということらしい。

 想定していなかった話の展開に、俺は目を瞬かせた。

 そして、目を白黒させているだけの俺とは違い、ノーラにはエリスの言葉はずいぶん不吉に聞こえたようで。


「ミナに……なにかあった……アルか?」


 掠れた声で、身じろぎひとつせず、そう問いかける。


「あ、いや、すまない。そうではないんだ。彼女は元気だ。むしろ、奴隷身分の女性にとっては良い方の結果になったとも言えるんだが……」

「どういうことか教えてくれよ。そんな風ににごされても納得できないぞ」


 口を閉ざしかけたエリスに、俺が詰め寄ると彼女は難しい顔をした。

 そして、ため息をひとつ吐いてから話し始める。


「それがな……ミナという少女を買い取ったのは、教会なのだ……」

「教会、ってーと……」

「エレミア教会だよ……我が教会騎士団の母体の、な」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたエリスがゆっくりと立ち上がった。

 当然ながら、昨日までよく見ていた騎士鎧姿ではなく平服姿である。とはいっても、ブラウスにスカートみたいな女性らしい格好ではない。

 上半身こそ、ドレープの入った高級そうな白い仕立てのシャツを羽織っているが、下半身は乗馬用らしい裾を絞ったズボンを穿いている。腰回りはゆったりしているようで、尻のラインが見えないのが残念である。

 そんなエリスは、俺とノーラに背を向けると、背後にあったガラス窓に向かって立った。


「恥ずべき話ではあるのだが……エレミア教会で、一部の祭礼を司る修道女はなり手が少なくてな。まず……その……純潔でなくてはならないし。次に、節制というか清貧でいることを求められる。もちろん、煌びやかな仕事ではない……神に仕えるという喜びだけで成り立っているようなものだ。だが、昨今はなかなか……な」

「まあ……そりゃ分かるような気がするが」


 日本人であった俺にとって、信仰に生きるということがどういうことなのかは分かりにくいものである。

 それに……と思ってしまうわけで。っていうか、あれはないわ。日本の八百万やおよろずの神様だったらもう忘れ去られてるだろ、あれ。むしろ誰が信仰するのかと小一時間。


「そういうわけで……教会は、有望な信徒をより広く市井しせいに求めるようになったわけだ……聞こえはいいが、つまりは」

「奴隷を買って、修道女にするのか」

「うむ……」


 俺が推測を口にすると、窓の外を眺めていたエリスが振り返った。

 逆光で顔が見えづらいが、その表情はどこか思わしげで。


「なんかまずいのか、それ?」


 奴隷よりは修道女のほうがよっぽどマシだろうと思ったので、そう聞いてみた。

 なにしろ、ノーラの例を挙げるまでもなく、この世界の——いや、西方諸国と帝国では扱いが違うらしいから、西方諸国の奴隷制度は、だな——なかなか厳しい。

 できることなら奴隷なんかはやめて自由になりたいだろう。

 だから、教会の修道女って、そう悪くない職業のように思えるのだが。話しぶりからすると給料は安そうだけどな。


「神に仕えるという選択は、当人の自由意志であるべきなのだ。そうでなくば、神もお喜びにはなるまい」


 と言いきった後、即座にエリスは「というのは建前として」と、言葉を継いだ。

 本音と建前というやつはこの世界にもあるらしい。

 そりゃそうか。


「……信仰を強制するのが正しいことだとは思わん。獣人種族の場合は、素朴な精霊信仰を持っていることが多いしな。そうだろう?」


 水を向けた先は、俺の隣で困惑したような顔をしたノーラだった。

 俺がノーラのほうを向くと、彼女は手にしたカップを膝の上におろして。


「この世界のありとあらゆるものには精霊が棲んでいるアルよ? 子どもの頃におじいとおばあからそう聞いたアル」

「——ほらな?」

 

 ふむ。

 想像するに、ノーラの宗教観は日本人に近いものなんだろうと思う。

 日本にはそれこそ八百万やおよろずという文字通りに神様がいっぱいいて、お米の神だとか、海の神だとか山の神だとか風の神だとか戸口の神だとか……とにかく何にでも神が宿っているのだ。


「で、数多の精霊を統べる大精霊が四柱いるアル。それぞれ、火と水と風と土を司ってるアルよ」


 ……結構違った。

 なんか国内でドラ○エと並び称される究極幻想的なゲームで、昔よく出てきたアレのような設定だな……。


「話を戻すか。それで、教会がミナを引き取ったんだったら、何がまずいんだ? 事情を話して、払った金と同額で引き取ることはできないのか?」

「……うむ。それだ」


 一歩、二歩とエリスが近づいてくる。

 俺と彼女の間には机があるので、身体が接触するほど接近したわけではないが。

 エリスは、片手を机についた。


「建前として……のでな。ミナという少女は、彼女の自由意志で教会の門を叩いたことになる」

「ふうん……それで?」

「修道女は自分の意志でやめることはできない」

「マジで。処女じゃないとダメなんだろ? 結婚したくなったりしたらどうすんの?」

「しょっ……こほん。純潔でなくなれば確かに修道女ではなくなるが、修道女なのに純潔を失う真似をしたものは、戒律違反で罰せられるのだ」


 頬を染めたエリスが咳払いをして、そう言った。


「つまり、セックスはダメだと」

「そ、そんな露骨な表現をするな! 恥ずかしいではないか! ……だがまあ、ジョーの言う通りだ」


 ついからかってしまったら、予想以上に初々しい反応があった。

 この様子からすると、エリスも経験はなさそうだな。

 まあ、貴族の箱入り娘としては当然だろう……女だてらに騎士をやっているのを箱入り娘といっていいのかどうかは分からないが。

 こないだ沐浴を覗いたときの慌てようからしても、な。


「うーん……自分の意志じゃやめられないってんなら……裏から手を回してとかできないのか? エリスの力で」

「それが出来ればいいのだが……悪いが、ここの教会には手を回せるほどの関係はないのだ。王都の教会なら、まだ無理を通せたかもしれないが……それも実際にはどうかというところだ。騎士団ならともかく、教会は教会の論理で動くからな」


 言ってはみたものの、無理だと言われるのは予測していたので、まあ仕方ないねと呟いて、首を縦に振った。

 すると、俺の膝をノーラが掴んできた。雄弁なボディランゲージだ。

 その手を軽く上から叩いて、


「でもまあ……様子を見に行くぐらいは構わないんだろ? 教会の場所を教えてくれないか? 彼女が元気にやってれば、ノーラも安心すると思うし」

「ご主人様……」


 ノーラに配慮しつつ、俺はミナの居場所の情報を引き出してから、エリスの前を辞した。

 そして、騎士館を後にしてから……。


「さっきの話だと、ミナは教会に併設されている修道院にいるらしい。——今夜、彼女をこっそり連れ出しにいくぞ」


 そう告げると、ノーラは目を丸くした。

 女装神ヘンタイ様のお告げ……お告げなのかなあれ……まあともかく、神からの指示を聞いてないノーラからすれば、俺がなんでこんな荒っぽい行動を取ろうとしているのか分からないのだろう。

 驚いたままの彼女に俺はにやりと笑いかける。


「とりあえず忍び込むための色々準備をするぞ。まずは……そうだな、先にお前の服でも買いに行くか?」

 

 ここ数日の間に、俺はノーラを、元から着ていたぼろきれから、普通の服に着替えさせていた。

 しかし、その服というのは、エリスに頼んでわけてもらった王国兵士達の予備である。当然、男物だ。清潔な新品を選んでもらったが、見栄えはしない。

 エリスの服ではサイズが合わないようだったし、なんといっても旅路の中での調達なので、仕方なかった。


 しかし、今となっては……街に到着したし、装備の運搬で得た報酬もある。

 奴隷なんだから、主人の俺が金を出して着飾らせるのは、義務ってもんだよな?


 ……綺麗な脚が映える衣装、探してみようかなあ。

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