第16輪 トラック運転手は夜に囁く

 闇夜——。

 この世界では、夜に街路を歩く人間はまずいない。

 時折、衛兵が松明を片手に巡回するのだそうだが、その間隔はけして頻繁ではない。

 よって、日本でいう丑三つ時は、忍び込みにはうってつけのように思われた……。


   🚚


「……そのはずだったんだが」

「ご主人様、意外と独り言多いアルね?」

「…………」


 いま、俺とノーラの二人は、ディノンの街教会にある宿舎の裏口に来ていた。

 トラックに常備していた俺の趣味のLED式懐中電灯と、さらに予備の灯りとしてスマートフォンを持ってきているが、消灯している。

 なので、月明かりでうっすらと周囲が見える程度だ。


 ……ん? 懐中電灯とスマートフォンの電池はどうしたかって?

 トラックのガソリンが無限に回復するということは、シガーソケットから電源を取り放題ってことなんだぜ? シガーソケットから給電するための機器は一通り持っていて、アダプタを組み合わせることでニッケル水素の充電式乾電池にもチャージが出来るのだ。

 これぞ文明の勝利!

 ……ただし大本になっているのは魔法のトラックではあるが。

 まあそれはそれってことでひとつ頼む。


 で、このLED式懐中電灯だが、明るさが松明とかとは比べものにならないだけでなく、照射範囲を狭く絞れるので、関係のない周囲まで灯りを目立たせないことも可能な優れものである。

 それを要所要所で使って、人気のない教会の裏門を乗り越え(門には鍵がかかっていた)、併設されている宿舎まで来たのだが……そこで思わぬ障害に出くわしたのである。


「この時間に起きているやつがいるとはなあ……」


 宿舎——修道士用の住まいであり、当然男女で分かれているがその女性用の宿舎は、教会の敷地の奥まったところにある。

 なお、教会の敷地と騎士公館の敷地は隣接していた。

 今朝に窓の外を見ていたエリスは、教会を眺めていたのだろう。


 敷地はなかなかに広い。

 というか、この世界、日本と比べると全般的に建物も敷地も大きい。欧米風の価値感……いや、単に平野のわりに人口が少ないのか。

 昼に訪れた服屋なんかも、作りはさびれた商店街のそれだが、店のサイズは小さなユニ○ロぐらいはあった。あ、郊外型じゃないやつな。

 

 そんな広々とした教会の敷地には複数の建物が建っており……俺が知っているのは礼拝所だけである。

 ミナがいるという宿舎の位置は、ノーラが把握していたので特に問題はなかったが。


 ちなみに、なんでそうなったかというと……。

 今日の事前調査で教会を訪れたときに、ミナの昔の知り合いなので会わせてほしいと真っ正面から言ってみたら、ノーラはオッケーだったのだが、俺は「男は駄目」という理由で断られたのである。

 まあ相手は修道女だし、さもありなんではあった。

 

 ともかく、ノーラと俺が侵入して、寝ずに待っている手はずだったミナのいる宿舎の近くまで来たところに……建物の入り口の側から少し離れた位置にいる、怪しい二人組を見つけたのだった。

 正確には、ひとりがいるところに、もうひとりがやってきたのだ。

 幸い、気付かれる前に懐中電灯を消して、茂みに隠れることができたのだが。


「それにしたって、あいつら何の話してるんだ……?」

「もっと声を潜めるアルよ。兎人じゃ無さそうアルけど、耳がいい種族もいるアル」


 頭の上に生えてる、長いウサ耳を後ろに倒して——茂みからひょっこり飛び出してしまうから、そうしているようだ——俺にそう言ってくるノーラには説得力があった。

 俺は口をつぐむ。

 会話を続けている怪しい二人組は、深くフードを被っているから人族であるのは確実だとしても、何系なのかは分からない。単に普通の人間の可能性もある。

 そうそう。なんで怪しいかだが。

 この時間にこんなところで落ち合って話しているのも理由のひとつなのだが、もうひとつはその姿形にある。身体も顔も完全に隠す、フード付きのローブ。

 そして、俺たちも月明かりで行動しているのだが、教会関係の人間であるのなら、ランプなり松明なりの灯りを使っていないのは不自然だ。


「……お。終わったか。——やべっ」


 しばらく話し込んでいたふたりは、別々の方向に歩き始めた。

 その小柄なほうのひとりが、俺たちが隠れている植木の茂みのほうに近づいてきたのだ。

 俺はノーラの頭を下げさせながら、自分も身を低くして、やつがこちらに気付くことがないか様子をうかが——


 ……エリス? こんな時間に、こんなところで何やってるんだ?


 身を小さくかがめていたので、フードに隠れていることを下から覗き込む格好になった。それでも普通なら、暗くて、誰かを判別することは困難だったろう。

 だが、見知った人物であるなら話は違う。

 たった一瞬だけのチラ見でも、怪しい人物の片割れが誰かを俺は知ることができた。この邂逅かいこうが何を意味するか、あるいは何も意味しないのかは、その時の俺には分からなかったのだが……。


「ご主人様、そろそろ行動するアルよ」

「お、おう……そうだったな」


 エリスと、その密談の相手が視界から消え失せたところで、ノーラが俺を急かした。

 その言葉に背中を押されて、俺は隠れていた植え込みの影から出る。

 今夜の予定で一番難しいのは、潜入ではない。今見つかるのも確かに困るが、ミナという牛娘(比喩ではなくそういう種族な)の少女を連れ出してから見つかる方がやばい。

 見つからずに教会の敷地から出てしまえば、言い逃れはだいぶ簡単になるし……それでなくとも、素早く行動するのに越したことはない。

 

 というわけで。

 派手な足音を立てない程度の注意は払いながらも、宿舎に駆け寄る。

 中にいるミナと、落ち合うための打ち合わせをしたのはノーラだから、合図については彼女任せだ。俺が見守る中、ノーラはドアの前……を通り抜けて、二つ離れた窓ガラスの下に移動した。

 何をするのかと思ったら、指だけ伸ばして、窓ガラスを爪先で軽く二度叩いた。

 買ったばかりの体操服——もとい、狩猟服を着たノーラが、ハーフパンツからすらりと伸びた脚を動かして、音も立てずにこっちに戻ってくる。

 なるほど、狩りとかやる連中だから、忍び足とかも慣れたものなのか。……しかし、兎人が狩猟ってなんかおかしいよな?

 などと思いつつ、反応を窺っていると、室内からわずかな物音が漏れてきていることに気付く。


 俺は胸を高鳴らせた。

 緊張に、ではなく、で。

 なんでかって……? ここで対面するはずの、ミナという元奴隷の少女について、ノーラが言ったことを思いだしてみようか——


「名前はミナって言って……彼女も奴隷アル。同じ奴隷商のところにいたときに親友になったアルね」

「ほう」

「同じ獣人種族の、牛娘で子アル」

「くわしく」


 分かりましたか。分かりましたね?

 確かに俺は女の脚にこだわりをもつ男だが——おっぱいは大正義ジャスティス。たとえこの世界の神に否定されても、これもまた真実なのだ。譲れない事項なのだ。

 だから俺は期待していた。

 まだ見ぬ、ミナという少女の持つポテンシャルに……。

 宿舎の扉が内側から開く。蝶番が錆びているのか、軋んだ音が夜気を切り裂くのに肝を冷やしたのも一瞬、俺は出てきた少女を視界に納めて。

 そして嘆息した。


「——子供じゃん!」


 上げた叫び声は、ノーラが俺の口にかぶせてきた手の平より早く、再び静かな夜を騒がせた。即座に反省した俺が口をつぐんで、ノーラと視線を合わせると彼女はゆっくりと手を離した。そして声を潜めて言う。


「彼女がミナ、私の親友アルよ。年齢は十二歳だけど言わなかったアルか?」

「あと少しで十三歳になる。子供だとみくびらないでほしい」

「じゅうにさい……」


 思っていたより遙かにクールな口調で捕捉する少女の台詞を無視して、俺は反射的にバーチャルネットアイドルかよ、と口にしかけた。が、そのまま閉ざした。

 二〇一〇年代半ばのいま、もうち○のことを覚えている人はいるまい……。

 ——ではなくて。


 ええぇ……十二歳って……そりゃないぜ、ノーラさんよう。


 俺は内心そのように愚痴りながらも、ドアから夜陰へと歩み出したミナの姿を上から下へと眺めた。

 背は低い。俺の腰ぐらいまで……はいいすぎだが、胸と胴の中間ぐらいだ。

 女装神ヘンタイより少し長い、いわゆるおかっぱにカットされた髪は日本人の俺と同じぐらいに黒く見える。日の下だと少し印象が変わるかもしれないが、ふつうに茶色がかって見える女装神ヘンタイや、黒というよりグレーなノーラとは違って、黒髪と言って差し支えないと思う。

 服装は、昼に来た教会で見た修道女の制服めいた黒いローブのような格好ではなく、数少ない私服なのだろう。質素な感じの、丈の短いワンピースであった。こっちでは、こういう服を貫頭衣チュニックというらしい。柄はないが、明るめのオリーブ色で、出会った頃のノーラが着ていたものに比べればちゃんとした服である。

 足もとは草を編んで作ったサンダル。

 裾から覗く膝小僧にすりむいた痕があって、そのつもりはないだろうが、子供らしさをアピールしている。


 そして……まあ確かに……今となっては、何の意味もないのだが……胸は大きい。

 日本の基準で言えばBカップはあるだろう。ゆったり気味の服装だから分からないが、もしかするとCまで到達しているかもしれない。

 十二歳でCとくれば、確かにと言っても差し支えはないだろう。

 将来有望なのは間違いない。

 だがしかし……。


「ガキじゃん——ってぇ」


 ほっぺたを膨らませたミナに尻を蹴飛ばされた。

 口よりも先に手が出るタイプのようだ。まあ、子供のやることだから大して痛くもないんだが……ここはちょっと叱っておくか。


「お前な、大人にそういう態度、よくないぞ」

「話を聞かないおじさんのほうが悪い」

「おじ……いや、おじさんと呼ばれるような年じゃねぇよ!」

「ご主人様っ、静かにするアルっ」


 ノーラに叱られて、慌てて口を塞ぐ俺。

 その様子を見ていたミナが、ふんと鼻を鳴らす。ぬわ、可愛くないなこのガキんちょ。俺は歯ぎしりして言った。


「後で見てろよ?」

「ご主人様、それはちょっと大人げないアル……」


 大人げない? ……まあ、そうかもしれんが。

 だって俺おじさんじゃねえし……まだ二十代だぞ、ちくしょう。


 ともあれ、俺とノーラはこうしてミナと合流することに成功した。

 そして、後は逃げ出すだけ……だったのが、それがなぜあんなことになった(第十三輪を参照のこと)のか。


 その話はまた今度にさせてもらおうか。

 ……二十六はまだ若者だよな? 六捨七入すればまだ二十代じゃん? なあ?

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