第5輪 異世界で初めての眠りに落ちたら、女神様(ボクっ娘)と出会った

 とにかく、色々あった一日だった。

 宿屋の椅子の背もたれに逆向きに腰掛けている俺は、無駄と知っていながらも、掲示板にスレ立てしようとして、あえなく失敗に終わったスマホの電源を落として、肺の中にたまった空気をすべて押し出した。


 電源を落とす前に見たスマホの時刻表示によれば、今は午前三時。

 それが正しい時刻かどうかは分からない。

 側にあるベッドで、ノーラは寝息を立てている。

 そういや、こいつ、満足な服ひとつ持ってないんだよな。

 明日、買ってやるか。

 ……ああでも、金がないな。まずは金を稼ぐ方法を見つけないと。


 この宿屋に泊まる金は、なぜか衛兵の旦那が出してくれた。

 正確には、貸してくれた。返すあてがないと言ったのだが、その時は別にいいという。日本の警察でもここまで親切ではないだろう。

 まあ、警察の世話になったことなんてないけど……。

 ひょっとして……あのとき、ずいぶん驚かせてしまったから、そのせいか……いや、まさかなあ。


 と。そのとき、ノーラが寝返りをうって、寝言を言い始めた。


「もう食べられませんのことアルよ……」


 俺は、そのあまりに典型的な寝言に、つい、ぷっと吹きだしてしまった。

 ……はあ。

 あのガキのことは気になるけど。

 ここで、いつまでも悩んでいても仕方ないな。

 とりあえず、寝るか。

 ベッドは使えないけど、どこでも眠れるからな。運転席で寝るのとそんなに変わらんし。


   🚚

 

 そうして俺は、揺れる船の上で目を覚ました。


「……今度はなんだってんだ」


 流石に二度連続ともなると、普通でない出来事も驚くにはいたらない。

 落ち着いて辺りをゆっくり見回す。

 ここは、海原である。

 正確には、海原を往く一隻の釣り船の上だった。数人で乗り込んで釣りが出来そうなくらいのサイズの船、と言った方がいいかもしれない。

 デッキの船尾に近いところで目覚めたのだが、船橋ブリッジ……というか運転室に誰かいる気配はない。

 右舷側の遠くには、灯台と港のようなものが見える。

 そして、三つ四つの雲が浮かぶ青空と太陽。


「うーん、海……だな」


 何の変哲もなさすぎて、そんな独り言を呟いてしまった。

 船のエンジンは停止しているらしく、とっぷんとっぷんと、左右の舷に波打つ音が聞こえてくる。

 ミャー、ミャーと猫のような短い鳴き声は、空を往くウミネコのものだろう。


「——ずいぶん、落ち着いているね」


 そして、これは人の声。

 ……ん?

 ふと気付けば。船首の、それも突端の部分に、女の子が一人腰掛けていた。

 船首はさっきも見たはずだけど……船橋ブリッジが邪魔で見落としたのかな?

 そう思いながら、俺は少し揺れるデッキを歩いて、少女に近づいた。

 

 ……高校生か。

 いや、中学生かも知れないな。

 なんで高校生もしくは中学生と特定しているかというと、少女が学校の制服にしか見えないものを着ているからだ。

 目に眩しい真っ白なブラウスに、茶系のタータンの短いスカート。

 濃紺のスクールソックスに、焦げ茶のローファー。

 船首の舷側から、両足を海面へと投げ出している。その足はほっそりとしていて、剥き出しのふくらはぎの上の部分とまるっこい膝と、わずかにふっくらした太ももは、俺みたいな年代には少しばかり目に毒だ。

 ボーイッシュなぐらいの長さの黒髪が、強い日差しで少し茶色がかっている。

 けれど、脱色しているわけではないのだろう、痛んでいない艶やかな髪で、頭の天辺の周りには、天使の輪と呼ばれる光沢が綺麗な円を描いていた。


 だが、一番印象的なのはその目力だ。

 視線があった瞬間、俺は胸の高鳴りを覚えた。

 二十半ばの俺からすれば、この少女は子どもにすぎない。確かに、女子高校生という属性が持つ、無敵に近い魔力に惹かれないものがないというと嘘になるが。

 それはあくまでもファンタジーの世界で——ん? そういや、さっきまでいた世界こそが本当のファンタジーの世界ってやつか……。ま、それはともかく。

 現実には、この子ぐらいの年代に魅力を感じることに、どこか後ろめたさが出てくるのである。

 実際、可愛い。魅力的だ。だから——。

 

 という感じで止まる。自制が入る。

 二十歳になったばかりの頃なら全然問題なかったのに。

 なにしろ、二十六と十六……よくて十八の娘っ子では、最大で離れているわけで、理性が働くのである。


 だが! しかし!

 少女の二つの双眸に囚われた俺は、気付けば自分の意志とは無関係に一歩を踏み出していた。危険な炎に誘惑される蛾のように……。

 俺は、この猫のような印象の少女には逆らえない——弱みを握られてはいないが——それが、自然な、こと……だ。

 ——パチン!


「ぬっふっふーん♪ これぐらいにしといてあげようか♪」


 陽気な少女の笑い声。

 俺は目を瞬いた。

 いつの間にこんなに接近していたのか。

 彼女は、俺の眼前。触れるか触れないかの距離に、伸ばしていた手を引っ込めた。

 引き戻すときにその指が、指を弾いて鳴らした格好のままになっていたから、あ、さっきの音は少女が指を鳴らしたそれだったのか……と俺はいまさら気付いた。

 少女の視線はこちらに向けられているままだが、さきほどのような求心力は感じない。いったいあれはなんだったんだろう。


「さて。ボクがキミをここに呼んだのは、事情を説明するためなんだよね。……あ、座って座って♪」


 少女は、自分の隣の船縁を、ぽんぽんと叩いた。

 その手には、細い銀のブレスレットが輝いている。

 俺は身動きをせずにその手をじっと見た。


「ん? どしたの? ほら、はやくしてよ♪」


 急かしてくるが、表情は不快そうではなく、あくまでも楽しそうに笑っている。

 天真爛漫な、警戒心が抜けていくような笑顔だ。

 だが、俺は彼女には近づかず、その場に座り込んだ。


「……あれ? 警戒させちゃったかなあ……?」

「お前、いったい何者だ?」


 まさに警戒もあらわに、俺は少女に問いかけた。

 こいつを怪しむ理由のひとつには、さっき、こいつと目を合わせたときの体験が異常だったことがある。

 だがそれよりも……宿屋の一室で寝ていたはずの俺が、こんなところにいることがまずおかしいのだ。

 そう。ここは多分——。


「ここ、俺の夢だよな?」

「うん、ご名答♪ なかなか寝てくれないから、今日は逢えないのかと思っちゃったよ?」


 俺の夢に登場するつもりだった、と平然と言ってくる少女。

 普通に考えれば、俺が過去の記憶と想像で創り上げた、夢に出てくる架空の人間、なのだが。


「今日、これまで変なことばっかりなのは……もしかして、お前が原因なんだろ?」

「おおっと……すごい♪」


 パチパチパチパチ……。

 わざとらしい拍手に、俺は少女を睨み付けてやった。


「ざけんなよ。もっかい聞くぞ、お前、何者なにもんだ?」

「——ボクはさ」

「ふ——」


 ふざけろ、と言いかけて、俺は口をつぐんだ。


「んん? どうしたの♪」


 見た目は女子高生、その本質は神様——。しかもボクっ娘かよ。

 そんな馬鹿な話があるか! と言ってしまうのは簡単だが、俺に起きたことを考えると、ただの偶然、などと言われるよりは、そこに神の意志が介在しているほうが遙かに納得できる。

 だがしかし……。


「神ってんなら、証明してみせろ」

「ええ……? どうすればいいってのさ……♥」

「っておいこら、太ももを擦り合わせてもじもじすんな。いったいどういうネタだ。ってか、その語尾のハートマークやめろ。俺はガキに興味はない」

「ええ……? そういうメタい発言、ボクはダメだと思うなぁー♪」

「俺の夢の中だからか、字幕が付いてるんだよ」

「……顔は不器用っぽいのに、わりと器用なんだね、キミ」

「うるせえ」


 ……なんなんだこの会話。

 頭がいてぇ。

 が、ふざけた態度だった少女が、唐突に真面目な顔に戻った。

 確かにこいつ、真顔になると、なんか神秘的な雰囲気があるんだよな。


「ま、キミが目覚めるまでの時間はあまりないから、冗談はこれくらいにして……と」


 そして、少女はいままでの会話を忘れたように、話し始めた。


「キミにはいくつか話しておかなきゃいけないことがあるんだ」

「俺の希望は無視かよ」


 俺はその少女の態度に再びツッコミを入れて……言葉を失った。

 次の、少女の一言のために。


「——キミは地球と呼ばれる惑星で、人を轢いた。トラックの運転中にね」 

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