第20輪 夜明け間近のミッドナイト・ランデブー featuring エリス

 私の名はエリス。エリス・レイドール。

 レーニア王国に駐屯している教会騎士団に所属している私はいま、今夜遅くに教会に侵入して信徒を誘拐した犯人を追っている。

 彼——その犯人は実のところ私の知り合いなのだ——が乗る、神芸品アーティファクトの移動速度は破格なため、飛竜に乗って追跡しているところだ。

 しかし、飛竜での夜間飛行は危険——。

 それが騎乗訓練において最初のうちに学ぶことの一つである。その危険性を教えるために体験騎乗を行う訓練教程になっているのだが……あれは、月の出ない晩だと上下の感覚すら失ってしまう、などという話も不思議ではないと思えてくるほどの心細さだった。

 幸いにも今夜は月が出ているし、自分もあの時のような初心者ではない。

 それでも、夜空を飛竜に跨がって飛ぶのは、向こう見ずな一部の騎士だけだと私が思ってしまうのは、最初の夜間飛行で身体に刻み込まれた記憶が拭えないせいか、あるいは隣を飛ぶ騎士がだからなのか——。

 私、エリス・レイドールにはその判別が付けられないのだった……。


   🚚


 上空で不意に巻いた風が、前髪をさらおうとする。

 騎士の仕事では長い髪は邪魔になることが多いのだが、後ろで束ねておけばそこまで困るわけでもない——何より、邪魔だからといって切ってしまえば母が悲しむのは目に見えていた。

 ともかく、邪魔にならないように後ろで束ねて、鎧の背中に押し込んでいるのだが、前髪だけはそういうわけにはいかないのだった。

 びゅうびゅうと音を立てる風は、飛竜の進行方向から吹いてくる——というより、飛竜が高速で進むことによって、風となっているわけだが——ので、普段は髪は後ろに流れるばかりで困らないのだが、ときどき思わぬ気流の動きで顔をこそばゆく髪が撫でることになる。

 夜間飛行ということもあって、両手で引き綱を保持している現状では耐えるしかない。


 そもそも……私は、飛竜まで使って彼を追うことには反対であった。

 彼——知り合ったばかりの、ジョーという名の不思議な男は、帝国にほど近い、聞いたことのない辺境の地からやってきたばかりらしく、あまりこの国の……いや、この大陸の常識を知らない。

 が、悪い人間ではない。

 奴隷らしい扱いをされていない奴隷を連れていて、なおかつ、その彼女の同郷の少女を助け出すために教会に忍び込んでしまう。

 善良なる馬鹿者なのだろう。

 神の名の下に保護されるべきである、修道女見習いを誘拐したとはいえ、その実態が奴隷の購入に他ならないことを知っている私からすれば、彼の行動は理解出来ないものではない。

 いや、彼にその事実を伝えてしまったのが私のミスだったのだろう。

 ともかく、教会を突破された時点で、一応彼を追うように指示を出したものの、逃げられてもやむを得ないと思っていたのだが……。


「ふふふふふ。今夜のような気持ちのよい夜に教会を襲撃してくれるなんて、じゃあないか」


 やや先行して空を飛ぶ一騎の鞍上から、喜色を隠さない述懐が聞こえてきて私は顔をしかめた。

 事情が変わったのは、この男のせいだ。


「レオニダス卿。——少しばかり、不謹慎にすぎるかと」

「ん? おっと、これは失言でしたな。なにぶんにも久々の出陣で気がはやってしまうものでね。ええと、たしか、レディ・エ、エー……」

「——エリスです」


 危険な夜間飛行中でも、その男がこちらに向ける表情には笑みが絶えない。

 物語に登場する金髪の貴公子をそのまま現実にしたような男——彼は、ディノンを含むこの地域の領主であるダイオニール侯爵家の一人息子、レオニダス・ダイオニールである。

 この人物は、大変酔狂なことに自前で飼い慣らした飛竜に乗り、過去の戦役に参加し殊勲を上げた実績持ちである。その貴公子然とした容姿もあってか、領地であるこの街だけでなく、王都においてもちょっとした有名人でもある。

 が、参陣に際して父親であるダイオニール候の許可を取っておらず、なおかつ無鉄砲かつ無軌道な振る舞いを繰り返すという面もあり、やっかいな問題人物でもあった。

 現在、父の領地であるディノンに籠もっているのは、実質的な謹慎を申しつけられたため——というのが町人の間でもっぱらの噂だといえば、どれぐらいの問題人物なのかは推してしれよう。

 そんな彼が、どこで事態を聞きつけたのか、飛竜に乗って教会に姿を現した。

 楽しそうに事態のあらましを聞き出して、逃げる奸賊を自分が追うと宣言したのである。

 彼の自由にさせるわけにもいかず、かといって止める権限もない私は、厩舎の飛竜に飛び乗ってここまで追いかけてきたのだった。


「いや、ぼくは人の名前を覚えるのが苦手でね。レイドール公爵閣下の娘御の名前を忘れているなどといえば、父にまたどやされてしまうが……」

「いまは教会騎士の一員ですので、どうぞお構いなく」


 社交辞令の挨拶を朗らかに飛ばしてくるレオニダスに呆れて、ついつい愛想のない返事になってしまったが、彼に気にした様子はなかった。


「しかしなんだね、あの乗り物はずいぶんと速いなぁ」


 などと感心した素振りで言う。


「賊の乗り物は神芸品アーティファクトでしょうから。あれでまだ最高速度ではない可能性もあるかと」

「ふむ……。多分、その可能性は低いと思うけど」


 示唆をあっさりと否定されて、私はまばたきをした。


「どうしてそのようにお思いになったか聞いてもよろしいですか」

「敬語は使わなくていいよ、ぼくは苦手なんだ」

「そういうわけにも……それより、理由を教えてください」

「飛竜に追われているというのに、速度を制限する理由がないだろう? 後ろに乗っている彼とか獣人は追われていることに気付いているしね」


 この距離と、夜陰の中で、よくそこまで見える……。

 彼、レオニダスが優れた武勲を上げたという事実は知っていた私だが、それに相応しい才覚があるかどうかは知らなかった。内心、この男の能力評価を上方修正する。

 日中ならまだしも、月明かりが主な頼りの闇の中では、自分にはそこまでは見て取れないのだ。

 レオニダスはやはり笑ったまま続けた。


神芸品アーティファクトとの追っかけっこも楽しそうだねえ。馬車なんかだと絶対に負けっこないから、つまんなくて……」


 能力評価を上方修正したのと同じだけ、人格評価を下方修正する。

 レオニダスの巷間の評判は耳にしていたが、こうして実際にその言葉と表情に接してみると、彼がどんな人物であるかが見えてきたような気がする。

 いわゆる享楽主義者の類。

 人当たりのいい笑みといえば聞こえがいいが、ただへらへらしているだけ。本心は、競争や勝負といったことの興味で成り立っているのだろう……。


「それは構いませんが、二台には見習い修道女が乗っています。強硬な手段は避けねば」

「危ないことをしようって気はないよ」


 釘を刺すと同意が返ってくるが、ちまたに流れている噂が真実なら、信用のおけるものではない。

 面倒なことになった、とため息を吐きたくなるのをこらえる。

 ジョーという男にも、このレオニダスにももっと思慮というものがあればいいのだが。


「さて、まずは一当てしてみよう。ギュネー!」


 私に断りを入れることもせず、レオニダスは乗っている飛竜の名を呼ぶ。

 すると、よく訓練されているのだろう、ギュネーと呼ばれた飛竜は身体をくねらせると空を直滑降するかのようにジョーの乗るトラックへ突き進む。


「……どうする気だ?」


 まさか体当たりするわけでもないだろう。降下からのブレス攻撃は飛竜騎による対地攻撃での定番のひとつだが、それでは見習い修道女であるミラとかミナとかいう名の少女を巻き込んでしまう。

 いくら無謀で有名とはいえ、舌の根も乾かぬうちに私との約束ごとを破るとは思えない。

 見る間にトラックに迫っていくレオニダスの飛竜を私はじっと見つめる。と。

 瞠目すべきことが起きた。


嚙み付き攻撃ムーブバイト……だと!?」


 レオニダスが選択したのは、ある意味でもっとも単純な飛竜による嚙み付き攻撃だった。だが、トラックだとかジョーが呼んでいたあの神芸品アーティファクトは今、馬以上の速度で走っている。

 飛竜はそれ以上の速度を出せるとはいえ、滑空で上がった速度をトラックのそれとぴったり一致させることなどできるはずもないから、攻撃のチャンスは一瞬。

 一歩間違えば衝突の危険もあるし、飛竜がターゲットを誤解して別の人間に嚙み付いてしまう怖れもあるのだ。


「無茶苦茶だな……」


 レオニダスの、極めて高い難易度の攻撃を実行できる腕前への自信と……リスクに躊躇せず実行してしまう無謀さの双方に、しごく真っ当な感想が口から漏れた。

 幸いにも。

 といっていいのかどうか分からないが、レオニダスによる針の穴を通す一撃は成功も失敗もしていなかった。

 この場合、成功は攻撃を当てることで、失敗は攻撃を間違った相手に当てることだ。つまりは空振りだったのである。

 トラックの荷台の彼らについて、レオニダスのように細かな所作まで見てとることはできないが、誰が誰だというのは分かる。

 間一髪のところで身を躱すジョーの姿もまた見て取れたのだ。


「いやあ、なかなかうまくいかないね」


 一撃離脱とばかりに上空に戻ってきたレオニダスがそんなことを言ってきたが、私は何も返事をしなかった。

 それは多分、彼の暴走に呆れて言葉が思いつかなかったせいであって——胸に芽生えた安心の気持ちに戸惑って言葉が出なかったわけではない……はずだった。

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