第35輪 再び、夜陰に紛れて

 なんかこっちの世界に来てから、俺っていつもこんなことやってないか?

 ミナを連れ出した教会のときも深夜に忍び込んだし……。

 犯罪者街道を歩いている気がしてならないけど、俺の本職ってトラック運転手なんだよな……いやまあ、地球にいたときは世を忍ぶ仮の姿だとか言ってたこともあったけど、流石に本職が犯罪者の類ってのはどうかと……。

 ま、女装神ヘンタイ様が免罪符を発行してくれるだろ。


   🚚


 幸いにも、今夜は新月だった。

 港町ディノンのときはほとんど満月だったので、足もともなかなか明るくて歩きやすかったかわりに、見つかりやすいというデメリットがあった。

 だが、今日は新月。

 夜陰に紛れるには最適と言えるだろう。

 とはいえ、ここメルキノは王都だけあって、街中も王宮もあちこちに明かりが灯してあるだけでなく見張りの衛兵がいるので、その点には注意であった。


 さて。

 例の酒場の奥でミナが言っていた、ハンター向きのノーラの潜入の手並みだが……。

 結論から言うと、俺よりもよかった。

 というか、俺が一番下手だった。

 見張りが回ってこないタイミングで、外壁に鍵付き縄を引っかけて内部に侵入したときにも、着地音などを立ててしまったのは俺だけである。

 ノーラもレオもほぼ無音で、ノーラについては種族特性だとか野生の力として納得するとして、なぜ後者はイケメンなのに有能なのか。世の摂理のひいきが酷い。


「ジョーくん、そこで止まりたまえ」


 そんなレオの指示で俺は足を止める。

 宮殿の裏庭にあたる場所を、手入れされた植え込みの影に身を隠すようにして駆け抜けた俺たちの視線の先。

 そこは宮殿の通用口のひとつなのか、小さい——といっても、王城とか宮廷とかいう言葉から想像されるものと比べて小さいのであって、実家の玄関よりは巨大で壮麗な——扉があった。


「兵士がいるアルよ」


 いつもの不思議な語尾を使用する口調で、緊迫感を感じさせる呟きをノーラがした。

 言葉通り、そこには二人の兵士が立っている。扉の側にはカンテラが吊られているので、それに照らされている彼らの姿は、細かいところまで見て取れた。

 黒髪と金髪の二人組で、どちらも角刈りのように短く髪を刈っている。鎧を着込んではいるが、兜までは被っておらず、首から上は剥き出し。武器も帯剣してはいるものの、手に持ってはいない。

 王都の中の脅威であれば、この程度の武装で応援を呼ぶまで持ちこたえるには十分と判断しているのだろう。

 やや気が抜けたように、片方が欠伸をかみ殺しているし、もう一人も周囲の警戒に熱心な素振りは見られない。

 植え込みは扉の側まで途切れることなくずっと続いているから、夜陰に紛れて近づくことは十分に可能だろう。そこまで確認して、俺はレオに囁いた。


「……不意打ちで気絶させるってのはどうだ?」

「過激な案だね。そういうのは大好きだよ」


 それだけのやりとりで行動予定が決まった。

 一人と二人に分かれて、両側の茂みを利用して門番に近づいていく。途中で気付かれることはなく、不意打ちの準備が整った時点で、俺とレオが視線を交わしあいタイミングを計る。——いま。

 

「なにや——ぐぇ」

「ぬっ」


 レオの担当のほうで、早々に小さな悲鳴が上がるのを聞きながら、俺は自分の担当である黒髪の男に姿を現して、男が誰何すいかの声を出した瞬間に、その下腹からえぐるように拳を叩き込んだ。


「かはっ」


 横隔膜を下から叩いたために、呼気が自然に抜けて、息が出来なっている。予定通りだった。続いて振るった拳が顎を掠めて、男は激しい脳しんとうを起こして昏倒する。

 女装神ヘンタイ様は、この星は重力が小さいと言っていたが、確かにそのようだった。

 身体の切れと拳の威力が違う。

 手加減してさえ、兵士としてそれなりに鍛え上げているはずの男の意識を苦もなく刈り取れるのだから。

 俺は自分の成果に満足して、横にいたノーラをちらりと眺めた後で、視線をレオのほうに向けた。すると、そこには同じようにくずおれて地面に倒れ伏した男が一人。よく見ると口から泡を吹いている。

 呼吸を遮ってのかも知れないが、姿を現してから二発殴る俺とほぼ同じぐらいのスピードでここまでしているのには目を剥かざるを得ない。


「さあ、行こうか」


 鮮やかな手並みを見せたレオは、いつの間にか倒した男から離れてこちらに近づいていた。俺の肩を叩きながら言うその態度は、平然としている。

 モンスターがいて、軍隊がそのモンスターと戦っているような、力が支配するこの世界ではこいつのような存在も珍しくないのかもしれないが……。

 やれやれ、繊細な現代人にはついていけない世界だよなあ、と俺は嘆息と共に首を振る。


「どうして、私の出番がないアルよ……二人ともあれでも人族あるか?」


 ——肩を落としたノーラがそんな風に呟いていたのだが、レオの後を追って歩き始めた俺はそれには気付かなかったのである。


   🚚


 宮殿の中に入ってみたものの、異常は感じられなかった。

 と言っても、まだ通路を歩いているだけなので、これで何かがあるのも不自然なのだが。少なくとも、一歩踏み込んだら意識が吹っ飛んで傀儡になりました、というようなことはなかったのである。

 ……今さらだが、もしそんな仕掛けだったら、どうしようもなかったな?


「はは、もしそんな強力な魔法がかかっていたら、外からでも分かったはずさ。……多分」

「多分かよ」

「ぼくは魔法には詳しくないからね……と。いけないな。誰かが近づいてくる。多分巡回の衛兵だろう」

「私にも聞こえたアル」

「どんな耳してるんだお前ら……ああいや」


 片方(ウサ耳)はまあ納得なんだけどな。

 ともあれ、二人の警告に従って、俺たちは隠れ場所を探すことにした。と言っても、宮殿の廊下で隠れられる場所など多くはない。

 壺が飾ってある台座に隠れて、見つかるか見つからないかでハラハラするというコメディムービーっぽいチョイスも捨てがたいのだが、現実にはそんなことしたら即見つかる可能性のほうが高いわけで、俺たちは手頃な部屋に侵入することにした。

 運が悪ければそこにいる誰かと出くわすことになるわけだが……。


「ここなら誰もいないだろう」

「信じたからな、もしいたら責任取れよ」


 そんな馬鹿げたやりとりをしながら、俺とレオはほぼ同時に扉を押し開ける。

 扉の作りからしても重要度の低そうなその部屋は小さく、数々の調度品がそれなりに整列した状態でしまいこまれていた。倉庫という感じではないが、一種の収納的な部屋なのは間違いなかった。

 そして、そこには先客がいた。メイド服を着た女性である。

 俺たちが部屋に入った瞬間は、腰をかがめて、なにやら調度品の奥を探っていたのだが、音で気付いたようで、こちらを振り返ると、


「……え、あの? どちら様で……あれぇ……」


 首筋にチョップを叩き込むという、漫画では見るけど、現実にはまず見られない方法で、そのメイドさんを昏倒させたのはレオだった。

 流石に、俺にはあんな感じに躊躇なく女は殴れないな……。

 尊敬というか、呆れ半分の感想を抱きながら俺は、


「いたじゃねえか」

「大声を出される前に無力化したから大丈夫だよ」

「そういう問題じゃ——」

 

 言いかけた俺をレオが遮る。

 理由は分かっていたので、俺もすぐに口を閉じる。

 俺とノーラとレオの三人が息を殺す中、部屋の扉の前を誰かが通っていく足音がしたのは、それから三十秒後ぐらいだった。

 そして、さらに三十秒ほど待ち……。


「行ったか?」


 俺が囁くと、ノーラは「多分」と頷いた。

 それを聞いて、いつの間にか入っていた全身の力を抜く。と、そのとき。


「んん……」


 聞こえてきたのは、三人のうちの誰とも違う声だった。

 一瞬遅れて、メイドが意識を取り戻しつつあると気付いた俺は、レオの後頭部をはたこうとした。

 が、やつは背中に目でもついてるのか、俺が振り上げた平手をすいっと回避しやがった。

 仕方ないので口で抗議する。


「お前なあ。手加減しすぎだろ」

「そんなはずはないんだけど……」

「待て、何する気だ」


 俺は、床に寝ていたメイドの後ろに回って、彼女の首に腕を回そうとするレオを止めた。


「今度は確実に落とそうかと思って」

「お前なあ……女相手にそりゃないだろ。ちょっとそっちにどいてろ。俺が説得してみる」

「説得? まあいいけど、声を上げられるのだけはやめてほしいね」


 分かってるよ、となおざりに返事して、俺はノーラに指示して彼女の口を塞がせた。……声を出せなくしたのであって、抹殺の指示を出したわけではない。

 会話のとっかかりを探すために、いまにも意識を取り戻しそうなメイドさんの姿を観察する。あまり装飾過剰ではない、実用的なメイド服である。ハウスキーピング系の仕事をやっているのだろうか。

 いや、単に大陸風ではないメイド服がこの世界のスタンダードという可能性もあるな……と、思わずメイドソムリエになりかけた俺だが、彼女だけが持つ特徴的な点を見出していた。

 メイドさんが目を覚ます。


「……ん……ん? んうー、んんうう」

「静かにしろ」


 気を取り戻して、口を塞がれていることに気付いたメイドさんが暴れ始める直前で、俺は彼女を一喝した。

 いくら紳士的に応対したくても、いきなり騒がれては困る。

 恐怖の表情を浮かべて、目を見開いてこちらを見るメイドさんに、俺はルールを説明した。暴れたり、大声をあげようとしたりしなければ、危害は加えないと。

 ひどい悪人になった気分だが、仕方ない。

 同時にこれではまるで犯罪者だなと思ったのだが、そこについては深く追及しないことにした。

 動きを止めたメイドさんは、俺の言葉を理解して、一応受け入れてくれている様子だった。俺は胸を内心撫で下ろして言った。


「よし……理解して貰えたみたいで助かる。これから幾つか質問をしたいんだが、答えてもらえるか? 答える気があれば頷いてくれ」


 ほとんど強制だが仕方ない。メイドさんが頷いたのを見て、俺は、さっき気がついていたことから、会話の糸口を掴もうと、最初の質問を放った。

 

「君は——眼鏡っ子なのか?」


 ——そうなのだ。

 そのメイドさんは、なんと眼鏡をしていたのである!

 この世界にも眼鏡はあったんだ……。

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