第二章 恋せよ異世界スパイ大作戦

第26輪 アメリカンでドリーミングなライフ in 異世界

 俺の名は城之崎きのさきじょう。二十六歳。元トラック運転手。

 いまは異世界に来て……色々あって……女装した神様のヒモ兼主夫をやっている。

 ヒモだって? と思うかもしれないが、もちろんこれは一時的なもので、俺だってまともに働く気はある。

 けど、女装神様の指示で人助けをしたら犯罪者になってしまって、西方諸国では手配書が回っているらしいし、ほとぼりが冷めるまではあまり人目に付くところには出られないのだ。

 だいたい、異世界転生して神様から世界を救えとか言われてるんだから、ヒモというよりは救世主業が本職という見方もあると思うんだ。

 雇用主は神様なので、会社が潰れる心配がないのは魅力だぜ。

 自分が昔読んだことのある物語だと、命が懸かってたり、労働時間の上限の定めがなかったり、だいぶブラックな労働環境だけどな。


   🚚


 業火に煽られた鉄塊。

 肉からしたたるが爆ぜる音がする。

 日常の世界において、その暴力的かつ刺激的な匂いが濃厚になると、人は狂気に彩られ始めてしまうのだった。


「ねえー、まだー? もう待てないよー♪」

「急ぐことを要求したい」

「ご主人様、いつもいつも時間かけすぎアルよ……」

「ちょっと待てこの欠食児童どもめ」


 俺はそう言いつつ、厚切りのベーコン風の燻製肉をフライパンの上で揺り動かしていた。油が弾ける音と、旨そうな匂いの発生源はもちろんここだ。

 厚切りのベーコン風の肉、などと表現した理由は、これがただの豚ではないからである。といって、この世界の豚は空を飛べる……というわけでもない。


 これはメガホッグの肉だ。

 地球にはイノシシと豚を掛け合わせた雑種として、イノブタと呼ばれる生き物が食用に育てられることがあるが、この世界でのメガホッグという家畜の見た目は、それにずいぶん近い。

 具体的には、毛皮の毛の色が焦げ茶に近く飼育用のピンクの豚なんかと比べると剛毛感も強いとか、顔つきでいうと鼻がやや細長くてとっぽい感じがないとか、そんな感じの違いである。ひらたく言うと「豚よりは強そう(小並感)」である。


 で、いま焼いているのはその燻製肉である。

 燻製になっていないメガホッグの肉は、普通の豚肉に近い味わいなのだが……。

 メガホッグの塩漬け燻製肉(面倒だからメガホックベーコンと呼ぼう)は、日本のスーパーで売っている安いベーコン肉の、調味した燻製液に漬け込んで作るなんちゃって燻製とは違って、ちゃんと塩漬けにした上で、煙で長時間燻いぶして作られてある。

 作成の過程で保存期間を強く意識しているのか、塩味はかなりきついが、そのくせ、スパイスっぽい味はあまりしない。燻製ならではの薫り高さは安ベーコン以上だ。

 こういう味付けになっている理由は、この辺りでは現代日本のように、胡椒やら何やらがやや貴重であるためらしい。

 が、地球の中世ほどに存在しないわけでもなく、胡椒が使われているな、という雰囲気はある。……やや物足りない味わいのだが、最近は流石に慣れてきた。


 フライパンに直接卵を割り入れる。これは普通の鶏卵だ。

 少なくとも、見た目は鶏にしか見えない何かの卵であり、自動翻訳は「鶏」だというので、俺の中では鶏卵ということになっている。こういったことは、あまり追究したいものではない。

 そうだな……回転寿司のメニューのようなものだと言えば、分かってもらえるだろうか? あれ、聞いたことない深海魚だったりするらしいしな。

 なのでこれは鶏卵である。異論は認めない。


 元々の塩味が高いことを考慮して、追加で塩を振ったりはしない。

 別に高血圧を気にしているとかそういうわけではない。断じてそんなおっさんではない。俺は六捨七入すれば二十代なのだ。いいね?


 ベーコンから染み出た油で卵をフライにしていく。

 目玉焼きのことを英語ではフライドエッグと呼ぶのだが、俺の中ではベーコンから染み出た大量の油で卵をフライにしているのでまったくもって違和感はない。

 真実は知らないが。単に焼くことをフライというような気もする。

 などと余計なことを考えながら、それでも鍋の様子を見ていると、いつしかバチバチと音を立て始める。白身にぽつぽつと気泡ができだす。

 もう少しすると隅っこが焦げるのだが。

 ここで、おもむろに蓋をして火を止めるのが俺流である。

 こうすることで焦がさずに黄味に上側から火が通っていくのだ。後は経験と勘で半熟具合を見極めるだけ。中は見ることができないから、音の変化で最終楽章に入る瞬間を判断する。

 ——できた!

 そうして、フライパン片手に欠食児童共の集まる食卓へ向かった俺は。


「また目玉焼きアル……」

「一応は。ベーコンエッグ。でも工夫がないのは同じ」

「別になんでもいいよー♪ お腹空いたし、はやくはやくー」


 ……あれ、なんで袋叩きなの? いや、一人それ以外もいるけどさ?


 ディノンの街でミナを助け出してから、早一ヶ月。

 俺たちはとある森林の中の、若干開けた平地に居を構えていた。

 山火事か何かで焼け出されたらしき後が遺っている、現代日本の地方都市の二・三町ちょう程度の区画だ。

 意外と知らないやつも多いと思うので捕捉しておくと、一町ちょうはおおむね百九メートルほどになる長さの単位である。嘘じゃない。信じられないなら、ぐぐれ。俺にはもう出来ない手段だが……ああ、懐かしきかなインターネットのある素晴らしい現代日本よ。


 いつものように話がそれた。

 近くには村と、もう少し離れたところにはそこそこの町があるのだが、そこで宿を取らずにここで暮らしているわけは……というと、俺たちが指名手配されているからである。

 中世ヨーロッパで遅れた感じのする世界なので、港町ディノンから遠く離れてしまえば問題あるまいと思ったのだが、教会を通じて似顔絵付きの手配書が回るシステムになっているのだから驚いた。

 幸い、印刷機で大量複写のような中世にあったら詐欺だろ的な発明はされていないようで、村ぐらいの規模だと手配書は回ってこない。しかし、村長とかには話が通っている可能性はあるようだった。

 まあ、その程度の情報で俺たちをどれぐらい特定できるかということなんだが……。

 トラックを見られると一発でアウトだった。

 以前にいた別の町では、手配書が回ってくるなり——情報の伝達手段として、メールどころか電信すらないので、俺たちより後に手配書が届いたわけである——衛兵たちに追い回される事態になった。

 それで反省して、田舎に引っ越してきたわけである。

 まあ完全に逃亡者ですわ。つらい。


 で、この森までやってきたわけなんだが。当然、そこには宿もないどころか建物もない。水源は近くに川があるので問題ないのだが、人間それだけで暮らすのは不可能だ。特に現代人である俺的には辛い。

 人はパンのみにて生きるにあらずというが、ここには水源であり魚が捕れる川とか、一応は買い出しが可能な村とかを除けば、土地ぐらいしかなかったのだ。

 普通に考えて生きていけるものではない。

 ここで問われるのは生活力である。それも、木を切って家を建てちゃう系の。いきなり言われても無理だろそんなん。

 自分を含めて、そういうスキルのある人間もいない。元奴隷二人はこの世界の普通の人間として、火の熾し方を知っているとか、洗剤のない環境でも服をそこそこ綺麗に洗うコツだとかは知っているのだが、家を建てられるレベルではない。

 神様は——生活スキルという意味では女装ぐらいしか出来なかった。いや、多分あれはやる気がなかったのだろう。いまはメシメシ騒いでいるが、きっと食わせなくても死にはしないと思う。いつか実験しよう。


「……ううっ。なんか背筋が急に寒くなっちゃった……?」


 つまるところ、俺たちの命運はある意味風前の灯火だったわけだが。

 そこで活躍したのが、魔法の四トントラックである。

 聞いて驚け。


 魔法の四トントラックはなんと、魔法のトレーラーハウスに変形するのだ。


 ……魔法と言えばなんでもありではない、と言い切っていた神の奴だが、控えめにみても、これはなんでもありそのものではないかと思うのだが。

 まあ、都合がいいので黙っていることにした。

 ちゃんとしたトイレがある魅力には勝てなかったよ……。


 魔法のトレーラーハウスは素晴らしく、ガス・水道・電気が供給される。

 すごいだろ。

 電気とか、電波が届くはずもない携帯の充電にしか使えないけどな。

 ただし……これらの機能を使用するためには、地中深くに謎の魔法のパイプを打ち込む必要があるようで(地下水をくみ上げたり、地熱発電でもやってるんだろうか?)、魔法のトレーラーハウスモードに切り換えてから使えるようになるまで一日以上かかるという欠点はあった。


 だがしかし、そんな欠点には目を瞑ってしまうほどの圧倒的文明力が提供されるのである。

 珍しく俺は女装神ヘンタイを褒めたし、今後お前のことヘンタイなんて言わないよ……と誓ったものである。その晩に俺がぶち切れるような事態があって、すぐ女装神ヘンタイに格下げされてしまったが。その時は本気だったのだ。

 こうして俺は生活の基盤を女装神ヘンタイに——厳密にはこいつが提供していくれている魔法の四トントラックに依存するようになった。

 つまりはヒモである。

 業腹だが仕方ないのだ。快適な生活には変えられんのだ。


 ともあれ、そんな理由で……俺たちはいま、魔法のトレーラーハウスを中心に暮らしている。食べ物は比較的目立たないノーラやミナが買い込んできた分がしばらくあるし、水は煮沸消毒して飲める環境。寝具とかは魔法のトレーラーハウスに付属していたものと、足りないものは買って揃えている。

 釣りをして魚を食うことも、森で採集して果物やら木の実やらを食べることもできる。食卓の彩りまである。

 だいたい完璧だ。

 もう世界を救うなんて目的はやめてここで暮らしたいよなぁ……。

 いっそ、森を切り開いて、農場とか作っちゃおうかなぁ……。


「ご主人様? 聞いてるアルか」

「ん、なんだ?」


 ノーラが口に人参(異論は認めない)の切れ端を運びながら、俺の注意を惹いた。

 決して広くはない——といっても明らかに四トントラックのサイズではない——魔法のトレーラーハウス内に設置されている食卓で、カチャカチャと食器を鳴らして食事を進めている一同を尻目に、俺はさっきの考え事をしていた。

 それで、ノーラの話をすっかり聞きそびれてしまっていたようだった。


「そろそろ手持ちのお金が底を突くアル」

「——へ?」


 そういえば——。

 エリスに貰った報酬以来……俺たちって、収入ゼロ、じゃん?

 ……こうしてまた。

 俺たちの危機は突然に訪れた。主に生活面で。金がないという、地味だが一番ダメな形で。

 いやはや。異世界だろうが日本だろうが、人生って本当に辛いよなあ?

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